間に合え。
撤退想定ケース7、心を読まれつつ逃げるうえ、アンディラートを伴い、かつ予知夢様の現実化が重なる最悪の場合。
冒険絵師フランは最悪を考えない。いつだって、それを考えるのはオルタンシアだ。
まずはグリューベルにてアンディラートに撤退を通達、先にギルドを出てもらうこと。如月さんの前で『私』の大切なものも、手の内も見せることはできない。
次に空の水筒を取り出し、その口から水を大量に取り出すこと。
「水を飲む」をキーワードにアイテムボックス内でオルタンシャドウがお風呂魔道具で冷水を張り始める。
アイテムボックスから未指定で水を取り出し続ければ、増えゆくそれが自動選択されるのは実験済みだ。
冷水を自分にぶっかければ、思考なんて冷たいとかにしかならないので、どんなに幕裏の役者さんが騒いでも何ひとつ本音は漏れませんわ!
できればギルドのお片付けに如月さんが巻き込まれて足止めされてくれれば尚良い。
自分の服から水気をアイテムボックス内の別の部屋へ放り込み、すっかり怯えた素の私で口を開く。
「どうしよう。リスター、私のせいで」
死んだかも。怪我して、山奥に。
なんで食料とかもないの、奪いやがったのかしら、如月さん。
「落ち着け。今、地図を出す。ここから5日の範囲の山をまず探そう」
「ううん、サポートをつけてあるの。まだ、解除されてない。距離は平気だった。リスターが、サポートを壊してくれれば私に危機が伝わる予定だったのに」
なんで腕輪壊してくれないのよ、意地っ張りか! 命は1個しかないのに!
いや、或いは如月さんが言うほどには、リスターにとってピンチではないのかもしれない。なんか、ほら、魔法使いだから。
「オルタンシア」
アンディラートがじっと私の目を見た。
いつの間にか震えていた私の両手を、握りしめている。
ちょっと力込めすぎね。
他の女の子に、この力の入れ具合で手を握ったら駄目だよって、言いそびれているな。今回も、言えそうにないな。全くちっとも、それどころじゃないもの。
「死んでたらどうしよう。私のせいで」
巻き込んだのは私だ。
テヴェルよりも如月さんに同行するほうが危険であることは、始めからわかっていた。
「無理。もう無理。怖い」
「生きているかもしれない。悩む前に、早く助けてやろう」
「でも怪我をしているって、5日も前に」
「オルタンシアは回復魔法が使えるようになったと聞いた。治療してやれるんだろう」
あ。そうでした。すっかり忘れていた。
なんだ、この天使。さすが天使。何とかなるような気がしてきた。
怖いけど。
腕輪につけたサポートに意識を向ける。今はただの鎖の輪だ。だけど、何にでも変えられる。
急に大きなものに変わると、リスターに驚かれるかもしれない。
サポートのことなんて何も知らせてないからな。
蟻に変化させて、その視界をジャックした。
息を飲む。
崖だ。
だけど足場がない。それどころか…眼下にだらりと下がる足が見えていた。
…やだ…。
どう考えても駄目じゃん。
足、吊り下がってるって。泣きそう。
蟻が向きを変えた。見上げた先は。
ぐったりとして、目を閉じたリスター。
悲鳴を上げる私の本体を、誰かが揺する。アンディラートだ。
「オルタンシア、見つけたなら魔法使いをアイテムボックスにしまえ!」
言われるがままに収納した。
蟻の視界から、魔法使いが消える。足場がなくなった蟻が、崖から落下した。
転落の光景も、何だか慣れたものね。
このまま、何もかもなかったことになるんならいいのに。
「オルタンシア? …ちゃんと見るんだ、見ないと、すべきことがわからない」
正しい。君は正しいよ。
現実逃避しても、何も変わらない。
サポートを解除して、ああ、見たくない、横たわるリスターがアイテムボックスに。
私のせいだ。私が巻き込んだせいだ。
あのとき、どうしてリスターを行かせてもいいなんて思ったんだろう。
何を言っても止まらないから? だから何だい。駄目に決まっていたよね。誰だって、私の事情に巻き込んではいけないに決まっていたんだ。それなのに。
戻した視界はぼやけていて何も見えない。ふと、アンディラートが私から離れた。
怖い。嫌だ。待って。
急激な不安に私が声を上げる寸前、彼は叫んだ。
「生きてるよ! 怪我してるけど、生きてる。オルタンシア、おいで、やれるだろう!」
ぼやけた視界から、ぽろりと温かさが零れると、少しだけ周りが見える。
いきてる。
生きてるなら。
「『マザータッチ』!」
ぶわりとリスターから黒靄が溢れた。
魔力のぶち込みすぎだ。
座って、リスターの上半身を膝に上げていたアンディラートが目を丸くしている。
多分ちょっと、とても、思っていた回復魔法とイメージが違うのだろう。こんな回復ですみません。
治っているだろうか。
怪我なら治るはずだけれど。不安になって、アンディラートに問いかけようと…。
カッとリスターが目を開けた。
同時にアンディラートが吹き飛ばされる。
何が起きたかわからなくて、慌ててアイテムボックス機能でアンディラートをキャッチして手元に取り出した。
怪我の有無はわからないがとりあえず回復魔法はかけておく。なんで飛んだ?
って、これ、リスターの魔法か!
爛々と輝く紫の目がこちらを見ているので、つい幼馴染みを守るように抱き締めた。
そして腕の中でもがく君は、少し黙っていてくれまいか。力ずくで押えつける。
「何だ、てめぇ。チビ、それ離せ」
「オルタンシ、ちょっ…」
焦る幼馴染みに剣呑な魔法使い。
私は。
「りずだ、いじ、めよ、するからぁ…」
気が付くと涙と鼻水でズビズビ。
自分でも何言ってるかわからない。
アンディラートをいじめないでほしいので、魔法を使う気満々な様を何とかしてほしい。そう伝えたいのだが、全く冷静ではない身ではコレ無理難題。
「…なに…チビ、いじめられてんのか? …離れろっつってんだろうが、てめぇコラ」
ヒートアップするリスターに、言葉の出ない私は、腕に籠る力が増える。
「ぢがう、だめ、だいじな、うちのー」
うちの天使は何も悪くないんです。伝わらないもどかしさよ。不意に幼馴染みからの抵抗がなくなった。
「あんでぃ、らーと?」
腕の中に目を落とすと、耳まで真っ赤なアンディラートは床に、必死に指で何か書き取りの練習をしているようだった。
すわダイイングメッセージかとも危惧したのだが、見ている限り、何かの魔獣の弱点と倒し方のようだ。
なんでこの状況でレポート書くん?
しかしお陰で、ちょっと冷静になれた。さすが天使だ、頼りになる。
「りすた、ごめんね、わたしの、せいで、死にそう、なって、ごめん、なさい」
まずは謝罪せねば。己の不徳の致すところでございます。
リスターに向けて謝っている間に、アンディラートに逃げられた。
マッチョは温かいというが、本当のようだ。筋肉質な幼馴染みはホカホカしていたらしく、急に寒くなった。
謎の気をきかせて立ち去ったのだろうか。
隣にいてほしかったのだが、アンディラートは見える範囲にいない。寂しい。
しばしアイテムボックス内で生活していただけあって、生活圏として使える部屋の並びを熟知している。かつて知ったる何とやらであるな。まぁ、その気になれば、手元に取り出せるんだけどね、私も。
「…チビ」
「ごめんなさい。リスター。ごめん」
そうじゃなくて、謝罪ね。
命の危機に曝したからには、もはや嫌われても致し方なし。
謝り続けると立ち上がる気も失せたのか、溜息を付いたリスターはごろりとその場に転がり直した。
「ここはどこだ」
「…私のアイテムボックスの中」
「なんだそれ」
「幾らでも荷物が入る別空間みたいなヤツ。…私の…魔法?」
「ああ。魔法なのか、ふーん」
簡単に納得する辺り、自らも理不尽魔法を使う魔法使い。
「あの女、グレンシアに着いたのか」
「うん」
「それで、チビ、探しに来たのか」
「…ううん。腕輪に…かけた魔法? リスターをこっちに引っ張り込んだ」
「お前、ホント便利だな」
「…なんで使ってくれなかったの? ピンチっぽかったら、飾り輪を壊してほしいって説明したよね。渡したときに」
「うるせぇ、黙ってろ、ダルい」
なぜだい、叱られたよ。
黙ってろと言われたので口を噤む。無言で床に転がったまま、リスターは立ち上がろうとしない。
沈黙の満ちるアイテムボックス。
と、そこにアンディラートが戻ってきた。
その手には…えっ…お手製料理…だと…?
君、それ作りに行ってたの?
私ですらいただいたことのない手料理を呆然と見つめる。具が少なめの野菜スープだ。
美味しそうな匂いがします。そういえば私もなんか、お腹空いた。
幼馴染みは毛布をクッション代わりにリスターの身を起こさせたり、テキパキと看護を始めた。
何ということでしょう。いつの間にかリスターが打ち解け、段々と仲良くなり始めているではありませんか。
「あの、アンディラート、それ…」
「心を読む人が5日くらい食料もなしにって言ってたから、とりあえず温かいスープがいいんじゃないかと思った」
「うめぇ」
リスター、もう食べてるし。
最初の警戒、どこ行ったの。いや、いいのよ、仲良くしてくれて嬉しい。
「オルタンシア、顔を洗っておいで。俺達にはまず、態勢を立て直す時間が必要だ。作戦はその後に立てればいい」
…そうね。リスターは、怪我しただけじゃなかったよね。
ダルいし話す気になんかなるわけないよね。休息と食事が必要だよね。
それをなんで腕輪使ってくれないんだとか責め始めるとか…私は駄目な子だよ。
男子の楽しげな声を背に、肩の力が抜け切った私は、一度離脱することにした。
ツンケンヤンキーすらも簡単に仲間に…これが天使の社会適応力か…。
顔、洗ってこよう。




