前とは、違うから。
侯都シャンビータ。
ゼランディ王国の西側では、一番大きな都市らしい。
侯爵一家が常駐してお仕事をする場所らしく、私の住んでいた王都程には広くはないが、栄えているのがよくわかる。
正規の関所でなく、山の民の集落に行ってから下ってきた私は…寒村を経由して、徐々にこちらに慣れていく予定だった。
初めての外国だし、風習も国民性もわからないのだ。
万一追われるような大きなミスをしたら、山の中を逃げ隠れして別の場所に行けばいいという前提だ。小心。
しかし途中で方向を間違えたのか、エルミーミィに聞いていたより、下山した位置がずれているみたい。
西側とか漠然と言われても、トランサーグの持っていた地図を見たのだって結構前だ。
やっぱり、自分用の地図がいるなぁ。
シャンビータでは、身分証があれば入都税はかからないようだ。冒険者証の提示で、簡単に門を通される。
きょろりと周囲を見回した私に、馬を預けてきたセロームが声をかけた。
「冒険者ギルドで狼を売って来たいんだが、先にどこか寄りたい場所はあるか?」
「いや…宿が埋まってしまうようなら先に取っておきたいけど。これだけ大きな街なのだから、どこかは空いているのでしょう?」
ちょっとお高い宿の扉を叩けば空きはあるはずだ。私はお風呂に入りたいので、安宿でなくて全然問題ない。
ないのはお金ではなく、小銭である。
稼がないと、それもあっという間だということはわかっている…でもお風呂入りたい、もう限界。
山の民の集落なんて、川がお風呂だったのだよ。
スリリングにも程があるってば。
冷たい川(しかもちょっと流れが速い)に身を浸すことで、リラックスはできない。
当然、私は室内で身体を拭くに留めた。
お風呂。お風呂が恋しい。
本当、癒しの少ない世の中だ。
「ああ。それに依頼の件もあるから、宿の手配はこちらに任せてくれないか」
「…依頼って言われても。話を聞くだけだよ、まだ引き受けるとは言っていない」
睨んだところでフード越しでは伝わらないので、口調だけ少し厳しめにしてみる。
セロームは「そう言わずに、頼むよ」とウインクしてきた。
…特段、癒されない。
これがアンディラートのウインクだったら癒されるのだろうか。
想像してみるも…うーん。可愛いけれども、ちょっと何かが違うという気がする。彼は…なんかこう、もっと生真面目な生き物だ。
ならばと脳内で、お父様のウインクにすり替えてみると、急に心がほんわりした。
これだ。
本当は腹黒いってわかっているのに、笑顔が爽やか。お父様、素敵。
妄想する間に冒険者ギルドについた。
見覚えのあるマークがついた看板をくぐって、颯爽とマッチョが行く。
彼が狼素材を売りに出している間に、私は冒険者証の更新を試みることにした。
「すみません。お伺いしたいのですが」
「はい、何でしょう」
受付は美人のお姉さんだ。
そうだよ、冒険者ギルドはこうでなくっちゃ。
とはいえ美人だって世の大事な資源。
美女が受付に行き届かないギルドがあるのは、現実として仕方がないことだよね。
「冒険者証の『剣士』の…ここの部分を変えたい場合はどうしたら良いですか?」
カウンターに冒険者証を出して、剣士の項目を指で示す。
「ちょっとお借りします」
お姉さんはするりと私の手からカードを取った。それから、こんなことを言う。
「…登録してまだ1年経っていないのですね。でしたら、余程の事情がなければ、記載内容の変更はお勧めしませんよ」
お姉さん曰く、初心者がコロコロ武器を変えるのは良くない。武器が定まっていないのであればカードを書き換えてもまたすぐに変えたくなるかもしれない。
そもそもギルドの台帳の記載から訂正することになるので、頻繁な書き換えは推奨されない…ということらしい。
登録日なんて書いてあったか?
…むしろあんな適当な登録しかしてないのに、台帳とかあったの?
だけど、そういや魔道具とかは意外とハイテクな世界なんだった。
社内LAN…ギルドサーバーとかでデータ共有されてんのかしら。登録した名前も年も不正なのですが。コレ意味あるのか。
「おっ。フラン、剣士から魔法使いに書き換えるのか? 最近魔法が使えるようになったんだって言っていたものな。ましてや回復魔法だ、引っ張りだこだぞ」
ヒョイと後ろから覗き込んだマッチョが、止める暇もなく余計なことを言った。
受付のお姉さんの目の色が変わる。
「魔法使い! しかも回復ですって! それは是非書き換えないといけません」
「あ、いや、やっぱりいいです」
慌ててカウンターに身を乗り出し、お姉さんの手からカードを回収する。
「魔法使いは希少です。魔法が使えるようになっただなんて、この変更は『余程の場合』に該当しますよ?」
お姉さんは「返しなさい」とばかりに片手を差し出している。
しかし私は、魔法使いでございと名乗り歩くつもりはないのだ。
「方法をお伺いしただけで、変更したいとは言っていません」
「しかし」
「セローム、用事が終わったのなら、約束を果たしていただこうか。美味しいご飯を希望します。その後はお風呂のある宿を紹介してもらおう。ああ忙しい、忙しいなぁ!」
マッチョの背をぐいぐいと押してギルドを出る。無理やり押されているはずなのに、セロームはなぜか楽しそうだ。
おのれ、うっかりマッチョめ。
君のせいで冒険者ギルドから逃げ帰るはめになったのだぞ。
なんでニコニコなのだ。
あんな反応をされるということは、本当に回復魔法使いは貴重なのだろう。
うぅ、もうこの街では、絵師にジョブチェンジすることはできないではないか。
「フラン、ほら、ここを曲がるぞ。そんなに遠くないし、大衆食堂じゃないから落ち着いて食える」
私のご機嫌が下降したことに気が付いたか、それともただの気まぐれなのか、セロームはこれから行くのであろう美味しいご飯屋さん(希望)の情報を開示してきた。
「うちの家族もよく使っているのだが、上流階級の密談にも使う程度には格式も高い店だし、個室も完備している。きっとフランも満足してくれるはずだ」
美味しさの情報が何も入っていないぜ。
けれどもこの情報は、フード被りっぱなしで顔をさらさない私への配慮なのだろうな。多分、うっかりマッチョなりに、気を使ってくれているのだ。
こんなに気にしてくれているのに、むしろ私のフードが怪しすぎて、店側に門前払いを食らわないといいのだけれど。
「冒険者ギルドでも、もうちょっと気を使ってほしかったとは思うけど、終わってしまったことは仕方がないよね」
心の内に留めたつもりが、本音ボロリンヌ。
己のしつこさに驚いたが、自分で思っているよりもずっと、絵描きとして再登録できなかったのが悔しかったようだ。
「隠したかったのか? 俺には普通に話してくれたから、気にしないのかと思った」
「逆に聞くけど、誰彼構わずフルオープンで手の内をさらしたい冒険者って何?」
「…そうだな」
ちらりと苦笑したその顔に、ちょっと違和感。
これは。この胸のざわつきは、そう、前世で覚えがある。
これは、テヘペロ☆の気配。
嫌がらせとは感じなかったけれども、うっかりと見せかけて実はちょっと嫌がられることを理解していた、という顔だ。
「…私の手の内を公にして、貴方に何か利があるのか」
クズセンサーは反応していない。
でも、身体も声も、知らず固くなってしまう。
すぐに逃げたほうがいいのだろうか。小銭を崩すのはこの街じゃなくたっていい。
私が急激に警戒度を引き上げたことに、相手も気が付いたらしい。
セロームは慌てたように弁解した。
「すまん、卑怯なことをしたよな。依頼を受けてほしい一心だったんだ。ただの回復魔法使いでは、他の冒険者に取られると思った。だけど元が剣士の回復魔法使いだ…こんな都合のいい存在ならば…きっと、周りは俺にフランを譲ってくれる」
「…譲り合いの意味がわからない」
「話す。きちんと、食事をしながら」
せっかくのご飯、美味しくなくならなきゃいいんだけどな…。
ちょっと心配になりつつも、セロームが何か必死なのは感じている。
「話は、まず聞くだけだよ。依頼を受けるかどうかは、それから。ちゃんと考えてから決めるんだから」
「わかってる。でも、どうか。お願いだ」
溜め息がこぼれた。
例えば危険な依頼であっても、私はきっと受けてしまうだろう。
話も聞かないうちから、そんな判断を下す自分を不安に思う。
最近の自身の心境の変化も、その要素のひとつだった。
誰がどうなろうと構わない。
他人なんて、私が頑張ってあげなくてもいいはずだ。
私の心にはいつも、そんな感情が根底にあった。
いずれは私が切り捨てられるのに、相手に尽くしてどうするのか、と。
前世からの、魂に染みついた自己防衛。
…だけれど。
今生の両親であるお父様とお母様には、確かに無償の愛を貰った。
願い伸ばした手に、応えて貰えたのだ。
奇跡のカップルから誕生した子供だ、それだけでこの身体には価値がある。
あの両親が愛でる至高の存在。
私は、生まれてきて良かったのだと感じられた。
幼馴染みで心の友であるアンディラートは、私の隠し事も短所も全てを許容した。まさに天使。
彼との出会いは私の心の大きな転機だ。
私は、生きていてもいい。
前世から否定され続けたこの心が、存在を、許された。
苛立ちも何も剥き出しにぶつけて、なお振り払いきれなかったイルステン。
常に嫌いだと言いながら、後半にもなればちょっと情も湧いていた。
今なら…初めての喧嘩友達だったのじゃないかな、と思える。
トランサーグもシスターも、うざったく思う部分がありながら、それでも私は、勝手に期待した。
甘えすぎないでさえいれば、次に出会ったときにも、また同じくらいの関係でいられるのではないかと。
エルミーミィと仲良くなれたことでも、私の世界は救われた。
前世の嫌がらせとは、女の子のほうが圧倒的に陰湿だった。
如何にも女の子らしい令嬢達と深く付き合えなかったのは、根底に恐怖があったから。
しかしエルミーミィが私の心の友を王子様だとキャッキャと愛でる…そんなピュアな姿は、私に「女の子ってそんなに悪いものじゃないのかな」と思わせてくれたのだ。
私は、老若男女の全てが、本当は怖かった。
誰も彼もが、潜在的には私を虐げる敵であると信じていた。
だけど。
みんなみんな、もう、本当は嫌われたくない相手になっている。
誰もが私を許してくれるわけじゃない。誰もが、味方なわけじゃない。
それでも、この世界は「私VSその他全て」ではない。
私は、前世と同じまま…他者を切り捨てようとする姿勢のままで、いてはいけないのではないか。
…そんな風に、思っている。




