恋した第三王子は天使から小悪魔に転身するようです
バルサラク王国には、とにかく沢山の鍵がある。
鍵穴に鍵を差し込むごく普通のものから、四桁の数字を合わせるダイヤル式のものまで。大きさも形も、実に多種多様だ。
だから皆、腰に重い鍵束をぶら下げて歩く。
「ああ、ちょっと待っとくれお客さん!」
テントを出て来た白髪の老婆が叫ぶと、通りがかりの少女がぴたりと足を止める。
「忘れ物? ――なら、わたしがひとっ走り届けてあげるわ」
少女は菫色の瞳を細め、にっこりと微笑んだ。
◇◇
王宮の執務室は、朝から重苦しい雰囲気に包まれていた。
金髪碧眼の王太子、アルバートが幾度目かのため息を吐く。握りっぱなしの羽根ペンの下の書類はもうかれこれ半刻ほど、アルバートの署名を待ちわびていた。
そんな兄の様子を、第三王子のラウルが冷ややかな目で見つめる。
(ばっかじゃないの)
結婚相手なんか父上――国王陛下にでも、適当に決めてもらえばいいのに。
お忍びで行った王都でたまたま会った、どこの馬の骨ともしれない女に一目惚れして、恋煩いしてるだなんて。
(もう付き合ってらんないや)
ラウルは豪奢な椅子にふんぞり返り、短い手足をううんと伸ばすと、大理石の床に降り立った。
そのままてくてくと、大きな両開きの扉へ向かう。
「どこへ行くんだラウル。……まさかまた、サボるつもりじゃないだろうな」
「申し訳ありませんお兄様。僕、ちょっとお花摘みに」
ふわふわの金髪を揺らしながら満面の笑みで振り向くラウルは、聖書に描かれている天使そのもの。
あっという間に皆んなとろけて甘くなる。
「そ、そうか。気をつけて行くんだぞ」
「はぁーい」
(ちょろいちょろい)
回廊を抜けて部屋へ戻ったラウルは、窮屈な上着をベッドの上に脱ぎ捨てた。クローゼットに隠してある侍従用のシャツとズボンに着替え、つば付きの帽子を目深に被る。
鏡の前でくるりと回った姿は、どこからどう見ても地上に舞い降りた天使――もとい、平民の子どもだ。
「さーて。今日はどこに行こっかな」
伸びをしながら中庭に出ると、頰に大きな傷痕のある男が草むしりをしていた。ラウルが近づいていくと、浅黒い顔を綻ばせる。
「おはようございます、ラウル様」
「メイファ、僕を王都に連れてって」
「かしこまりました。……ですが、執務のほうはもう宜しいので?」
「いいの。お兄様ったら例のお嫁さん探しに夢中で、ちっとも仕事にならないんだもの。それに僕、メイファと一緒にいるほうが楽しいし」
「……えっ……?」
厳つい顔を真っ赤にした庭師が、大きな体を縮こませてもじもじする。
「そ、そ、そんな。らっ、ラウル様が私ごときと一緒にいるのがた、たの、楽しいだなんて」
「本当だよ。僕メイファのこと、大好きだもの」
つま先立ちで耳打ちし、にっこりと微笑む。
自分に傾倒している人間を操る事は、馬の手綱を操るより遥かに容易い。
(あの愚かな母親も、自分の美しさをもっと上手に使えば良かったのに)
バルサラク王国には現在王子が五人いる。
王太子のアルバートを含む四人が正妃の子どもで、ラウルの母親だけが第二妃のドミニク。王都で人気の踊り子だったドミニクは十年前――国王のたった一度のお手付きでラウルを授かり、第二妃となったのだ。
しかし彼女の信仰する宗教では、婚前交渉は死に値するほどの大罪。敬虔な信者だったドミニクは、ラウルを産んだ直後に自らの命を絶ってしまう。
赤ん坊のラウルに遺されたのは、天女と謳われた母親譲りの美貌だけ。
(僕はあの女とは違う)
生き抜くためなら使える武器はなんでも使うし、どんな事でもやってやる。『神』なんて存在が不確かなもののために、命を散らすなんてまっぴらだ。
「王都に新しく出来たカフェがあったでしょ。そこに行きたい」
ラウルはメイファのシャツをきゅっと掴んで引っ張った。頰を染めたメイファが、片付けもそこそこに手を差し出してくる。
「で、では、厩舎へ参りましょう。――ああ、そうだラウル様。鍵はちゃんとお持ちになりましたか?」
「もちろん。これが無いと、どこにも入れないもんね」
そう言いながらズボンのポケットをぽんぽんと叩く。
王族は鍵束を必要とせず、国内ほぼ全ての鍵穴に適合する『マスターキー』のみを持つ。
そして――国王が所持するのは『グランド・マスターキー』。この国の全てが手に入ると云われている、唯一無二の鍵だ。
(そんな鍵束より重そうなもの、僕はぜんぜん興味ないけど)
どこかの姫君に婿入りでもして、気楽に暮らしていければそれでいい。ガタガタと揺れる馬車の中、ラウルは大きな欠伸をした。
あたたかな日差しの下――王都の街中を、ワンピース姿のご婦人方が闊歩する。重いコートを脱ぎ捨て歩く、その足取りは実に軽やかだ。
腰に下げた鍵束だけが、いつもと何ら変わりない。
「何か軽くお食べになりますか? ラウル様」
馬を繋いだバーの、ダイヤル式の鍵をかけながらメイファが言う。白い平屋建てのカフェの名前は『510』。由来は不明だが、ここの店主はどうやら数字好きらしい。
(鍵穴式なのはドアだけか)
ラウルは頑丈そうな鉄製扉の前に立つと、ズボンのポケットから金細工のマスターキーを取り出した。
ドアノブ下の鍵穴へ差し込めば、バルサラクの赤い紋章が一瞬浮かび上がって消え、かちり、と解錠する。
「僕、何か果物が食べたいな。例えば……林檎とか」
「それならアタシが剥いてあげるわ」
突然降ってきた声に、ラウルが天を仰ぐのと、鉄格子に周りを囲まれるのが一緒だった。
耳の奥まで乱暴に響く金属音と、まき散らされる粉塵。ぐらりと揺れる足下に目を奪われた瞬間、急に辺りが暗くなる。
鉄の天井が、がしゃんと閉じた。
(これは……! 『檻』)
バルサラクに時折出没する魔獣の捕獲用に作られたもので、特殊な魔法式による鍵がかけられている。檻をひらけるのは一部の魔導騎士のみで、ラウルの所持している鍵では解錠することができない。
視界を阻む濃い霧に目を凝らすと、夜会服を着たひょろりと背の高い男が立ってるのが見えた。
薄笑いを浮かべた白い顔に、不自然なほどつり上がった狐目。一見して、人とは違うモノ――"人外"と分かる。
「はじめまして、ラウル・テイルズ=バルサラク様」
「君、誰? 何故……僕のことを知ってるの」
「そりゃあ分かるわよ。マスターキーを持ってる可愛い天使ちゃんと言えば、あなた以外にはいないもの」
男はシルクハットのつばを指先で摘み上げると、紫色の口端を上げた。
「アタシはベイカの黒ウサギ。よろしくね、王子様」
「残念だけど僕、人外とよろしくする趣味はないんだ。――メイファ、さっさとこのオカマを捕まえて!」
「あらやだ。一緒にいた彼のことなら、とっくに倒しちゃったわよぉ。アタシ好みのタイプだし、殺してはいないけど」
ケラケラ笑うウサギの足元に、血まみれで転がるメイファの背中が見えた。
掴んだ鉄格子の間から、ラウルがウサギを睨む。
「ッ何でこんな……いったい何が目的なんだ?」
「そんなの決まってるじゃなーい。天使ちゃんを人質にして、国王陛下を強請るのよ。『グランド・マスターキー』を寄越しなさい、さ・も・な・く・ば……ってね」
ウサギは細く長い指先で、ラウルの顎をするりと撫でた。
その足首を、浅黒い手が掴む。
「……ラ、ウル様に、触るな」
「メイファ!」
「あらあら、いじらしいこと。蛆虫にしては上出来ねえ。まっ、同情はしないけど」
にい、と嗤った左目が赤く輝き、メイファに翳した手のひらから魔法陣が構築される。熱を帯び、揺らめくこの古代文字は――『火竜の燦爛砲』だ。
(まともにくらえば骨まで溶ける)
「待って! 僕、ウサギさんと話がしたい」
ラウルの言に、黒ウサギがかくんと首を傾げる。
「お話? 天使ちゃんが、このアタシと?」
「うん。僕ね、ウサギさん達の住む"ベイカ"にとっても興味があるの。鏡の森やたたり池のお話が聞けたらすごく嬉しいんだけど……だめ?」
柔らかな金髪がふち取る甘い笑み。
多くの敵を味方に転じさせてきたラウルの武器に、黒ウサギは口元を綻ばせた。
「いいわよぉ。ただし……この害虫を駆除した後に、ね」
「! ――逃げろ、メイファ!」
ラウルが叫ぶより一瞬早く、魔法陣から赤い群炎が放たれる。
鉄格子から伸ばした手の先で、炎に焼かれるメイファの断末魔が上がった。
『ラウル様』
脳裏をよぎった声に、ラウルの藍色の瞳が大きく見開く。
「お願い、誰か……! メイファを助けて!!」
――生まれて初めて、喉が潰れるくらい叫んだ。
「『フリーズ・ブラスト』!!!」
空気を揺らす詠唱とともに、青い閃光が走る。ウサギの魔法陣が真っ二つに裂け、メイファを覆い尽くした炎が一瞬でかき消えた。
「なっ!?」
「下がって、王子様!」
青く光る大剣を振りかぶり、地を蹴った少女が叫ぶ。ラウルは咄嗟に後ろへ飛び退いた。
「散れ!」
少女が振り下ろした大剣が地面に突き刺さると同時に、辺りに垂れ込めていた濃い霧が吹き飛ばされ、眩しい日差しが帰ってくる。
ぺたりと座り込んだラウルは、大剣を肩に担いで空を仰ぐ、黒髪の美しい少女を呆然と見上げた。
「遅くなってごめんなさい、王子様。わたしはエリー。モラヴィア辺境伯の新しい当主ですわ。以後、お見知りおきを」
風に流れる艶やかな髪をかきあげ、菫色の瞳を細める。年の頃は十二、三歳くらいだろうか。背丈も腕の細さも、ラウルとほとんど変わりない。
なのに――青い剣を手に胸を張る彼女の凛とした姿は、ラウルの心をこの上なく落ち着かせてくれた。
(きっと彼女は、誰より強い)
何の根拠もないラウルの予感を肯定するかのように、黒ウサギが肩をぷるぷる震わせる。
「また出たわね。このっ、お邪魔虫!」
「それはこっちの台詞よ。つい最近ぶっ飛ばして説教してやったばっかりなのに、懲りずにまーた王子様に手を出して。馬鹿なの? それとも、その帽子の下のデカい耳は単なるお飾りなのかしら?」
「耳のことに触れるな、このクソガキぃ!」
激昂したウサギの手のひらに再び魔法陣が浮かび上がる。
エリーがほんの一瞬、口端を上げた。「かかったわね」呟きと同時に、青い炎が大剣を包み込む。
「ジュラ山脈まで跳んでけ、ウサギさん!!」
横殴りの一閃が、火竜の咆哮を黒ウサギごと弾き飛ばす。青い軌跡の先に、きらりと光ったものは星か涙か。
足を地面に踏ん張ったまま、エリーが大きく息をつく。
「……魔力を巻き込んでやった割には、あんまり飛距離が伸びなかったわね」
「本当にジュラ山脈まで飛ばしたの? あそこってほぼ氷山じゃない。凍死しちゃうよ」
呟くように言ったラウルに、エリーが「あら」、と振り返る。
「ずいぶんと甘い事をおっしゃいますのね。国が乗っ取られるかもしれないという時に」
「乗っ取られる?」
「ええ。奴らウサギの狙いは国王陛下の『グランド・マスターキー』。つまり、このバルサラクの全てです」
革ベルトで背負った鞘に大剣を収めると、エリーは鉄格子を掴むラウルの拳に自分の手を重ねた。
「わたしは国を守護する辺境伯の当主として、何がなんでも奴らの野望を阻止します。そして勅命に従い、貴方がた王子のことも必ず護ってみせましょう」
「……勅令って、いつ出されたの? 僕は初耳なんだけど」
怪訝な顔で問うラウルに、ウサギを吹っ飛ばした豪腕の少女が、ほんのり頰を赤らめる。
「じ、実は……。就任初日、王都でたまたまお会いした王太子のアルバート様から、きゅっ、求婚されてしまったんです! でで、ですが恥ずかしさのあまり逃げ帰ってしまい……その、皆様方へのご挨拶もままならず。今の今まで、身を隠しておりました」
「………………は?」
「ももっ、もちろん、丁重に辞退させていただくつもりですよ? わたしのようにガサツで、女性らしさの欠片もない辺境伯が――お、王太子妃など務まるはずもございませんので!」
真っ赤な顔であわあわとする、エリーを見てラウルの胸がざわつく。――というか、はっきりとムカついた。
(僕の手を握っても無反応なくせに)
どす黒い感情が心の中に押し寄せ、やがてじわじわと侵食を始める。
ラウルは、鉄格子からぱっと手を離した。
「はっ! も、申し訳ありませんラウル殿下。今すぐ誰か魔導騎士を連れて来ます。それで庭師の手当てとこの檻の解錠を――」
「エリー」
細い手首を掴んで引き寄せ、頰に唇を落とす。
「これは僕からのご挨拶。これから宜しくね、エリー」
悪戯っぽく笑ったラウルは、菫色の瞳を揺らす少女を満足げに見つめた。
「お兄様。このお仕事、何なら僕が変わりましょうか?」
ラウルは机の上の書類をひょい、と持ち上げた。
王太子のアルバートが顔を上げ、目をぱちくりとさせる。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「お兄様の体が心配だからに決まってるじゃないですか。最近よく眠れてないのでしょう? これは僕がやっておきますから、お兄様は少し仮眠でもお取りになって来てください」
「ラ、ラウル……お前」
「やだなあ、泣かないで下さいお兄様。ちゃんと筆跡は似せてやりますからご心配なく。――おやすみなさい」
兄を廊下に追いやり執務室のドアを閉め、ラウルはふっと口端を上げた。
(ちょろいちょろい)
書類の束をかき分けて探し出したのは、近隣諸国の姫君からアルバート宛に送られてくる釣書の数々。ラウルはそのうちの一枚を抜き取ると、鼻歌交じりに手紙を書き出した。
『愛しい愛しいディアナ姫。僕は貴女の事を想うと夜も眠れません』……
ここまで書いて、ついくすくすと笑い出す。コロッと騙される兄が可笑しい。こんなせこい真似を真剣にやってる自分が可笑しい。それに――つい、"愛しいエリー"と書きそうになってしまったことが、何よりも可笑しかった。
◇◇
鍵だらけの王国、バルサラク。
『グランド・マスターキー』と辺境伯の少女を巡り、二人の王子が国を二分する壮絶な争いを繰り広げる事となるのは、今から約五年後の話である。
拙作を最後までお読みいただきありがとうございました。
文中に何らかの手違いありましたら誤字脱字報告、面白いと思っていただけたらブクマ、感想、評価などいただけたら嬉しいです。
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