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分岐点B-1



「優太君、今日もお店に来てくれてありがとう!」

「ううん。会えて嬉しいよ」


 彼女に捨てられて、後輩にも裏切られて。ボロボロの心を抱えた俺が向かったのは、メイドカフェだった。もちろん、ほんの出来心というやつだ。通うつもりはないし、特にメイドさんに期待もしていない。ただ、あの時の俺には人の温もりが必要で、それが金で買った偽りのものであったとしても、それでよかった。


 一年が経ち、仮の住処だと思っていたこの店は、いつしかかけがえのない居場所になっていた。


 凍りついていた俺の心を優しく溶かしてくれたのは、推しのメイドであるユイちゃんだ。彼女は他の人間と違って俺を罵倒せず、突然裏切る事もない。俺が髪を切った時、幼馴染はそれを笑ったが、ユイちゃんは煌めくような笑顔で、言葉を尽くして褒めてくれた。


 ユイちゃんは俺の心の支えだ。自然と店に通う頻度は増えていき、今では週の半分をメイドカフェに費やしている。そして今日もまた、俺のことを包み込むように出迎えてくれる天使を目にし、心が安らぐ。


「今日のメニューはどうする? にゃんにゃんパフェも良いけど、やっぱり私はチェキ撮りたいな〜」

「じゃあチェキ撮ろうか。あとはドリンク入れようかな」

「ありがとう! ドリンク入れてるね!」


 そう言って彼女はカウンターの裏へ回る。ユイちゃんの魅力は、何といってもその笑顔と素直な感性だ。どんな話をしても雑な返事をする事はなく、面白い時は太陽のような満面の笑みで、悲しい時は慰めながら話を聞いてくれる。


 そんな癒しの塊のような彼女が、何故人気がないかは理解できないが、少なくとも俺からすれば世界で一番魅力的な女の子だった。


「ただいま! 待たせてごめんね?」

「大丈夫、ドリンク作ってる姿もすごく可愛かった」

「えへへ、そうやって言ってくれて嬉しい!」


 口をにまにまさせて喜ぶ姿は一層可憐で、心臓が強く波打っているのを感じる。


「じゃあ、そんな優太君にご褒美をあげようかな」

「なに?」


 テーブルの下、足に柔らかい感触。ユイちゃんは悪戯な笑みを浮かべながら、俺の太ももをぽんぽんと二回叩く。どぎまぎしながらも左手を下へ持っていくと、すぐにひんやりとした手が俺を捕まえる。陶器のようにすべすべで、まるで違う生き物のそれのようだった。


「みんなには秘密だよ?」

「……もちろん」


 ユイちゃんは周りの人間の隙を伺っては、俺にスキンシップを仕掛けてくるのだ。こちらとしてはとても嬉しいが、心臓が持ちそうにない。しかし、この背徳的な関係は癖になってしまいそうな魔力を秘めていて、いつも内心では期待してしまっていた。


「じゃあ、そろそろチェキ撮ろっか」

「そうだね」


 冷たい雪のような気持ちよさが離れてしまうのは名残惜しいが、チェキも撮りたかったので甘んじて受け入れることにする。俺たちは席を立つと店内の外れに移動し、撮影してくれるメイドさんが来るのを待つ。


「二人とも、お待たせ〜」

「リコちゃん、ありがとう!」

「こんにちは」


 小走りでこちらへ向かってきてくれたのは、この店でも上位の人気を誇るメイドさんのリコちゃんだ。最近入店したばかりだというのに、そのサバサバとした雰囲気と含蓄ある言葉で一躍人気をさらっている。さらに、ユイちゃんの話では二人は同じ学校に通っていて、とても仲が良いらしい。


 それにしても……と、二人をまじまじと見つめて考える。茶髪のショートカットで中性的な顔立ち。どちらかというとボーイッシュな面が目立つリコちゃんと、沖縄の海のように透き通った青く長い髪で、大きな垂れ目が印象的な、まさにキラキラした今風の女の子という感じのユイちゃん。この二人が仲良くなるビジョンというのが全然想像できない。もしかしたら、夕陽を背に殴り合うようなイベントを経た後に友情が芽生えたのかもしれない。


「ぼーっとしてどうしたの? 二人とも、撮るから並んでね」

「はーい!」

「あ、はい!」


 その言葉に我に返った俺は、ユイちゃんと隣同士に並んだ。


「今日のポーズはどうしよっか?」

「うーん、この間はうさぎをやったから……」

「あ、なら私にいいアイデアがあるよ! 真っ直ぐリコちゃんの方を向いて?」

「えっと……こう?」

「そう! そのまま前を向き続けててね!」


 どんなポーズなのだろう。俺はとりあえず、彼女に言われるがままに正面を向いた。


「じゃあ撮るね〜!」


 リコちゃんが合図をし、チェキ機に手をかける。ポーズの意図が未だに掴めない俺は、横目でユイちゃんを見ていると、彼女は右手で髪を耳にかけながら、こちらへ近付いてくる。


 近くないか!?


 彼女はどんどん距離を縮め、それはやがて0に――


「ひやっ!?」


 シャッターの音、フラッシュと同時に耳に柔らかい感触、柔らかい唇がはむはむと動いていた。


「ふふふ……ひやっだって、可愛い!」

「心臓止まるかと思ったよ!?」


 危うく彼女を殺人犯にしてしまうところだった、本当に危ない。驚きと興奮で、俺の耳は茹で蛸なんて目じゃないくらいに真っ赤に染まっているだろう。というか、ユイちゃんは楽しそうに笑っているが、リコちゃんに怒られるんじゃ――


「全く……ユイ、バレないようにするんだよ?」

「はーい!」


 メイドカフェは原則、お客さんとの過度なスキンシップとか恋愛とか、そういう類のことは禁止なのだが、何故かほぼお咎めなしだった。


 本来なら抱いてはいけない感情。隠しているつもりの淡い恋心が、今の行動によって殻を破って出てこようとしている。どうにかして耐えなければ。しかし、こんなことをされてしまっては、どうしても期待してしまう。


「優太君、今日も楽しいね!」

「……うん。ありがとう、ユイちゃん」

「どういたしまして!」


 彼女の真意は分からない。俺に好意を抱いてくれているのか、揶揄っているだけなのか。どちらであったとしても俺は、癒しと小悪魔を両立させたユイちゃんには勝てないだろう。


「あのさ、優太君」


 なんだろう、妙に緊張しだ様子でユイちゃんがこちらを見つめている。両手で制服の裾を押さえて、大切な勝負に挑む直前のような力の入りようだ。


「これ、私の連絡先――

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