ユイの理由
私は男の人が苦手なのかもしれないと、いつからかそう思っていた。特にこれといった理由はないが、おそらく中高と女子校に通っていて、男子と関わる機会がないからだろう。
高校生になった私は、バイトを始める事にした。好きなアニメやゲームのグッズを買うのにも、何かとお金がかかる。最初はコンビニで働く事にしたが、意味もなくお釣りを渡す時に手を握ってくる人や、連絡先の紙を渡してくる人が後をたたなかった。
私が上手に断れないのも良くなかったのだろう、段々行為はエスカレートしていき、ついにはストーカーされるようになった。幸い、警察がすぐに対応してくれたので大事には至らなかったが、その時には異性が本格的に苦手になっていた。
だから、もうそのコンビニでは怖くて働けない。そこで目を付けたのが、メイドカフェだ。メイドさんなら、一定以上の行為や言葉は禁止されているから苦手であっても働けると思ったし、メイド服を着るのも密かな夢だった。私はすぐに面接に行き、見事に合格した。これで私もメイドさんの仲間入りだ。
私がお給仕を始めて間もない頃、一人のお客さんが現れた。彼の名前は優太君。私服だったので最初は気が付かなかったが、なんと同い年らしい。同年代の男子と関わる事が珍しく、彼自身も初めてこういう店に来たようだ。だから気になって、来店した理由を聞いてみる事にした。
なんでも、「お金を払っている以上、裏切られる心配もないと思うから」だそうだ。よく分からないけど、私達はアニメやゲームの話で、すぐに仲良くなることができた。
優太君はそれから毎週この店に通ってくれるようになり、いつしか彼と話す事が私の楽しみになっていた。私がミスをして落ち込んでいる時に、彼が言葉を尽くして励ましてくれたのを今でも覚えている。その時の救われたという気持ちのお陰で、今もわたしはこうして働けているのだ。
自分では気付いていないだろうが、彼は時折、何かを思い出しているようにすごく悲しそうな表情をしている。その顔を見るたびに私は切なくなるし、何もできない自分が情けなく思える。何かしてあげられたらなぁ。
ある時、私を推してくれているお客さんが、罵ってほしいとリクエストしてきた。他人に馬鹿にされる事の何処が嬉しいのか分からないけど、お願いされたからやってみる事にする。するとその人はとても喜んでくれて、どう話が広まったのか、同じように罵倒してほしいというリクエストが殺到するようになった。自分に合ったキャラクターを作ると人気が出やすいよ、と先輩が教えてくれたけど、もしやこれのこと?
それからも同じような注文は絶えず、いつの間にか私は人気キャストに数えられる程多くの支持を得ていた。理由はわからないが、どうやら男の人は私に罵倒されると嬉しいらしい。
なら、優太君もきっとそうだ。
彼が喜ぶ事をすれば、悲しい顔も笑顔に変わるはず。キャラクターが仮面のように私に重なっている気がしたが、みんなが喜んでくれるから気にしない事にした。
でも、日に日に優太君が悲しそうな表情をする事が増えていった。彼が言葉で私を救ってくれたように、私も彼を救いたい。言葉を尽くしてその苦しみを取り除こうとしても、優太君は弱々しく笑うだけ。彼が帰る時には、そんな不甲斐ない自分に腹が立って、冷たく当たってしまうこともあった。前は言えたはずの、「もっと一緒にいたい」が喉で堰き止められる。
なんでそんな顔をするの?
なんで私だけを見てくれないの?
……努力が足りないのかな。
スマホで調べてみると、もっと優しくした方が良いとか、酷い言葉を言うのはありえない、とか書いてあった。私もそう思うけど、お店に来てくれるみんなはそれとは真逆のことを求めてくる。やっぱり現実の人の意見を取り入れた方がいいのかな?
今日は言葉の趣向を変えてみる事にした。ちょっと過激なアニメを見て、勉強してきたのだ。なんでも「奴隷」だとか「無能」だとか、そういうキーワードが今流行っているらしい。好意を持っている相手に対してそういう言葉を使うのは抵抗があるが、今日こそ彼は喜んでくれるだろう。練習はバッチリだ。
しかし、私の渾身の罵倒を浴びた彼の表情に笑みはなく、代わりに何か憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。なんで笑顔になってくれないんだろう。いつまで経っても返ってこない返事に不安になって、つい、追撃してしまう。
「五月蝿いよ、アホ面しやがって」
自分の耳を疑った。なんで私が逆に罵倒されているんだろうか。それよりも、人に辛辣な言葉を浴びせられる事がこんなにも堪えるのかと、そう思った。でも、それでもみんな嬉しそうにしていたのだ。私がしたことは間違っていないはず。
「話してて楽しくない? それはお前が人との会話を盛り上げようとしないからだよ。確か俺と同い年だったよな、偏差値40もないんじゃないか? そんなに会話が退屈なら、もうこの店には来ないから安心してくれ。今までありがとう、さようなら」
彼の言葉は止まらなかった。会話が退屈だなんて思った事あるわけないし、むしろ、彼と話す事がモチベーションとなっているほどだ。
なんで優太君は怒ってるの?
なんでもう来ないなんて言うの?
全く状況が掴めず、唇の震えが止まらない。もしかして、奴隷って言葉が好きじゃなかったのかな。言ってほしい言葉を聞いておくべきだったと、今更後悔した。彼を必死に引き止めて謝ろうとしたが、私の声は届いていないのか、そのまま彼の姿は消えてしまい、戻ってくることはなかった。
その夜、私はベッドで横になりながら、今日のことを思い出していた。
私のどこが悪かったんだろう。
私の何が気に障ったんだろう。
考えても考えても、答えは一向に見つからない。だから私は、思考を放棄して眠る事にした。もしかしたら、これは夢だったのかもしれない。明日になれば、いつものように優太君がお店に来てくれるかも。夏休みだって言ってたし、いつでも会えるはずだ。
そんな考えの浅い私に待っていたのは、悪夢のような日々だった。