浅川由美の理由
私とユウには、深い深い絆がある。絆といっても友情ではなく、それは愛情だ。
私達は物心ついた時から一緒にいた。親同士の仲が良く、仕事で海外を飛び回ることが多かった両親は、私をユウの家に預けることも多かった。別にその事について、両親に何かを思っているわけではない。自分達の力を海外で活かしているという所に憧れを抱いているし、私がモデルを志すきっかけにもなったからだ。
そんな話ではなく、とにかく人生の大半を共に過ごしてきた私達は、ほとんど兄妹のような関係だった。
でも、中学の卒業を控えた頃、二人の関係は大きく変わる事になる。ユウの両親が事故で亡くなったのだ。
その時の事はあまり思い出したくないが、私ですら実の親を亡くしたようで、胸にぽっかりと穴が空いた感触があった。なら、ユウの心の傷は計り知れない。気丈に振る舞っているつもりでも、隠しきれない痛々しさがあった。
しかし、日が経つと共に彼は急速に大人びていき、高校生になる頃には辛そうな面は完全になりを潜めていた。辛いはずなのに、何事もなかったかのように生活を送る姿を見て私は、彼がこのままどこかへ、手の届かないところへ行ってしまうんじゃないか、すごく怖くなった。その時初めて、私は彼の事が好きなんだと、自分の中の恋心を理解することができた。
そこからは早かった。気持ちに気付いたからか、焦りからか。私はユウに猛烈なアプローチを仕掛け、どちらから告白するでもなく、桜が咲いている時期に私達は付き合い始めた。本当は告白したかったが、思春期特有の気恥ずかしさのせいで、最後の最後だけは流れに身を任せてしまった。
同時に、応募していたモデルの審査に通り、晴れて私は夢だったモデルになることができた。やる事なす事全てが上手くいくような全能感。好きな人と想いが通じ合っているという幸福感。私の人生の最盛期はあの時だったかもしれない。しかし、いつまでも感じていたかった幸せは、当然のように長く続かなかった。
モデルとしての仕事は順調どころか、素晴らしい成果を残している。雑誌に載ったり、ネット番組に出演したり、他の同期の子に比べたら遥かに躍進していたし、周りの子の自分を見る眼差しが憧れに染まるのを感じると、なんとも言えない気持ちよさがあった。
私が自慢げにその話をすると、ユウも自分の事のように喜んでくれていたが、何故か彼の心が以前のように隠れているままのような、秘密があるような気がする。そう思うと急に、いつも私に優しく、どんなことがあっても怒らない姿に不安を感じるようになった。彼は本当に私の事が好きなのだろうか。今更、告白をしなかったという事実が重くのしかかってくる。
ユウは自分の本心を誰にも見せようとしない。今までずっと一緒にいたのに、なんで隠し事をするんだろう。私は彼女なのに。
その時、自分の中に無性に不安と怒りが湧き上がっているのを感じた。今思えば、それは私の推測でしかなかったのに。
そんな負の感情に操られるままに、最高の方法を思いついた。彼に別れ話を切り出す事で、その気持ちが本物なのか確かめようとしたのだ。きっとユウも自分の本心を曝け出してくれるだろうし、二人が恋人関係だと改めて確認する事もできる。素晴らしい作戦だと、そう信じ込んでいた。
肌を刺すような冷たい雨が降る、冬の日の放課後。私はユウを呼び出した。何も知らずに来た彼は、傘を忘れた私を自分の持つそれに入れてくれる。そんな優しさですら、媒体が愛情なのか友情なのか分からなくて。全てを確かめるために、不思議そうにこちらを見上げる彼にこう告げた。
「ごめん、撮影で一緒になった俳優さんと付き合う事にしたから。彼はユウと違って面白いし、一緒にいて安心する。だからさよなら」
もちろん嘘である。いや、俳優に言い寄られたのは本当なのだが、ユウ以外の異性に毛頭興味はない。でも、実際に、またはそれに近しいものを経験した人間の言葉には、真実味が出てくる。それは空想では補う事のできない領域にある。その点では、煩わしさしか感じなかったあの俳優にも感謝しなければ。
迷惑の甲斐はあって、話を信じたユウは大きなショックを受け、普段は髪に隠れてあまり見えない瞳は動揺に揺れ動いていた。
そうだ。この表情が見たかったのだ。優しさだけじゃない、他の感情が。きっとこの後、ユウは別れたくないと言ってくれるだろう。ふざけるなと怒るかもしれない。どちらであっても、それは紛れもない彼の本心。私達は同じ気持ちだと安心して、この先も二人で生きていける。
だけど、辛そうで、信じられないという顔からは驚きだけが消えて、代わりに何かを悟ったような落ち着きが表層に現れていた。
「わかった。今までありがとう」
「……えっ? ユウはそれでいいの? 怒ろうと思わないの?」
思わず聞き返してしまった。怒りも引き止めもせず、彼は別れを甘んじて受け入れようとしているのだ。
一体どうして?
その疑問の答えは、どれだけ思考を巡らせても手に入る事はなかった。もしかしたら、私に気を遣って怒りを収めているのかも。そうだとしたら、私を想う故に、本心を押し殺しているのか。優しさ以外の気持ちだけでも持ってくれているのか。せめてそれだけでも確認せずにはいられなかった。
「俺の魅力が足りなかったんだ、怒ることなんてないよ。安心して、この事は誰にも言わないから。それじゃあ、お幸せに」
嘘を信じているのに、非難すらされない。ずっと一緒にいたはずなのに、今では彼の心が一ミリもわからない。別れようと思って話をしたわけではないのに、気付けば私達の関係は引き返せないところまで来ていた。
なんで?
私の顔は、彼にはどう映っているのだろう。疑問は何も解決しないまま、ユウは最後に寂しそうに笑うと、傘を私に渡し、一人雨に打たれながら去っていった。