欲望は悩みの種と共に
勇者達が魔王の城を去ってから、暫くして魔王の間では魔王の側近と魔王軍の幹部達による集会が行われていた。
王座に座る魔王の眼前には、数々の魔族が平伏して立ち並んでいた。
勇者達に敗れて、命を落としたかと思ったが彼女達は部下達の命までは獲らないでいた。
魔王を諸悪の根源と見做して、魔王の命だけを狙ったのだと考えられた。
「此度は、我らが力及ばず魔王様の元に忌々しい勇者を迎え入れたことをお許しください。如何なる処罰も受けます」
立ち並ぶ魔族の中から率先として前に出て、頭を深々と下げつつ謝罪の意を表明している者がいた。
その者は魔王軍の実質二番目の実力者であり、魔王の右腕でもある側近のディアスであった。
趣味で人間の衣装である執事服を着こなして、人間と変わらない風貌をして城の雑務をこなす姿から完璧な執事と言えよう魔族である。
「いや、それは大丈夫。むしろ、イヴと出逢えたことに喜びを感じたよ」
「はっ? ――魔王様、仰る言葉の意味が」
失言だった。
魔王であるアダムが勇者と出会えて喜びを感じるのは可笑しな話である。
「僕は強敵に出逢えて喜びを感じたと言ったんだ。処罰はしない、皆も気にしないでくれ」
「おお、何と寛大なお心で! ありがとうございます」
ディアスが感謝を表して再び頭を深々と下げると、彼の後ろに控えていた魔族達も膝を地に着けて姿勢を低くしながら畏まっていた。
「――して、魔王様。僭越ながら失礼と聞きますが、お言葉遣いは如何なされましたか?」
言葉遣いを指摘されて、アダムは以前の自分と照らし合わせて見てもあまりに違いがあり違和感がある事に気が付く。
――我とか使ってたな僕。まぁ、適当に誤魔化すか。
「勇者との戦いで新たな自分に目覚めたんだ。これからはこの言葉遣いにするよ」
「左様でございましたか、畏まりました」
何一つ疑問を持たずに言葉を飲み込むディアスの姿は、魔王の側近として相応しい姿であった。
「今後の方針ですが、軍を再編成後に此度に我が主である魔王様に剣先を向けた小娘がいる国へと報復に出ようと考えますが如何でしょうか?」
ディアスの進言に思わず焦りの色を見せた。
――イヴがいる国を襲うだって? もしも、イヴが怪我でもしたら大変じゃないか!
アダムは慌てて作戦の変更を告げる事にした。
「だ、駄目だ! 今は力を蓄える時だ。勇者達は魔王である僕を倒したと思っている、その隙を突いて軍の強化に当てよう」
「なるほど! その様な巧妙な策略、私めには考えも及びませんでした」
突然とした作戦の変更にもディアスは応じてくれて快諾をしてくれた。
「それと、僕はしばらく城を空けたりする。ディアス、城のことは頼んだよ」
「はい、畏まりました」
これで城と魔王軍の事は安心で、心置き無くイヴに会いに行けるはずだとアダムは思惑していた。
「集会を終わろう、以上! 解散だ」
解散の合図と同時に集まっていた魔族達は次々と魔王の間を退出していった。
それから、アダムも魔王の間を早々に立ち去ると、魔王城にある自室へと戻ってイヴに会うための準備を始めることにした。
「この世界のイヴも可愛かったなぁ。まぁ、当然か! 魂に感化されて器は形成されるもんなー」
自室で彼女の可憐さを称賛しながら、身に纏っていた禍々しい魔族の黒衣を脱ぎ捨てるとアダムは何着か保持していた人間の服を着た。
元々が人型である魔族だった為に人間の衣服を着ると、人間と殆ど変わらないようだった。
漆黒の髪色に深紅の瞳、切れ長の双眸は凛々しく、筋の通った鼻先と健康的な赤みが掛かった唇が素敵である。
「これでバッチリだ、さてとイヴに会いに行くぞ―!」
準備完了の掛け声と同時に潜在してる天使の能力の一つである【魂の検索】を使い、イヴの魂が存在する居場所を見つけ出す。
そして、次に【天使の眼】を使って世界の一点を脳内で投射してイヴの位置を映し出した。
どちらの能力も天使だった頃に、数多に存在する世界を管理していた時に使用していた力である。
心の眼が映し出した情景は、アルフォード王国のとある宿屋の一室にある浴室だった。
そこでは生まれたままの姿になり、その優美なる肢体を湯水で洗い流しているイヴ・エンゼルティアの姿が見えた。
艶やかな白銀の髪は腰まで届き、真っ直ぐに靡かせている。
青空を彷彿とさせる色をした瞳は宝石と見間違えるほど綺麗で、彫刻像のように均整の取れた顔つきと体つきは至上の美を体現している様だった。
「入浴中っ!? ご、ごめん、イヴ。覗くつもりは無かったんだ!」
本人に聞こえるわけでもなく、アダムは頬を赤に染めながら謝罪をした。
慌てながら能力を解くと、場所を確認できた事からすぐに行動に移ることにした。
「イヴの居場所はアルフォード王国の宿屋か――よし、空間転移!」
魔法を唱えると光が溢れ、光に包まれると自室から姿を消した。
暫くして空間転移が施され終えると、自身を包み込んでいた光が消え去り視界が開ける。
そこは、アルフォード王国のイヴの姿が確認できた宿屋の前だった。城下街から見える空は夕暮れで、もう少しで夜の帳が降りてきそうであった。
街並みは綺麗で、舗装された石造りの広い道路を挟んで様々な色の屋根を持つ家屋に囲まれていた。
脇道には屋台が立ち並んでいたり、馬車や人々が道を歩いて人の流れを作っては、まだ賑わいを見せている時間帯であった。
「到着っと、さてと愛しのイヴと運命の再会だ!」
アダムは宿屋の扉を潜り抜けると三階へ上がり、イヴが宿泊している部屋の前へ辿り着く。
恋人に逢えると期待に胸を膨らませているアダムは、そのままに部屋の戸口を叩こうとした。
だが、自身が大切な事を頭から抜け落としてる事に気が付いた。
「あれ? そういえば、僕に前世の記憶があってもイヴにはこの世界での記憶しか無いんだよな」
今、アダムがイヴを訪ねたとしても彼女にとっては見知らぬ男が訪ねてくるのと変わりがない。仮に、前世の恋人だと説明しても完全に頭のおかしな奴だと思われるに違いないとアダムは考える。
それどころか、アダムは魔王であり彼女は勇者である。御互いは敵同士、出会えば戦闘は免れないだろう。
イヴに会えると喜んでばかりで目先の事に囚われ、自分の立場を理解していなかったアダムは苦悶した。
「あれ? そうしたら、この世界でどうしたらイヴとラブラブな時を過ごせるんだ……」
「お前、そこで何をしてるんだ?」
イヴの問題に対して彼女らの部屋の扉前で途方に暮れてると、いつの間にかアダムの傍に一人の女性が佇んでいて声を掛けてきたのであった。
どこか見覚えのある姿をしてると思えば、勇者の仲間の一人である戦士の女だった。
――やばい、イヴの仲間だ!
アダムは咄嗟に顔を俯かせて、顔を判然とさせない為の行動を取った。
「え、えっと、その……イヴに会いに来たって言うか……」
正体が露見しないか不安になり、何とも歯切れの悪い台詞になって段々と声が小さくなってしまう。
「うん? お前、イヴの知り合いなのか?」
「その、知り合いというか、僕個人が一方的に知ってるって言うか……」
アダムの定かではない物言いに、戦士の女は徐々に訝しげな視線を送り始めた。
「何か怪しい奴だな……。――ん、まさかお前!」
――ばれたか!?
彼女は眼を見開いて、掌に拳を叩き合わせて何かに閃いた様子だった。
「この宿に勇者が泊まってるのを人伝に聞いて、一目会いに来たファンだろ!」
正体が露見することはなく、彼女は何やら勝手な勘違いを始めたようだった。
怪しまれるよりかは良いのでアダムは話を合わせておくことにする。
「そ、そうです。勇者様に一目会いたくて訪ねに来ました!」
「そうかそうか! あいつは人気者だからなー」
戦士は顔を縦に振って頷くと、アダムの肩を少し強めの力で何度も叩いた。
「だが、悪いな――あいつ、今日は大きな戦いがあったんで疲れてるんだ。また、今度にしてやってくれないか?」
大きな戦いとは魔王との戦いの事だろう。
正体が露になる前に、ここは引き下がって作戦を立て直した方が良いと考えたアダムは大人しく退くことにした。
「そ、そうですか、残念です! わかりました、僕はこれで失礼しますね!」
「おう、悪いな! そうしてくれると、助かるよ!」
アダムは急いで後ろを振り向き、この場から去った。
宿屋から出ると僕は裏路地に身を潜めて、心臓の鼓動を早めながら息を切らせていた。
「ふぅ、危なかった! 魔王って気付かれたら、また戦いになるところだった」
最悪の事態を免れたアダムは安堵の気持ちで一杯になった。
だけども、同時に自身とイヴの問題に悩んで頭を抱えるようになった。
「参ったなぁ、イヴに天使の記憶があれば問題ないのにな」
彼女に逢うという目的が遂行できずに、再び途方に暮れるとアダムは空を見上げながら悩みに悩んだ。
――イヴとちゅっちゅっしたい……。
悩みと共に欲望が渦巻いていた。
その時、欲望と共に悩み抜いた思考は突き抜けて閃きが走った。
「って、そうだ! 僕が彼女の天使剣で天使の能力と記憶が魂に呼び起こされたのなら、僕の天使剣を彼女に使えば記憶が戻るはずだ」
理に適ったとも言える方法を思い付いたアダムは、すぐに自身の天使剣を取り出す為の行動に移ることにした。
手を胸に当てて天使の魂を呼び起こすと、アダムの身体から光が溢れて胸の先に集束して宙へと浮いた。
眼前に浮遊している光を手に掴むと剣を象って、一本の美しい剣が創り出された。
「よかった、ちゃんと創造できたぞ。僕の天剣ディストピアズ!」
イヴの天使剣ユートピアズと対となるアダムの天使剣ディストピアズ。
天剣ディストピアズは感情や力が記憶され蓄積される剣であり、ユートピアズと同様に儀式の剣舞を踊る為の特別な天使剣である。
「さてと、羽根を一枚貰うよ。ごめんね、ディストピアズ」
アダムは自身の半身ともいえる剣の装飾から一枚の純白の羽根を抜き去った。
そして行動を起こすべく、三階のイヴがいる部屋の窓を見据えて覚悟を決めたのであった。