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瞬間



 夏から熱を奪っていくような、涼しげで凛とした声が心臓から全身へ染み込んでいく。それは俺の頭のもやをも消し去っていき、もうすぐ命を終えるであろう蝉の叫びさえ耳には入らなかった。


 口の中が乾いて仕方がない。怒り、後悔。それだけではない、色々な感情が絶え間なく渦巻いていく。


 俺に本心を言わせるために、好きな人ができたと嘘を吐いたのか?

 俺に本心を言わせるために、あんなにも長い時間俺を罵倒してきたのか?


 確かに今の俺から見れば、過去の自分は優しさと従順を履き違えていた。人の言う事を味わいもせず、吐き出しもせず、ただ飲み込むことだけが優しさだと思っていた。それが間違っていると気付けたのは、ほんの最近の事だ。


 過去の自分の態度が浅川を苦しめてしまい、その結果が今に繋がっている。これで理解はできる。別れた直後や、夏休み後の彼女の言動も、何もかも。


 そんなのありかよ。



「……一言言ってくれれば」


 それは本心から出た言葉だった。過去の俺からの叫びだった。俺があの時気付いていなかったことに、彼女は辿り着いていたのに。それをたった一言言ってくれるだけで、俺たちの関係は今とは大きく変わっていたかもしれないのに。


「本当にごめんなさい。幼馴染で彼女だったから。ずっと一緒にいたから、ユウの全部が分かっていると思い込んでいたの」


 自分の罪を完全に理解したかのように、俺の考えている事を手にとるように理解しているかのように浅川は謝罪をする。


 決して消える事の無いように思えた、手の届かない未来への憧憬と、喪失感。しかしその謝罪は、俺の負の感情を浄化するには十分なものだった。相手との関係が崩れるのが怖くて本心を言う事ができない。己の中の常識を過信してしまう。そのどちらもが、自分が認め、許してきた過ちだったからだ。


 誰もが同じように、間違いを犯す。すれ違いからでも、思い込みからでも、盲信からでも。その事を理解して、受け入れられたなら、人間は再び前に進める。ただ、浅川には一つだけ問題があった。


 思えば黒咲とユイちゃんのしてきた事は、彼女のそれと比べると生優しいものだった。傷ついていない心であれば、二人の攻撃は修復可能な傷で済んだはずだ。


 しかし、浅川の浮気。これだけはどうしても見過ごす事ができない。彼女への恨みが消えたとて、過去が消えるわけではないのだから。たとえ俺を想ったが故の嘘であったとしても、それでもだ。


 俯き、一度深く呼吸をすると、返事を待つ浅川を再び真っ直ぐに捉える。


「……俺も優しさの意味を履き違えていた。奴隷のように全てを受け入れるだけが優しさじゃなかったんだ。時には相手の事を思って、正しい道に引き戻そうとぶつかるのが本当の優しさだった。浅川の行動にも、その気持ちがあったはずだ。でも――」

「私の行動は、何の罰もなく許される事じゃない」


 俺が全てを言い終える前に、浅川がそれを引き継ぐ。やはり、彼女は理解しているのだ。俺が次に何を言おうとしているのか。過去の自分との完全なる決別。それを完遂するためには、この関係を終わらせる必要がある事を。


 だから――


「だから、俺たちはもう、幼馴染じゃない」


 風が止む。前回とは違い、彼女は真っ直ぐに、別離の言葉を受け止める。怒りも憎しみも疑問もなく、ただ満足げな微笑。


「……うん。ごめんね」


 一粒。たった一粒の涙が、彼女の目尻から零れ落ちる。ゆっくりと頬を伝い、顎で助走をつけ、地面に向かって昇っていく。やがて終焉に辿り着いた想いは、薄くシミを残して消えてしまった。何もかもが終わったかのようだった。だが、俺の言葉はまだ終わってはいない。


「俺たちは幼馴染じゃなくなった。……これからは、共に学校生活を送るただのクラスメイトだ」


 その瞬間、彼女の髪をキツく縛っていたゴムが切れ、夜の星空が引き伸ばされた。永遠のように思えた凪が終わったのだと、綺麗に揺れる髪を見て気付いた。その言葉の真意を理解した浅川の顔は波に揺れ、堰き止めていた悲しみが、喜びと融合して感情の枷を決壊させる。


 もう、元の関係に戻る事はできないのだ。雪のように冷たい雨の記憶はなくならない。別れの瞬間を忘れる事はできない。彼女のした事は許される事ではないのだから。


 でも、それでも俺は許そうと決めた。同情でも憐れみでもない。ただ、俺に自分を変えるきっかけがあったように、彼女が変わるためのきっかけはきっと、今この瞬間なのだ。それを否定する事は、あの時の自分を否定する事になる気がした。


 俺たちは最早幼馴染ではなくなった。昔のようにお互いに名前で呼び合ったり、家族のように肩を寄せ合って過ごす事もないだろう。思い出は全て忘却の彼方へと消え去り、今はただクラスメイトという関係だけが残る。


 だけど、同じクラスで学校生活を共にする仲間なのだ。用があれば会話するだろうし、放課後の教室でたまたま居合わせれば、雑談くらいはするかもしれない。それから先の可能性は無限に広がっている。


 夏休み中の自分は今の決断を見て、どう思うだろう。そんなんじゃ甘いと罵るだろうか。それとも、よくやったと褒めてくれるだろうか。どちらかは分からないが、あの日見ていたアニメの主人公。彼のように、今の自分は眩しく見えているといいなと、そう思った。


需要あるよ、これからも読んでやってもいいよと思ってくださる優しい方がいたら、

ブックマークや、ページを下の方に動かしていって、☆5をつけて応援していただけると泣いて喜びます。

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