市場の邂逅
「良かったの、アンディラート?」
なんと、保護者置き去りの発案者は私ではなく、息子だったのだ。
私の問いにどこか清々しそうに、アンディラートは頷いた。
「いい!」
とてもキッパリとしていた。
うん、きっと悪人パパに色々迷惑をかけられてきたんだろう。
迷惑とは子供がかけるべきものであって、いい年こいた脳筋パパが息子にかけるものではないのだ。
たーんと、仕返したれ。
市場へ向かって歩く。
はぐれないように手を繋いで、野良猫に呼びかけたり、逃げられたりする。
露店で買ったまずいジュースを、涙目になりながら、交代で何とか飲み干す。
いい匂いのするパン屋さんで、パンをひとつだけ買って、仲良く半分こして食べる。
路地で子供に絡んできた、大人気なくも無粋な良からぬ輩を、物理的に撃退する。
…アンディラートの腕は子供ながらも偽りなく護衛許可が出るレベルであったし、それを補助するのは身体強化様を用いた私の、膝カックンによる敵の足止めである。
ふはは、無敵、無敵ィ!
服屋で店員にこっそり確認してきたので、道に迷うこともなかった。
近いと聞いたから、保護者を置き去りにしても平気だと思ったのもある。
大人どころか子供の足でも、実はそんなに時間のかかる道のりではないのだ。
それでも時間をかけて道草を食って、大冒険のような気分で、私達は歩いた。
「おー。賑わってるね!」
「すごいな、こんなに人がいるのか。祭りでもないのに」
そういえばお祭りなんて、生まれてこのかた見たことがない。
頷きを返して見せつつも、お祭りがこんなものではないだろうことはわかる。
だってクレープ、焼き鳥、カキ氷、お好み焼き、わたあめ、焼きそば…ああ、焼き鳥しか手に入りそうにない。
自分のことなど思い出せない前世であっても、食べ物ばかりは強く脳裏に残っている。
私が食いしん坊なのか、これが日本人の性なのか…。
「ねえねえ、もっとあっちまで見に行こう」
「うん。オルタンシア、手を離すなよ!」
「はぁい!」
初めての市場の熱気に、私達のテンションも鰻上りだ。
服屋は静かだったが、市場は今の時間帯こそが一番賑やか。
採れたて新鮮の野菜は時が進むほど鮮度が下がるものだが、一般世帯の奥様方のお買い物は、家人を仕事やらに送り出してから行われるものだからだ。
麻袋に詰められた大量のジャガイモや、並んでいるトゲトゲしたフルーツ。
全体が紫色の長ネギに、ゴツゴツとしたトマト。やけに細いニンジン。
不思議と周囲のお店は、女性の店主が多い。
「あらあら、可愛いお客さんね。おつかいかな?」
「まあぁ、とんでもなく可愛い子達じゃないの、どこの子?」
「見てよ、はぐれないように、おてて繋いでるぅ!」
この年でも、平民の子供ならおつかいは珍しくないのだろうか。
手を繋いだプリティ2人組の登場に、何だか店主達の目が輝いている。
可愛いですか、存じております。
どうも。私達が天使です。
手を繋いでいることを指摘されたのが悔しいのか、アンディラートは赤面している。
これはシャイボーイだから振り払われるかな、とも思ったのだが、人の多さに対する警戒のほうが優先されたらしい。
繋いだ手は緩むことなく、むしろ握る強さを増した。
容赦なく掴む子供の力というものは案外強く、少々指が痛い。
「『ピーマン』ってありますか?」
近くにいた野菜屋の奥さんに問いかける。
相手は首を傾げた。
「なんだい? ぺぃまー?」
いや、ピーマン…って、これ、通じてないタイプか!?
おぉう…マジカヨー。
肉詰めピーマンの野望が、即行で潰されたよ!
「ううん。緑色の、これくらいの、お野菜ってありますか?」
「んー。そのくらいの大きさというと、小さめのジャガイモかトマトか…まだ青いのがいいのかい?」
あ、この反応は、ないヤツだ。完全に存在しないわ。ガッカリ。
食べられないとなると食べたくなる、苦みばしった憎いアンチクショウ。
いや、そんな苦いと思ったことはないけど。
「果物と間違えてるんじゃないのかな、ほら、ペペルの実なら青くてそんな大きさだよ」
「あー。ペペルって言ったのかい、お嬢ちゃんは」
隣の果物屋さんが、ヒョイッと謎の果物を取り出した。
見たことがないぞ。何者だ、コレは。
「甘いですか? 試食できますか?」
「ああ、いいとも。可愛いお客さんには特別にサービスしちゃう」
奥さんはさくっとナイフを入れてふたつに割ったそれを、私とアンディラートに差し出してくる。
「ありがとうございます」
躊躇いもせずに受け取る私と、「おいっ」と手を引くアンディラート。
「大丈夫よ。こんなにも皆が見ている前で、私達を害することはできない。絶対捕まるから」
こそりと耳元に囁いてやると、納得したように彼も果物を受け取った。
我が身を省みず殺す気なら人目なんか関係ないんだけどね。
こんな予知夢は見ていないから、わりと楽観視しているだけ。
少なくとも今日、私にとって決定的に悪いことだけは起こらない。
「アンディラート、お礼言おうね」
「あ、そうだな。どうもありがとう」
ぺこりと頭を下げた彼に、小さな笑いがさざめいていく。
何だよと眉をひそめるアンディラートだったが、自分より小さな女の子に注意されつつも、反発もせず素直に受け入れる様というのはなかなか可愛い。
「ん、甘い。美味しい」
「本当だ。食べたことがないような気がする」
「私も」
庶民的な果物で貴族のほうには来ないのだろうか?
私はお財布を取り出して、ペペルの実とやらを購入する。
重くて持てないと困るのでと口にしつつ3個にした…のだが、品物を受け取ろうとすると横からアンディラートがつらっと奪っていった。
「あ、私、持てるよっ」
いざとなれば身体強化様を発動すれば何個でも持てる。
見た目が異様なだけで。
「はぐれないようにだけ気を付けて、欲しい物を選べ。持つくらい俺ができるから」
ぎにゃー、紳士が出た!
思わず頬をひく付かせた私と同様に、周囲の奥様方が黄色い声を漏らす。
紳士が板についているアンディラートには、そんな反応をされる理由がわからないようだ。
ちょっと訝しげな顔をしたが、大して気にした様子もない。
「あらあら、いいお兄ちゃんで良かったねぇ」
そんな声を耳にしたときだけ、ちょっと頬を膨らませていた。
市場の端から端までというのは結構な距離だ。
食べ物だけではなくて、道具屋さんというのも市場にあるらしい。
釘や金槌なんかも売っているし、お鍋の修理に、繕い物の出張所まであった。
街中に店舗を構えているお店でも、手の空く時間に奥様だけが市場でハネ品を売ったり、職人街が近い市場に出張販売に来たりするケースが多いらしい。
ああ、アイテムボックスが使えれば、たくさん買っても荷物運びに苦労することもないのになぁ…。
アイテムボックスは、未だ一度も発動させることができていなかった。
結構期待していただけに、あらゆる言葉を尽くして発動を試みたが、ことごとく不発で…。
なぜなんだろう。物心付いたときから、ずっと試しているのに。
予知夢は自動発動していた。身体強化はそうしたいと思うだけで発動する。サポートは対象をイメージできれば発動する。
アイテムボックスは、何をどうすれば発動できるの…。
「…あ…」
人込みの向こう。
見たことのある人…そんな気がして、私は声を上げた。
このタイミングでの出会い?
まさか今までも普通に、この辺に暮らしていたのだろうか?
そんなはず…ないよね、だって、彼はこんなところにいるべき人じゃない。
私が知らなかっただけ?
どうして彼がこんなところにいるのか。
お仕事なのか、プライベートなのか。
出先だというなら、目的地は一体どこなのか。
必然と言うには、あまりに距離が遠すぎる。
これは、ただの偶然?
「…サトリさんっ…!?」
偶然でなくば運命…いや、アフターサポートに違いない!
天の助けキタコレぇぇ!
訝しげなアンディラート。
彼を忘れていたわけじゃないのに。
その存在が、隣にいるのが、あんまり自然だったから。
「オルタンシア!」
思わず駆け出そうとした私を、アンディラートが強く引き止める。
振りほどこうか迷って。
けれども置いてはいけないから、繋いだ手を強く握り締めた。
「サトリさん、待って!」
声を上げるけれど、喧騒にかき消されて届かない。
走っても追いつけるわけがない。
相手がこちらに来てくれなけりゃ…。
だけど、そう。
サトリさんは、言葉など不要であるが故のサトリさんなのだ。
サトリさーん! オルタンシアでーす!
あなたの名前とか多分全然違うだろうけど、私も前とは違うんだろうけど、知らないし思い出せないから仕方ないんすよ!
聞こえるんでしょ、ちょっと立ち止まってみてくださいよー!
お伺いしたいことがあるんですよー!
サトリさんってばー! ギブミー天の助けェ!
文字通り、我が魂の叫びだ。
気づいたのだろうか。
サトリさんは訝しげに周囲を見回した。
けれども、すいと人込みに紛れて見えなくなってしまった。
「ああぁ、逃したぁっ」
なんてこったーい!
千載一遇のチャンスだったかもしれないのにっ。
「オルタンシア! どうしたんだ!」
気が付けば、走り出しそうな姿勢の私を、アンディラートがガッチリ抱きしめるという事態になっていた。
…おう…これはまた…説明を求められるタイプのアレだ…。
「あの、ごめんね、えっと…もう正気に戻ったから大丈夫よ」
えへっと笑って誤魔化してみる。
そして当然、誤魔化されないアンディラートだ。
「サトリって誰だ。どんな関係だ」
「…えぇと。どんな関係…どんな…」
目が泳ぐ私が、白状しないことを察したのだろう。
ぎゅうっと強く抱きしめられた後、解放された。
「…もう、勝手にどこか行こうとしないな?」
「うん。ごめんね、そんなつもりじゃなかった…」
サトリさんについては、弁明のしようがない。
家からほぼ出たことのない私が、街の人間と知り合うことの不可解さ。
追いかけようとするほどの、必死さ。
…不審以外の何物でもない。
「おーい! いたいた、この悪ガキどもめ!」
背後からかかった大きな声に、私達は同時に振り向いた。
少し離れた人込みの向こうから、手を振る男。
ヴィスダード様だ。ついに捕捉されたか。
「お父様だ。仕方ないな、戻ろう、オルタンシア」
少し硬い声のまま、アンディラートは私の手を引いた。
ちらりと見上げてみると、彼はしっかりと目を合わせた後、仕方なさそうに微笑んでくれる。
笑い返すのには、失敗した気がする。
歪んだだけの口元を隠すように俯いたら、繋いだ手が視界に入った。
そっと持ち上げて、空いているもう片方の手も添えて、自分の額に押し付ける。
「…気にするなよ。怒ってないから」
私の手を解いた彼は、そのままするりと頬を撫でた。
くすぐったくて、ようやく少し笑って見せられた。
安堵したように、アンディラートも笑む。
不甲斐ない私。
それに比べて、彼は相変わらずだ。
君が隣にいてくれて良かった。
いつだって、そう思う。
「アンディラート」
「うん?」
「ごめんね。ありがとう」
「…うん。いいよ」
何も聞かないでくれて、ありがとう。
こんなにも、不審以外の何物でもない私を。
責めないでいてくれて、ありがとう。