6☆
深い森の暗がりの中にいた少女の姿が、まるでライトに照らされたように。
その姿が、ハッキリと浮かび上がった。
アンティーク調の、丸みのある椅子に座り。
可愛らしい、フリルの付いたクッションを背もたれの前に置いて。
優雅に葵を手招きしながら、優しい微笑みを浮かべている。
こんな不思議な場所なのだ、この女の子が不思議な存在であってもおかしくない。
なぜか納得しつつある自分がいて、葵は少なからず驚いた。
――――少しずつ、狂いはじめていることに。
葵はまだ、気づいていない。
「お菓子はお好き?」
「好き、な方だけど……」
「わたくしもよ。特に、苺のお菓子は大好きですわ!……血のように真っ赤で、滴るように甘い」
少女の目の前に置かれていた、苺のミルフィーユらしきお菓子に。
金のフォークを深く突き刺す。
「芳しい香りを漂わせ、わたくしを虜にする。血も、血の色をしている苺のお菓子も、なんて罪作りなんでしょう……!!」
フォークで刺している苺を、うっとりと眺め。
最後に口に入れ頬張る。
……端から見たら、病んでいるとも見えるその発言に思わず恐くなって。
後ろに後ずさろうとすると。
いきなり少女の顔が、こちらに向いた。
「つまらない毎日も、ようやく終わりを告げました。あなたが来て下さったんですもの」
ニッコリと微笑む少女が。
葵はただただ、恐ろしかった。
悪寒は止まらず、やけに喉が渇く。
緊張感が、極度に増していくのを全身で感じた。
「……あたしがここにいることに、なんの疑問も感じないの?ていうか、ここはどこなの?」
「ここは、名も無き異空間。儂らはわざわざ名前を口にすることはない。儂ら以外、誰もおらぬのだから。したがって、名前を付ける意味がない」
また違う声が聞こえた。
少女のすぐ隣の方に目を向ければ。
今度は丸みのある、白いティーポットを手にした、男の子が座っていた。
次々と出現する白いティーカップに、温かい紅茶を注いでいく。
「待ちかねた来訪者、儂らの唯一の救い。それこそ気を長くして、ずっと待っていた。お前だけを、ずっと待っていた」
「待っていた、って……まさか、あの白ウサギは……?」
「私たちが差し向けた、君のお迎え役だよ。可愛かっただろう?あれだけ愛らしい姿なら、君はすぐに食いつくと思ってね。大物を釣るなら、餌は良いものに限るね」
紅茶を淹れる少年の隣に、さらに姿を現した――――優しい笑みを浮かべる男の子。
こちらはお菓子を盛りつけた皿を、手の中から次々と出現させる。
ニコニコと、笑みを見せたまま。
優の姿をした白ウサギのことを、あまり良い表現で表していなかったので。
さすがに葵も眉間に皺を寄せた。
「あたしの甥は、そりゃ可愛いけど!餌扱いしないでよ!!」
見事引っかかってしまったが、他人から言われたくはない。
「それは失礼。さぁ、私たちだけのお茶会に、久しぶりの客人だ。盛大にもてなそう!」
「……どうでもいいけど、僕は眠いよ。僕の好物の、スコーンと……ジャム、を、残して、おいてよね……」
むにゃむにゃと、眠気まなこでお菓子をどんどん出している少年にそう告げると。
最後の一人は顔をテーブルに突っ伏して、眠ってしまった。
葵を見るでもなく、話しかけるでもなく夢の世界へと旅立つ。
「あらあら、せっかくお客さまがいらっしゃったのに……お楽しみは、これからでしてよ?」
「いや、あのさ……当事者を放置したままで話を進めないでよ」
楽しげに、終わりそうにないお茶会を楽しむ四人組。
それはまるで、不思議の国のアリスの世界。
通常ではありえない、この空間の中で。
ハートの女王に、帽子屋に三月ウサギに眠りネズミを模した格好をした子供たちが。
仲良く一つのテーブルで、お茶会をしている。
原作と違うところは。
全員が、10歳くらいの可愛らしい子供の姿をしているところだ。
左からネズミ→ウサギ→帽子→ハートの順に座っている。
その子たちが、テーブルの上に溢れるほどのスコーンやパイにマカロンにケーキ。
色とりどりの、飾りたてたお菓子を用意して。
それらを丁寧に、一つずつつまむ。
ハートと呼ばれた、可愛らしい女の子。
少しウェーブがかかっている、長い黒髪。
赤いハートをあしらった、王冠の髪留めを付けて。
フリルをたくさんあしらった、赤いドレスを着こなしている。
お人形のような少女は、美味しいお菓子を食べてご機嫌だ。
「あなたたちは、誰なの?」
「わたくしたちは、力無きか弱い子供ですわ」
目の前に用意された、薔薇の模様が描かれたティーカップで。
ハートはお茶を一口飲む。
その隣で、お茶を用意した帽子が呆れたようにため息をついた。
子供が背伸びしている風な、茶髪のオールバックに。
体格に合わない、黒い大きな帽子をかぶり。
上質なジャケットの懐から、どうやって出しているのか。
シュガーポットに、ミルクの入れ物を次々と取り出す。
「ようやく訪れた来訪者の前で、よく菓子なり茶なり食せるものだのぅ」
「いいじゃないか!お菓子も、お茶も、時間も、たっぷりある。私たちには、充分過ぎるほどに。だから、彼女に説明する時間もたっぷりあるはずさ」
茶色のウサギの毛皮を纏い。
カッターシャツに蝶ネクタイと、どこぞのホストのような格好をしている。
金髪で、ふわふわの髪質の男の子が。
ニコニコと、さらにお菓子をハートに進めている。
さらにその隣で。
長い灰色の髪をして、黒のダボダボのセーターを着た。
黒白のボーダーのタイツを履いたネズミが、テーブルに突っ伏して眠っていた。
寝言で、『ジャムたっぷりのスコーンバカ食い……』などと呟いている。
なんてメルヘンな光景だろう。
「わたくしたちのお茶会に、初めて異世界からお客さまが参加してくださいましたわ。初めてのお客さま、ようこそおいで下さいました!」
「お茶はいかがかな?」
「お菓子はいかが?」
「……昼寝用の、クッションは、いかが……?」
「いや、あの……」
「おっと。その前にまず、椅子に座ることを進めるべきじゃったな。……お嬢さん、空いている椅子が一つある。そちらにどうぞ、お座りなさい」
子供にお嬢さんと言われることも、大人びた話し方で話しかけられるのも。
とてつもない違和感を感じるのは、きっと自分だけではないはずだ。
葵は微妙な顔を見せた。
本当に、微妙な具合だったのだ。
ようやく人に遭遇出来たと思えば。
ままごとをしているような、可愛らしい子供たちで。
その子供たちに、椅子に座ることを進められ。
……それはまるで、ままごとに参加することを強要された母親の心境だ。
次々と勧められるそれらに、葵はお腹が空いていたし疲れてはいたが。
がっつくことは出来なかった。
なぜか、悪寒のようなものが未だに体中を走り。
止まってくれないからだ。
ふらふらと、子供たちがいるテーブルに歩いていく。
テーブルの前にたどり着くと。
四人の子供たちに、至極当然の質問を投げかけた。
「どれも結構です。……それで、何回も聞くようだけど、あなたたちは誰なの?ここはどこ?」
「座ったら、教えてあげるよ」
「……座った途端に、罠が発動するなんてことはないでしょうね?」
「失礼な方ですわね」
「安心せい、そんなセコい真似はせん。する意味もないしのぅ」
「……なら、お言葉に甘えて」
子供たちが座っている椅子と同じ、重厚なアンティーク調の作りになっていて。
座ると意外にフカフカで、座り心地は良かった。
居心地がいい場所に人心地つけると。
ようやく目の前に座る子供たちに、葵が家に帰る為に。
ここからどうやって帰ればいいのか、聞かなければならなかった。
相手の言葉の中から『異世界』という単語が出たことに、葵は顔をしかめる。
「(ここが、私にとって異世界?そりゃ、ありえない空間構成だとは思うけど)」
ありえない子たちに、ありえない世界。
そんな中で、なぜかひどく冷静な自分がいたことに驚いてしまう。
驚きを隠せない葵に気づいた帽子とウサギが、次々と目の前にお菓子の山を並べ。
ティーカップを三つ重ね、お茶をトポトポ注いでいく。
食べて飲めということなのだろうが。
お菓子はたくさんありすぎて、どれから手をつければいいかわからない。
お茶は、ティーカップの重ね方が神業すぎて、手を伸ばせない。
嫌がらせ以外のなにものでもない。
思わず口元がひきつって、ぎこちない笑顔を見せてしまう。
その上で、彼らはこう言った。
「そう焦ることはなくてよ、お嬢さん。ここでは急ぐことはない、だって時間は無限大」
「気ままにお茶会やゲームに興じ、飽きたらお喋りすればいい」
「美味しい物、楽しいこと、ここには全てが揃ってる」
「眠っていても、起きていても……変わらないのがこの『異世界』」
ここは夢が詰まった世界。
訪れたのは……あなた。
「(……なんだか頭がこんがらがってきた)」
頭の中で反芻される、子供たちの声。
その声に素直に従えと、誰かに囁かれているような気がした。
洗脳されているような感覚だ。
それはダメ、絶対にダメ!と、頭をブンブン振り。
葵は子供たちを強く見据えた。
「そうはいかないの!私、ばあちゃんの漬け物石を探していたの。早く見つけて帰らないと……家族が待っているの!!」
葵の祖母の神の手で作られる、美味しい白菜の漬け物。
それを作る為には、どうしても漬け物石が必要だ。
こんなところで、モタモタしている暇なんてないというのに……。
自然と苛立ちは募っていく。
その様子を隠そうともしていないのに。
葵の心情をくみ取っているのは、四人の内一人しかいなかった。
心情をくみ取っていない、子供たちの内の一人。
ハートが、葵が言ったとあるワードに反応した。
「漬け物?漬け物石?」
今度はケーキに手を伸ばしたハートが、漬け物なんて縁が無さそうな顔を傾げ。
葵に聞き返してくる。
すると、見かねた帽子が耳打ちして。
“漬物とは、様々な食材を食塩、酢、酒粕などを材料とともに漬け込んだ食品だ”と教えてあげていた。
その説明を聞いてすぐに興味が逸れ。
今度はイチゴのタルトを突き刺し、口に含む。
かなり美味しいらしく、ハートは顔を綻ばせて笑った。
「……のんきなものね。あたしはこんなに焦っているのに」
「儂らは別に、焦る理由がないからな」
「そうね。あたしを勝手に連れてきて、勝手に言いたい放題言ってるだけだもの!焦る必要なんてないはずだわ」
「そう怒らないで、可愛い人」
山盛りにされたスイーツを手に、キザな台詞で語りかけるウサギ。
ハッキリ言って、子供がませたことを言うんじゃない!!
って、父がいたら怒鳴られること必須な光景だった。