悪夢の再来
男女7歳にして席を同じゅうせず。
そんな言葉があるという。
この異世界でも恐らく、そこら辺が男女の教育の境目なのだろう。
現在、オルタンシア、5歳11ヶ月。
わりと幸福であった時代が、終焉の兆しを見せ始めている。
「オルタンシア…お前は女の子なのだよ?」
ちょっと泣きそうなお父様に、しかしここは断固として言わせてもらう。
「ないことではない、と聞きましたわ。6歳からは騎士見習い隊に、1年間だけ行かせてくださいませ」
行かねばならぬ。
強さを手に入れなくてはならぬ。
というかね、そんな深刻に受け止めなくてもさ。
騎士見習い隊とか言ってるけど、絶賛所属中のアンディラートに聞いたところ、ボーイスカウトみたいなもんだよ。
上下関係の基礎とか、剣の振り方とか、野営の仕方を教えてくれる感じ。
ちなみに騎士見習い隊は6歳から入れて、最長3年所属できる。
2年目以降は本気で騎士を目指すようなヲトコの修練場だが、1年目は内容もライトでお試し期間のような意味合いもあり、お転婆な女子がチラホラ参加しているという。
「そんなにアンディラートと一緒にいたいのか…やっぱり距離が近すぎたんじゃないだろうか…」
ぶつぶつと悩むお父様の横で、お母様はにこにこしている。
お母様が私のやりたいことを退けたことなどない。そしてお父様は、お母様に甘い。
なので今回も私は、既に勝ったも同然と高をくくっていたのだが。
「いけません」
「…っ、グリシーヌ?」
意外と言わんばかりに目を見開いたお父様も、恐らく自分が妻と娘のタッグに押し負ける未来を見ていたのだろう。
ふわふわの笑顔で…まさかの駄目出しだと…?
希望を見せてからの叩き落し、さすがの交渉術です、お母様。
でも納得はいきませんっ。
「なぜですか? 護身にも役立つと思いますし、どんな知識でも、学んで無駄になるものではありません」
「礼儀作法にダンスに音楽…教養のお勉強があるでしょう。そしてこれからは社交が始まります。お外で剣など振っている暇がありません」
2歳から淑女教育をずっと受けてきたのに…しかも結構進みが良いって言われているのよ。
もちろん子供らしくしているから、人前で全力なんて出していない。
「しかし、社交以外は今までやってきたことではありませんか」
「完璧な淑女を目指すのが、貴族の子女としての教養というものです」
おっとりと、しかし隙なく切り捨てる。
まさにお母様こそが淑女の鑑。
「…わかり、ました」
その背中を誰より側で見て育ったこの私が、淑女失格のはずがない。
よろしい、ならば戦争…じゃない、試験をしていただこうじゃないの。
「それらが出来ていると見なされれば行っても良いのですね?」
「…オルタンシア?」
「私に教養が足りていないというのであれば試験をしてくださいませ。その上で、騎士見習い隊の再考をお願いします」
かくして私はお母様の『淑女適正試験』を受験することとなる。
人とは悲しいものだな…こんなに愛し合っているというのに争うことでしか己の正しさを示すことが出来ない。
しかしこれは諸君が望んだことだ。
見せてやろう、我が『完璧紫陽花』の力を。
そんなことを伏し目がちに考えつつ、お父様をちろりと見る。
オロオロしているかと思っていたお父様は、何かを見極めるように静かにお母様を見つめていた。
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結果として、私はあっさりと淑女認定試験に合格した。
立てば芍薬、座れば牡丹…そう仰いますが当方、紫陽花です。
「いいかい、オルタンシア。くれぐれも、くーれーぐれも怪我などするんじゃないよ。どんな小さなことでもいい、何かあったら必ず私に言うんだ」
お父様が本日5度目の諸注意を呼びかけてくる。
もちろん、あえて私は受け入れよう。
しつこいとかウザイとか、そんな畏れ多いこと決して言わない。
お父様に心配されるとか、超嬉しい。幸せ。
「はい、お父様。必ずお言いつけ通りに致しますわ」
そうこうしているうちに、アンディラートが迎えに来た。
行き帰りは必ずアンディラートと行動にするようにと強く言い含められている。
6度目の注意に笑顔で頷き、お父様に手を振った。
性別関係なく、隊で仲良くなった子がいれば報告しろというのは、お父様がきっちり相手方を調べてお付き合いの可否を精査するということなのだろう。
否やはない。私にとってはアンディラート以外の子供と接する初めての機会である。
若干、不安や期待がないわけでもない。
正直なところ、他人は怖い。
男の子は怖いものだし、女の子はもっと怖いものだ。
この年代ならば、子供特有の残虐性もあるだろう。
未必の故意さえ簡単に作動させるのが無邪気さというものだ。
私は世を知らぬ純真な子供ではないから、思い違いをしたりしない。
アンディラートは、そこらの子供とは違う。決して一緒くたに考えたりしない。
もし隊の子供と合わなかったとしても、ショックを受けたりしない。
今までが恵まれていただけ。私自身がクズのまま、何も変わってはいないのだ。
それにたかが1年だ、正直、誰とも仲良くなる必要などない。
「本当に来るんだな、オルタンシア」
「嫌なの?」
「嫌じゃないよ、嬉しい。だけど、心配だ」
シャイボーイが簡単に嬉しいとか口にするものだから、にへりと笑ってしまう。
けれど私は、すぐに表情を引き締めた。
「これは今やらなくちゃいけないことなのよ」
アンディラートは問い返さずに、ただ私を見て「わかった」と頷いた。
何にも知らないくせに、何にも訊かない。
私が答えられないことだけを知っているアンディラート。
そう遠くはない未来。避けなくてはならない悲劇。
私にとって、とんでもない恐怖へのカウントダウンが始まっていた。
「…顔色が悪いぞ。眠れていないのか?」
馬車に乗った途端にアンディラートが小声で言う。
お父様とお母様には、楽しみすぎて眠れなかったみたいなんて言い訳したけれど、彼にまで取り繕う必要はない。
「ううん、眠ってはいるわ。すぐ起きちゃうんだけど、ちゃんとまた眠ってる」
そうよ、何度でも眠るわ。情報が要るの。
お父様とお母様。
この世でもっとも愛する2人の命が、奪われるという予知夢。
辛すぎて飛び起きる自分を叱咤して、眠る。例え壁に頭を叩きつけてでも眠ってみせるわ。
「着くまで、目を閉じていろ。そのほうが休める」
アンディラートが隣に座り、自分の肩に私の頭をもたせ掛ける。
目元を覆ってくるその手に、涙が出そうになるのを堪えた。
予知夢様は断片的に色んなシーンを見せてくる。
先に亡くなるのはお母様だ。
そしてその葬儀の夜に舞い込むたくさんの再婚話。
お父様は優良物件で、その妻の死にこれ幸いと、縁を繋ぎたい権力と金の亡者どもが群がってきたのだ。
こんなところで知る『お父様宰相説』とか、もう本当にどうでもいい!
貴族が後妻も娶らず過ごすことは、立場上難しい。お母様の仕事とは、お父様の仕事上で発生していたものだった。
ファーストレディではないが、ある程度の位を持つ貴族には必ず妻にもお役目が回ってくる。
だけど、独身の貴族だって結婚するまでは単独でやってるんだ。無い袖は振れないからな。
つまり評価も気にせず周囲にキッパリと気を使うのをやめれば、後妻拒否だってできないこたぁない。
愛する妻の代わりなど、いない。お父様とお母様は恋愛結婚だったのだ。
…うん、誰にも聞いてはないけど、見てれば私にもわかることだね。
それでも貴族の義務を理解しているお父様は、いつか再婚することも視野に入れてはいたはずだ。
ほんの少し、冷静になれる時間があれば、結果は変わっていたのだろう。
けれど外野は悲しむべき一夜の隙すら与えず、否応なしにお父様を責め立てた。
追い詰められたお父様が選んだのは、自殺だった。魔が差したのかもしれない。
私のことをちらりとでも思い返せば避けられたはずの事態…けれど、そんなこと少しも問題じゃない。
だって正気を保てるような状態だと思う?
お父様はそれくらいお母様を愛していて…そしてそんなお父様が、私は大好きだ!
少なくともお父様を救うためには私に力がなくてはいけない。
我が家と繋がりを持とうと、くだらない建前を振りかざして迫るクソヤロウども。…ツラは覚えた。
黙らせるには意外性が要る。
奴らはただのご令嬢の意見など聞きはしない。はいはい邪魔だよって突き飛ばされた瞬間に、お父様が自分の喉をナイフでかっ切ってしまう。
奴らを黙らせられなければ、私はお母様の葬儀の夜に、お父様を失うこととなる。
お母様がなぜ亡くなるのか、予知夢様はまだ教えてはくださらない。
佳人薄命、マジでやめろ。
もちろん私は、どちらも守るつもりでいる。
どんな手段でも対策でもいい、取れるものは全て取るつもりだ。
最悪、私の異常性を世に曝すことも厭わない。
「ヴィスダード様が私にも剣技を教えてくだされば良かったのだけれど」
少し落ち着いて、私は溜息をついた。
目元を覆っていた手が離れる。
心配そうな顔をしたアンディラートが見えた。
「仕方ないだろう、父上の訓練は結構厳しい。リーシャルド様がお許しになるはずがないさ」
アンディラートと私の間には密約が結ばれていた。
ボーイスカウト…じゃなかった、騎士見習い隊で基礎を学べば、あとはこっそりとアンディラートが剣の稽古をつけてくれることになっている。
なぜいきなり教えてくれないのかというと、当然ながら剣が振れるような身体を作っていないからだ。
それに、こういうワンクッションがないと剣を触ることにお父様が許可を出すはずがない。
あの心配ぶりだ。始めから内緒でアンディラートに剣を教わったら、アンディラートが出禁になる可能性すらある。
正面突破ばかりが道ではない。
「君が、何も訊かないのに、何でも聞いてくれるから…甘えてごめんね。本当に救われているんだよ」
ぽつりと、そう零した。
自分が死ぬよりも辛い予知夢を毎夜のように見つめて…だけど誰にこんなことが言えるだろう。
全てを話すことも出来ないくせに、辛すぎて胸にしまっておけない。
逆の立場だったとしたら、私に、責めずに何も訊かずに付き合うなんてことできるのだろうか。
…いいや、私のようなクズにはとても無理だ。
そう思うから、せめて彼には感謝を伝えておきたい。
「話せることは聞く。…話せないことは、いつか話せるようになったときに聞くよ。理由がわからなくても、すべきことがわかるのなら何の問題もない」
アンディラートはヨシヨシと頭を撫でてくれた。
ウソみたいだろ。7歳児なんだぜ…これで。大天使にも程があるだろ。




