回想
そう、あれは夏休みの事だ。
今年一番の暑さが到来したとニュースで言っていたのを覚えている。まぁ、そんなの日々更新されていくものだから大した情報じゃないな。
ともかく俺はその日、新たに始められたブランドの展示会のため、原宿を訪れていたんだ。
改札を出て、階段を登り出口へ辿り着いた俺の視界には、この世全ての人間を集めたんじゃないかというくらいの人の群れ。
各々違う場所を目指しているはずなのに、何故かそれは一つの意思の下に動いているように見えたんだ。
多分、夏休みだから浮かれていたとかその程度なんだろうけどな。
茹だるような暑さと相まって、まだ何もしていないのにどっと疲労感が押し寄せてくる。
針を縫うようにこの人混みの中を抜けなければ、展示会へ行くことができないのだから。
ここで立ち止まっていても仕方がない。
死地に赴くような気持ちで、俺は足を踏み出した。
30分くらいは経過しただろうか、やっとの事俺は目的地をその目に捉えることができ、達成感が額から流れ落ちた。
軽い足取りで待機列に近付き、俺もまたその一員となる。
まだそんなに知られていないブランドだと思ったのだが、自分の前には15人ほどの人間が立っていた。予想以上に並んでいる人が多い。
そうやって前に並ぶ人間を見ていた時、何か引っ掛かる感じがしたんだ。
一体何に?
もう一度、目の前の人間から順に観察していく。
デニムのパンツに黒いパーカー、如何にも大学生といった風貌の男。
背が高く、夏だというのに黒いハットを被ったお兄さん。お洒落は我慢だとも言うしな、分からないこともない。
その前には、黒いワイドパンツに白いシャツ、それに黒いジレを羽織った女の子が立っていた。
……この子だ。
確かにこの子の服装は俺の好みにドンピシャだ。
でも、それが理由で引っかかったという訳ではないと、本能が告げているのを感じる。
肩ほどまである艶やかな黒髪は、風に揺れると髪の毛の一本一本が踊っているようだ。
背は女子の平均よりは低そうだが、黒い服を着こなしているので実際よりも高く見える。
俺の知り合いにこんな服を着る女子はいない。仮にいれば忘れる事はないだろう。
しかし、どこかで見たことがある気がする。
その服装ではなくおそらく、美しい髪を。
でも、どこで見たんだろう。
ここからでは後ろ姿しか見えないが、彼女は本を読んでいるのだろうか、少し俯き肩が狭まっている。
どうにかしてこちらへ振り向いてくれれば、胸に湧き上がる疑問も解消できるのに。
自ら確認できない事を歯痒く思った瞬間――
夏だというのに驚くほど爽やかな、一陣の風が吹いた。
神の息吹にも捉えられるそれは、良く整ったそれの形を乱す。
彼女は口に髪が掛かるのを嫌ったのか、ふっと顔を背ける。
それだけの当たり前の行動は、しかし俺の心のもやを晴らす決定的な一撃だった。
ついにその全貌が明らかになる。
……彼女は、同じクラスの岩城さんじゃないか?
学校と違って眼鏡を掛けていないので真偽は定かではないが、でもあの顔は毎日見るそれで間違いなかった。
双子か?
いや、彼女の家族構成は分からないが、実は双子だったというのはそれこそ漫画の世界でしかあり得ないだろう。
まさか、こんな近く同じ趣味を持つ人間がいたなんて。
それも、彼女は女性では着こなすのが難しいはずの服を着こなしており、雰囲気も洗練されていた。
のっぺりと見えがちなモノトーンコーデだが、ジレが風に靡くお陰で白いシャツが存在感を増し、そこに立体感が生まれる。
堅苦しく見えないようパンツは太いものが選ばれ、フォーマルな印象を見事に中和していた。
岩城さんに話しかけたい。その思考だけが、俺を支配している。
友達に、いや、すでにそれ以上の関係になりたいとさえ思っていたんだ。
きっとこれは、一目惚れというやつなんだろう。
だが、混雑を防ぐためか展示会は順番制で、残念ながら俺たちが同じ空間に身を置くことはない。
店員さんに促され部屋に入っていく姿を、ただ後ろから見つめることしかできなかった。
しかし俺が案内される直前、奇跡的に部屋から出てきた彼女とすれ違ったんだ。
俺は岩城さんの目を見た。気付いてもらえるんじゃないかと、これがきっかけになるんじゃないかと期待を抱いて。
俺の願いが届いたのか、なんと彼女の目は俺を捉えた。
しかし、そこに浮かんだのはクラスメイトへの親愛ではなく、何か恐れていた事が現実になってしまったような、恐怖だったんだ。
岩城さんは重なったはずの視線を逸らすと、早足で帰ってしまう。
その様子を見て追いかけることもできず、俺は促されるまま部屋に入ったが、全く集中することもできずに帰った。
もしかしたら、彼女は趣味を隠したかったのかもしれない。
俺にもその気持ちはわかる。高校生で流行りのドメスティックブランドに手を出していると言うと、背伸びするなと、調子に乗っていると思われる事があるからだ。
だからこそ、俺は彼女に伝えたかった。
その年齢でお洒落に興味を持っている事がどれだけ貴重なのか。
そして、とにかく嬉しかった。自分の理解者が現れたようで、胸が高鳴っていたんだ。
学校で仲の良いグループにはいない存在。
山内も高崎も、他の生徒に比べて圧倒的に身だしなみに気を遣っているが、それでも俺ほど熱心に研究してはいないのだ。
もちろんその事に怒りや失望を抱いてはいない。
自分が少数派だということは分かっているし、一人で楽しめればいいと本気で思っていたからだ。
夢は夢のまま、過度に求めるものではない。
しかし、実際にそれが現実になったと思うと、もはや止まる事など考えられなかった。
もっと彼女の事を知りたい。
だから伝えようと思ったんだ。夏休みが明けてから、幾度となく岩城さんに話しかけようとチャレンジした。
でも、彼女は俺が近付く度に避けるように何処かへ行ってしまう。
声をかけても、まるで聞こえていないかのように振る舞うんだ。
どうすれば彼女の俺に対する恐怖心を消せるんだろう。
そう悩んでいる時、俺の数少ない理解者が声をかけてきてくれた。
――――
「……と、いうわけなんだ」
「まさか、岩城さんにそんな一面があったなんて」
失礼だが、教室での彼女からは考えられない事だった。
おそらく、学校で目立つ事は極力避けたいのだろう。
眼鏡を掛けていなかったというのも、彼女は普段コンタクトを付けているからなのかも。
個性的というのは良くも悪くも人の目を引き、何かの原因になり得てしまう。
浅川に対する真壁の感情が良い例だ。
しかし、片山が本気だというのは大いに伝わった。
彼の友人として、何か手伝いができればいいんだが……。
「うーん、何か助けになるような事は……」
「それなら、宮本の知り合いの女子にも意見を聞いてみてくれないか? あまり嫌がられるようなら、断腸の思いで彼女を諦める事にする」
「わかった。ちょうど近頃予定も入っているし、それとなく聞いてみるよ」
俺たちでは女子の気持ちを細部まで推し量る事ができない。
だから、同じような感性を持っているであろう人間を探し出して意見を求める事にした。
果たして片山は、あそこで一人読書に勤しんでいる岩城さんの心を開く事ができるのだろうか。
面白いと感じて頂けたら、ブックマークやポイント評価して頂けると非常に嬉しいです。