魔に混じる人の性
王都アルフォードの城下街に屹立する鐘楼が、正午の時刻を知らせる為に鐘の音を鳴り響かせた。
住民達は大きくも澄んだ鐘の音色に耳を傾けて、時間の認識を改めていく。
今は昼食を摂り始める者達が増え始める頃合で、城下街の飲食店では大勢の客で賑わい繁盛をしている様だった。街全体に料理の匂いが漂い始めて、人々の喧騒と一緒に街の雰囲気作りに貢献している。
殆どの人々が食事を楽しんでる最中で、一人の男は城下街を駆け回って、仕事を片付けている途中であった。
「次は、何処の民家だ。えーっと、地図に寄れば右に曲がって真っ直ぐ突き当たりを……」
言葉で道筋を確認するように呟きながら、地図を片手に街を探索している男はアダムだった。
冒険者ギルドの登録以後、学園へ入学する為には金が必要だと言われて手持ちが無いと焦燥に駆られた彼だったが、ギルドカードを発行後に受付嬢が初の依頼を斡旋してくれた。
依頼の内容は、聖属性を使える冒険者で回復魔法を覚えていれば適性があると判断される物で、魔法による治療行為が主な仕事である。
全ての魔法を使えると自負しているアダムは当然の如く依頼を請ける事にして、結果的に朝から城下街の民家を渡り歩いて治療行為に勤しんでいた。
「あった、この家か。――失礼。どなたか、いらっしゃいますか?」
辿り着いた民家の玄関先で、呼び掛ける様に声を発しながら扉を軽く叩く。応答を待つ間に片手に持っていた地図は丸めて服の中に仕舞い込んだ。
暫くすると、扉を挟んだ玄関の奥から物音が聞こえ始めて扉が開かれた。同時に、扉の隙間から料理の匂いが漂って来るのを感じると、昼食を作り始めたのか食事の最中だったのかなんて埒も無い事をアダムは考えた。
「はい、どちら様ですか?」
玄関先の扉から顔を出したのは、二十代後半ほどの年齢で、服の上に前掛けを着けている主婦であろう女性であった。恐らくだが、昼食の準備でもしていたのだろう。
「どうも、ギルドの依頼で派遣されたアダムって言います。治療の為にお宅へ伺いに参りました」
アダムは自己紹介を含めつつ、ギルドカードを提示して身元を明らかにした。
「あらあら、お越し頂きましてありがとうございます。どうぞ、中へ――」
提示されたギルドカードを見て素性の確認を取り終えると、女性はアダムを家の中へと招き入れた。
玄関先を抜けて、居間を通ると奥の階段を上って二階にある部屋の扉の前へ辿り着く。部屋の扉を開けて部屋に入室すると、寝台で仰向けになって暇を持て余している様に見て取れる読書中の男性がいた。女性同様に年齢は二十代後半といった所だろう。
働き盛りと言った感じだが、左脚を添え木で固定されて包帯を何重にも巻かれた姿で動くのもままならない状態だった。
「あなた、左脚の怪我を診てくれる冒険者さんのアダムさんが来てくれたわよ」
女性から男性への呼称で、夫婦の間柄なのだとアダムは判断した。
男は妻の声に気が付くと読書を止めて、こちらに顔を振り向かせ視線を送った。
「ありゃ、昼食の呼び出しかと思ったけど違ったか。脚の怪我の往診か、そうか――って、今日は随分と若い冒険者が来たね」
男はアダムの顔を覗き見ると物珍しそうな顔をしていた。
今日は、と発言しているからに左脚の怪我の治療は一度や二度目では無いみたいだと理解した。最初に印象付けられた暇を持て余した感じと言うのは、長い療養期間の反動が男にそうさせているのだろう。
「どうも初めまして。早速ですが、魔法で治療に当たらせて貰いますね」
「はいはい。どうぞ宜しくね、冒険者くん」
アダムの発言に、男は軽薄な口調で了承を出した。
言葉を受け取ったアダムは、彼が横たわっている寝台に歩み寄って、怪我をしている方の左脚に両手を当てる。治療魔法を掛ける行為を見守る夫婦は、少しばかり緊張した面持ちで静寂を保っていた。
そして、アダムが魔力を両手に込めて魔法を使おうとした時だった。
――ぐぅるるるー。
アダムの腹部から空腹を訴える音が盛大に鳴り響いた。
夫婦の視線を自分に集めると、アダムは気恥ずかしさで頬に赤みを差した。
「っぷ……っくくくあはははっ、冒険者くんも昼食はまだだったのかい?」
「えっと、はい、ちょっと時間が惜しくて……」
「そうかそうか、なら治療を終えた後に我が家で一緒に食べていかないか? 妻の料理は絶品だぞ」
「そうね、アダムさんも宜しければ御一緒にどうぞ」
夫婦の優しい心遣いが、アダムを昼食の食事へと誘うが、
「ありがとうございます。……折角ですけど、遠慮しておきますね。僕には時間が惜しいので」
少しだけ悩み、躊躇ったが断る事にした。学園ギルドの資金集めの為に、少しでも早く依頼を片付けて回りたいのが理由だった。
「そうか、残念だけど引き止めるのも悪いからな。わかった」
「はい。それでは、治療を始めますね」
誘いを無碍に断ったにも関わらず夫婦は笑顔のままだった。気さくというか、人が好い人間達だとアダムは思った。
自身に向けられた優しさに少しだけ応えようと、アダムは怪我の治療に意識を向けて治癒を始めた。
「生命に祝福を、癒せ――ヒール!」
男の左脚に当てたアダムの両手に淡い光が纏うと、怪我をしてる左脚に治癒の魔力を流し込んだ。生命力に変換された魔力が綺麗に煌めく力強い光を放つと、凄まじい速さで左脚へと吸収されて宿っていった。
アダムの全能である天使の力は健在であった。この世界の魔法に、天使の力を混合させる事で本来の威力を遥かに凌駕する効果を発揮することが可能だった。
そして、男の怪我の状態が完治するのを感覚で感じ取ると治癒魔法を止めた。微かに残った残光も綺麗に消えてなくなった。
「終わりましたよ。もう、大丈夫です」
「えっ、もう終わったのかい?」
数秒ほどで治癒魔法を終了したことに、男は驚いて素っ頓狂な声を上げる。
「はい、もう歩けるまで回復したので治療は終わりです」
「あ、歩ける? って、そんな馬鹿な!? この怪我は治癒魔法を使っても一ヶ月は治るのに時間が掛かるって医者に言われたんだぞ」
「大丈夫ですよ。確かめるついでに起き上がって、歩いて見てください」
アダムの言葉に促されて、男は寝台から起き上がり恐る恐る地に足を付けて立ち上がり歩いて見せた。
「ほ、本当だ! 凄い、怪我が治っている!?」
歩行に痛みを伴わなかった為か、男は調子に乗って屈伸や腿上げを試みたが快調といった様子だった。
妻は夫の挙動を見て怪我が回復したと確信して驚きを隠せずに、口許に手を添えて瞠目していた。
「冒険者くん――じゃない、アダムくん! ありがとう、これでまた仕事が始められるよ!」
「あなた、良かったわね!」
妻は喜びの余りに夫に駆け寄って首元に抱きつき、そのままの姿勢と勢いで両者とも寝台の上に転がった。
その微笑ましい光景に、アダムは穏やかな表情で両者を見守っていた。
「――っとと、喜んでいる場合じゃない。治療費を支払わないと! アダムくんは時間がなかったんだったね」
男は抱きついてきた妻を横に退けて、寝台の横にある机上に置いてあった小さな革袋を手に取った。そして、その小さな革袋の口を紐解いてアダムの目の前へと差し出した。
「はい、これ。少し多いけど、本来掛かるはずだった日数分の治療費が入ってる。感謝の気持ちだと思って受け取ってくれると嬉しい」
「えっ?」
アダムは男に差し出された革袋を、自然の流れで前に出した両手で受け取った。
手の中に置かれた革袋から金属が擦れ合う音が鳴ると、その手に確かな重さを感じ取った。紐解いた口の隙間から銀貨が十数枚ほど入ってるのが見て取れた。
ギルドの依頼表で提示された魔法による治療の報酬額は銀貨一枚のはずの所を、男は感謝の気持ちと言って報酬の金額に色を付けて上乗せして渡してくれた様だった。
余談ではあるが、報酬の支払いは、依頼主から受け取るタイプかギルドから依頼完了の報告時に受け取るタイプがある。
「良いんですか、こんなに受け取って……?」
金銭に困っているアダムは手渡された報酬を見て喉を鳴らした。そして、このまま懐に収めてしまいたいと考える。
だが、天使の記憶が戻って以来に再発した人間味に近い思考が、上乗せされた報酬をそのまま受け取ることに対して遠慮という気持ちを生じさせていた。
「むしろ、是非とも受け取って欲しい! アダムくんの魔法はそれだけの価値があった。いや、それ以上の物だった! 本当に感謝しているよ」
「そうですよ、アダムさん。私からも、是非受け取って貰いたいです」
「御二人が、そこまで仰るなら遠慮無く頂きます。こちらこそ、ありがとうございます」
夫婦、二人の後押しもあって軽く一礼をした後に報酬を快く受け取った。そして、革袋の口紐を結んで腰周りのポケットに仕舞い込んだ。
仕事も無事に終えたアダムは、二人の見送りを受けながら夫婦の家を後にした。アダムが大道に出て見えなくなるまで、夫婦は玄関先でいつまでも手を振っていた。
「ふぅ、これで集まったか?」
街の大道の端で建物の壁に寄り掛かり、アダムは一息吐いて気疲れを吹き飛ばした。
今は、ギルドの依頼を消化して貰い受けた報酬の金額を数えてまとめている所であった。
「三十、三十一――三十四枚か。学園の入学金は銀貨三十枚か、よし足りるな」
銀貨を数え終えたアダムは、学園ギルドの入学金に必要な枚数に達したのを確認した。
そして、お金に端数の余りが出て持て余したがすぐに使い道を思い付いた。治療行為中に盛大に音を鳴り響かせた無恥なお腹を黙らせる為に、昼食を摂ろうと決めたのだった。
「昼食でも食べてから、ギルドに顔を出すか……」
予定を決めたアダムは直ぐに行動を開始した。嗅覚を頼りに飲食店を探し回ることにするのだった。
周囲を観察する様に眺めながら街の大道を渡り歩くが、今は昼時でピークに達している為に飲食店は何処も混雑している様子だった。
「んっ?」
アダムが気に留めた視線の先、そこには大きな看板が扉の上部に立て掛けられている一つの酒場があった。看板には酒の絵が描かれていて店の名前である「バッカス」という文字が刻まれていた。
昼間から酒場を利用する客はそれほど多くもなく、混雑も少なかった。酒を嗜む訳では無いが、軽食を頂く事ぐらいは可能だろうとアダムは考えた。
「この店で良いか」
人の混雑を嫌って酒場で食事する事に決めたアダムは、すぐにその店に入った。
建物の内部へ入ると、外観から想像した通りの光景が当て嵌まる内装をしていた。木造の壁と床板に、合わせる様に設置された木の円卓と椅子が酒場の景観に素朴な味わいを醸し出している。
人混みは無いとは言え、店内は明るい雰囲気で昼間から酒を飲んで楽しんでいる客達は多く居た。
アダムはテーブルを使わずにカウンターの前にある一直線上に点在して並ぶ一つの席に座った。そして、向かい側にいる店員と顔を見合わせた。
「注文は?」
店員が注文を訊ねて来る。
「これで、簡単に食べられる物を――」
アダムは腰周りのポケットから革袋を取り出すと、必要資金から出た余った枚数である銀貨四枚をカウンターの上に出した。
永い時を魔族の王として過ごして来た為に、人間社会の物価を知る由も無いアダムは、余りである銀貨を全て提示する事にしたのだった。
「おいおい、うちで銀貨四枚で簡単に食べれる物つったら六人前は食えるぞ」
アダムの出した金額は予想外にも多かったらしく、店員は多少驚いた様子で呆れ返っていた。
「なら、これでお願いします」
アダムは銀貨三枚を片付けて、残りの一枚で注文する事にした。
店員はその銀貨一枚を受け取ると、背後の棚から食材を取り出してカウンターの端に設置されている簡易台所に移動した。
そして、手に持った様々な食材を台所の上に置くと、包丁を持って調理を始めた。
「この後は、ギルドでランク分けの試験か」
アダムは抑揚のない声で呟いたが、心は弾ませていた。試験が終われば晴れてイヴとの接触の機会を再び獲得できるのが堪らなく嬉しいのだ。
試験の内容に対して疑問や不安が生じる事はなかった。絶対的な力を持つアダムにとっては、児戯に等しい問題だと認識している。
彼が最優先に気に留めている問題点は、如何にしてイヴと顔見知りという間柄から脱却して恋仲へと発展させる事が出来るのかだけだった。
「ほらよ、できたぜ」
物思いに耽っていると、店員から料理が出来た合図の声が飛んで来た。同時に、カウンターの目の前に料理が盛られた皿が差し出された。
皿の上に目を遣ると、パンで様々な具材を挟んだ料理が盛られていた。俗に言う、サンドウィッチだ。注文通りの軽食に相応しい料理で、アダムは食す前から満足気な表情をとった。
「それじゃあ、頂きますか――」
アダムが料理に手を伸ばそうとした時、
「――よぉし。やってやろうじゃねぇか、てめぇ!!」
「上等だ、コラァ! 俺様のほうが強いって証明してやるぜ!!」
突如として男達の怒鳴り声が響き渡った。
何事かと客達が視線を集める先には、二人の男が胸倉を掴み合って睨み合いをしていた。喧嘩が始まったぞ、と騒ぎ立てる者が出始めて店内は騒然となる。
アダムも一度だけ振り向き様子を窺ったが、関係がないと決め込んだ後に、サンドウィッチに伸ばし掛けていた手を再び動かしたが、
「へぶっ――」
その手が料理へと届く代わりに、己の顔面が料理に直撃した。
喧嘩を始めた男達が殴り合いに発展した後に、片方の男が殴り飛ばされてアダムの背中へ衝突したのが原因だった。結果的に、アダムは顔面で料理を味わう羽目になった。
「――っ痛ッ。よくも、やりやがったなァ!!」
殴り飛ばされた男は周囲の状況に対して気にも留めずに頭に血をのぼらせ、倒れ込んだ状態から起き上がるとまた喧嘩相手である男の方へ戻って行った。
アダムは料理の皿に突っ込んだ顔をあげた。目の前には、自分の顔面で潰されて荒れたサンドウィッチが置かれている。
「おい、アンタ大丈夫か?」
「僕は――――食事――――んだ」
「えっ?」
「僕は、静かに食事をしたいんだ!!」
アダムは激情に身を任せて怒り叫んだ。そして、魔法を詠唱し始めた。
「影よ、主を戒め、闇の制約を――シャドータッチ!」
喧嘩の真っ只中である二人の男達に目掛けてアダムは魔法を放った。魔法が発動した途端に、男達の影に異変が生じた。人影の先端部分が複数に枝分かれして、一本一本が手を模った形に変わり、影で作られた腕が何十本も生まれると、影の腕は地面から這うように忍び寄って男達の身体を弄り纏わり付き襲い掛かった。
「うわっ、なんだこれは!? 魔法か!?」
「糞っ、邪魔だ!」
突然の出来事に困惑の表情を見せる男達は、自身の身体に纏わり付く影の手からどうにかして足掻き抜け出そうとするが、数秒も経たない内に影の腕に縛られて拘束された。
二人の男達は縛られると床に転がり込んで、手足も動かせずに身動きが取れなくなっていた。
「これで大人しくなるだろう」
アダムは激情から一転して優雅に振舞い、再び食事の席に付いた。綺麗に盛られていたサンドウィッチは今や見る影も無いが、だからと言って食べないという選択肢は無かった。
「離しやがれぇー!」
「ちきしょうめぇー!」
男達は声を荒げながら暴れるが、アダムが指を鳴らして合図を出すと、影の手は男達の口を塞いで黙らせた。喧嘩が収まった店内は、本来の喧騒を取り戻した。
魔法で喧嘩の事態を収拾したアダムは、しばらく客達の視線を集めて居心地を悪そうにしていが早々に食事を終わらせて店を出たのだった。
騒ぎの張本人である男達は、アダムが店を出るまで床に転がされたままだった。
適当に書いてしまった、許してください! 次回からは趣向を凝らして頑張ります、たぶん。
最近は小説から少し離れ過ぎて書き方を忘れてしまいましたが、思い描いた通りに書ける様になる為に頑張ります。
口だけかもしれませんが……。