スキマライフ!~めきめき成長期【アンディラート視点】
「…いない?」
呆然として、俺はカウンターの中の女性を見つめた。
相手は笑顔を崩さずに肯定する。
「はい。フラン・ダースという冒険者のグレンシア城下での活動記録はございません」
「…そんな…」
どうしてだ。
確かにグレンシアに向かったと聞いたのに。
まさか目的地は、グレンシア国内の、他の街だったのか?
それはちょっと手がかりなしでは…多すぎて絞り込めないぞ。
普通に考えれば国名だけを告げた場合、首都を目指すはず…でもこれは旅人の暗黙のルールのようなもの。オルタンシアは知らないのかもしれない。
いや、彼女だけならうっかりそんなことがあったとしても、魔法使いまで同じことはしないだろう。
魔法使いは必ずここに来る。
もしかして、グレンシアに着く前に魔法使いに会えたから、オルタンシアがグレンシアまで来る必要がなくなった…?
それは、ちょっと俺が困るが…元々グレンシアは魔法使いの目的地だったはず。
おかしな話ではないか。
ならば魔法使いを見つけ、彼女と会えたのか、彼女が別の場所へと旅立ったのかを聞かなくてはいけない。
冒険者ギルドで、金の髪に紫の瞳の魔法使いについて重ねて尋ねたが、困ったことにこちらも情報は得られなかった。
グレンシアは、ダンジョン攻略のために冒険者が集う国だ。首都たるグレンシア城下は、特に大勢の人で賑わっている。
つまり他所では珍しい魔法使いであっても、グレンシアでは常にそれなりの数がいて、大体が冒険者として活動しているのだ。
名前もわからない魔法使いのことなど、ギルドでは何も確認することは出来ないと言われてしまった。
…どうしよう…。
細いながらも、オルタンシアへと繋がる糸を、上手く握っていると思っていた。
唐突に切れた糸の先を探して戸惑う俺を、例によって付いてきていたアグストとハティが商会の本店へと誘う。
「今こそ商会の情報網を頼っていただければと思いますよ。本店からならば連絡の手段も幾らかありますからね」
「…しかし…それこそ護衛の依頼はここで完了した。これ以上の迷惑は」
「ラッシュさん。生真面目なのは結構ですが、当てはお有りなのですか」
「…う…」
口籠ると、2人に腕を引かれる。
「有能な冒険者に恩を売っておけば、商会としての利にもなるのですよ」
「ついでにウチでグレンシアでの流行の服に新調していって下さい。ラッシュさん、この服も小さくなってます。成長早すぎです」
ハティに笑われて顔が熱くなる。
仰る通り。
今着ているのも彼らに与えられた服の内のひとつなのだが、既に袖の長さに不足が出ている。
だから、服はあまり要らないのだと言ったのに。
父にも「成長期は馬鹿みたいに服を作る羽目になって面倒だぞ」と言われていた。貴族は基本的に既製服を着ない。家にいたなら、何度も仕立て屋を呼びつけることになって、面倒だっただろう。
その点、冒険者なら既製品でいい。
しかし荷物が既製服を極少量だけなのを彼らに見留められてしまい、あれよという間に幾つか贈られていた…のだが案の定、数ヵ月で小さくなった。
装備は調整できても、服はさすがにな…。申し訳なさでいっぱいだ。
俺だって、家を出るときには、それなりに着替えを持っていたんだ。だが、全てすぐに着られなくなった。
身体に合わない服は、剣を振るう際に邪魔をする場合もあるから、都度買い替えて旅をしていた。家を出る前には、こんな速度では伸びていなかったのに…。
護衛依頼に支障を来さなくて良かったけれど、もう、成長痛で身体中が痛いことにも慣れてしまったな。
「ただ今戻ったよ」
「商会長! ハティ!」
銀の杖商会へと入ると、アグストとハティは店員達に熱烈な歓迎を受けていた。
「よくご無事で!」
「すぐに奥様へ連絡を!」
そうだよな…迫害されている民の支援のために、遠くまで命がけで出かけたんだ。
ましてや商会の総責任者だ。見送るほうだって、誇らしいながらも、とても心配だったに違いない。
「彼が我々の命の恩人であるラッシュさんだ。しばらくうちに滞在してもらうからよろしく頼むよ」
いつの間にかそんな紹介をされていたので、慌てて首を横に振る。
「あれは成り行きで、それにもう十分に礼を受けている。護衛は終わった。宿も自分で取るから、どうかもう気にしないでほしい」
周囲が信じられないものを見るような顔をしたので、俺は思わずリーシャルド様に叩き込まれた何でもない顔を取り繕った。
どうして皆、そんな珍獣を見つけたような目で俺を見るんだ。冷汗がすごい。
アグストが苦笑して、周囲に伝えた。
「このように、腕が立つのに謙虚でね」
謙虚なのではなく、普通のことだ。
そう考える俺の耳には、しかし信じられない冒険者の実情が聞こえてきた。
「銀の杖商会の会長の命を助けておいて、原価で品を売れとか言わないのか?」
「普通はお抱えになるか、さもなくば長期に渡る納品契約の一つも申し出るものでは。大手商会の取引先になれる好機なのだから」
「冒険者なのだろう? 滞在費くらいは商人に持たせるものじゃないか」
…師匠、父上。冒険者って、そんなことはしてませんよね?
俺がおかしいのか、それとも冒険者を大量に抱えるグレンシア国の事情なのか。
「そうだ、会長。エリュマ支店長から絵画が送られてきました。旅の絵師が描いたものらしいんですが、これがまた凄いんです」
何を言うこともできず周囲の声に耐える俺の前に、それは唐突に現れた。
「そうそう、これは見せたほうがいいだろうってんでお帰りを待ってたんです」
「成金ウェルポ爵に売るか、美術マニアのヌーズ大臣に売るか…いやー、迷いますよー」
絵画。
ぱっとそちらに目を向けると、繊細なタッチで描かれた美しい風景画と、重厚に塗り重ねられた獅子魔獣の絵が、びっくりするほどの対比で置かれていた。
「オル…、それはフランという冒険者の描いた絵だな? いつ売られたものだろうか」
口を挟んだ俺に、周囲の視線が再び集まる。
怯む気持ちは起こらなかった。
誰でもいい。彼女の行方を教えてほしい。
「フラン・ダースの絵だ。そうだろう?」
「…お、お待ち下さい」
慌てたように、店員の一人が手紙らしきものを広げて確認している。
返事がなくとも、俺はもう確信し…そして安堵していた。
この絵がいつどこで売られたかを聞いて、そしてそこに向かえばいいんだ。
グレンシアに来るんじゃなかったのか。
それとも、寄り道をしたのかな。無事なら、何でもいいか。
旅費の足しにしたのか。この風景も魔獣も、始めから売る目的で描いたのだろう。
描きたかったから描いたというよりは、大衆向けに描いたという感じがする。
そして確実に、風景より魔獣を描くほうが楽しかったらしい。やけに毛並みに拘った様子が見られる。
「どちらがその、フランさんの絵だと?」
アグストは首を傾げた。
ひたすらに美麗な風景と、重く迫力のある魔獣の絵。一見すると確かに、同一人物が描いたとは思えないのかもしれない。
「どちらもそうだ。…すまない、これを描いた冒険者が今どこにいるか、わかるだろうか? 俺はフランを探しているんだ」
手紙を広げていた店員に詰め寄ると、すっと間に入ったアグストが目を細めた。
「本当にお探しの方なのですか? なぜこの絵がそうだと言い切れるのです?」
なぜと言われてもな。わかるものはわかるとしか…これは別に勘ではないよな。
…慣れ、じゃないかな?
見慣れた色の使い方、見慣れた筆の使い方。まぁ、ちょっと変則的な絵でも、多分判別はできる気がするが。
彼女は見たものをそのまま描く。
植物は瑞々しく、生物は今にも動き出しそうに。だが全体が写実的でありながら、いつも、空だけはどこか幻想的だ。
「幼い頃からあの子の絵を見ているから、わかるのではないかな。そう、あの子の絵ならばサイン代わりに、この辺にこういう形のマークがあるはずだ」
促された店員が額を外せば、果たしてオルタンマークはそこに在った。
「あの…確かに、フラン・ダースという冒険者の絵らしいですよ。2ヵ月程前に商会のペルトカ支店に持ち込みされたものです」
どこだ、それは?
ついつい周囲に目を遣るが、地図はこの部屋には貼られていないようだ。
ここへ来るまでに使っていたのはアグストの地図だったから、調べたくとも手持ちに近隣の地図がない。
あとで売ってもらわなくては。この商会は、言えば割と何でも揃うので重宝する。
「ペルトカですか。ということは恐らく、越冬のために滞在しているのですな」
「…雪解けを待っているのか」
「ええ、多分。我々は移動しましたから、途中で追い抜いてしまったのでしょう。冬用の馬車を持つ冒険者なんてそうはいませんし、大抵は春まで移動を控えるものです」
「ああ。あの馬車と馬具は高そうだ。一介の冒険者が所持できそうには思えない」
確かに、雪に備えてバンデド支店から出るときには、馬車を乗り換えてグレンシアに向かった。
乗ってきた馬車を思い出して、俺も頷く。
「うちのは大型ですから何とか1台でも進みますが、普通は吹雪に備えて複数の馬車で隊列を組みます。さすがに貴族や大手の商人でもないと、冬の移動は難しいですよ」
街道も雪に埋まってしまう日はあるらしい。
だがどんな日でも、流通を担う商人は様々な場所へと荷を運ぶ。
外気温を極力通さない気密性と、新雪を埋まらずに行く機構。御者も防風室に入るため、魔獣を探知するための魔道具がついている。白銀に潜む魔獣の奇襲を警戒してか、馬も鎧のような装備を着けていた。機能は聞いていないが、実はあれも魔道具であるらしい。
「うーん、ペルトカに向かう荷物は出たばかりだから、緊急の仕入れ依頼でも飛んでこないと、しばらくは行かないですね」
「もう何週間かであちらも雪が溶けるでしょうし、待っていてもいいのでは? グレンシアは雪が積もりませんから、向こうを出さえすれば早いのでは」
店員達が顔を見合わせてそんなことを言う。
道中酷く雪深い場所も通ったが、グレンシアに近付くにつれて雪は減った。
ダンジョンの近くは、あまり寒くならないのだそうだ。
トリティニアより随分と北にありながらも、グレンシアが温暖な地域なのは、ダンジョンの恩恵なのだろう。
代わりに、魔獣の量と強さは比較にならないようだ。トリティニアでは街道を行けば概ね危険がないが、この辺りでは魔物除けがあっても、魔獣に遭うときは遭う。
魔物除けを嫌いながらも、逃げ出さず耐えられるレベルの魔獣が多いということだ。
「冒険者フラン・ダースとの接触が可能か、ペルトカに問合せを出しましょう。緊急便の伝言を使えば遣り取りができます。ハティ」
「はい、ギルドへ行って参ります!」
ハティが商業ギルドへと走っていく。
道中も細々と働いていたのに休む間もなくて、大変に申し訳ない。だが、正直とてもありがたい。
切れたかと思えば繋がる手がかり。
オルタンシアには、翻弄されっぱなしだな。
冬越しを終えれば、待っていても、ここへは来るはず。目的地を変えたのでなければ、合流できる。
もう少し、だ。
安堵の息をつくと、銀の杖商会の会長がにんまりとした。
「この方、ラッシュさんを通せばまた絵の依頼を受けていただけると思います?」
「急ぎの用がなければ、俺を通さなくっても、描いてくれるのではないかな。とても、絵を描くのが好きな子だから…好みのモチーフなら特に、凄いのができる」
「ほほう。ちなみにラッシュさんが頼んだら、ちょっとお安くしてくれますかね」
「…どうだろう? 俺は貰ったことしかないから…頼んでみるくらいはできるが」
交渉に同行してほしいということで、俺はオルタンシアが到着するまで、やっぱり商会に滞在することになってしまった。
銀の杖商会には世話になっているから、頼むことは苦ではないが、彼女の商売だ。
あの子が頷くかというのは別の問題…だけれど、あんまり売値に拘るイメージがないな。
ワードローブの裏にあった、彼女の秘密の小部屋。大量に、無造作に置かれていた絵を思い出す。時に喜んで見せてくる大作以外は、完成したら興味がないのかも。
捨てこそしていないようだが、画板から剥がされて、雑に積んであったりしたな。
値段交渉なんかしたら「じゃあ、サービスで1枚タダであげるよ。いっぱいあるから」なんて言いそうだ。
「緊急便の伝言とはどんなものだろう?」
「ギルド間を繋ぐ魔道具を使って、別の街へ伝言を送れるサービスです。他ギルドは余程でなければ使わせないそうですが、商業ギルドでは貢献度の高い会員に対して有料でサービスを提供しています。商機は一瞬の判断が成否を分けますからな」
銀の杖商会は大手なので、商業ギルドの魔道具を借りることで支店と連絡が取れるということらしい。
しかし、周囲の態度から見るに、どうにも高額な手段のようだ。
慌ててリーシャルド様から預かっている資金から出そうとしたのだが、アグストに固辞されてしまった。
自分だけではどうしようもないことは本当にたくさんあって、その度に己の存在の小ささに落ち込む。
成人したといっても、それだけ。
貯金をたくさん持っているわけでも、権力があるわけでもない。
幼馴染み1人簡単に追えない。
父上から貰った小遣いと剣、リーシャルド様の資金と命令書、アグストの資金と人脈。結局、誰かに頼るしかない。
「…早く、きちんと1人で何でもできるようになりたい」
思わず呟くと、隣でアグストが笑った。
「人間、1人で何でもできるなんてことはありません。出来ることをやって、出来ないことは誰かにやってもらう。そうでなければ誰かと共にある意味がありませんよ」
そうだろうか。父上はまだしも、リーシャルド様なんて、大抵のことは1人で出来そうな気がする。
しかし商会の主たる彼は首を横に振る。
「誰かが何かを作り、商人が広めて、市井の人の手に渡る。山奥で自給自足するのでもない限り、持ちつ持たれつするものです。一方的に与えられても、一方的に寄りかかっても上手く行きませんな」
その理論で言うのならば、現状は芳しくない。持たれつ持たれつだ。
「…俺は貴方に一方的に甘えていると思う。せめて、何か仕事を振っていただけないか。体力には自信があるから」
お金を受取ってもらえないのならば、労働で返すしかない。
そう思ったのだが、不意に笑みを消して彼は言った。
「私の命とは商会の従業員とその家族、そしてニャール山の民全ての命です」
息を飲むほどに、真剣な表情だった。
「出来る限りの始末はしてから、行商には出向いています。それでも私がしくじれば、抱える従業員は余波を受けましょう。山の民への荷を運ぶものもいなくなります。…これは私が判断し、請けた仕事だ。命を賭けて行ってこいなどと他の誰にも言えますまい。仮に私の子らが申し出ても無理です。子らに商才は認めど、私よりも尚、軟弱なので」
少し意外な気がした。
ダンジョン大国で育ったならば、街の皆が近所へ出かけるような感覚で攻略に手を出しているような気がしていたからだ。
しかし実際にダンジョンへ向かうのは、ほとんどが国外から来る冒険者、または国軍のダンジョン討伐部隊なのだという。
「マスター、ラッシュさん!」
ハティが戻ってきた。
早い。
ぴょこぴょこと飛び跳ねながら、ハティは「朗報、朗報」と叫ぶ。
「フランさんは護衛依頼を受けたらしくって、8日に商隊と共に街を出たそうです。わざわざ商会に出立のご挨拶に来て下さったそうなので、間違いないですよ!」
「随分すぐに返答が来たな」
「エリュマ支店長、ちょうど商談でギルドに来てました。緊急便なのでギルドも気を利かせて下さって、その場で遣り取り!」
8日。今は15日だ。
そわそわと辺りを見回した俺の様子に、察したアグストが店員に声をかけて地図を持ってこさせる。
「隊列でペルトカから1週間なら…天候にもよりますが、恐らくこの辺りでしょう。冬の商隊は決して無理をしませんから、遅いことはあっても、早いことはない」
「次に泊まるならこの街か。グレンシアから、どれくらいかかる?」
「残念ですが日数が足りない、ここでの合流は無理でしょう。ユーイ、次のトルート・リルルカ便はいつだ」
「3日後出発です」
「トルートまで5日、1泊してリルルカまで4日。向こうの天候次第だが、上手く行けば2日後にはリルルカに来るな。…フランさんの受けた護衛依頼は恐らくグレンシアまででしょうな。ラッシュさんがグレンシアまで戻ったら商会に顔を出していただいて、フランさんとの交渉に同席していただくということでよろしいですか」
「あ、ああ」
「では3日後までごゆっくりなさって下さい。ユーイ、そのように手配を」
「はい、商会長!」
呆然としているうちに、バタバタと周囲が慌ただしくなった。
一生懸命、頭の中を纏める。
3日後の商会の馬車に、荷物と共に乗せて貰える。彼女の依頼に同行してグレンシアまで戻ってきたら、銀の杖商会に顔を…リルルカに行けば、2日後にオルタンシアと…。
「…合流できる…」
じわじわと嬉しさが込み上げる。
ああ、まだ礼を言っていないじゃないか、ひどいうっかりだ。
慌ててアグストとハティへ頭を下げる。
「ありがとう、お陰で目的が達せそうだ。本当に何から何まで世話になって」
「いえいえ、こちらこそ…」
「ラッシュさん、時間ないです」
時間? 俺とアグストはきょとんとして、割って入ったハティを見た。
つんつんと袖を引っ張られて、首を傾げる俺にアグストが笑った。
「成程、もっともだ。ゆっくりする前に服を買い替えたほうがよろしいですな」
「あ」
そうか、袖が短いんだった。肩の辺りも、あまり大きな動きはまずい。
装備も軽く調整してもらったほうがいいだろうし、消耗品の補充に洗濯、やることはたくさんある。
「ラッシュさん、服飾部門はこちら!」
「ああぁ、待ってくれ」
服飾部門とやらへ引っ張られて行きながら、口許が緩んでしまうのを止められない。
再会したら驚くだろうな。
笑ってくれるかな。迷惑がられたりなんてしないよな?
何でもいいや。元気な顔が見られれば。




