2/3
それから、私たちは受験生となった。その頃には付き合っていた先輩は大学生となり、ほとんど連絡を取らなくなって自然消滅していた。元から大して好きではなかった先輩だったこともあり、さほど気にもしていなかった。特にやりたいことなどない私はとりあえず、自分の学力に沿った、興味もない地元の国立大学を志望していた。
「俺は、東京の大学に行くよ」
電話でそう告げられた時、私の頭の中はめちゃくちゃになった。私たちが住む地域からでは、東京へは何本も電車を乗り継いでやっと着くような遠い場所だった。今までは、高校は違えども同じ地域に住み、たまに誘えば一緒に出かけることもある間柄ではあった。しかし、東京へ行くとなれば状況は全く違ってくる。気軽に会うことは出来なくなるし、東京にはきっと自分より可愛くて魅力的な女性が沢山いるだろう。私の事なんて忘れて、どこの誰かも分からない、私の知らない女性を好きになるのだろう。彼にとって私は、単なる思い出のひとつとなってしまう。そう思うと、私はたまらなく怖くなった。彼の中で私が消えてしまう。その事があまりにも恐ろしく、あまりにも悲しく、あまりにも耐え難いことだった。突然湧き出した感情が頭の中で大きなうねりとなり、それを冷静に処理出来なくなってしまった私は電話口で、何も言わず情けなく咽び泣いた。
「よければ、ちょっと近くの公園に来ない?いつもの、あの公園に。俺、待ってるからさ」
私の取り乱した様子にしばらく何も言わずいてくれた彼が、ふとそう言った。
「すぐに行く!」
そう答えてすぐ、私は慌てて家を出た。格好は寝巻きのままで、携帯電話以外何も持たず、躓きやすいサンダルで必死になりながら。自分のことなんて、気にしてなどいられなかった。早くしないと、彼がいなくなってしまう。今行かないと、彼は私の前から消えて二度と会えなくなってしまう。そんな強迫観念が、私を突き動かしていた。元々近所に住んでいる私たちにとってのいつもの公園は、歩いても問題ない程度に近所にあった。普段ならあっという間に着くはずのその公園が、その時だけは、本当に遠く感じた。
公園のブランコに、彼は一人座っていた。呼吸も忘れて走っていた私は、息も絶え絶えになりながらも、急いで彼の元へ駆け寄った。
「うお」
私に気がついた彼がちょうど立ち上がった時、私は彼に飛びついた。その勢いに少し体制を崩したが、彼は倒れないようなんとか踏ん張って耐えてくれた。
「なんで!」
私の口からは、堰を切ったように言葉が溢れた。なぜ東京に行くのか。なぜ私になんの相談もしないのか。なぜ私の元から去ろうとするのか。そもそもなぜ違う高校になんて行ったのか。なぜ。なぜ。なぜ。たくさんの『なぜ』を、私は彼にぶつけた。そしてその返事を待たずに、今度は自分の思いを吐き出した。私がなんで先輩と付き合ったのかわかっているのか、私がどんな思いで彼に接していたのか、彼女ができた時に私がどんな気持ちで彼にアドバイスを伝えていたのか。
本当に自分勝手な言い分を並び立て、まるで自分が被害者だと言わんばかりだった。
「うん、うん、そうだよね、ごめんね」
そんな私の言葉に、彼はいつものように、ただ優しく相槌をうってくれたのだった。
「私は、あなたが好き…」
あまりに矢継ぎ早に声を上げ、ほとんど枯れてしまった喉から絞り出すようにして、私は言った。
「ありがとう。俺も、君が好きだ。ずっと前から、好きだった」
「待たせすぎだよ」と小さくこぼし、「ごめんね」と彼は答えて、私の頭を優しく撫でてくれた。
私たちは大学生になった。
彼の目指す大学はとても難関で、私の頭ではとてもじゃないが届かなかった。でも、私は彼の傍にいたかった。私も東京の大学に行くと決め、また少しでも彼の夢のサポートがしたいと考え、私は東京の看護系の学校へと入学した。晴れて付き合うこととなった私たちを、お互いの両親は快く受け入れてくれた。なんなら、やっと付き合ったのかと少し呆れられたくらいだった。そんなこともあり、お互いの両親への説得のかいあってか親公認で同棲することにもなった。東京の物価は私たちの住む地域より明らかに高い。少しでも出費を減らすためにも、その方が都合が良かったのだ。
長い間すれ違っていた私たちは、ほとんど喧嘩もせずとても仲睦まじく過ごした。それまでは上から目線だった私だったが、付き合い始めてからは私の方が彼よりも強く好意を抱いたことが主な理由だったのだと思う。見捨てて欲しくない、といった依存気味な気持ちすらあった。私たちは幸せだったと思う。少なくとも、私にとっては本当に幸せな日々だった。