だれにでもできる算数
ツトムくんは、算数の問題ができなくて困っているという。
だれにでもできる算数、と書かれたワークブックを持って、エレジー先生のところへやってきた。
どれどれ、とエレジー先生はワークブックを開いてみた。近ごろの小学校では、けっこう小難しいことをやるからなあと思い、一問目を読んだ。
二問目、三問目と進むうちに、エレジー先生の表情が曇っていった。
「……ちょっと、この本借りてもいいかな?」
ツトムくんはうなずいた。エレジー先生はワークブックを鞄に入れて持ち帰った。
ソファーに深く腰かけて、エレジー先生は問題文を読んだ。
「鶴が五十二匹、亀が七十五匹います。足の数は全部で何本でしょう……」
夕飯のピザを食べながら、食後のハイパーエレジック体操をしながら、微妙に冷えたお茶を飲みながら、お風呂に入りながら、何度も考えた。
月がのぼり、南の空を過ぎる頃、エレジー先生はぐったりして布団に入った。考えに考えた結果、一問もできなかったのである。
次の日、エレジー先生は友達のプリズムとナノとテディを呼んだ。いつも元気なエレジー先生が疲れた顔で座っているのを見て、三人は驚いた。
「どうした、エレジー。まさかその問題集が解けないっていうんじゃないだろうな?」
プリズムが言った。エレジー先生は力なくうなずいた。
「これを一人で解くのは不可能だよ。エレジーが言うんだから間違いない」
三人は顔を見合わせた。小学校の算数で、そんなに難解な問題が出るとは思えなかった。
「貸してみろ、俺が見てやる」
「あ、手伝ってくれる? じゃあエレジーの言う通りにして」
エレジー先生は急に元気になり、ソファーから跳ね起きた。
「まず、ナノは鶴を五十二匹、亀を七十五匹集めてきて」
「鶴と亀ですか。種類は何でもいいんですか」
「何でもいい。捕まえたら、足の数を正確に数えてほしい」
足、とナノは繰り返し、丸い目をくるりとさせた。
「捕まえる時に傷つけて欠損してしまったらどうしますか」
「構わないよ。足りないまま数えていい」
「わかりました」
ナノはセミロングの髪を後ろにまとめ、弓矢を持って出かけていった。
「僕はめんどくさいのはイヤだよ」
テディが言った。
「だいたいさ、君って自分の都合しか考えてないよね。知識も配慮もないしさ。そんなんでよく医者やってると思うよ。で、何を手伝えばいいの?」
エレジー先生はにやりと笑い、風呂場を指さした。
「バケツに水をくんできて、浴槽に入れて」
「何それ。普通にお風呂の蛇口使えばいいじゃん」
「バケツで運ばなきゃだめって書いてある」
エレジー先生はワークブックを開いて言った。テディは眠そうな顔でバケツを持ち、かったるいなあ、と言いながら出ていった。
「俺はどうすればいいんだ」
プリズムが言った。エレジー先生は玄関に駆けていき、いそいそと靴を履く。プリズムはいつだって付き合いが良いので、大して説明をしなくても手伝ってくれるのがわかっているのだ。
「ツトム君の学校に行く」
「今からか?」
「うん。それで、校舎の周りを歩くから、プリズムはエレジーよりも少しだけ遅く歩いて」
プリズムは眉間にしわを寄せた。おい待て、ちょっと違うんじゃないか、などと話しかけるが、スキップをするように歩くエレジー先生の耳には、もう届いていない。
やがて、ぽこぽこ小学校に着いた。校庭では子どもたちがサッカーをしたり、鉄棒で遊んだりしている。校舎の窓から手を振っている男の子がいる。ツトム君だ。
「さあ、行くよ!」
エレジー先生はツトム君に手を振り返し、学校沿いの道を歩き始めた。プリズムは黙っていたが、ふっと笑い、後に続いた。
「だれにでもできる算数は、本当にだれにでもできるんだって、ツトム君に見せてあげなきゃね。それが大人の役目ってものでしょ?」
「ああ、そうだな。ところで、いつまでこうして歩けばいいんだ?」
「エレジーがぐるっと回ってプリズムを追い越して、またぐるっと回って追い越して、またぐるっと回って……できるだけ長くだよ」
そうか、とプリズムはつぶやいた。
そして二人は、黙々と学校の周りを歩き続けた。全部で十七回、懐かしいチャイムの音を聞いた。