何故、異世界で醤油ばかりに拘るのか。
醤油を作ろうとする無謀な馬鹿と同じぐらい、トイレを現代化しようとする無知な馬鹿が多い。
そのどちらかをなすぐらいなら、魔王を倒したほうが遥かに簡単である。
異世界転生モノを日頃読む読者諸君は主人公が醤油造りや日本料理に手を染める姿を幾度となく目にしたことがあるだろう。
それこそいい加減飽きたという程に彼等は醤油を作りたがる。
それ自体は別に悪いことではないと思う。
誰しも故郷の味を懐かしむこともあるだろうし、海外旅行中にふとうどんやそばが食べたくなることもあるだろう。
だが、それでいきなり金を稼ごうとするのはどういう思考の飛躍だろうか。
そもそも大豆や小麦から醤油を作るのに何年かかると思っているのだろうか。
特に麹作りなんて素人がうろ覚えでやっても絶対に成功することはないし、そのあとにもろみ作りで最低1、2年。更に熟成、圧縮、火入れをしてようやく形になるわけだが、これらの工程をプロでもない人間がいきなり手を出せば10年、20年は失敗につぐ失敗で、まともなものが出来ることはまずありえない。
そんなお手軽品じゃないことぐらい日本人なら知っているはずだ。だからこそ伝統調味料なのだから。
しかしまぁ海外にいって「うどんが食べたくなった」「しかしどこにもうどん屋はない」「よし自分で作ろう」
そこまではいい。そこまでは自然な感情だ。
だが「よし作ろう」「そしてこれで金を稼ごう」とはまずならないだろう。
更にいえば、それで金が即座に稼げるなら誰も金に困ったりはしない。
よしんばヒット商品となって利益が上がったとしても、即座に収益に還元されるかと言えば絶対にそんなことにはならない。
素人が最初の醤油1樽を成功させるためには最低でも何千万円という資金が必要であり、安定生産するのなら億単位を用意しなければならない。
それが出来たとしても、受け入れられるかなんて全くわからないのだから、それこそ大博打もいいところだ。
簡易なギャンブルに所持金を全額かけて2倍にしようとするほうがまだ短期的な収入を得られる可能性が高いだろう。
そしてどんなヒット商品だろうと万人が受け入れるようなことはないし、それが醤油といった独特の風味を持つものならば、即座に受け入れられるのは少数であるはずだ。
例えば、ベトナムでは必須調味料である「ヌクマム」
ベトナムでは歴史ある伝統調味料であり万人が受け入れるものだが、これを受け入れられる日本人は少数だ。
日本人がヌクマムを知って数十年は軽くたっているだろうが、それでも認知度はそれほど高くないし愛用するほどのものは万人に一人もいないだろう。
醤油にしても同じことだ。醤油だけは違うと断言出来る道理もない。未知の香り、未知の味。
即座に美味しいと感じるものもいるだろうが、大半は慣れない刺激に困惑しすぐには受け入れられないはずだ。
そしてそれは歴史も証明している。西洋人はじめとした外国人には醤油を苦手とする人も未だに多いのだから。
日本で醤油が生まれて早400年。欧州で受け入れられたのがここ数十年。徐々にではあるが広まりつつあるのが現状だ。ウイルスのように爆発的に広まったということではない。
とまぁ、ぐちぐち言い出すときりがないぐらい底が浅いというか、致命的に熟慮が足りないおバカな主人公ばかりで困ったものである。
そしてこれは単についでであるが、「ご都合主義だから」という言い訳をする作家は覚えておいたほうがいい。
「ご都合主義」というのは「何をしても上手くいく」という意味ではなく「自分にとって都合のいいことしかしない」という意味である。
つまり、長い物には巻かれるタイプの日和見な蝙蝠野郎ということだ。
よく小悪党として描かれてはさっさと潰されるタイプといいかえてもいい。それがご都合主義だ。
この語句をタグにいれてる作者は一度考え直した方が良いだろう。
その主人公、小物前提で良いのか。
更に私に言わせれば、「ご都合主義」とは人が書いたネタを億面なく自著で用いる無考慮な作者を表している言葉であり、小説の内容は百番煎じとでもタグ打ったほうが的確なんじゃないかと思う。
書籍化を目指してる作家志望者さんなら、好きなことで金を稼ぐのがどれほど大変なことか自身がよくわかっているはずだろうに。
人と違う視点があって、人と違う話が書けるから小説家として売れるのであって、有名な作品から拾ったネタで書籍化しても事実として書籍になったというだけの話でしかないのだ。
個々が苦心して作り出したものが人に認められる為には何年、何十年とかかって当たり前だし、金になるのは更にそのあとなのだから即物的な思考と小説家の思考とは真逆の思考ともいえる。
それでも小説家を目指すというのなら、知識だけがいくらあってもそれを金にするのがどれだけ難しいか、もう少し我が身を振り返って考え直して話を書いた方が良いのではないだろうか。
一つの文章。一つの熟語。一つの助詞。それらすべてに意思と思想と誠実さがなければ、物書きなんて到底口に出来ないと私は思っている。
究極的に言えば「は」と「が」入れ替わるだけで文章の心地よさが変わるのだから、おざなりにして良い文字なんて「、」一つもないのだと強く意識するべきである。
結局のところ、人が書いたネタばかり引用して、これが私の作品ですって胸をはってしまうような自称小説家なんて、小説家でもなんでもないのだから。
水洗トイレ一基作る為には年間数億円がかかる。
何せ大規模な配管工事や地下工事をはじめとした多種準備が必要な上、管理する人間や施設まで必要となる。水源や水質の管理までしなければならないし、飲み水とは別の水源や処理場も確保しなければならない。
それはもはや政治案件であり、個人が勝手に出来る話ではない。
一人が頑張ったところで完成するものではないのである。