某クズと擦れ違ったようですが、逃げ切りました。
アイキャン、ノット、フライ。
渓谷の一番狭い部分を見て、これなら身体強化様のお力で飛べそうだと信じていたのに。予定通りには進まないものよね。
山小屋から見えない場所まで移動してみれば、何ともまぁ。
結構な距離があるのです。
少し歩いただけなのに、こんなにガバッと差がつくなんて思わないじゃない。
…うーん。でも、飛べるんじゃない?
いけると思うけどな。うん、いけるさ。
それでもちょっと自信がなくなったので、ファントムさんに先攻を譲ってみた。
ニヤリと笑った彼は私の命令に従い、音もなく地を蹴って、宙へと飛び出していく。
夕日に滲む影は、幻想的。
何だかピーターパンみたいね…なんて、ぼんやりと見ていた。
長い髪を靡かせて。
緩やかな弧を描きながら。
妙に優雅に、ファントムさんは。
…対岸に5歩分くらい足りず、そのまま静かに落ちていった。
びっくりして二度見。
「ヒョーッ?」って言っちゃってた、無意識に。
慌ててサポートを解除して、靄に戻したよ。
彼は生きていないから死なないけれども、流石に底に叩き付けられたら寝覚めが悪いわ。
ジャンプは諦めました。
ファントムさんが飛べないものを、私が飛べるはずもない。
そうそう、はじめっから橋を作れば良かったのよね。サポートで。
落ちていく様を見ちゃったから、やたらと崖下が怖いわ。
さっきまで上がっていたテンションなんて、もうダダ下がりよ。
しかし安心安全のご立派な橋は、どうしてもできなかった。
もっと強固にしたいのに、途中で靄に返ってしまうのだ。魔力不足なのだろう。
ちぇ。トレーラーが走っても大丈夫なヤツ、作ろうと思ったのにさ。
気を取り直して、ロープと板の、元祖吊り橋を作りました。
強固なことだけは想像したが、形状は曖昧判定が入ってしまったらしい。両端がクレヨン画みたいになっちゃってる。
ま、まぁ、あれでも強固に支えてるはずだし。
実際に歩く床の部分には問題ない。
こっちにない素材を無理やり顕現させるより魔力的コストが安いからなのか、どうやら靄にはならないで済んだ。
MP的余裕すら感じながら、橋を渡る。
中ほどで、私は気付いてしまった。思わず足を止めて、眼下の急流を見遣る。
夕暮れの渓谷にかかる吊り橋。
さなかに立つ、顔を隠した少年らしき人影。逆光が、不穏さを添える。
今、私、サスペンスの犯人っぽい。
なぜだフラン、なぜこんなことをしたんだ! 脳内で、見知らぬ誰かの声がする。
ふっ、動機だと? 知りたいか。あの時谷底に転落した兄は、実は事故ではなく…。
って、何やってんだい。
万一にも見つかる前にさっさと渡りましょう。
第一この設定じゃ、兄殺しの犯人も、ジャンプ命令出した私だよね。恐ろしい。
吊り橋はギシギシと軋むものの、落ちる心配はしていなかった。
サポートさんには、それだけの実績があるのだ。
しかし無意味な気合いを入れて、そいそいそい!と素早く踏みしめる。
走るのは揺れそうで嫌だから、あくまで早歩きだ。
向こう岸を3歩通りすぎてから、くるりと振り向き、私はサポートを解除した。
ついてすぐ足場を消すのは、何となく怖かったからだ。ええ。落ちないって信頼してても、怖いものは怖いのよ。
幸いにも見咎められることはなく、私はゼランディからクープレトへと密入国した。
こっち側の詳細な地図は持っていない。
むしろ当初はゼランディ内をきちんと通って旅する予定だったので、ゼランディの詳細地図が無駄に。くっ。
私が集落に出会えるのは、いつになるのだろう。そんなことを考えながら、勘と勢いだけで下山…駄目だね。遭難ごっこに興じられるほど食料の余裕はない。
「よし、ゆけっ、小鳥隊員!」
グリューベルを空に放つ。
視界をジャックだ!
…うん、わかっていたよ、鳥目タイムだって…。
だけど夜目のきく鳥なんて観察してないから作れない。そもそも梟とか首回りすぎて怖い。
んー、見えにくいけど、どうやらあっちのほうに街の明かりが…、ん?
今、一瞬、視界がブレたぞ。
おや。
我が小鳥の身体に、何か長いものが刺さっ…。
……矢……?
…ちょっとおおぉ!?
誰だよ、こんな可愛らしい小鳥に矢を射掛けたの!
射られたグリューベルの動きなんてわかんないよ!
ヨロヨロと滑空気味に落下しつつ、手近な木の枝に突っ込む。
舞い散る葉に隠れて矢をアイテムボックスに回収し、サポートを解除した。証拠は残さぬ。
ファントムさんに買い物を頼んだときのように、私が視認さえしていれば、視界ジャック越しでもアイテムボックスは使える。
私は動転していた。
グリューベルとは、雀サイズの小鳥だ。
まだ辛うじて日があるとはいえ、夕闇の気配は濃い。
そんな中、飛んでいる小鳥を狙って当てるとは、どんな凄腕ハンターだい。
っつーか何やってんのよ、釣りじゃあるまいし。夜に狩りはないでしょう、早くおうち帰んなさいよ、ハンターめ!
ヤバイ。今、この山の中に他の誰かがいるなんて想定は全くしていなかった。
私、サポート使ってるところを見られたりしなかったかしら。
見られなかったとしても、グリューベルを射る奴なんて、絶対に友達になれない。
だって、食べるところもないような小鳥なのに、なぜ射た。
あれだけの腕なら、獲物が捕れなかったはずはないでしょう。
小さきものを好んで傷つける人間。
心臓が縮む思いだ、怖すぎる。
サスペンスごっこは、もう吊り橋で終わったので、要らないのですよ。
ドキドキしながらも的確に迂回範囲を割り出す。
グリューベルが狙われたのはあっち方向から、この角度なら射手は遠くはないはずで、せいぜいこの辺だろう。
しかし大事を取ってこのくらいは避けようじゃないの。
こんなの令嬢知識じゃない。やってて良かった、従士隊。
殺伐としたテスト問題だなとか思ってたけど、お役立ちです。
なるべく音を立てずに移動しないと。
どうやったらいいのよ、山の中で音を立てずに素早く移動なんて。
「…私の身体に当たりそうなものを、みんなアイテムボックスにしまいましょう」
そうしましょう。我が通り道には、何も音を立てるものなど有りはせぬよ。
下草は仕方ないとしてもね。
無心で歩くのよ、オルタンシア。
意味もなく攻撃してくるような人は、関わってはいけない人材。警戒MAXよ。
素早く、優雅に競歩。
「んぬっ」
アイテムボックスの中に丸太が現れた。
しまった、予想外の収納!
これは枝の一部だ。気付いたときには既に遅い。
次第に大きくなる葉擦れの音。
左斜め上の枝が、落ちてくるのが目に入る。
うわぁん。
自然破壊を最低限にしようと、自分の周囲一定だけ切り取って収納するなんて設定、しなきゃ良かった!
触れるもの皆格納する、ギザギザハート設定にすれば良かった! 尖り足りなかった!
一部を切り離されて、枝が落下してしまった大木に心の中で謝り、私は即座にダッシュをかけた。
大きな音を立てた以上、見つかる前の離脱が必須。
アイテムボックスの設定は、ギザギザハート(範囲・最低限)に切り替えた。
どうか、虫があんまり入りませんように。
がっさぁ!と背後で枝が地面に落ちた瞬間、私は身体強化を大盛りに。
街を目掛けて、一気に山を駆け下りた。
追いつけるものなら追いついてみるがいい。
今の私はライトニングドングリ・ドンブランシアだ。
どんぐりこ! どんぐりこ! 池には嵌まらん、どんぐりこ!
余程パニックになっているらしく、自分の中の掛け声がおかしなことになっていた。
集落と集落の間には街道がある。
今夜中に街まで辿りつけずとも、街道についたなら、野営地となる休憩場所がどこかにあるはず。
無人ということはないだろう。なるべく早く、人に紛れるべき。
パニックの片隅で、そんな風に冷静に考えている私もいる。
見られたか見られてないかはわからない。でも、マントを取り替えよう。
新しいマントはまだ装飾が作りかけだから、今夜中に完成させなくちゃ。
いや、お洒落マントは印象に残りやすい。
街までは別の地味マントを使って、野営地で出会った人にも今後がわからないようにしたほうがいい。
嵐が通り過ぎるまで、息を殺して己を消し去れ。
警戒MAXとは、そういうことだ。
何がこんなに私を駆り立てるのかといえば、偏にクズセンサーへの信頼に他ならない。
鳥を射っただけ。
その一矢を異常と判断したのは、クズ臭を嗅ぎつけたからだ。
思い込みでも構わない。危機は避けるべき。
いつの間にかすっかり日が落ちてしまって、暗くて歩哨は飛ばせない。
木々の間を抜け、平地に辿りついた私は、一切の油断をせずにスピードを上げる。
身を低くしたファントム走りだ。
同じほどのスピードは出なかったけれど、普通に走るよりも、何だか早く走れた気がします。
体感で1時間ほど走り続けところ、野営地と思しき明かりが見えた。
見張りの人くらいいるだろうな。この勢いで走って行ったら、警戒されそう。
息切れを整えながら、駆け足に落とす。
案の定、幾つかの焚き火のひとつから、こちらに気付いて立ち上がる人影が見えた。
「どうした、魔獣が出たか?」
走っては来たが駆け足程度であるため、緊急性は低そうに思われたようだ。
良かった。
それでも剣を手に周囲を警戒する相手に、首を横に振って伝える。
「すっかり遅くなってしまって、山を下りているところだっんですけど、急に大きな音が聞こえて」
相手は私の話に注視している。
つまり、私の背後を追跡してきている、怪しいものはない。
こっそりと安堵して、深呼吸をひとつ。
「大きな音?」
「ええ、木が倒されるような音でした。それで、大物魔獣に遭っては大変だと、急いで野営地まで走ってきたんです」
必殺「ボクジャナイ」である。
そう、木を折ったのは他の誰かであって、私じゃないのだ。
ジョージ・ワシントン?
誰ですか、それ。従士隊にはいませんでしたね。
「そうか。無事で良かったな。しかし、こんな遅くまで単身で山に入るなんて正気の沙汰じゃないぞ」
「…はい。ちょっと晩ご飯用にお肉を狩るだけのつもりだったのに、恥ずかしながら途中で道に迷ってしまって…獲物も手に入らないし、もう、山は懲り懲りですよ。ちゃんと街道を歩かなくちゃ駄目ですね」
他の焚き火の側でこちらを窺っている人々も、脅威はないと判断したらしい。
野営地の空気が少し緩んだ。
食料は大丈夫かと聞かれたので、携帯食料があると答えておいた。
少し周りと離してテントを張って、中へ潜り込む。
馬車もあるから、今焚き火の側にいるのは、護衛任務の冒険者なんだろうか。
汗や埃をアイテムボックスにしまい込んで、すっきりとしたところで毛布を敷く。
アイテムボックス内の寝室でなら、ふかふかのお布団で寝られるのだけれど。
さすがに他人のいる野営地では、油断しない。
周りが全部盗賊だとしても、テントに押し入られたときには対応できるようにしておかねば。
いや、実際に盗賊だなんて思ってないけど、気構えの話よ。




