亀裂を作ろう。
恐ろしいほどに誰にも会わない。
セレンツィオは城の中でどう歩けば目立たないかを知っているのだ。
最低限として、出入り口ばかりは衛兵に押さえられるとしても、こうもフリーダムに動けているとは思わなかった。
初対面のラッシュさんがレッサノールに鬼警戒されていて、私と悪巧みしないようにか間に入られている。困ったことに、ひっそりと話すことが出来ない。
チラリと幼馴染を窺うが、アイコンタクトも許さないレッサノールが素早くディフェンス。早く歩けと追い立てられる。なんか…囚人ぽい。
「これから如月さんのところへ?」
問いかけてみるが、この追い立てびとには答える気がないようで、鼻でフンとされた。
な、なんだこの従者。前と対応違うわぁ。
しかし、セレンツィオも時折じっとりとこちらを見てくる。観察するような目だ。
そういえば彼らと最後に会ったときの私は、呪いの真っ只中にあった。つまり彼らは無表情に命令を受諾する私を見ている。
如月さんは、私の豹変について説明を強いられたはずだ。
それまでの私は料理番として、それなりに交流をしていた。
だというのに、ある朝起きたらオルタンシアちゃんが感情と表情を失っているのだよ。周りがビックリしないなんて嘘である。
複数人で行動する以上は、必ず誰かの目がある。如月さんは私を操り人形にしたことを、隠し通すことはできない。
私は表情筋こそフードの中でサボっていたが、代わりに声ばかりは愛想よろしく対応していたからな。落差は凄かろう。
忘れられた姫君は、彼らのクーデターにとって重要な駒だと思うのよね。正当性の保持という意味で。
だからこそ忘れ去られなかったわけで。
だというのにせっかく見つけたばかりのそれが、一夜で人格壊れちゃったような生き物になってたら、さすがのセレンツィオも笑ってる場合じゃない。
お利口に言うことを聞く分には構わないけど、ホラードールでは表に出せないものね。
おいおい何してくれちゃってんの、と青筋立てて物申したいはずだ。
そして如月さんはセレンツィオを結構重要な仲間だと思っていたはず。
テヴェルのせいで大分台無しな関係になっていたが、本来は嫌われないように、怒らせないようにしときたいんじゃないかな。
だとしたら「旗印を壊した」などと詰め寄られるのは不本意。
意見の相違で騒ぎ立てたので、仕方ないから一時だけ大人しくさせたとか…とにかく壊れてないよ、大丈夫とアピールしたはず。
もしもその時に、計画の都合として操ったのだと伝えていれば、今の明らかな自由意思は計画に反していることになる。
だからこその、この警戒なのでは。
彼らがどんな望みを抱いて国王を差し替えようとしているのかは知らないが、テヴェルのようなハーレムウェーイ!な軽い気持ちではないはずだ。
お母様を捕らえていた一派ならば、長年入念に下準備もしてきたことだろう。お母様のお母様も捕まっていたわけだから。
もう諦めたらいいのにね。雌伏、長過ぎ。
セレンツィオの望みには今にも手が届きそう。心の中で、大きくリーチを叫んでいたかもしれない。
なのに、開かないはずの宝物庫は現王の元で解放されてしまった。
自分達のものになるはずだったお宝が、引きずり下ろすはずの相手に流れたのだ。
組織というのは運営に資金がかかる。
お金余ってるよーなんて組織は基本的にはない。ボランティアや趣味のサークルであっても自腹を切ってるだけで、無銭経営なんて出来やしない。
セレンツィオ達はショックを受けただろう。
同時に、口にはせずとも、如月さんへの疑念が一雫…黒く胸に落ちたはず。
テヴェルとやや敵対しつつあったはずの彼らは更に、伝えられた計画とは違う動きをしている怪しい私を発見。
もしかしたら、もう如月さんの甘言を信じきれなくなっているかもしれない。
始めに如月さんを信じていればいるほど、きっと不審に感じているだろう。
掲げる予定のテヴェルはクズで、私の行動はこそこそ裏切って見えるってわけだよね。
おやまあ、こんなところに大きな楔。
打ち込めという思し召しですね。
…オーケイ。
チャレンジ、仲間割れ!
「…答えなさい。私が一体何者か、既にセレンツィオ様はご存じのはずですわね?」
令嬢モードで声をかけた。緊張に震えないよう、声を意識して張る。こなれてはきたが、まだ色んなロールは完全とは言えない。
声をかけた相手はセレンツィオだ。
従僕には決定権がない。
こちらを黙らせようと振り向いたレッサノールへ、笑顔の圧を。お母様直伝の「お前ではないわ、お下がりなさい」の笑みだ。
相手が逆に思わず黙り込んだところを見るに、成功したはず。
そう、従者ではダメ。
私は忘れられた姫君として、セレンツィオに対峙しているのだから。
「ええ。ご帰還をお慶び申し上げます、姫」
足を止め、内心はどうあれ、すいと礼を取ったセレンツィオは正しく高位貴族だ。
腹の中は常に隠して。自分に都合良く事を進めるために、アクシデントにだって動じて見せてはいけない。
主が下手に出たことでビックリしているレッサノールのように、好き嫌いも腹立ちも、簡単に顔に出してはいけないのだ。
相手を利用する余地を残しておくために。
「どちらへご案内いただけるのかしら」
「貴女の保護者のもとへ」
如月さんはもちろん、私の保護者などではない。だが、彼らにとっては私を駒として所持しているのは如月さんという認識だ。
テヴェルを護衛したことがあるという話を覚えていても、スポンサーは如月さんだと知っているのだね。
まぁ、テヴェルってただのヒモだもんね。
「私の行動の意図を問い質すということですわね。計画にはそぐわないはずだ、と」
「ご理解いただけているのなら、今ご説明もいただけるのでしょうね?」
セレンツィオの圧力に、私は笑みを崩さずに言葉を選んでいく。
いやいや、責任は上が取るものよ。
私をただの希少な駒だと思っているのなら、尚そのほうが自然だろう。
「そのような権限があるように見えたかしら? 彼女の意に染まぬ発言だったなら、また、操られて先日のようになってしまうわ。あれは見せしめなのでしょうから」
ここで逃げ出したとしても、時間の無駄だ。
私の目的が彼らの排除である以上、どうせまた如月ファミリーのアジトを探さばならない。それくらいなら、今、ついて行こう。
王様達に存在をスルーされているから拗ねて言ってる訳じゃない。
共闘までを考えていたわけではないし、宝物フィーバーに沸くお城の人達なんて、きっと今はあまり頼りにならないよねという話。
…逡巡はあった。
幼馴染のための装備は試作したものの、まだ完璧に出来た自信もない。
それに無言でお城から消えたら、私、とても怪しくないかい。
かといって誰かにこの、外出というか拉致を告げる暇もありゃしないのだが。
…いいか。
お城の人達は、今後も付き合っていく相手ではない。あとで悪し様に言われたとしても、私の人生で困ることはないな。
「何を言われても、私には与えられた役をこなすだけしか出来ないわ。お城の方達も貴方達も同じ。皆この血を利用することしか考えていないのですもの。ならば、せめて生活くらいは自分の意思でしたいわね。だから、彼女に逆らってはいけないのよ」
私に役を与えるのはあくまで私なのだがな。
彼らと同じ舞台に上がって、彼らも知る忘れられた姫君という役柄を抱えていても、私の演目は似て非なるもの。
装備は、相手の目を盗んで改良を重ねる方向で頑張ろう。完成していないからってラッシュさんを置いていく訳には行かないし、例えそう出来たとしても、追ってくるに違いない。そんなパト・ラッシュさん。
…一途に飼い主の元を目指すなら、ラッスィーに改名したほうが…でも、パトであっても追ってきたか、教会に。わん。
いかんいかん、彼はわんこではないし、私は飼い主ではない。
でも、猫耳もいいけど、成長した今はむしろ犬耳も案外あざと…違うったら。わんこじゃないったら。
くっ、右手が疼く…沈まれ、我が右手よ!(絵筆に手を伸ばすのを堪えながら)
私の内心の葛藤など知らぬまま、レッサノールが考え込むように眉を寄せた。
先程よりは、やや気安い表情になっている気がする。
主に害がなければ、フランちゃん個人は彼にとって、美味しいご飯を作れるだけの人であるはずだ。
レッサノールはあまり腹芸が得意ではなさそうだが、セレンツィオはなぜ彼を側に置いているのだろう。
役に立つから。
正しく高位貴族だというのなら、まず、そうでないとおかしい。
忠誠は高そうだ。腕も立つのかもしれない。戦いを見てないから知らんけど。
だが、もしかしたら…従者の言動を見ているつもりの相手の様子こそを、セレンツィオは見ているのかもしれないな。
少しは私への警戒を弱めたのだろうか。
突然、セレンツィオがぼろんと本音をこぼしてきた。
「あの女狐は、本当に魔法で人の心を操ることが出来るというのか?」
女狐って言っちゃったよ!
コレは大分、心の距離が離れていますね。
しっかし、ラッシュさんが全く会話に入れないよ。レッサノールが邪魔で、お姿をチラッとすることしかできない。
彼への警戒を何とかすればこちらに取り戻せると思うのだが、誘拐されている身で突然相方紹介をするのもおかしな話だし…。
疎外感を感じていないか心配だ。
「主観で申せば、そう思います。ただ、私の言い訳と思われても否定する術がございません。お2人の目から見て、あれが私の正気だとお思いでなければ、そういうことかと」
「…正気、か」
セレンツィオがゆるりと首を振る。
考えるまでもないほどに早い否定だ。そうよね。
誰がどう見たって、私はまるで人形のようだったろう。水面下に沈んだ意識から、あちら側を眺めていてさえそう思った。
表情が一切なくなったものね。声も棒読みみたいだったし。
「…以前と、今と、あの時とを比べてみれば…確かにあれが正気とは思えないが」
正しくは魔法じゃなくて呪い…あれ、でもそれって違いはあるのかな?
魔力を用いた行為は結局、魔法と呼ぶのではないだろうか。
私は微笑んだまま、セレンツィオが思案する様を見つめる…かに見せかけて幼馴染を気にする。おっ、今いい角度でラッシュさんがチラッとしたぞ。
「…ならばなぜ、私達を操ろうとはしないのか。あの男にも、好きにさせたままで」
あの男というのはテヴェルだろう。
口にするときにちょっと嫌そうな顔をした。名前も呼びたくないアレってことですね。
「さて? わかりかねますわね」
「言えないということか」
セレンツィオは引き続き、考え込んでいるようだ。すまんが実際、私にはわかりかねる。
そして主人の言葉を遮るような真似こそしなかったが、レッサノールはツッコミたいんだろうな。
私をちょっと胡散臭げに見ている。
某所での料理人と、令嬢モードの私が一致しないで、違和感に眉をしかめているのも見て取れる。
ラッシュさんはだんまりだ。
私が何を説明する隙も与えられていないので、自分で現状把握に努めているのかもしれない。
「けれど、如月さんは元々テヴェルのために動いているようですから。もしかすると私を操る様を見せたのも、貴方達に対する何かのアピールだったのかも知れませんね」
アピールかどうかは定かでないが、テヴェルのためにセレンツィオ達に声をかけたのは事実だと思う。
だから、彼らにも、そう思えただろう。
如月さんは、テヴェルが大事なのだと。
実際には大切だというのとは違うように見える。
それでも、行動の優先にテヴェルの存在があるのは確かだ。
「…あの男の望み通りにしなければ、私達を操るということか?」
私がお茶を入れに行く程度の僅かな隙で、険悪になるほど合わない彼らだ。
そして如月さんのフォローが期待できないのは経験済。だとしたら私がチームを離れたこの間に、どれだけ関係が悪化したことか。
ヘタレで暴君なテヴェルが、自分の上に立つのは嫌だろう。
セレンツィオに、それを許容できそうな気はしない。
「わかりませんわ。彼女の考えがわかっていれば、私とてあのようなことにはならなかったでしょう」
あっちに納得して属している訳じゃないよと暗に伝える。
乗っ取り計画の根幹、女王の正当なる後継者。
それが手に入りそうに見えれば。
「それでは、貴女は私の側に付くことも可能だということかな?」
セレンツィオはこちらに笑顔を向け、私もまた微笑みで答えた。
確かめるようなその台詞に、簡単にイエスと答えれば、逆に見限られる。
面倒だけど、高位貴族ってそんなもの。
「そう聞こえまして? 確かに、駒を扱う方がどなたであっても、私の状況は変わらないのでしょうけれどね」
セレンツィオは恐らく、如月さんに心の内が筒抜けていることを知らない。だから、私が言った台詞は知られると思った方がいい。
明確な言葉は言わない。
だが、それを思うときセレンツィオの頭の中では裏切る計画が動くはずだ。
サトリストとして筒抜けた如月さんが、一派を支配下に置き操るのか、自分にとって使える駒以外を取り除くのか…。
馬車にはラッシュさんと分けて乗せられるようだ。まだ、悪巧みを警戒されている。
ラッシュさんが何か言いたげだが、ここはまだセレンツィオの信用を積み重ねるべきだろう。完全に信用されることはなくとも、半信半疑に出来れば、楔は役目を果たす。
私は隙を見て、そっとアイテムボックス内にあった試作品を、ラッシュさんの手の中へと出現させた。
唐突に手の中に何か出てきて、ちょっとビクッとするラッシュさん。しかし、ちらっとこちらを見て口許を緩ませた。
犯人は私ですが、感付かれましたか、そうですか。こんな時に癒されちゃう。
さて、ここからが正念場。
私はひたすらに役柄を作り込み、動作や言動のイメトレを繰り返す。
未だ人を殺めたことのない私だ。
魔獣を殺すことは出来ても、その時になって躊躇うようではいけない。それでも、自信はなかった。だからと言って人殺しを躊躇って、幼馴染を失うなんてことはあってはならない。
だから、私の「忘れられた姫君」は躊躇わない。
人を斬る覚悟すら役柄の、卑怯な私だ。
クズな私はいつだってそうやって自分を守ってきた。だから今回も、そうする。
立ち向かう心の強さを育むような時間はない。そもそも今まで生きてきた14年間で無理だったので、絶対すぐになんて身に付かない。犠牲になるのは私ではないのだ。悠長に自己啓発してられない。
あぁ、こんな思いをするのは、これが最後になるといい。
あとは私を良いように使いたい奴らを排除するだけ。それだけでトリティニアに帰れる。
そうすれば幸せになれるのだと思い込もう。
前世の私が欲しかった幸せとは、漠然としたイメージでしかなかった。
見たこともないものだから、仕方がなかった。どんなものかもよく知らずにただ焦がれ、さりとて真逆の絶望を手に入れ、自分と周囲を恨んで諦めた。
だが、今は違う。
幼い頃、裏庭で過ごした穏やかな日々。
あれこそが幸せと呼ぶべき物だったのだと、わかっていた。
こぼれ落ちてからそうと知る。聞きしに勝る喪失感だな、幸福さんよぅ。
成人を迎えたこの年齢のせいもあるが、お父様が新しいお母様を迎えた以上、私があの家で同じ暮らしをすることはできない。
この世の奇跡、お伽噺のような両親の姿はもう見られない。我儘を許されて甘えていられた娘も、もういない。
それでも、アンディラートが側にいてくれたなら…この先を生きても、幸せになれるような気がした。
ううん、側じゃなくてもいい。私の我儘に、彼の人生を縛り付けるわけにはいかない。
私の三つの宝物。
一つは失い、一つは他人の手に渡った。
しかし宝物が両親である以上は独立せねばならず、幼い身にどれだけ幸福であったとしてもいつかは失う場所だった。
さいごの、ひとつ。
これだけは。
この世の不当で最悪な理不尽から、きっと守って見せる。




