気持ちの切り替え
朝食を摂り終えて必要な栄養と活力源を補給できたアダムは、魔王の間で玉座の肘掛けに自身の肘を置き手の甲で頬杖すると時間の流れに身を任せながら思案していた。
天剣の羽根で記憶が戻らない以上、イヴと恋人同士が過ごす甘い一時を得る為には別の手段を考えるしかなかったからだ。
代案を考えるに当たって段取りを組もうとするも何も考えは浮かばず、何処か遠くを見詰めるように魔王の間の虚空を蕩けた表情を取りながら深紅の瞳でただ見詰めていた。
この空間にはアダムが一人だけ、幹部や部下達は誰もいない。
今はディアスが魔王軍を動かしていて、不浄の大地を境目に隣接した約束の大地にある近隣の村や街から食料を収奪しに行っている為である。
「何か方法は無いのかぁ、イヴが傍にいない生活なんて耐えられないよ……」
何一つ浮かばない案に、気を落として天井を仰ぎ見て嘆くように言葉を呟く。
絶望とした状況を感じて、思わずイヴと恋人同士で甘い一時を過ごしていた前世の記憶を手繰り寄せてしまう。
純白の翼を持ってして天空を舞い飛び、二人で寄り添っては御互いに手を取り合い、太陽の祝福を受けながら雲海に包み隠されて、愛の口付けを何度も交し合っていた時のこと。天界にある浮島に咲く稀少な白い花すらも、アダムとイヴの行為に恥じらい、花弁を紅く染め上げては散る運命を辿る様であったなど。
「はぁ、ちゅっちゅしたいよ……」
前世の恋人時代を思い返すと幸福感に満たされる反面、現状の悪さに頭を悩ませるのだった。
「本当に参ったな、誰かの手でも借りたいくらいだ」
思惟の果てに身も心も困憊すると、力が抜ける様にして玉座の背もたれに総身を預けた。
「ひょーっほっほっほ! 何か御困り事ですかな、魔王様!?」
「うわ、驚いた!?」
一瞬にして身体を強張らせて起き上がらすと、喫驚の原因に目を差し向けた。
アダムの眼前にある空間が爆発して煙が舞い上がったと思うと、煙が晴れると同時に道化師のような格好をした長身痩躯の人物が現れたのだった。
現れた人物の名はクラウン。性別も種族も不明だが、人型の魔族で、幹部の一人だ。
白塗りの顔面に奇妙な笑い化粧と赤い丸鼻の装飾が特徴的で、掴み所の無い性格をしている。奇抜な帽子と衣装は多くの色彩を放ち、傀儡のように角張った動きを見せては道化を演じている様だった。
「これはこれは、大変失礼いたしました」
大仰に芝居掛かった口調と振る舞いで深々とお辞儀をすると、頭を垂れたままの状態でクラウンは顔をアダムへと向けて表情を歪めて笑顔を作り出した。
「魔王様が御困りであるとの事で少々急ぎ過ぎました」
「あ……ああ、気に掛けてくれてありがとう」
「私には勿体無きお言葉です」
クラウンは笑顔を崩さないまま再びお辞儀をした。
「ところで、クラウン。君は今回、軍務に付かなかったのか?」
今までアダムしかいなかった魔王の間に幹部が一人。
魔王軍が動いているからには幹部は総出だとばかり思っていたからアダムは疑問に思ったのだった。
「はい、私はディアス殿から魔王様と城の警護に当たるよう言付かっておりますので」
「そうか」
「それで、魔王様。何を困っておられるのですか?」
「あー、それは……」
クラウンに相談するべきか迷った。複雑に入り混じった事情を説明して、協力を求めるには些か問題だからけであるからだ。
天使だった頃の記憶が戻っていて、前世の恋人は今や人間の勇者になり、そして再び恋人関係に戻りたいなどと説明できる訳もない。
とりあえず、上辺だけを取り繕って違った形で相談を持ちかけようとアダムは考えた。
「……今の僕には、必要な人間がいるんだ。だけど、魔族と人間は相容れない存在同士だからね。どうにかして、手元に置けたらなと考えていたんだ」
「必要な人間……ですか? ひょーほっほっほ、魔王様は酔狂でおられる。ならば、その人間に魔法による魅了を掛けて見れば如何でしょうか?」
クラウンは不敵な笑みを浮かべながら自身の考えを述べた。
魅了は、魔力の霧を対象に吸わせて精神操作する誘惑の魔法だ。瞬時に恋人関係を築けるという点では確かに唯一無二の方法だと瞬時に悟ったが、
「駄目だ、それは使えない。僕の流儀に反する手段だ」
アダムは苦虫を噛み潰した表情を取って首を左右に振り、クラウンの考案を拒んだ。一瞬でも、それが一つの手段として選択の余地があると自覚した己に嫌悪感を抱いた。
魅了で得られる偽りの関係など、イヴの気持ちを裏切る行為だから許されないと即時に却下する。
仮に、魔法を使ったところで勇者と呼ばれるほどの実力の持ち主なのだから、魔法抵抗で効果を打ち消されるのが目に見えるとアダムは思った。
「うーむ、そうですかぁ……」
困惑した言動を取って見せるも、クラウンは笑顔を崩さない。いや、崩れないの間違いだろうか。彼の化粧が笑った表情を顔に張り付いて見せているからだ。
クラウンを観察していると、彼は片方の掌にもう片方の拳を叩き落して何か閃いた素振りを見せた。
「そうです。魅了が駄目ならば、御自身の魅力を持ってして魅了するのはどうでしょう」
「僕の魅力で……?」
「はい、人間にでも化けて見せて、懐に潜り込み、気を惹き、懐柔すれば良いのではないでしょうか。魔王様ほどの魅力的な御方であれば、人間の一人や二人を手中に収める事は造作も無いかと」
出された代案を聞き入れると、アダムは口許に手を添えて神妙な面持ちで考え始めた。
クラウンの言い分は粗雑だが、理に適っている。御互いに相容れない者同士である以上は、どちらかが歩み寄らねばならない。
つまり、人間の姿で接触してイヴと新たに恋人関係を築けば良いという事にアダムは気が付く。
この時、アルフォードの王城で催された祝宴でイヴと接触した時を思い出した。あの場では羽根の接触が目的ではあったが、人間の姿としてイヴと確かに知り合うことができたはずだ――ならば、これから親密な関係になって行ってもおかしくはないとアダムは想像した。
「素晴らしいよ、クラウン! それで行こう!」
クラウンを賞賛すると両手を叩き合わせて拍手を送った。
「ひょーほっほっほ、御役に立てて何よりです」
クラウンは飛び跳ねたり回転したりして踊りを踊っていた。それは、彼なりの喜びを表現しているように見えた気がした。
「僕は城を空ける、後は任せたよ」
言い放つと同時に、口の端を歪めて笑顔を表情作ると、身を覆っていた黒衣を片手で払いのけて翻しつつ立ち上がった。
「はい、いってらっしゃいませ」
クラウンはお辞儀をして見送りの言葉を捧げると、アダムは彼の横を抜けて、人間の姿に着替える為に自室へと赴いた。
唯一の希望とも言える方法が絶たれて絶望の淵へと追いやられたアダムだったが、今は光明が見えた気がして足取りも軽やかになっていた。
壁面に一定の間隔で備え付けられている燭台による炎の軌跡を辿って、魔王城の廊下を歩いて行く。
道中で指を高らかに鳴らしては、隠蔽の魔法を自身に掛けた。
漆黒の色をした頭髪は毛先から徐々に白銀へと塗り代わり、深紅の瞳には金色が澱み、数秒も経たない内に完璧な金一色へと変わって行った。
隠蔽の魔法で姿が完全に変貌を遂げた時には、すでに自室の戸口を開き、室内へと入っていた。
「イヴは今、何処にいるのだろうか?」
恒例の居場所を探り当てる為に、天使の能力を最大限に活用する。
【魂の検索】でイヴの魂の在り処を感知して、【天使の眼】で魂が存在する場所、世界の全体から一点を縮尺する様に映し出して姿を確認する。
段々と細密に映し出され始めた光景は、アルフォード王国の城下街にある石畳で舗装された大道の上を歩いているイヴと彼女の仲間達を含めた三人だった。
朝、一日の始まりもあってか大通りには人々の往来も頻繁に見えて、道行く先の途中では荷馬車を構えて商売を始めている人までもが見えた。
「何処かへ向かっている様子みたいだな……。ふむ、後ろから着いて行くか」
段取りを決めると、その内容に自ら首肯した。心の準備が完了したと同時に、
「――空間転移っ!」
と魔法をアダムは唱えた。
アダムの身体は光に包まれて、見得る物の全てが白に染まり、次に真っ白い視界が開けたときには【天使の眼】で視て想像した通りの場所――大道から逸れた脇道の路地に転移を終えて、その場に佇立していた。
転移後に周囲を確認して、人の視線に触れてないか確認をする。
脇道の路地は幅狭く両手を広げればの両隣にある住居の壁面に手が付く程だ。前後には人影は無く、上を覗けば建物の窓が開き切った状態で、転落防止用の鉄柵に立て掛けられた鉢植えには花が咲いているのが見えるだけだった。
転移自体は珍しくは無いとは言え、転移魔法を使える技量を持つ者は少ない現状であるから目立っても可笑しくは無い。イヴを尾行するに当たって、余計な波風が立つような事は起きて欲しくないとアダムは慎重になっていた。
「さてと、何処でどうやって接触するのが自然かな?」
機を窺うことも含めて尾行を開始するアダムだった。
街の大道に出てから、イヴを含めた彼女達の後ろを着いて行き、様子を見続けていた。
彼女等は時折、街の人達によって様々な声を掛けられていた。
――おはようございます、皆様。今日も良い天気ですね。
――勇者御一行、お一つどうですか? うちの果物は天然物で甘いよ。
――わあ、ゆうしゃさま達だ! かっけー。
住民の挨拶、商人の売り文句、子供の歓声など、朝方で人気もまだ疎らである中で沢山の声を彼女達は貰っていた。
誰に対しても等しく彼女達は笑顔で、その声に応えていた。元々、国民から人気も厚く信頼もされている勇者様だったが、魔王を打ち倒したという功績がさらに人気への拍車を掛けている様だった。
城の方角へ続く東の大道を北に曲がり、城下街の北東に位置する場所に近付くと、商人や住民の波は途絶えて武器防具を装備した人達が多く見受けられる様になった。
イヴ達と同じ冒険者であるのが一目見てわかると同時に、目的地すら同じにしているのだろうと予感した。
(冒険者が集まる場所か。人間達の、国の戦力とも言える人材を取り扱ってる場所なのだろう)
予想した通りの結果を得られるまでには、それほど時間は掛からなかった。
彼女達の目的地であろう場所に付いた頃には、眼前に城の半分ほどもの大きさを持つ円形闘技場の形をした建物が建っていた。
その入り口に吸い込まれる様にして、次々と冒険者と思わしき人達が入って行く。もちろん、イヴ達も例外無く建物へと入って行った。
「結局、接触する機会は訪れず……か」
ここで諦めるはずも無く、アダムは円形闘技場に似た建物に入って行くのだった。
自分への駄目だしとしては文章が稚拙で、変化に波が無く物語性に欠けて尚且つ描写が酷い。