血の花占い
都会の片隅にある、閑静な住宅街。
四方を車道に切り取られた一角に、質素な公園があった。
その公園は土の地面に木や茂みがあるだけの殺風景な場所。
もうすぐ夕飯という時間のせいか、遊ぶ子供の姿は無く、
粗末なベンチに年老いた老爺が座っているだけだった。
そんな寂れた公園に、
初老の男が一人、花束を片手に訪れた。
その初老の男が公園に足を踏み入れると、
ベンチに腰掛けていた老爺が鋭く話しかけてきた。
「あんた、この辺では見ない顔だな。
だったら知らないだろうが、
この公園に花束を持ち込まない方がいい。」
見ず知らずの老爺に突然そんなことを言われて、
その初老の男は訳が分からず、頭を下げて応えた。
「これは失礼。
この花が気に触りましたか。」
白くなり始めた頭を下げながら、相手の様子を伺う。
何かが老爺の勘に触ったのかとも思ったが、
相手は怒っている様子ではなかった
その初老の男が頭を上げると、老爺は落ち着いた声で話を続けた。
「いいや、そうじゃない。
この公園には、花を持ち込まない方が良い。
それを言いたかっただけだ。」
「花を持ち込むのに、何か支障があるんでしょうか。
この公園には、外部の植物を持ち込んではいけないとか。」
その初老の男の疑問に、老爺は言い難そうに応える。
「いいや、そういうことじゃない。
この公園には、出るんだよ。」
「出るって何がですか。」
「・・・幽霊だよ。
この公園には、小さな女の子の幽霊が出るんだ。
少し昔のことだが、当時この公園は車道だった。
そこで事故があって、
小さな女の子が車に轢かれて亡くなったんだ。
事故の後、ここは公園にされたんだが、
しばらくして、幽霊が出ると噂されるようになった。
この公園に花を持ち込むと、
その小さな女の子の幽霊が現れて、花を毟ってしまう。
それだけでは足らず、人の命まで毟ってしまうんだそうだ。
そんなことが噂されるようになって、
この公園に花を持ち込むのはご法度になった。
花が一輪も植えられていないのは、そのせいなんだよ。」
言われてみて気がついたことだが、
この公園が殺風景に見えたのは、
花が一輪も植えられていないのが原因の様だ。
しかし、幽霊が出るなどと言われて、
すぐに信じる大人はいない。
その初老の男も一般的な反応を返す。
「幽霊、ですか。
まさか、そんなものが本当にいるわけがない。」
その反応は予想していたようで、老爺は諭すように返した。
「他所の人は信じられないだろうがな。
わしもこの目で見るまでは信じられなかった。
しかし、以前に一度、
それらしい人影を見かけて、それで納得したんだ。
だから、あんたにも忠告しておこうと思ってな。
信じる信じないはあんたの自由だ。
だが、気を付けろよ。」
要件を言い終わると、老爺は座っていたベンチから立ち上がった。
「さて。
日が暮れて冷えてきたから、そろそろ失礼しようかね。
冷えると腰が痛くてな。
あんたももう若くはないようだが、身体の方は大丈夫かい。」
立ち上がって腰を擦っている老爺に、初老の男が微笑んで応える。
「実は、私も体に色々とガタが来てしまいまして。
満足なのは歯ぐらいでしょうか。
せいぜい親知らずを3本ほど抜いたくらいです。」
「歯だけでも丈夫なのは良いことだ。
あんたも身体は大事にするといい。
それじゃ、わしは失礼するよ。」
老爺は公園から去っていった。
そうして公園には一人、その初老の男だけが残された。
この公園に花を持ち込むと、小さな女の子の幽霊が現れる。
幽霊は花を毟り、人の命まで毟ってしまうという。
そんな老爺の忠告を聞いてもなお、
その初老の男は、花束を手に公園を離れようとはしなかった。
周囲をきょろきょろと見回して適当な場所を見つけると、
そこに花束を置いて立ち上がった。
それから、先程の老爺が座っていたベンチに腰を下ろす。
他に誰もいないのを確認して、独り言を口にした。
「さっきのお爺さんはああ言っていたけれど、
もしも幽霊が本当にいるなら、会ってみたいものだ。」
溜息のようにそう呟くと、その初老の男は物思いに耽っていった。
日が完全に沈み、空が真っ暗になって。
どこかの家の夕飯の匂いが漂ってきて、
その初老の男は物思いから我に返った。
「おっと。
つい思い出に浸って、こんな時間になってしまった。
暗くなったし、そろそろ引き上げよう。」
そうして、
その初老の男がベンチから立ち上がって、
公園から出ていこうとした、その時。
ベンチから少し離れた所に、誰かがしゃがみこんでいるのに気がついた。
考え事をしている間に、他に人が来ていたようだ。
その人影は小さな女の子のようで、
花束が置いてある場所に向かってしゃがみこんでいた。
こちらに背中を向けていて顔は見えないが、
その特徴は、さっき老爺から聞いた幽霊の話と一致する。
その初老の男はそう考えかけて、頭を振って考え直した。
「まさか、幽霊なわけがないだろう。
きっと地元の子供に違いない。」
それから、しゃがみこんでいる女の子に近付いて、
その背中に声をかけた。
「お嬢ちゃん、こんなに遅い時間に外にいて大丈夫?
もしかして迷子かい?
お父さんとお母さんは?」
その小さな女の子は、こちらに背中を向けたままで返事をした。
「ううん、違うの。
パパとママが迎えに来てくれるのを、ずっと待ってるの。」
それからその小さな女の子は、
花束を探って花を一輪引き抜くと、その花びらを毟り始めた。
何か小声で唱えているのが聞こえる。
「パパとママがむかえに来る、来ない、来る、来ない、」
花びらを毟りながら、来る来ないと交互に口にしている。
どうやらその小さな女の子は花占いをしているようだ。
花占いとは、
願い事を口にしながら花びらを毟っていき、
最後の一枚を毟った時に口にしていた通りのことが起こるという、
古い子供の遊び。
その小さな女の子は、父親と母親の迎えを待っていて、
迎えが来るか来ないかを花占いで占っているようだ。
それ自体は、微笑ましい子供の遊びでしかない。
しかし、今はそれが違うものに感じられる。
何故なら、
花を毟る小さな女の子の幽霊が現れるという、
老爺の話を聞いたばかりだから。
まさか幽霊なんているはずがない。
そう思いながらも、確認せずにはいられない。
その初老の男は、
その小さな女の子の背中に向かって、恐る恐る尋ねた。
「お嬢ちゃん。
君は、君は、一体いつからこの公園にいるんだい?」
その女の子は応えない。
その初老の男に背を向けたままで、一心不乱に花占いを続けている。
「来る、来ない、来る、来ない、来る、来ない、」
その小さな女の子の足元に、毟られた花びらが積もっていく。
そうして、その小さな女の子の足元が花びらでいっぱいになった頃、
とうとう花束の花が無くなって、花占いは終わった。
花占いの結果は、来ない。
その女の子の願いは叶わないという結果だった。
泣き出しそうな声になって、その小さな女の子が言う。
「パパとママは迎えに来てくれないの?」
そう話すその小さな女の子に、その初老の男がもう一度尋ねる。
「お嬢ちゃん、もしかして君は・・・」
その時。
言葉を遮るように、その小さな女の子が振り返った。
花占いをしていたその小さな女の子が、こちらに振り返る。
振り返ったその子には、顔が無かった。
顔が無い、というのは正確ではない。
顔があったであろう場所は、ぐしゃぐしゃに潰れた血肉の塊になっていた。
何か重いもので押し潰され、すり潰されたようで、
それが顔なのかも分からない。
表情や人相などは読み取れるはずもなく。
それどころか、どうやってしゃべっているのか、
それすらわからないほどだった。
その小さな女の子の潰れた顔を見て、その初老の男は息を飲んだ。
確認するまでもなく、無事な人間だとは思えない。
この公園に小さな女の子の幽霊が現れるという、
あの老爺の話は事実だった。
そう考える他無かった。
顔が潰れた小さな女の子の幽霊に出会って、
その初老の男は動くことが出来なかった。
「そんな、まさかそんな。」
そんな意味のない言葉を口から出すのが精一杯。
すると、その声に惹かれるように、
その小さな女の子がゆっくりとこちらに近付いてきた。
「そこにいるのは誰?
パパがそこにいるの・・・?」
顔が潰れているせいで、周りが見えているのかいないのか。
その小さな女の子は手探りでこちらに近付いてくると、
その初老の男の手や身体をぺたぺたと触ってきた。
そうして潰れた顔のどこからか、物悲しそうに声を出す。
「このままじゃ、パパとママはむかえに来てくれない。
花占いを、花占いをしなきゃ。
あたしができるのは、それだけしかないから。
パパとママが来るって、そう花占いをしなきゃ。」
それからその小さな女の子は、
手探りでその初老の男の手を辿ると、指先の爪に手をかけた。
子供とは思えない力で、爪を花びらのように毟り取っていく。
指から剥がれた爪に、根っこのように肉が糸を引く。
「痛っ!何を!」
その初老の男が、爪を剥がされた激痛に顔を歪める。
しかしその小さな女の子は聞く耳を持たず、
爪を剥がし切って地面に捨てた。
「来る、来ない・・・」
そう囁きながら、
1枚、もう1枚と指先の爪を剥がしていく。
指先にこびりつくように残った爪を、捻るように引き剥がす。
剥がれて無くなった爪の代わりに、滲んだ血が指先を濡らしていく。
爪を剥がされる度に、その初老の男は悲鳴を上げそうになった。
しかし、それでもなお、
その初老の男は、その小さな女の子を振り払おうとはしなかった。
あるいは、動くことができないのか。
その初老の男は、爪を剥がされている間、身動き一つしなかった。
「これが、これが、
私がこの子にしてやれる、たった一つのことなのだとしたら、
私はそれを受け入れるしか無い。」
そう言葉を絞り出して、その初老の男は無抵抗に全てを受け入れた。
その小さな女の子は、右手の指の爪を5枚剥がし終わって、
止せばいいのに左手の爪を剥がしにかかる。
そうして両手の10枚の爪を剥がし終わって、爪を使った花占いは終わった。
結果は、来ない。
またしても願いが叶わないという結果に、
しかし、その小さな女の子は諦めなかった。
その初老の男の足元にしゃがみ込むと、
靴を千切るように引き剥がして、今度は足の指の爪を毟り始めた。
小さな小指の爪から、大きな親指の爪まで。
しつこく残る肉をねじ切って、1枚1枚剥がしていく。
そうして、片足の指の爪を剥がし終わったところで、
初老の男が激痛に脂汗をかきながら言った。
「だめだ・・・!
これ以上花占いを続けたら、同じ結果になってしまう。
片方だけで止めるんだ。」
しかし、その小さな女の子は頭を横に振る。
「だめなの。
片方だけじゃだめなの。
両方揃ってないと、パパとママの両方が揃ってないとだめなの。」
そうして、その小さな女の子は追い立てられるように、
残った左足の爪を剥がし始めた。
「来ない、来る、来ない、来る、」
固い足の指の爪は中々剥がれず、
指の肉ごと引きちぎるようにして、やっと左足の爪も全て剥がし終わった。
結果は、来ない。
当然の結果だった。
そうして両手足の爪20枚全てを剥がされて、
その初老の男は激痛でうずくまった。
頭上近くで、その小さな女の子の悲しそうな声が聞こえる。
「来ない。
パパとママは、やっぱり来ない。
もっと、もっと花占いを続けないと・・・」
うわ言のように言うその小さな女の子。
その潰れた顔を、その初老の男の苦痛に歪む視界が捉える。
「この子をこのままにはしておけない。
それが、せめてもの私の贖罪なのだから。
何か出来ることはないのか。
出来ることは・・・そうだ。」
何を思いついたのか、
その初老の男は、その小さな女の子にやさしく語りかけた。
「さあ、これを使いなさい。
これを使えば、まだ花占いができる。
そうすればきっと、願いが叶うから。」
そうしてその初老の男が見せたのは、大きく開けた口の中。
口の中にずらっと並んでいる歯だった。
その小さな女の子は、
その初老の男の口の中を覗き込んで首を傾げた。
「・・・それ、使っていいの?」
その初老の男は弱々しく頷いて返すと、
その小さな女の子の手を取って、自分の口の中に添えた。
その小さな女の子は満足そうに頷くと、
その初老の男の歯を1本1本折っていった。
歯を折られる音が、激痛とともに頭蓋骨を伝わって、
その初老の男の耳に響く。
足元には既に剥がされた20枚の爪が転がっている。
さらにその上に、折られた歯が積み重ねられていった。
20枚の爪の上に28本の歯が積み重なったところで、
その小さな女の子は手を止めた。
花びらの代わりに歯を折って続けた花占いの結果も、来ない、だった。
その小さな女の子は、またしても希望する結果を得られず、
潰れた顔の血肉の間から涙を流した。
それを指先で拭いながら、その初老の男がやさしく語りかける。
「まだだよ。
見てご覧、まだもう1つ残ってるだろう。」
その初老の男の言う通り、
歯を折られて血だらけになった口の中をよく見ると、
そこには半ば肉に埋もれるようにして、まだ1つ歯が残っていた。
それは、抜き残っていた親知らずの最後の1本。
通常、成人の永久歯は28本と親知らずが4本。
しかしその初老の男は、
4本ある親知らずの内3本抜いて1本だけ残っていたので、
歯が1本だけ多い29本、つまり奇数の状態だったのだ。
花占いで2択の占いをする時、
1つ目の選択肢の結果を得るには、偶数枚の爪や歯では不可能。
かといって、
今から奇数枚の花びらを持つ花を用意していては、
この子にもう会えないかもしれない。
そう考えたその初老の男は、
奇数本である自分の歯を使うことを思いついたのだった。
それが、幽霊になってしまった我が子に対するせめてもの贖罪だった。
その初老の男は、
爪を剥がされた血だらけの手で、その小さな女の子の手を取ると、
血だらけの口に残った最後の一本の歯に添えた。
「ほら、ここにまだあるだろう?」
「あ・・・!」
その小さな女の子は、嬉しそうな声を上げた。
そうして、
枝をへし折るような音がして、
本当に最後の一本になった歯が折られた。
そうして歯を折って行われた花占いの結果は、来る。
その小さな女の子の願いが叶うという結果になったのだった。
「花占いの結果は、来る、だって。
パパとママが、むかえに来てくれるって!
よかった。
やっと、やっと来てくれたんだね。」
大喜びするその小さな女の子の両手を、
左右からそれぞれやさしく握る手があった。
片方はその初老の男、もう片方は女の手。
そしてその初老の男は、
小さな娘の頭越しに、今は亡き妻の姿を見たのだった。
翌朝。
小さな女の子の幽霊が出ると噂の公園で、
初老の男が亡くなっているのが発見された。
すぐに警察によって公園は封鎖され、現場検証が行われた。
警察の調べによると、
遺体は両手足の爪が剥がされ、歯が全て折られていた。
その状況から、何らかの暴行を受けたのではないかと予想された。
しかし、
第一発見者である老爺の話によると、
初老の男の遺体の表情は穏やかだったという。
終わり。
花占いに使われる花にもし痛覚があったとしたら、
それがこの話の着想です。
それでもなお、花が自らその身を花占いに差し出すとしたら、
どういう場合があるかを考えて、この話を書きました。
お読み頂きありがとうございました。