宿屋にて
宿に戻った途端に不満顔のテヴェルに突撃を受けたので、今日は寝る前に家宝に念入りに祈りを捧げる決意を固めた。
しかし癒しの天使の力は凄いな。
部屋に突撃されて居座られたというのに、まだ「アハハ、迷惑☆ 仕方ないね、クズだから」と笑うだけの余裕が残っている。
昨日までの私なら速やかに、「三歩下がって二歩下がれぇ!」と殺伐とした思考に捕らわれていたはずだ。人生はワンツーパンチなのだ、歩み寄る気はない。
部屋にひとつしかない椅子を奪われたので、私はベッドに腰かけた。
いいの、ベッドに座られるよりマシなのは明らかさ。フードの下で穏やかな微笑みさえ浮かべて、私の耳は右から左へとテヴェルの囀りを聞き流す。
3回くらい「うんうん、いい天気だったね」と聞き流したら椅子をガタガタと近付けて来ようとするので、手をかざして止める。
わかったから、近寄るなですよ。せっかくの個室が台無しなんだよ。プライバシー、プライスレス。
雨だから依頼なんて受けずに自分と遊んでくれると思っていたというのが、彼の言い分のようだ。
「雨だから遊ぶって、よくわからないな」
天気に関係なく君とは遊ばぬよね。お友達でもないのに。
何して遊ぶんだい、この年の男子って?
唯一遊んだ記憶のある幼馴染みは存在が空気清浄機みたいなもので、何かをして遊んでいたって言うよりは、場が清められていくのを甘受していたというのが正しい気がする。
基本的には駄弁るというか、貴族的に庭でお茶か、お絵描きしている私の側でアンディラートがまったりしていることが多かったか。あ、一緒に調理もしたね、楽しかったな。
…そもそもテヴェルさえ突撃してこないのなら、部屋でお絵描きや縫い物をする選択もあったんじゃないか。
「普通の冒険者は雨の日は仕事しないって聞いたぞ。なんで依頼受けに行くんだよ」
別に「冒険者たるもの、雨の日は遊ぶべき」とか謎の訓戒があるわけではない。
冒険者が雨の日にあまり仕事をしないのは、気配が読みにくい上に足場が悪いと、戦闘の危険度がグンと増すからですよ。
真面目で腕に自信のある人はお仕事するわ。実際してたわ、アンディラートが。
「お金がないと紙や絵の具が買えないからね。落書きだって好きに描いて過ごしていたら、あっという間に破産してしまう。スケッチブックだってそれなりの値段はする」
「…紙くらいで大袈裟」
テヴェルは腑に落ちない顔をしていた。
確かに普通なら紙破産は言い過ぎなのかもしれない。だが今は心の余裕の問題で描いていないが、通常の私の描く量というのは…その…常軌を逸し、て…。(震え声)
それに、わりと何でも百均で揃う世界から来たテヴェルだ。物のお値段がよくわからなくなっていても不思議はない。
だってタオルも髪留めもガラスコップも一律百円って、すごいことだよね。大量生産って本当にマジック。気付いたらいっぱい買っちゃうところも含めて百均マジック。
が、当然こちらでは、そんなものはない。何もかもをお安くは買えない。
更に、良いものを揃えようと思ったらお金がかかるのは、どこの世界でも一緒だ。あ、いや、私は豪遊なんてしてませんぜ。
描くだけならサポート製品で描いては消しってすればいいのかもしれないけれど、うっかり上出来だったら残しておきたいしなぁ。
とにかく、スケッチブックでも破産はするのだよ。そういうものなの!
「絵ばかり描かずに俺と遊べばいいじゃん。節約もできて一石二鳥だろ」
「私に絵を描くなと言うのは、テヴェルに女の子を見るなと言うようなものだ」
「え、いや…俺、そんな女好きだと思われてたんだ…?」
え、呼吸をするようにナンパする系の人じゃないの?
リスター初対面時の態度や、いつぞや貰った手紙を思い返しても、距離間おかしいクズ…コホン、やたらとフレンドリーなタイプよね。
「どこぞの姫もキサラギさんも、猫耳奴隷も嫁だって言ってたよね。リスターも、もし女だったら狙ってたよね」
ハーレム願望って理解できないのよね。そこに所属する女子の気持ちも。
まぁ、それこそ「ただしイケメンに限る」ってヤツなんだろうけれども。
言葉に詰まったテヴェルを責め立てるつもりでは特にないので、さらりと流す。
「別に貴方に何人嫁が居ようと構わないけど、道中の護衛はしているのだから、街で何しようが構わないでしょう? 契約通りだ」
「…まぁ、そうだけどさ。でも明日も明後日も俺だけ暇になるのはなぁ」
契約外のことばかり、ねだられましてもね。
商隊の方々は明後日まで、ここで誰かと商談しているらしいのだ。
大きくはない街だけど、商店は幾つもある。卸すのでも仕入れるのでも、商談にきちんと時間を割くのが普通だ。
売るだけ売って「ハイさようなら」とドロンするような商人は、詐欺師と相場が決まっているのである。
暇っ子テヴェルは本日、部屋でゴロゴロしていたらしい。
商隊の人々もいないのだから、つまらなかっただろうとは思うけど…それ、私がフォローしてやる筋のことでもないものな。
明日は遊ぼう的なことを言われるも、お断り。即座にブーイングが上がった。
えぇい、グタグダと煩い男だ。
「知り合った冒険者と、明日も一緒に依頼を受ける約束をしたんだ」
「それじゃあ、俺も…」
やめて下さい、本気で。
「いや、もし明日も雨だったら濡れに出たくないなぁ」
テヴェルはアンディラートのことを覚えているのだろうか。
藪蛇になりたくないから、確かめるわけにはいかない。
「そうだよ。今日が雨だったから、どっちにしろ明日も森の下草はビチャビチャだ。お金に余裕があるのなら、私のようにセコセコ働く必要なんてないよ」
「…それもそうだな!」
冒険者らしいその日暮らしな発言に、テヴェルは満面の笑みで頷いた。
しかしお金は如月さんの財布から出るのであろうな。だってこの人、採集も下手だし、武器は短剣レベルだし…。
そろそろ寝るから帰れと言えば、テヴェルはおとなしく引き上げた。
この世界、酒場に繰り出さない人間は早寝なのだ。
お金持ちでもなければ蝋燭や魔石灯を無駄遣いなんてしないし…そもそも特にやることないから寝るって感じ。
即行で鍵をかけ、アイテムボックスからトラップその1を取り出す。
侵入者対策は万全だ。
トラップその1は宿に泊まる際にいつもやっている、画板ジェンガ。
ドアが当たって一部を動かしたら派手な音を立てて崩れるが、小突くまで驚異的なバランス感覚で安定しているという優れもの。
アイテムボックスがなければ、コイツをかわすことなど不可能だぜ、私にすらな。
「とりあえず明日の癒しは死守できたな」
ほっとして呟く。
再会できたのは良かったのだが…取り留めのない話題ばかりで時が過ぎてしまい、今後の相談などできていないのですよ。
楽しい時間はあっという間という奴なのだろう、大した話しもしていないのに、恐ろしいスピードで1日が終わったという。
だから明日、もう一度お話する予定です。
そういえば一緒に来たいって言われていたけれど、どうしたらいいのだろう。
護衛任務中なので、私は商隊の冬仕様馬車に乗っているのだ。
しかし、席に余裕はない。
アンディラート1人だけが徒歩などありえない、遭難してしまう。
テヴェルを如月さんに引き渡すまでがお仕事とはいえ、私は道中の商隊の護衛も兼ねている。
ノーギャラでいいから、知り合ったばかりのこの冒険者も護衛として馬車に何とか積んでくれと、商人さん達に交渉しちゃう?
…うーん…普通ありえないよね、そんなの。
アンディラートはどうするつもりでいたのだろう。
明日会ったらちゃんと確認しておかなくては。
リスターは無事にやっているだろうか。
今のところ、私が付けたサポートが消滅した気配はない。
どこまで行ったか知らないが、戻ってきたら離れた距離を聞いて確認してみなくては。
「何か危なくなったら、飾り輪の部分を壊すように伝えてはみたけど…」
あの鎖には「壊れたら再度輪を形成する」という命令が組み込まれている。
引きちぎったらモヤッとした後また、輪が再生するはずなのだ。
サポート鎖は破損扱いで靄に返った情報が私に伝わるが、再形成したからリスターの手元にはまだ残っているという手筈だ。
残っていれば、輪を蟻にでも何でも変えて向こうの様子を窺える。
距離を離れすぎての圏外喪失さえしなければいいんだけど、どうなることやら。




