秘儀『ぬすっと・ザ・ぽっけナイナイ』!
旅の途中で、奴隷に出くわした。
何組かのパーティも足を止めている。
まだ日も高い、街道沿いの休憩スペースで。
「あれは…」
怯えたようなシイルールゥに、トランサーグが苦い顔をする。
「奴隷だろう。関わらないほうがいい」
私達の視線の先には、野盗崩れみたいな冒険者が2人。
その足元に、蹴られて踏まれた、ぐったりとした小柄な影。
周りには私達だけではないというのに、誰一人、止めようとするものがいない。
厄介事はごめんだとばかりに、周囲は休憩を切り上げて立ち去っていく。
顔をしかめて、嫌なものを見たと吐き捨てる人。
使えない奴隷を、詰る声、すら。
それらの響きは、過去に私が向けられたものと酷く似ている気がした。
ああ。やっぱり。そうよね。
急速に胸の内が冷えるのを感じた。
だれも、たすけてはくれないの。
「トランサーグ。助けられないのか? どうしてあんな殴られなきゃいけないんだ」
シイルールゥが小さな声で訴えるのに、我に返った。
震えるその声には、今にも飛び出していきそうな危うさがある。
でも、あるだけ。飛び出して行かない。
自分では勝てない。
立ち向かっていい状況なのかわからない。
闇雲に飛び出せば自分だけでなく仲間を危うくする、そういう判断ができるのだ。
きっと、シイルールゥは正しい。
けれど伸ばされない手は、ないも同じ。
「契約書か奴隷の所有証明か、他人が口を出せない理由があるだろう。万一他人の奴隷を勝手に逃がしたら、こちらが犯罪者だ」
トランサーグは不意に私の肩を掴んだ。
「なに?」
「勝手な行動はするな」
まだ何もしていないのに、よくわかるものだ。
これが凄腕さんの勘なのかしら。
「…奴隷じゃないかもしれないよね?」
「正義の味方を気取るつもりか。世の中には理不尽など山ほどある。それに止めたところで一時。もしかすると、あの蹴られているほうにすら…感謝されないぞ」
その声音には、諦めの色が含まれていた。
トランサーグは私よりずっとたくさんのことを見てきている。
こんなことも初めてではなくて。
きっと、手を出したこともあって…そして良い結果にはならなかったのだろう。
奴隷ならば。解放されないのならば。
ほんの少しの時間をおいて、より酷い暴力に変わるだけなのかも知れない。
状況が変わるためには、その関係が清算されなくてはならない。
「正義の味方なんて私には無理だ」
きっぱりと言うと、背後で安堵する気配がした。
見計らって肩の上の手を払う。
「だが、気に入らない」
放っておくのも、それはそれで無理だ。
どうにもならない状況、助けのないこと、囁かれる根拠のない嘲り。
それらに嘆いたのは、私自身だというのに。
「…フラン!」
身体強化様を用いた振り切りと加速に、トランサーグは諦めたらしい。
何か言いかけたシイルールゥを宥めているのが聞こえる。
そうね、あっちを守るのが本業で、そもそも彼は私の護衛ではないから。
いや。もしかしたら、痛い目を見るのなら早い方が…自分と一緒にいるうちの方がマシだと思ったのかも?
ちょっと面倒見いいからな。
別にね、いいの。他人なんてどうでも。
誰かが誰かに殴られていたって、介入すべき状況か、どちらが本当に悪いかなんて、確かに他人にはわからないわ。
あんな子供を、あんなおおっぴらに殴って、誰も咎めない。
他人に咎められないだけの理由があるからだろうと、トランサーグは言う。
…だから、なによ?
正義の味方なんて知らない。
私はただ、気に入らないのよ。
遠巻きにして目を背け、私自身が、虐げる側のクズになってしまうということが。
感謝されない?
そもそも自己満足なのに、文句なんて言うヤツいんの?
むしろ助けたつもりの猫に引っ掻かれてこその通常営業だわ。
うはぁ、徒労オツ☆とか笑えりゃいいよ。
一緒に笑ってくれる人は、今はいないけれど。
ここでやっときゃ、あとで、きっと一緒に笑えるわ。
「休憩所で何してるの、目障りだよ」
そいやぁ!
身体強化で走り込んだ勢いのまま、男2人を突き飛ばした。
いい大人が受け身も取れずに、ゴロゴロリンとでんぐり返し。
男達は何回転か転げてから、怒りの声を上げて立ち上がる。
その隙に私は、地べたに伏したままの子供と、男達の間を陣取っていた。
「何だお前は! 関係ない奴がしゃしゃり出るんじゃねぇっ」
「…こいつは奴隷だぞ、所有物なんだ。まさか、扱いに文句があるってのか?」
私は首を傾げて見せた。
「私が休憩できなくて邪魔だ、と言ったんだよ。それにその子が奴隷だなんて言うけど、どうやって他人からわかる?」
そう私が問うと、2人は顔を見合わせたあと、げらげらと笑い出した。
片割れが子供を指差して、下卑た笑い顔をする。私を馬鹿にするように。
「ほら、疑うんなら見てみろよ。奴隷の首輪が付いてんだろぉ? 何を勘違いしたのか知らないが、そいつは人間じゃねぇ」
奴隷は人間扱いしないということ?
前世でも令嬢人生でも、奴隷なんて初めて見るし、知らんわね。
不意をつかれないよう、こっそりと肩に蟻んこサポートを乗せて背後を警戒。子供の側にしゃがみ込む。
そうして伏した子供をよく見た私は、男達の言葉の意味を知った。
人間じゃない、というのは…奴隷だからという意味じゃない。
オレンジみたいな明るい茶色の髪の毛…の、上に虎縞の三角山が並んで、ふたつ。
この子、猫耳、生えとるです。
え。そういう感じ?
聞いたことなかったけど、獣人がいるのね。
猫耳、か。
時々思っていたけれど、もしアンディラートに付いていたなら、ぶっちぎりでプリティ・ユニバース抜かれるヤツだわ。
アンディラートの丸っこい頭部にチョコンと乗る猫耳。
ぴこぴこ動いたら倍率ドン!さらに倍!
赤面スイッチは当然オンになるんだろうな。
既に私より背が高いのに、困った顔で上目使いしちゃうかもしれない。
…うわ、こ、これがストレスというストレスが消し飛ぶ大天使の奥義『壮絶な癒しケモミミ(恥じらいモード)』か!
可愛い。気力が充填された。
これ、あとで、全力で描いてみよう。
どうせアイテムボックスの肥やし、黒歴史なんて増やしてナンボ。
想像だけでもこの効果。リアルだと如何に。
…猫耳カチューシャ作ろうか…付けてもらうためなら土下座も辞さない。
ああ、でも子供のうちでなければアウトよね。もう、機会はないか…いや、アンディラートなら大人になっても…うぅん、過信かな…でもでも、作るだけ作っておけば何かの際に…。
猫耳認識からの妄想劇。
この間、僅か2秒であった。
それはそうと、子供の襟元に見えた黒い金属性の首輪。
奴隷の首輪って、きっとこれのことよね。そっと隙間に指をかけた。
すいすい、するりーん。
知っていたけど、ものっそい簡単にアイテムボックスに入ってしまった。
あ、どうも、怪盗オルセーヌ・ルパンシアです。予告状は出しません。
「…ねぇ、何を言っているのかわからないのだけれど。首輪なんてないよ?」
始めっから付いてなかったよ、多分ね☆
しかしお天道様は見てござる。
これは決して悪用してはなりませんね。
「…何ィ?」
男が近付いてきたので、私は立ち上がる。
何もしてませんよと示すために、子供から2歩ほど離れた。
次の瞬間、息を飲む。
響いた鈍い音と呻き声。
男が、子供を蹴って仰向けにさせたのだ。
クズって、抵抗のできない相手には強気よね…いつもそう。こちらの痛みなど、決して気に留めはしないのよ。
フードを被っていて良かった。一体、私はどんな形相になっていることか。
イライラと、震えかける拳を握る。
落ち着け、私。今の私には、反撃する力がある。機を過たず振え。
身勝手でも、何も諦める必要はない。
この世には天地合わせて3人の、私を許してくれる人がいるゆえに。
「…ない、だと…、ば、馬鹿な。お前っ、一体何しやがった!」
「えぇ、私? 何をどうやったって?」
「お前以外に誰がいやがる!」
「知らないよ、そんなの。だけど、奴隷だというなら証文くらいあるんじゃないのかい。首輪でしか区別が付かないものなの?」
問えば男達は慌てたように荷物を引っ繰り返し始めた。
ごふ、と足元で音がした。
え。やだ、この子、血を吐いてる?
さっきのクズ蹴りのせいかも。
口が切れてるだけならいいけど、もし内臓とか傷ついてたりしたら…。
嘲笑と罵倒を前にして…諦めたまま、死ぬの?
前の私のように?
ぞっとする私に、あったぞ、と勝ち誇ったような声を上げて紙を突きつける男。
馬鹿なの? 馬鹿なんでしょうね。
「何も書いてないけど」
「はぁっ!?」
一瞬だけ私の手に移動しかけた紙が、素早く男の手に引ったくられる。
「…白紙…、な、なんで…」
手に取って見ようとしても男が離さないようなので、本物はつらっとアイテムボックスにて回収した。同時に紙の影でそっと展開したサポート白紙が、それです。
「それで、その子が奴隷だという証拠はあるの、ないの。ないなら私の前から消えろ」
「ふ、ふざけんな!」
「おや、そんなに大切にしているようには見えなかったのだけれど。着ているものといい、高い買い物にも見えないが…ふぅむ。そうだなぁ、この子はお幾らで購入したの?」
わざとらしく、金で解決しそうな素振りを見せてみた。
途端に相手が金を騙し取ろうとするチンピラの表情を浮かべたので、呆れた笑いが出そうになる。
同情なんて要らないな。
アイテムボックスから取り出したものを、手の中に握り込む。身体強化を乗せて、正面の男の腹に叩き込んだ。
「…がっ!」
ばっと飛び散る暗い赤。
男は白目を剥いて沈んだ。キモ。
もう1人の男は悲鳴を飲み込んだ。
「私は早く休憩したいんだ。どうする? 今、相方を連れて逃げるなら見逃してあげるが。チャンスは…二度はないよ?」
相方の決断は早かった。クズはクズなりに信頼関係を築いているのだろうか。慌てて片割れを担ぎ上げた男は、ものも言わずに背を向けて逃走した。
置いていかなかったのは、少し意外。
「…フラン。何をした」
トランサーグが鼻の頭に皺を寄せている。しょっちゅう眉根も寄ってますのに。いつ彼の顔がシワシワになっちゃうか、気が気じゃないぜ。
「これ、使いかけの絵の具だよ。気絶はさせたけど、怪我はしてないはずだよ」
握っていた右手を開いて見せる。
潰れた絵の具の保存容器と、血まみれのような私の手。
取り出したハンカチで拭うふりをして、アイテムボックスへ絵の具を収納。
「証書は手品の要領で手持ちの紙とすり替えたけど、首輪は、なんか…もげたんだよ」
「そんなわけあるか」
はい、本当はどちらもタチの悪い手品でございます。
「そんなわけないの? でも、もげたよ」
ほらほら、と黒い首輪を見せてやる。
一度アイテムボックスにしまったら、留め具の開け閉めは自在でした。
持ち主不在という扱いなのかな。
「…手品だと? 騙されると思うか?」
「人聞き悪いなぁ。ほら、私って器用でしょう? 大体にして、この細腕で力ずくで首輪をむしり取ったなんていうよりも現実的じゃないかな」
「…ある意味その方が信憑性があるがな。奴隷の首輪は力業で取れるものではない」
細腕に負けた経験があるトランサーグは憮然としている。
しかし、腕力勝負ではそもそも不可能なことのようだ。
アイテムボックスさん、さすがのチートですね。
「なら、偶然壊れてしまったのだろう。そんなこともあるよ」
ふふん、詐欺師としてもやっていけるレベル。
下手に摘発されたらお父様と鬼ごっこになっちゃうからやらないけどね。
そんなことより奴隷っ子である。
「…私、回復魔法、まだ一回しか成功してないんだけど…こんな酷そうなの治るかな」
案外、怪我人って日常にいないのだ。
あの日、孤児の膝小僧を治した以外に回復魔法を試す機会はなかった。
シイルールゥが何か言いかけるのを押し留め、トランサーグは顎で猫耳っ子を指し示す。
「やってみろ。駄目なら薬を分けてやる」
そうよね…悩んでいても何にもならない。
まっすぐ寝かせようとしたのだけれど、猫耳っ子は呻いて身を丸くしてしまう。
痛いよね。そうだよね。
うぐぅ、鼻の奥がツーンと来た。
「…お母様…」
目を閉じて、両手を祈りの形に組む。
繰り返せば魔力の流れが掴めて、強く奇跡をイメージしなくとも回復できるようになると、シスターは言っていたけれど。
私はまだまだ初心者なので、妄想優先。
…これは、心ない人間に面白半分に虐げられた哀れな子猫だ。
美しくお優しいお母様が、放っておけるはずはない。
降臨されし女神が、そっと傷ついた子猫に触れて、癒す姿は。まさに奇跡。
「『マザータッチ』」
呟いてからハッとした。
この間は黒いモヤモヤが出たんだった。
やばい、私のコレ、回復魔法としては異端なんじゃない?
そうだ、今回も出るのかどうか見極めないとっ。
そうして目を開いた私の前には。
「…お前…それは本当に回復魔法なのか?」
色濃い疑問を隠しもしないトランサーグと、ちょっぴり引き気味のシイルールゥ。
蹲る全身から、もわりぼやりと黒い靄を燻らせる、猫耳がいた。
危惧、的中。
とても…禍々しい…です…。




