その根性、叩き直す!
どうしてこんなことになった。
身体強化様を発動し、最小限の動きで、脚を掴もうとする相手を躱す。
怖い。
土下座体勢から脚を掴まれそうになるのも、躱せど躱せど諦めずに縋ろうとする相手も。
…ここまでする相手の狙いが…我がスケブであるということも。
「お願いですにゃっ。どうか、どうかそれだけはっ」
「いや、これ、元々私のっ」
「他のものは全てお返しします、使ってしまったものも必ずお返ししますからっ」
何がこうも彼女を駆り立てるのか。
彼女。
そう、猫耳っ子は女の子であった。
あのね、言い訳するけど、顔立ちとかでは本当に区別がつかなかった。
女の子にブチャカワとか非道なこと言って本当にごめん。
せめてファニーフェイスと言い直そう。
横文字なら多分ふわっとなる。
宿の一室であることを考慮し、できるだけの小声と、階下に響かぬような脚さばきを心がける私とエルミーミィ。
事の発端は盗られた荷物の回収。
口を付けられた水筒や携帯食を返してもらう気は最早なかったので、荷物からスケッチブックだけを抜き取ったところ、彼女が絶望的な顔をしたのが始まりだった。
「…まさかとは思うけど」
するりと猫耳アンディラートのページを開いて、相手の前に突きつける。
途端にピタリと相手は止まった。
「…お…おうじさまっ…」
土下座一転。
両頬に手を当てて黒い鼻をぴくぴくする姿に、ドン引…あれ、ちょっと可愛い? 何これ、萌えきゅん?
王子なんて描いた覚えはないけれど…開いたページが間違っていなかったかと、私はスケッチブックを二度見した。
…アンディラート。
ふぅん。天使だと思っていたのに…君、実は猫耳族の王子様だったのかぁ。
真っ赤になって必死に首を横に振る姿が想像できて、ニヨニヨしちゃう。
笑ってる場合じゃなかった。
「…あのね。申し訳ないのだけれど…この絵は現実ではないんだ」
猫耳なんて幻想だよ。
血を吐くような思いで口にしたところ、相手の耳が力なく垂れてきたので、口先だけでなくホントに申し訳なくなる。
「…そ…そんな…。では、この方は…」
絵を気に入ってくれていたのだね。
しかし人族に猫耳は生えないのだ…我が同志よ、現実とは非情なものだよなぁ…。
「彼はただの人間なんだ。ごめんね」
「…存在はするんですにゃ!」
目を瞠った相手に、こちらもカッと目を見開く。
今気付いたが、この猫耳、語尾が「にゃ」なんですにゃ!
エルミーミィが飛び掛かってきそうな気配を纏ったので、私はパタンとスケッチブックを閉じた。
「君の耳が可愛かったから、幼馴染みにも付けたら可愛いだろうなぁと思って描いただけなんだ。常々「男に可愛いは褒め言葉じゃない」と言われているし、彼に怒られちゃうから、この絵を譲ることはできないよ」
目に見えて、絶望が彼女を支配する。
しかし盗っ人猫耳と大天使を天秤にかけることなどできるわけがない。許せ。
自分のリュックにスケブをしまうふりをしながら、アイテムボックスへと収納。
任務完了。
良かった。これで幼馴染みに見放されるという危機は脱した。
黒歴史の始末が済んだ私は、必要以上に大きな気持ちになっていた。
「それで、君は隣国の山岳地帯に向かっているの? 一応、途中でまた不埒な人に狙われないように、送っていこうと思っていたのだけれど」
それを聞いたエルミーミィは、更に猫耳をペタリと伏せた。
彼女から『おうじさま』を奪った私が、おうちまで付いてくるということにションボリしたのだろうか。
別に、どうしても要らんと言うのなら、無理に付いて行く気はないのだけれど。
「…山の民の外見は、警戒されやすいにゃ。人間の連れがいれば、旅が楽なのは間違いないけど…助けてくれたのに気絶させて荷物を持ってきた私と、まだ一緒に行くつもり?」
にゃ、は常に付くわけじゃないんだな。
どういう法則で付くのかしら。
「私も隣国へ行くつもりだから、途中まで一緒に行こうよ。嫌になって別れたいときは、わざわざ邪眼使わなくても、口で言ってくれればいいから」
「邪眼じゃないにゃ! メンメの力!」
…めんめ? おめめ? 目の力のことなの?
う、うわぁ…。
いや、ペットに赤ちゃん言葉を使う人みたいじゃないか、私にはとても言えないよ。
エルミーミィちゃん、めんめの力を使うんでちゅねー、よちよち、みたいな自分を想像して物凄い鳥肌が立った。すっごい精神攻撃。予想外。
「…誤解を感じる。メンメの力っていうのは聖獣人メンメ・ニャルスの力。本来は目だけに宿るものではなくて、声や目で相手の敵意をなくすと言われている力にゃ」
幼児語じゃなかった。
でも、私が口にするときには『聖獣人メンメ・ニャルスの力』ってフルネームで呼ぼう。
すまない。でも無理。
ミーミィたんの、めんめの力…などと口にすることは、オルタンシアにとっては恥辱なのにゃ。
それから少し話をして、大体彼女のことがわかってきた。
仲間の拾ってきたピカピカ石をちょっとした好奇心から盗み、大人達の言いつけを破って集落を出て道に迷ったこと。
野営中の冒険者の食料を漁ろうとして捕まり、賠償のため奴隷にされてしまったこと。
山の民は頑丈だという噂により、荷物持ちとストレス解消のサンドバッグにされていたこと。
どうやら冒険者達は私同様に獣人の性別が見分けられず、彼女が女の子であることは知られなかったらしい。
却って幸いだったなと思っていると、察したエルミーミィが胡乱な目をした。
「…見た目がこんなにも違う。長い付き合いがあるならまだしも、簡単に山の民に劣情を持つ人間は変態と聞いているにゃ?」
それは確かにそうかもしれない。
この不気味の谷をあっさりと飛び越えた上でセクシーさすら感じるというのは、本来なら上級者と言っていい。
そう、一般人、ならば。
私の偏見ではコレ、粗野な冒険者と、一部貴族には当てはまらない。
チンピラと権力者は嗜虐趣味のイメージ。
異性でさえあれば、もしくは美しければ性別も問わぬとかアリーヴェデルチ。
「うん。しかしながら、変態が溢れているのが人間というもの。命拾いしたにゃ?」
「…お、おそ…ろしい話にゃ…」
マジ声の私に、彼女は悲鳴を押し殺した。
というか、語尾が取れなくなりそうだ、気を付けよう。
エルミーミィも、本来語尾に「にゃ」は付かなかったらしいのだが、奴隷生活で面白半分に強要され、注意していないと取れなくなってしまったのらしい。
それにしても、彼女の盗人根性はいけないよな。
それが全ての元凶じゃん。
とはいえ私の荷物に対する態度や、賠償で奴隷にされたと語った様子から、一応悪いことである認識はあるようだ。
猫耳アンディラートを愛する我が同志よ、クズに堕ちてはいけない。
この子に『駄目な子センサー』は反応しても、『クズセンサー』は反応していない。
つまり、まだ、君には戻れる道があるんだ。
王子を求める恋心、わりとピュアだものね。
憧れの人に、マイナスイメージを持たれたくないのは一般的な感情であると考える。
よし、作戦名『導きの天使』始動!
「ところで、この子なんだけどね」
私はアイテムボックスから過去のスケッチブックを取り出し、今より少し幼いアンディラート(猫耳なし)を開いて見せた。
ピンッとエルミーミィの耳が立つ。
「もしかして彼、変態にゃ?」
「違うわ!」
「…残念にゃ…」
なんか、乙女的に自分が恋愛対象になりえるかと聞きたいだけだったのは理解できるんだけど、できるけれども、うちの大天使を変態扱いとかっ。
うぅ。同志であるエルミーミィの矯正のためだ、耐えろ。
これはただの種族差なのよ、オルタンシア。
「彼は身分としては君の求める王子ではないのだけれど、清廉潔白で文武両道な紳士だよ。きっと山の民とも偏見なく友達になれるだろう」
「すてきにゃ! さすが王子様にゃ!」
「でも簡単に人のものを盗んで何にも感じない人って、多分そんな紳士と仲良くなることはできないんじゃないかな。紳士ってピカピカ石を盗まれて泣いている被害者側に寄り添ってしまうものじゃない?」
「…ぁ、えぅ…」
「違うと思う?」
「…………ちがわ、ない…」
それは容易に想像できる光景だろう。
見る見る内にエルミーミィのオレンジ色の目が潤んでくる。
「じ、じぶんのせいで、きらわれるんだね…。し、仕方ない。悪いこと、したもん。そのまま奴隷になっちゃったから、謝っても、なくて」
…やっぱりこの子、クズじゃないよ。
ちょっと笑ってしまいながら、私はできるだけ優しい声を出す。
「他人から人権を奪うような人間に、君は奴隷にされたのでしょう。だったら、君ももう、奪われる辛さを知っている。人から奪うようなことは、しないほうがいいね?」
俯いたエルミーミィは、小さく頷いた。
それから、消えそうな声で言った。
「フラン…うちの集落まで、付いてきてくれる?」
「いいよ」
「…それから、その、綺麗な石を、探してからでもいい? あのときの石、街で奴隷契約されるときに、取られてしまったにゃ…」
「いいよ。謝るときも、隣にいてあげる」
アンディラートは、反省した子に追い打ちなんてかけないと思うのよ。
だから。
「いいこと教えてあげる。彼はとっても優しいからね。失敗した過去よりも、変えようと頑張る今を見てくれると思うよ。君が自分のいけない点に気が付いたのなら、好きな人に恥じない生き方をしたらいいじゃない?」
偉そうにそんなアドバイス。
私はまだ、自分の何がいけないか掴めないでいるのだがな。うふふ。
エルミーミィは「頑張るにゃ」と呟いて、顔を上げて笑った。
わーい、クズ道から一人救った。
笑顔にきゅんと来たので、素早く頭部をわしわし撫でてやった。
結果、キシャアと牙を剥いた大ブーイングを受けた。
…瞳孔開いてた…無念…。




