飽きた。
二十年前、私は初めて冒険者になった。それこそはじめは弱っちいただのガキではあったが、それでも色んな仲間と死線を潜り、成長し、今では英雄と呼ばれるほどにまで成長した。
少し長めの黒い髪。端正で男らしい精悍な顔つき。熱い筋肉の鎧に、その巨躯に見合わない敏捷さ。そして何者にも負けない鬼のごとき力強さと、全人類からの厚い信頼。全てこの冒険で手に入れた。全て、ガキの頃に絵本の中の英雄に憧れ、目指して、この手で掴み取ってきたものだ。
……だというのに。私はまだ、満足などしてはいなかった。
満足、と言えば少し語弊があるだろうか。私のパーティメンバーは非常に頼もしいし、信頼もしている。この強さも、信頼も、全てこの仲間たちと手に入れた、掛け替えのないものだ。英雄としての虚像を、自分のものにしてきた結果だ。
……だが、それと同時に失っていったものがいくつかあった。
信頼されるたび、悩みを打ち明ける相手がいなくなっていった。仲間がいた分、しばらくの間は愚痴を言い合う相手がいたが、次第に彼らも所帯を持ち、簡単に悩みを打ち明けられる事も出来なくなったし、何より仲間からの羨望や希望、期待、諸々を裏切るわけにもいかない。
なんでも話し合えてこその仲間だが、だからこそ見せていたい姿がある。見せられない弱さがある。
……いや、この点で私はまだ未熟なのだろう。しかし今回ばかりはそういうわけにもいかない。話せば、きっと仲間を巻き込む。妻を娶り、まだ小さな子供もいる彼らを巻き込むわけにはいかない。この問題ばかりは、私一人で解決すべきなのだ。
──そう、言い聞かせて足を運んだのが、つい十数分前だ。
まったく、国王というのは人使いが荒い。いくら英雄で、未婚で、信頼が厚いからといって、単独でこんな任務に挑まされる羽目になるとは。
先に断っておくが、満足していないと始めに言ったのは、悩みを相談できる相手がいなくなった事ではない。
それは別に構わないんだ。悩みと真摯に向き合うのもまた修行。他人の知恵を借りたいなら本を読めばいいし、愚痴を吐きたいなら人形にでもペットにでも泣きつけばいいのだ。
それがみっともないとは思わない。寧ろそんな人がいれば同情する。私と同じなのだから。
では、何に満足していないのか。
それは、目の前に倒れているこの魔王の首を見れば、一目瞭然だろう。
「はぁ」
勝負は一瞬だった。簡単に言えば、遠間から牽制のつもりで投げた剣の鞘が思いの外早かったのか──はたまた魔王の瞬発力が異様に遅かったのかはわからないが──それがいとも簡単に首を刎ね、もののコンマ数秒という秒殺とすら言い難い時間で、討伐を完遂してしまったのである。
「まさか、ここまで淡々と進んでしまうとは、夢にも思わなかった」
五年前、世界を危機に陥れかけたあの不死王の方がよっぽど手強かった。
何せ奴は斬ろうが潰そうが、焼こうが煮ようが死ななかったのだ。仲間の神官の祈りでさえ無力化してくれた奴の方が、よっぽど魔王らしかった。
「まさかこの程度の敵が、魔物を創り、従え、人類を滅ぼそうとしていたとは」
不死王の時は無制限に湧き出るゾンビが相手だった。ただの物理攻撃では死なず、しかも感染という方法で仲間を増やしていた奴の方がよっぽど厄介だ。対してこいつは他の動物と同じだ。首を跳ねれば死ぬ。心臓を潰せば死ぬ。正直に言ってぬるい。
「こんな事では、正直満足できたものではないな」
長い間戦いに身を置いた。それによってもたらされるストレスは絶大だった。それを解消するために、私は戦うことに喜びを見出し、ストレスを作らないようにしていた。
よもやそれが、今ではストレスの元になるとは。
「……止めだ、止め。こんな人生、何が楽しい」
今やこの体は戦いを欲しすぎている。しかしこの私に見合う戦いをしてくれる相手など、もうこの世にはいないだろう。
「……」
未だ、一切血に濡れていない綺麗な剣身に自身の顔を映す。その顔は少しやつれているように見える。あくまで自分の感想だが、しかしだからこそ信頼できる感想だった。
「よし、死のう。この世界にはもう飽きた」
その言葉に、果たしてどれだけの重さを込めていただろう。
そんなことどうでもいいと感じるくらいには、果たして軽かったのか、それとも──。
こうして、この日私という一人の英雄が、世界から消えた。
しかしこの時私はまだ、自分があんなことになるだなんて微塵も想像すらしてはいなかった。