駆け込み寺、発見!
…………ハッ。
気がついたときには、日が落ちていた。何も見えない。
…いや、視界がすごくぼやけているせいで、見えないんだ。
体調は悪化している。
小鳥を出して視界をジャックし、辺りを窺う。
なんてこった、鳥目タイムだ…あんまり見えない。
それでも自前の視界よりはマシだ。
人影がないことは確認できた。
何だか耳もよく聞こえなくなってきているから、聴覚もジャックだ。
全く、小鳥さんには頼りきりです。
どうやら危険はない様子。
ならばと、そのまま周囲の偵察に飛ばした。
ぼやけた視界同様、頭の動きも鈍ってる気がする。早く現状を把握しないとな。
遠くで酔っ払い特有の、陽気で賑やかで、粗野な笑い声が聞こえた。歌と弦楽器の音も。酒場が開いているんだ。
飲み屋街は5時くらいから開いているのだと、いつかファントムさんが冒険者ギルドで小耳に挟んだ。
実際に私自身が歩くのは初めてでも、王都は何度も小鳥が旋回していた。様子を見れば、大まかな時間くらいは調べられる、はず。
よし。ゆけ、小鳥さん。
私監修『王都気になるマップ』の各地点を確認するのだ。
「…あ、ぱんぁしあってる…」
うわ、驚きの呂律のまわらなさ。呟いた言葉の悪発声ぶりに動揺した。
どうやら唇も舌も緩慢にしか動かない。何だこれ。
あいうえあいうえ、と小声で発声してみるけれど、あぁえぇあぁえぇにしかならない。どういうことよ。ええいあぁ、一人で男泣き…なんて言ってる場合じゃない。
まぁ、まずは喋れんくてもいいわね、会話する相手もいないし。
人気のパン屋が閉まっていた。ドアに書かれている閉店時間は7時なのに、いつも6時前に売り切れるという。拡張を繰り返しても尚これが現状との噂を聞いて以来、一度は買ってみたいと思っている店だ。
ならば6時は過ぎたのかしら。うちのホームパーティー、とっくに始まってるわね。
更に追加で飛ばした小鳥戦隊。
開いている店は…服屋だな。確か、あの辺は仕事帰りの独身達をターゲットにした、8時くらいに閉まるゾーンだったはず。
広場も見に行かせる。いつもいるはずの小物フリマみたいな露店は撤収していて、一軒もない。広場は7時の鐘までに片付けを終えて開放せねばならない規則のはずだ。
…7時以降で8時前。
時計もないのによく頑張ったじゃんね。
よし、小鳥、解散。
そうすると、むしろうちのパーティーは、もう後半戦だな。
こっちの方々はあんまり夜更かししないようだから、招待客も8時にはぼちぼち帰宅モードになるはず。
立ち上がろうと、着ぐるみファントムへ指示を出す…が通らないことに慌てた。
シャドウが解けてしまっている。
マニュアルモードのまま意識を失ってしまったから、靄に返ってしまったのだろう。
無意識に馴染みの小鳥を使っていたから、ファントムさんの確認を忘れていたぜ。
大分、うっかりしたな…ファントムさんが消えるところを、誰かに見られたりはしなかっただろうか…。
見間違いというには大きすぎる変化だ。
人間サイズを動かしていたら、こんな危険もあるのだな。
急に恐ろしくなって、アイテムボックスからフード付きのマントを出して着込む。
フードの奥、髪の陰に小鳥を召喚。これならば急に消えても見つかりにくいだろう。
その目をジャックして立ち上がれば、ようやく自分に近い視点で周りが見えた。
鳥目の視界はやっぱり薄暗いけれども、街灯だってあるから、見えないわけじゃない。
…むしろ私自身の身体が心配よね。
もうほとんど見えないということなんだもの。
人目につかないことだけを優先して、休み休み、外区を目指す。
それにしても、ぼーっとする。
絶対に気を抜いてはいけないってわかっているのに、時折ハッとして気を引き締めてる。…まるで寝落ちするかのように、いつの間にか意識が飛びかけている。
足元がふわふわする。
自分の呼吸の音が、耳の奥でひどく反響する。
まっすぐ歩けないだけでなく、身幅の感覚すらも頼りなくなって、路地の壁に肩をぶつけては引っ繰り返って転げた。
立ち上がろうとしても、うまく立ち上がれずに足首がぐにゃりと曲がる。
見るからに捻挫しそうな、絶対やばいよ!って角度で踏んばっては、結局体勢を立て直せずに転倒する。
くるぶしがごりごりと地面にぶつかるのを感じても、痛みすらない。
怖すぎる。何なの、私、死ぬの?
…本当に人目に付いていないのだろうか。こんなに不審者なのに。
もしかして意識が朦朧としすぎて、人がいるのに判別できていないだけなんじゃあ。
…待って。
そう考えると、なんかあの後方の焦茶色の塊、ずっと付いてきてない…?
歩くというには遅すぎる私の動きに、されど追い付く様子もない焦茶色。
付かず、離れず…ってヤツ…?
それはもう完全に追っ手と呼ぶのではなかろうか。
「…どうそぅ…」
どうしよう、すら言えてないんだけど、本当にどうしたらいいかな。
早いうちに宿でも取れていれば良かったのだろうけれど…もう、怪しまれないように喋ることすらもできそうにない。
ふと、教会が目についた。
私は神を信じていない。
しかし世間一般、迷える仔羊を導いてくれたりするのが教会なんではなかろうか。
…教会なら…一晩くらい、この迷えるラムタンシアを泊めてはくれないだろうか。
金貨とか寄付したら、衛兵を呼ばずにそっとしておいてくれないかな。それとも「賄賂は悪事だ!」って逆に粛正されるかな。
ふらりと教会の裏口に向かって歩く。
意識が、途切れ途切れになる。
うぇ、焦茶色が、段々近くなってきた。
何とか、何とか建物の中まで…。
ゴン。
「ぁいた」
痛くもないけど、呟いてしまう。距離感を誤って、扉に突撃したようだ。
扉の向こう側で物音がする。
しまった。せめてノックくらいは普通にしたかったのに。
ギィ、と扉が内側に引かれて。
背後を気にしながら扉に凭れかかっていた私は、そのまま内部へスッ転んだ。
…おぅ。また意識を飛ばしたかな。
目の前に真っ黒の塊。
人だ。
転げた痛みはないし、座った覚えもないけど背中に壁の感触がある。
目の前の人物が、助け起こして壁に凭せ掛けてくれたのだろう。
小鳥が靄に返ってしまったので、何を言っているかは聞き取れないけれど、心配されている声音な気がする。
視界がひどく揺れている。
「ひと、ばん。ここ、に、おい、て」
できるだけゆっくり、はっきりと聞こえるように発声する。
相手は私を揺さぶるのをやめた。
揺れてたのはアナタのせいですか…激しい痙攣かと思ってちょっとびっくりしたわよ。
わりと身体の感覚ないんだから、ホントやめてよね。
真っ黒さんは何かを話し続けているが、生憎と既に聴覚は役に立たない。
聞きたいのは山々だが、何かの音として耳を素通りしていくだけだ。
ここは教会なのだし、もしかして相手はシスターかな。
それなりの、年配の女性の声に聞こえる。
真っ黒マダムは私に何かを問いかけているのだろう、何度か語尾が上がっているので、そう判断をつける。
「きこぅ、ない。ひとばん、おいぇ」
呂律も、もう駄目だ。
会話を諦めたのか、真っ黒マダムは私の側から離れた。
少し離れてしまえばモザイクな景色と同化して、判別が付かなくなる。
衛兵を呼びに行ったのでなければいいのだけれど…。
と、急に視界の端に焦茶色が現れた。
…追っ手!?
たった今裏口から入ってきたらしい焦茶色は、すぐ側で座り込んだままの私に気付いた。こちらへ向き直るのがわかる。
立てないのにぃっ。
相手がこちらへ屈み込む気配に、私は恐慌状態になった。
近すぎる。
逃げ場がない。
唯一理解できるのは灰色の石壁。それに縋りながら、後退る。
背後の何かに背をぶつけたが、それでも巣穴に引き籠もる小動物のように、身を縮めるしかなかった。
焦茶色が何か喋ってる。
手首を掴まれて、声にならない悲鳴を上げた。
こわい。
だめだ、しんだ。
お父様、アンディラート、ごめんなさい。
項垂れかける私の耳に、怒鳴るような真っ黒マダムの声。
私ではなく、面前の焦茶色に対するものだったのだろう。相手は手を放した。
焦茶色が離れてモザイクに埋没し、入れ代わるように現れた真っ黒マダムが、私の前に座り込む。
何かを喋っている。だけど、申し訳ないけれど、理解できない。
呂律が回らないから、多分相手には聞き取れないだろう。そう思いながらも私は「一晩ここに置いて」と繰り返した。
今夜を乗り切れば悪夢は終わる。
この夜さえ、明けてしまえば。
真っ黒マダムは離れた。焦げ茶色と何か会話をしているのだろう、声が聞こえる。
2人は、それ以上私の前に屈み込むことはなかった。




