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朝焼けとスーツケース 青年たちの足音

 目を覚ますと、依然としていつも通りに過ぎる天井が寝ぼけ眼に映っていた。

 今朝もまた、近所に住む悪餓鬼小僧に不審者だ何だのと文句を垂れ流されながら、絶妙に腹立たしい夢見心地であったと。


「はぁ」


 溜息の一つも出るものだ。

 何故、わざわざ関係の無い子供に罵られなければならないのか。そこまで不審な挙動もしてなかったろうに、何故、何故。


 そんなこんなで、今日は修学旅行の当日だった。

 相原あいはらに退部の理由をずずいと尋ねられたあの日から、早一週間。ようやく水泳部員からの俺に対する興味は消えつつあり、辞めたという実感も、それに対する申し訳なさも薄れてきている。


 現在時刻は六時を回り、短針がかちんこちんと音を立てつつ三十分を指し示す。

 起きるには丁度いい頃合いで、シャワーを浴びて朝食にでもかじり付けば、上手く出発時刻になるといった具合だ。完璧な布陣である。


 学校近くの広いグラウンドに集合とのことで、後はそこからバスに乗って京都へ向かうらしい。

 周りの私立校がオーストラリアやら台湾やらに向かう中で、国内の近場に行くというのは何とも公立の限界を感じさせてくれるものだ。といっても、修学旅行といえば京都という考えは一定数在るものらしく、生徒間で不満はあまり出ていなかった。

 単純に、ただ修学旅行があるというだけで嬉しいのだろう。安全な日本ということもあって、大半が自由行動になっているのだし、確かにそこには素直に感謝する他ないのだが。


 京都に着いたら、何をしよう。


 かれこれ、一ヶ月以上もそんなことを頭の隅に置いていた。何せ、距離がある関係で関西には殆ど行ったことがない。

 大阪には家族旅行で一度行ったけれど、京都にはまだ一回も。


 写真で何度も見た河原町を歩くのが京都では定番らしいが、特に目立って何かあるというわけでもないらしく、旅行でわざわざ行くほどではないと思われる。調べただけなので確証はないが、沖縄の国際通りみたいなものなのだろう。行っておけば損はしない、というような。


 金閣寺はホテルから遠すぎるようで、バスや地下鉄で行けなくはないのだが、行くならそこ一箇所だけになるとのこと。

 黄金一色の、かつての室町を思い起こさせる不変の風景。雪が積もれば、それは更に幻想的な光景へと変化し、見る者の心を奪うという。

 しかし、今は七月。冬どころか、夏休みが目前に迫り、部活動は夏の大会目掛けて猛特訓中である。雪なんて降ろうものなら異常気象だとネット上で騒がれることになろう。


 そんなこんなで考えつつ、コンビニを出る。

 今朝は朝が早かったので、トースト一枚しか胃に入れていない。今はそれで大丈夫なのだが、後々になってお腹は空くだろうし、長時間バスに乗っているとなれば酔ったりもするだろう。というか、今頃思ったが何故バスで移動なのだろうか。そこは素直に新幹線で良いのではなかろうか。

 ホームルームで最初に聞いた時には、京都はバスでの観光が一般的とされていて、だからこそそこへ向かうのもバスで、などと筋が通っていそうでその実全く意味がわからない説明を食らわされたものだ。


 しかし冷静に考えれば、移動に労力を割く必要が無いため、バス移動は中々に楽でもある。夜行バスと違って座席が硬いわけでもない普通の旅行バスらしいし、何より寝ているだけでいつの間にか着いている。

 スーツケースをガラガラ引きずったり、席を向かい合わせて新幹線の中で富士山バックに写真を撮ったり、そういった修学旅行お約束のイベントが出来ないだとか何とかで、クラスの中心メンバーは随分と文句を垂れ流していたものではあるが。いや、だがその気持ちは正直分かってしまう。これはもう、単なる思い出作りの一環なのだから。


「いんや、お前ももっと楽しむべきだと思うぜ」


「———うわっ」


 おにぎり片手に変な声。信号の前でぼーっと立っていると、いつしか隣にワープしてきた有吾ゆうごが話しかけてきた。

 彼も右手は菓子パン、左手にはスーツケースの取っ手が握られている。彼曰く。大きな鞄を背負うと肩がやられて老化が進む。いやそれだけで進むわけがないのだが、鞄は確かに重い。現に俺も、昨晩よっこいせと鞄を背負ってみてただならぬ重力に肩を侵されたために、中身を移してスーツケースで来ているのだから。


「別に修学旅行に期待はしてなかったんだけどな。何と言うか、昨日は眠れなかった」


 菓子パンをかぶりと一口。咀嚼しながら、有吾ゆうごは心底嬉しそうに笑っていた。余程、楽しみだったのだろう。

 そして、それは俺も同じくだ。夜はぐっすり眠れたが。


「折角だし。思い出、欲しいよな」



 ☆



 校舎の一部が見える、集合場所であるグラウンド。そこには既に数十人の生徒がやってきていて、バスも所定の位置に止まっていた。

 俺と有吾ゆうごは、それぞれの知り合いに適当な挨拶を交わしつつ、今回の修学旅行で同じ班となった女子の元へと向かって行った。


「あ。おはよう、田中たなかくんに有吾ゆうごくん」


 つやのある黒髪を指で整えながら、一花ひとはな朱音あかねはそう告げる。こちらを見てにっこりと笑うと、今度は俺たちの荷物にきょろっと視線を移して、


「二人のキャリー格好良いね。私は中学で買ってもらったこれだし、ちょっと恥ずかしいんだよね」


 と背後に隠していたピンク色のスーツケースを恥ずかしそうに見せてくれた。

 対して、俺と有吾ゆうごのものは、互いに黒と紺を基調としたシンプルだが外れのないデザインだ。確かに、中学生なら女子は可愛いものを、男子は格好良いものを選びたくなるものだ。


 中学の修学旅行では、それはピンクや某アニメーション柄のものや、黒地に赤ラインや黄金の龍シールが貼られた痛いスーツケースが大量出現していたものだ。

 ちなみに、父さんのお古と言ってこれを渡されていなければ、俺も当時ドラゴンが書かれた格好良いやつを買おうと思っていた。誠に感謝いたしますお父上。


 と、これだけでもかなり恥ずかしい痛い幼い若い中二病と赤面連鎖の思い出であるが、実のところ、制服の女子生徒がピンク一色のスーツケースを持っていてもそこまで違和感はない。

 これは流石に人で判断しすぎではあるが、容姿も良く、常に笑顔でいる一花ひとはなさんがそれを持っているのは、違和感どころかプラス査定だ。


 クラスで人気者になる所以ゆえんも理解出来るというもの。彼女とは去年も、同じ学級になった今年も関わりを一切持っていなかったが、こういった機会に仲良くなれるのは良い機会かもしれない。

 特に、水泳部を抜けてから、少し物足りないものがあったのだ。それを新しい何かで埋められるのは、中々良いことなのかも。


「……そういえば、井原いばらは?」


 うちの班は他に比べて人数が一人少ない。男子は俺と有吾ゆうご、そして女子はこちらの一花ひとはなさんともう一人、井原いばら理沙りさという女の子がいるのだが、まだその姿は確認出来ない。

 他で誰かと話し込んでいることもあるため、俺がキョロキョロ辺りを見回していると、一花ひとはなさんは携帯を空いた手で触りながら、


理沙りさ、あと少しで来れるみたいだよ。寝坊。したんだって」


 と、トーク画面をこちらに見せてきた。

 確かに、井原いばらさんは思いっきりやらかしたらしい。それでも十分に間に合う距離だと班結成の時に話を聞いたが、いやいやそれでもだ。けれど、案外間に合う距離だからこそ寝坊してしまうのかもしれない。


 そうこう話しているうちに、流れは今日の自由行動に移っていく。


一花ひとはなはどっか行くとこ決めてんの?」


 その話になったというよりは、周りがその話ばかりをしているため、仕方なくそうなったというのが正しいが。

 有吾ゆうごがどうでもよさそうにそう尋ねると、一花ひとはなさんは一度深く考えた素振りを見せて、視線を返してくる。


「んー、考えてはみたんだけど、優柔不断で決まらないんだよね」


 そして、気恥ずかしそうにそう笑った。


有吾ゆうごくんたちはどこ行くの?」


「まさかの質問返しかよ」


「だって、聞いてくるってことは、聞き返してほしいんじゃない?」


 有吾ゆうごが吐き捨てるようにそう言うと、一花ひとはなさんは打って変わって意地悪気な笑みを浮かべて彼を覗き込んでいる。

 今までずっと八方美人のような言動を続けていた彼女だったが、ここに来て少し本来の性格が少し滲み出て来た気がした。


 同性の友達と話している様を見かけると、今のように大人びた表情でからかっているのをよく確認出来ていた。

 姉貴分というわけではないが、どこか誰よりも賢そうに。もっと言えば、人の心理を見通しているような、そんなつかみどころのない性格。それが、個人的に感じた一花ひとはな朱音あかねという存在だ。


 俺が今まで話してきた女子とは全く異なり、こちらが子供扱いされているような感覚。———いや、正確には、前にもこんな人物と会ったことが。


「———くんはどう?」


 考えていると、今度は一花ひとはなさんの大きな黒目がこちらに向いていた。

 有吾ゆうごはといえば欠伸をしながら携帯を弄っていて、彼女は何だかむっと口元を尖らせているように見える。

 どうやら、軽い言い合いでもあったらしい。


「えっと、自由行動の?」


 そう聞くと、一花ひとはなさんはこくりと大きく頷いた。


「そうだなぁ……」


 今朝方まで、というかここに着くまでもずっとそれを考え込んでいた。結果としては決まらず終い。京都に着いてから適当に進んでいけば楽しいさ、というのが結論なのだが、それはおそらく男子にしか通用しないだろう。

 ここで「決まっていないよ」とでも言おうものなら、途方もなくつまらなさそうな顔して「ふーん」とか言ってくるに決まっていた。


 故に、嘘でも何でもとりあえず何かしらを言うしかない。存外、優柔不断で決められずにいた自分を引っ繰り返す良い機会なのかもしれない。


「銀閣寺、かな」


 だが、残念な事に、出て来たのはそんなありきたりなフレーズだった。

 仕方がない。仕方がないのだ。金閣寺は遠いぞ、などと言われれば、じゃあ銀閣寺にしようとなるのがロクに京都について予習もしていない学生の思考なのだ。祇園を練り歩く財力もなければ、タピオカミルクティーの列に並ぼうという流行に乗ることも出来ない悲しい運動部男子の末路がこれだ。笑うが良い。


「あははははっ」


 笑われた。


 すると、そんな彼女の肩が、彼女と同じくらいに白い手によってぽんと叩かれる。


「———笑いすぎ。やめときなって朱音あかね。朝からそんな元気だと疲れるよー」


「あ」


 振り向いた一花ひとはなさんと同時、俺とついでに有吾ゆうごも、口を間抜けに開いて来訪者に反応した。


 少し茶の混じる黒い髪。パーマがかかったくりくりのヘアスタイルはどことなく大人の女性らしさを覚え、猫のように気の強そうな眼はその逆幼さを感じさせる。

 一花ひとはなさんより少し背の低い、いかにも女子高生、といった風貌の班員———井原いばら理沙りさは、そんな俺達の視線に、面倒臭そうに目を背けた。


理沙りさ。よかった、間に合ったんだね」


「時計くらい見てるから。……ってか、何その子供っぽいキャリー。いや、ほんと笑えるんだけど」


「ちょ、っとぉー!! もう、やめてよ。分かってるんだから。ここ来た時から十分羞恥の目には晒されたんだから追い討ちかけるのはやめてっ」


 と思えば、井原いばらさんは先ほど俺達男子がどうにかスルーした桃色スーツケースにツッコミを入れている。あの目は本気でダサいと思っている目だ。班を組んだのだから、仲がいいのだろうとは思っていたが、実のところ、一花ひとはなさんと井原いばらさんが一緒にいるというのは不思議にも見えた。


 かたや学年でもトップクラスに優秀な成績を持つ弓道部の二年エース。かたやサボりがちで素行不良が垣間見えるアルバイト命お金最高ガール。

 そんな二人の仲が良いといのは、意外にも意外で、けれど、どこかぴったりハマっているような気がしてならない。


「お、全クラス点呼終わったみてーだぞ。俺らもそろそろバス乗ろうぜ」


「しきんないでよ、ユーゴ。大体、何であんたが同じ班なワケ? 意味わかんない。くじ引きって悪い方向にも平等なのね」


「知るか。俺はさとしと静かに京都散策するって決めてんだ。お前こそうるさくすんじゃねーぞ」


「あー、っそ。それは楽しんでくれていいけど、精々あたしの邪魔にはならないでよ」


「誰が」


 そう言ってずんずんと進んで行く二人の後ろを、俺と一花ひとはなさんはため息をつきながら着いて行った。

 同じ帰宅部ということもあって、一年の時はたまに遊んでいたりしたとは聞いていたが、随分と話しが違う。


 俺が呆れて居辛そうにしていると、一花ひとはなさんの生暖かい息が俺の耳を容赦なく攻撃する。内緒の話ということらしい。とてつもない接近に心臓が動いたが、心臓は常に動いているので問題はなかった。嘘だった。破裂しかけた。


理沙りさ、あれでもすっごい楽しみにしてたんだよ。だから、仲良くしてあげてね」


 出来るかなぁ。


 一抹いちまつ。いや、一抹どころではない不安を抱えながら、乗り込んだバスはようやく出発した。


 待ちに待った修学旅行の始まりである。


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