放課後と遭遇 畔上玲里は堂々と
地表を電子レンジで加熱したような、じりじりとアスファルトから熱気の上がる日だった。
というか、昼である。
俺、田中聡は眉根を寄せるほど汗に苛立っていた。
修学旅行を終えてから丸一日が経過し、気付けば夏も本番に入っている。
なんというか、とても暑苦しい。どれくらい暑くなったかというと、寝る前に毛布をタオルケットに取り替えて扇風機を付けるくらいだ。そこまでやって朝起きると死ぬほど蒸し暑い。というか部屋が蒸されている。窓は開けていたのに何故なのか。
だが、そんな夏の風物詩の話をしても仕方がない。その暑さの分、これから良いことが起こるのもまた夏だ。
具体的に言うと、夏祭りとか、プールとか、海とか。行く相手は思い付かないが、行くだけで多分楽しいはずだ。
そこまで暑い日でありながら、本日は学校総出で壮行会が執り行われた。
部活動で大会に出て行く勇者達を送る会とかいう名目の、あれである。
体育館に五十分ほど座り込んでいるのは尻が痛くなって困るのだが、これもうちの高校のしきたりなのだから仕方ない。
まだ野球の大会に生徒で応援に行こう、とかないだけマシだ。
おかげで今日は午前の部だけで放課後となる。ので、部活を辞めた身としては、パッと買い食いでもしながらのんびり帰ろうかというところなのだが。
「聡じゃないか。久し振りだな」
色黒の巨漢が俺をそうはさせてくれなかった。
それは果たして水泳によって磨かれたのか、それとも元から地黒なのか。とりあえずパッと見て黒いな、と思うくらいには肌の浅黒い大男。
眉は太く、髪も剛毛で硬い。側頭部と後頭部は刈り上げられていて、何ともすっきりしたスポーツマンといった風貌。
身長差は俺と約五センチほどで、相手の方が高い。必然、こちらが幾らか見上げることになるのだが、彼———畔上部長はそんな俺ににかりと笑いかけてくる。
「久し振り……うん、久し振りだな。何週ぶりだ? 一ヶ月はまだ経っていないと思うんだがなぁ」
そして、頭をぼりぼりと掻きながらそんな疑問を口にする。
唐突に現れた部長に困惑しながらも、俺はとりあえず苦笑いを作っていた。
畔上玲里。修学旅行の前なので、もう二週間以上も前になるが、俺が辞めた水泳部の男子部長をしている男だ。
得意種目はバタフライと背泳ぎで、とにかく力強い泳ぎ方をする人だということをまず覚えている。その強靭な肩と、分厚い胸板。女性からの評判はあまり良くないらしく、嘆いている場面も数回見たが、同じ水泳をする者としては憧れずにはいられない。
が、それも終わった話だ。今の俺には、一切関係のない問題である。
水泳こそ好きなままだが、理由はどうあれ俺は部活を正式に抜けたわけだし、何なら彼を部長と呼ぶのもおかしい気すらする。
結局、他の呼び方も思い付かないために部長とは呼ぶのだが。
うちの高校は公立でプールが一つしか無いので、基本的に水泳部は男女混合なのだ。
であっても、大会等は別々なので、男女はとりあえず分離されている。水嶋センパイは女子部のリーダーということで副部長。こちらの畔上部長は、言葉通り部長という形となる。
以前、辞めると告げに行ってから以来一度も会っていなかったが、まさか話しかけてくるとは思っていなかった。
まったく。相変わらずゴツい声だ。
「いつもいつも檜木とか福井が嘆いているぞ。同期がいなくなったぁー、とな」
「はぁ」
同期とは。
檜木や福井は同級生で、確かに良く話はしていた。が、部活動の中だけのことだ。廊下で出会っても挨拶すら交わすことはない。それは部活をしていた頃も、今も、変わらない。
彼らも部活は部活、それ以外はそれ以外で会う者話す者を分けたいのだろう。というか、分けている。ならば、部活を辞めた以上は言葉を交わす必要性はない。
そして、それは眼前の厄介者とて同じこと。
この前の相原には強引に押し込まれたが、彼女には彼女なりに俺に用があった。けれど、畔上部長はそうではない。偶々校舎であって、会ったから久々に話をしてみるかという程度のものだろう。それで良いが、それはこちらとしてはかなりどうでもいい。何せ、俺からは彼に用がない。
偶然顔を合わせたからといって、何故わざわざ話をする必要がある。
そうでなくても、最近は修学旅行の一件で精神的に余裕が無いのだ。これが世話になった先輩でなければ、あーそうですねとか何とか言って去って行くところである。
「ふん。だが、どうだ? たまには部活に顔を出していかないか?」
「いや、結構です」
「うん?」
………。
いきなりにも程がある。一瞬で断ってしまった。
プールには、女子水泳部員も当然いるだろう。壮行会の後なのだし、練習も念入りにしているかもしれない。
間違いなく相原はいるし、水嶋センパイだっているだろう。更には、岸間や赤羽などの俺を退部に追いやった連中だって何食わぬ顔で平泳ぎでもしているに違いない。ドルフィンキック、少しは上手くなっただろうか。
いや、追いやったという言い方は良くないか。あくまで俺が夢で本音を覗いただけで、彼女らにその自覚はないのだから。
そういう意味では、裏で何を思おうが、表には出さずにいてくれたという解釈も出来るか。
とはいえ、視線が気持ち悪いなどと思われていたとなれば、鋼の精神でも無い限りはため息の一つも出てしまうもの。生憎と、心は取り替えがつかない。
「まぁ、気が向いたら遊びに来いよ。……それに、話だって、部のことなら聞いてやれる。なんせ同じ男だからな」
と、そう告げて畔上部長は身を翻す。
携帯の画面を見ると、既に時刻は午後の一時。昼休憩も終わり、そろそろ部活を始めるか、といった時間帯だろう。
去年は一種目にしか出られなかったためにそこまで過酷な練習は課されなかったが、自分もまだ部活に所属していたなら、今頃はひいひい言いながら泳いでいたのかもしれない。
「それも楽しかったんだけどなぁ」
ため息を零して、一度大きく伸びをする。
もう放課後だ。
何をしても良いし、好きに寄り道をして遊んで帰って良いのだ。だから、部活を辞めてよかった。その分だけ、逃れた責任と労力があるのだから。
あんな嫌な夢のことなんて、すぐに忘れられる。一花朱音のことなんて———。




