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「うふん。やはりイチゴを使ったお菓子は、大変美味ですわ〜!ねぇ、あなたもそう思いません?」
わかっているのかいないのか。
空気が抜けるような台詞を、つらつらと並べ立てるハートに。
葵もうっかり、気が抜けそうになった。
「食べてないけどね。……今は、そんなこと言ってる場合じゃないのよ。ていうか、漬け物なんて縁が無さそうなのに、なんでそう詳しいの?」
洋風と言ってしまえばそれまでだが。
和風の欠片も見えないここでは、違和感を感じずにはいられなかった。
そんな葵の疑問に答えてくれたのは、おそらくこの中で。
まだマトモな神経を持ち合わせていそうな、帽子だった。
「儂はこれでも勉強家でのぅ、大抵のことは知っておる。――――だから、お嬢さんの言いたいことはわかるよ。帰りたいと言うのだろう?帰るべき場所、愛すべき故郷へ」
帽子の、何も持っていない手のひらの中から。
満月のように、まん丸の形で縁に金の装飾が施された、一枚の鏡が現れた。
その鏡を葵の前に差し出すと、覗いてみろと促してくる。
……すると、葵の姿は映らず。
代わりに、どこかの風景が映っているのが見えた。
それは荒れ果てていて、人どころか動物や草木も存在しない土地だった。
空は暗く、空っ風が吹き荒れ見ているこちらまで寒々しく感じる光景だ。
「…………ここはどこ?」
「私たちが育む予定の世界さ。まだなーんにも手をつけられていないんだ」
「どうして?」
「……僕たちは、この世界を創った。それから……勝手に育ってくれると、思っていたんだけど―――――」
「あなたたちが創ったの!?」
「えぇ、そうですわ。……ですが、予想以上に土壌に栄養が足りておらず、草木どころか生命誕生の足掛かりさえ踏み出せておりませんの。悲しいことですわ」
クスン、とポケットからレースのハンカチを取りだし、目元に当てる。
涙など出てはいなかったが、心境は悲しみに溢れていることを伝えたいのだろう。
気持ちはわかるが、そのことと葵がここにいることに。
どんな因果関係があるのだろうかと、疑問に思っていると。
葵の思いをくみ取ってくれたのか、この中で一番理知的な帽子が。
核心に迫る説明を口にした。
「儂らは基本、この空間から外には出られない。ここでしか生きられぬし、最低限の力しか使えぬのだ」
「そうなの?」
「そうじゃ。だから、せっかく創った世界に力を送ることも出来なくてのぅ。儂らが実際にそこへ赴けば、ろくに力も出せずにすぐに死んでしまうだろうし……」
八方塞がりなんだと、悩ましげなため息を漏らす。
だが、暗い顔をする帽子を余所に。
ハートはあくまで明るく楽しげに、話を繋げた。
「ですから、わたくしたちは考えましたのよ。どうすれば、せっかく創った世界を息吹かせることが出来るのか」
「美しい木々や花々で、満たすことが出来るのか」
「……活気溢れる人々を、生み出すことが出来るのか」
「そこでだ」
今度は普通の鏡のように映り出し、恐る恐る帽子の方を見ると。
首をトントンと指さしてきた。
自分の首を見てみろということらしい。
言われた通り、鏡で見てみると……葵は一瞬で血の気が引いた。
なんだこれは。
「な――――っ!?」
「中々の出来映えでしょう?」
「儂らの力を刻み込んだ」
「それは特別な文字なんだ」
「……魔法が、使えるようになったんだよ?」
「魔法……っ!?」
葵の首に、首輪のように刻まれた見たこともないような珍しい文字があった。
幾数もの文字がいつ刻まれたのか。
思い返せば、ここに来るまでに小枝や小石が主に首に当たって、痛かったのを思い出した。
あれだけのことで、こんなに精巧に刺青を彫れたのかと。
驚きと絶望感を隠せない葵は、その場で叫びそうになったのを必死でこらえる。
鏡を見て初めて気づくなんて……。
だが、そんなことは些細ななことと思えることが葵の身に起こっていた。
思わず鏡を落としそうになる。
震える手をもう片方の手で支え、己を保つ為に必死に耐えてみせた。
しかし、葵の心情を察していない面々のせいで神経が逆撫でされてしまう。
噴火は、間近だ。
「わたくしたちの力を、分けてさしあげました。いかがですか?前の冴えないあなたとは、比べ物になりませんでしょう?」
「………………ほう?」
いけしゃあしゃあと、そんなことをほざく美少女に。
葵はこめかみをピクピクさせる。
確かに、目の前にいる可愛いらしい少女に比べれば。
自分は冴えない芋虫だろう。
だが、そうハッキリと言われる筋合いはない!!
……という意味合いも込めて、凄まじい睨みを見せた。
「まぁ、怖い」
クスクスと、人を小馬鹿にしたように笑うので。
ついに、葵の堪忍袋の尾が切れた。
椅子を倒す勢いで立ち上がり、ハートの元へ向かおうとする。
だが……‘ポンッ’と、いきなり目の前に出された赤い薔薇の花束に目を奪われ。
葵の動きが、一瞬止まった隙をついて。
花束が爆発した。
「……っ…………!?」
赤い花びらが、ヒラヒラと舞い落ちてきたのに驚いて。
出そうと思っていた言葉も、出なくなってしまった。
無言で再び睨みつけると、帽子が苦笑しながら話しかけてくる。
「そう怒るな。ハートも、悪気があってこのような言い方をしたのではない」
「悪気があって言っていたのなら、私はどんなことがあろうとも。絶対に、あなたたちを許さない!!!」
「うふふ、怒った顔もまた凛々しくて。素敵ですわね〜」
「ハートよ、あまり正直に言うものではない。物事に順序や手順があるように、追って説明するべきだと思わぬか?」
「わたくしは、面倒事は好みませんもの。そういったことは、あなた方にお任せいたします」
「つまりね、私たちの代わりに荒れ果てた世界を育ててほしいんだ」
自分たちが与えた、強大な力を使って。
そう、彼らは言った。
自分たちは、この空間から出ることは出来ない。
しかし、四人の力を宿した葵なら世界を育むことは出来るからと。
要は葵を媒介に使い、力を送り込もうということらしい。
そうすれば、そうすることが出来れば……。
荒れ果てた世界を、美しい世界にすることが出来る。
そんな切なる願いを込めて、葵を呼び寄せた子供たち。
「(……なるほど、健気でいじらしいじゃない)」
感動する、涙が出る。
ハハハ!ナンテ愉快ナンデショウ!!
葵はうつむきながら、震える拳をテーブルクロスで隠し、やけくそ気味に笑った。
「いかがかな?今のお主の『姿』と与えられた力を持ってすれば、すぐにでも世界に変革が望めるだろう」
「断る。断固拒否!!」
「なぜですの!?」
間髪入れず、その願いを聞き入れることを断った葵に。
信じられないといった感じで、驚愕の表情を浮かべた。
なぜ葵が断ったのか、それすらもわからないのだろうからたちが悪い。
「いきなり拐ってきてこんな刺青刻んだだけならいざ知らず……っ!!私の外見!容姿を変えるたぁー体どういう了見だぁーーーっ!!!」
虚しい葵の叫び声が、浮いていたいくつものシャボン玉を割った。
眠っていたネズミはハッと目覚め、ウサギは優雅に飲んでいた紅茶を吹き出し。
帽子はやれやれといった感じで両手を上げて、ハートはぱちくりと瞳を瞬かせた。
葵は四人の子供たちを指差して、自らの怒りを惜しみなくぶつける。
そんな葵の様子に、とぼけたようにハートは答えた。
「あらん、その姿……お気に召しませんでした?わたくしたちが今のところ引き出せる、最高の『美』を集結させた傑作ですのよ?」
「傑作だぁ……?」
「これこれ、柄が悪くなっておるぞ?」
「うるさい!!何よこれ!何なのよこれ!!どういうつもりなのよこれーーー!!!」
「耳元で叫ばないで下さいな!頭が痛くなりますっ」
「なんでこんなにボッキュッボンのナイスバディに艶々サラサラストレートヘアの美女になってるわけ?!これこそ意味ないでしょう!戻しなさいよ元の姿に!!」
元の葵の姿は、今まで一度も染めたことがないショートカットの黒髪に。
視力が悪かったからメガネをかけていて、肌はまぁ、普通のさわり心地だ。
(だが最近、肌の感触が固くなった)
背は160前後で、高くもなく低くもなく。
胸も小さめ、そのせいで別に太っていないのに寸胴体型に見られがちだった。
なんとか胸を大きく見せて、体型を良く見せようと必死だった時もある。
(今はもう苦しくてやってなかったが)
日本人の平凡DNAの血を色濃く受け継いでいたので、特に美人じゃない。
顔の印象がとても、ひどく、薄い。
誰とも見分けのつかない、地味な女だったのだ。
そんな元の姿に対し、今の葵の姿は……。
豊かで絹のような長い黒髪。
滑らかでさわり心地の良い白い肌。
薔薇のように紅い唇。
山のようにそびえ立つ胸に、くびれた腰。
桃の形の綺麗な臀部。
腹が立つことに、今まで着ていた服の胸の部分はキツキツで、ウエストはゆるゆる。
お尻はぶかぶかで――――つまり、以前よりスタイルが断然いいのだ。
肌もまるで、赤ちゃんのようにスベスベで……シミやホクロすら見当たらない。
まるで優のぷくぷく頬っぺたのようだ。
もう一度鏡を見てみれば、キラキラと効果音でも付きそうなほど姿が光輝いて見える。
「あぁ……なんてこと……っ!」
嬉しさを通り越して、むしろ憎い!
こんなパーフェクトボディが、自分という形でこの世に存在してしまった事実に対して!!
歯ぎしりする勢いで、恨みがましい目で子供たちを見ると。
ウサギが、半ば呆れたように聞き返してきた。
「……君、美しい女性に何か恨みでもあるの?凄い剣幕で怒っているけど……」
「無いわよそんなもの。ただね、私は美女は観賞だけと決めているの!眺めて楽しむことに、意味があるのであって。自分が美しくなっても、鏡を通してでしか見られないから……つまらないわ。興醒めよ!!」
腕を組み、不機嫌そうに顔を背けた。
その様子を見て、自分たちよりも子供のようだと。
ハートとウサギの二人は、クスクスと笑う。
帽子は何やら考え込み、ネズミは大きなアクビを一つ。
わかりやすい四人の様子に、葵はさらに怒りを募らせた。
「お主、面白いこだわりを持っておるのぅ。それはコンプレックスか何かが元で、そのようにネジくれ曲がってしまったのか?」
「酷いネジくれ具合ですこと」
「もはや矯正のしようがないね」
「……むにゃむにゃ、ネジネジ」
わざとらしい悪態のつきように、もう一度葵は拳を震わせる。
相手は子供。
大人げない態度はいけない。
落ち着け、冷静になるんだ。
子供の悪態は可愛い範囲、許せる範囲。
大きな心で受け入れ……………………られるかぁ!!!