幼馴染が出来ました。
それからの日々はわりと、平穏に過ぎた。
と言っても、悪夢という名の予知夢は見ていた。
…それも結構な頻度で見た。
しかしながら『現場に居合わせない』という対策がとても有効であると気づいてからは、結構上手に回避できていると思う。
直近で一番危険だったのは『庭でお茶をしていると襲撃者に襲われる』という予知夢。
幼児ながらも令嬢。行儀作法の授業の一環であったため、庭でお茶をすることはどうしても曲げられなかった。
しかし服装、天気、使用人の待機位置、鳥が鳴いたタイミングなどから天啓的に「今日、むしろ今だ!」と割り出せたあの時には、咄嗟に手元の紅茶をスカートに零すことで「着替えのために!」と令嬢らしからぬ猛ダッシュを用いて室内に駆け込んだ。
身体強化様は決して裏切らない。
結果として襲撃者は一歩出遅れて私と入れ違いに庭へ飛び込み、執事に取り押さえられていた。
全力をもってカップを傾けたため服は広範囲に紅茶に染まり、かつスカートからボタボタと絨毯に零し歩いたことをそっと叱られたが、命には代えられない。
…案外、スカートの生地が紅茶を吸い込まなかったのだから、致し方ないよね。
だけども、私にも思うところがあって。
正直なところ、私の予知夢様が大活躍ってことは、普通の子ならもう死にまくってるってことだと思うのね。
お父様って何してる人なのかな。恨み買いすぎてんじゃないのかな。
仕事に関する話題が出たらうまく追求しようと思いつつも、幼児にそのような話題が振られる機会はなく。
気が付けば、既に4歳を目前に控えた夏になっていた。
「オルタンシア、着替えを」
ある日、お母様が部屋を訪れ、そんなことを言った。
首を傾げて見せると、情報が与えられる。
「お父様のご友人がいらしたの。あなたもご挨拶をなさいな」
「はい、おかあさま」
いい子のお返事を返して、お母様の指示の元、メイドが抱えてきた服に着替える。
だけど、なんで私が挨拶せねばならないのか。
お父様に会いに来たんなら、私は関係なくないかな。
お母様を困らせたくないので口にはしないが、ちょっとやる気は出ない。
ふわふわスカートに、げんなりする。
レースの薄ピンク、ツライです。
私は姫か何かなのかね。メルヘンプリンセスかね。
「可愛いわ、オルタンシア」
しかしお母様が嬉しそうに褒めてくれたので、現金な私の機嫌は上昇する。
オーケー、本日の役柄は『無邪気系ふわふわお嬢様』だね。
是非このドレスを違和感なく着こなして見せようじゃないか。
はいはい、姫でございますが、何か?
こんな美女の娘である私が、姫でないはずがないわ。最早必然。
オルタンシアからフワフワンシアにロールチェンジだ!
うふふーと微笑み会う私達は、やがて父とそのお友達が談笑しているテラスへ。
そうして、私は自分が連れて来られた理由を悟った。
や…ヤバ可愛い…!
キュートな天使が光臨している!
テラスには見知らぬ男と、その側でつまらなさそうな表情を隠しもしない少年がいた。
茶というにはちょっと赤みの強い髪。大きな目。
それが貴族然とした衣装に包まれて、極々小さく床板を蹴り蹴りしているのだ。
うちの床板の何がご不満なのかな、少年よ。
遠慮せず、もっと元気に蹴ってもいいのよ。
子供、元気、一番。
同じ年頃の子供が来たから、私も駆り出されたんだねぇ。
将来美形に育ちそうな少年の登場に、心がホッコリする。
遠目に見るイケメンは癒し。近距離のイケメンはエマージェンシー。
だって性格のいいイケメンなんているわけないもんね。
あ、いや、お父様以外にな。…お父様…ちょっと怪しいけどな。
とにかく今は天使の様相の少年も「格好いいね、可愛いね」と言われ続けるうちに性格はひん曲がり、きっと天狗になるのだ。
…なるかな。こんな可愛いのにな。
なったら嘆かわしいな。人類的に見て損失かもわからんわね。
オルタンシアさん、いっそ嫌われ役を引き受けようかしら…。
アテクシのような美少女の隣ではアナタ如き霞んで見えてよ、とか言うの。
そんなハナタカヤロウが側にいれば、きっと反面教師として役立ててくれるだろう。
「来たかグリシーヌ、オルタンシア」
こちらに気付いてお父様が片手を上げた。
「妻と娘だ。正式に紹介したことはなかったが、グリシーヌの顔くらい知っているだろう。娘のオルタンシアは来月には4歳になる。アンディラートより1つ下だな」
お母様と共に紹介され、上手にお辞儀をして見せる。
「これは愛らしい。奥様によく似てらっしゃる。父親に似なくて良かったなぁ」
「何だと。もっとよく見ろ、オルタンシアは私にも似ているぞ」
「いや、リーシャルドの腹黒さは受け継いでいないね。奇跡だ」
あれ、お父様って腹黒いんですか?
否定も諌める声も上がらないところを見るに、お母様さえそう思っているのか。
残念ながら娘の襲撃回数は伊達ではなかったようだ。
無邪気な笑顔を貼り付けた私は、内心で苦笑する。
じゃあ私、お父様の腹黒さを受け継いだのかもしれないわ。
卑屈で調子に乗りやすく、相手の気持ちを考えられないことに定評のある私だが、この性格の悪さに少しでもお父様の遺伝が感じられるのであれば嬉しい。
遺伝ならば、受け入れてもらえるかもしれない。
だって、前の両親なら多分、こんな私を責めたはずだから。
「アンディ、来い」
大きな目を真ん丸にした少年が、ビックリしたように私を見ている。
いや、君を呼んだのはあなたのお父さんだよ、なんで私を見るかな。
あ、服のせいかな?
メルヘンプリンセスだからな、何しろ。
こんなフリフリが現れたら、そりゃあ見るよね。
私は意識してニコリと笑いかけ、「なぁに?」と言うように少し首を傾げて見せた。
こちらを見つめる真ん丸の目が、ぬいぐるみか何かのよう。
私とは違い、純朴を絵に描いたような子だ。
彼の雰囲気につられたのか、演技をするまでもなく、私の口元も自然と綻んでしまっている。
「これは息子のアンディラートだ。オルタンシア嬢、仲良くしてやってくれるかな?」
「はい、おじさま。アンディラート様、オルタンシアです。よろしくお願いします」
少年は返事を返してくれなかった。
無念。
子供は子供で放流され、大人たちは優雅なティータイム。
私は庭の案内という名目で、アンディラート少年を連れ回す係を命じられた。
「いまは、藤がせかいでいちばん、きれいな花だと思ってますから、お勧めするんですけど」
「……」
アンディラート君は返事をしない。
というか、しようとするんだけど口を噤んでしまう。
引っ込み思案な子なのかもしれない。
別に無視を貫くって態度ではないし、外見が天使すぎて気にはならない。
「見にゆきますか?」
お母様の名と同じ花である藤は、うちの庭にワサワサと植えられている。
もちろん庭にあるのは藤だけではない。見たこと有りそうな無さそうな名も知らぬ花達も色々と植えられている。
私の名である紫陽花も植えてはあるのだが、量は全然違う。
多分コレお父様の愛の差。
私もお母様は世界一の愛され美人だと思っているので、全く気にならないけどね。
むしろもしも少なかったらば、率先して私が藤を植える所存。
「…いまは?」
ぽつりと呟いた、子供特有の高めの声。
アンディラート少年が、ようやく私を直視する気になったらしい。
ごめんね、こんなメルヘンプリンセス、視界に入れたくない気持ちはよくわかる。
しかし本日は母プロデュースのフワフワンシアなので諦めてくれ。
私は初対面の少年の心証より、お母様の笑顔を優先するよ。
「前は、何が好きだったんだ?」
あらやだ、タメ口で良かったんなら言ってよ!
でもフワフワンシアは丁寧語でホワホワしていなければいけない気がする。
そんなことを考えながらも、「今は」なんて付けたのは無意識だったので少し考え込んでしまう。
「えっと…『ツツジ』…?」
「…ツ…ツジ? 聞いたことがないな」
マジか。スズランとかにしとけば良かったかしら。それならあっちに生えてる。
しかし、じゃあ変えますねと言うわけにもいかない。
「たぶん、そんな名前だと思ったのですけれど。まちがっていたなら、ごめんなさい」
子供だから、うろ覚えで間違っていることなんて幾らでもあるだろう。
にへりと笑って誤魔化した。
「紫陽花も」
ぽつりと少年が呟いた。
「…きれいに咲いてたじゃないか。少し、外から見えた」
「あ、はい。ほんとうはもう少し後、のはずなのですけど…今年は藤といっしょに咲いたみたいで。おとうさまがとても喜んでました」
花のシャワーみたいな藤棚には負けるけど、紫陽花もなかなか綺麗に咲いてます。
腕のいい庭師のお陰で、我が家の庭には綺麗どころが揃っておりますとも。
ええ、それでもイチオシは藤なのですよ。
「じゃあ、紫陽花を。見に、行く」
わぁ。お勧めを超お断りされる事案発生。
無念。