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「わたくしが、あなた様の赤ん坊をこの身に宿せる記念日ですわ」



 あぁ……神よ、神よ!

祈らずにはいられない我が身を、許したまえ。

どうか私に、この女の口を引き裂くことが出来る権利を与えたまえ!!



「私の鼓膜がお前の言葉を聞き入れることを拒否した。もう言わなくてもいい、元より話し合いで解決出来るとは微塵も考えていなかったからな」



「わたくしは真綿が水を吸い込むが如く、あなた様のお言葉を脳に刻み込んでおりますわ。つれないお方、まずはおもてなしをさせて下さいませ」



 言葉の一方通行が続き、前にも後ろにも進めない。

ここでリリアンヌの言うことを聞いてしまえば、自ら敵の罠にはまりに行くようなものだ。

元々、屋敷を訪れた時点で罠の中に飛び込んだも同じことなのだが。

これ以上、素直に言うことを聞いてやるのは。

どこか癪にさわった。



「訪れたお客様を、もてなさずに帰してしまうのは貴族の名折れ。あなた様に相応しい晩餐をご用意しておりますので、奥へおいで下さい」



「…………貴族、ね。馬鹿らしい」



 恐らくこの世で唯一、リリアンヌの過去を知るディーン。

どこで生まれ、育ち、またどんな風に生きていたのか。

それをただ一人、知る存在ゆえに。

リリアンヌの顔が強張った。



「貴族になりきれたつもりか」



「…………どういうことでございましょう?」



「元々のお前が、どんな女だったか。知らない者がいない世界は、さぞや居心地がいいのだろうな。……過去が過去だけに、今の生活はさぞ、極楽なのであろうよ」



 自分で言っておきながら、己の心にも深く刺さる言葉だった。

しかし、我慢するしかない。

リリアンヌの心を揺さぶること。

それが出来るのは、全てを知るディーンにしか出来ないことなのだから。


 表情までは伺えないが、体は若干震えているようだ。

暴かれたくない過去が、平気で暴かれようとしている。

魔法で意識を奪っているであろう、女たちは除外するとしてもだ。

それでも、こんなに大勢の目の前で。

聞かれたくはない話らしい。



「カビていない水は美味いか?」



「もう、その辺で……どうか」



「腐っていないスープは、さぞや食べごたえがあるだろう」



「もう…………」



「固すぎて歯が立たないパンを貰う為に、男たちに足を開かなくて済むのだから……幸せなはずだなぁ?」



「その口を閉じろ!!!」



 突如、強い風が室内に吹き荒れる。

これはリリアンヌから放たれる、魔力の風。

感情の昂りで力が制御出来ず、ディーンに威嚇するように襲いかかる。

しかし、ディーンには全く被害が及ばない。

逆に、リリアンヌの調子を上手く乱すことが出来たと。

余裕の笑みを見せた。



「本当のことを言われて怒るとは……お前もまだまだ、成長していないようだな」



「戯れ言を……っ!!あの時のわたくしとは違うのです!!!違うっ……変わったのよ」



 悲痛な叫びを聞かせるリリアンヌに対し、全く同情する気持ちが湧かなかった。

なぜなら、すでに事を起こしてしまっているからだ。

大勢の人間を、自分の身勝手な都合で巻き込み。

利用し、苦しめている。

過去に色々なことがあったとはいえ、していいことと悪いことがある。

それをリリアンヌは、理解していなかった。



「……わたくしは、必ず目的を達成すると誓ったのよ!もう、あの時と同じ失敗はしない。さぁ……始めましょう」



 指を鳴らせば、女たちが一斉に動きだす。

どこからか流れてくる音楽に合わせ、クルクル回り始めたかと思えば。

ドレスから、桃色の煙が噴き出し辺りに充満しはじめた。

匂いは、淫靡な香りとでも言えばいいのか。

並の男なら、すぐさま興奮を覚え手当たり次第にそこらの女に、襲いかかっていたことだろう。

だが、この場にいる男は並々ならぬ存在のディーンである。

辺りが完全に桃色に染まり、女たちも興奮のあまりドレスを脱ぎ出したとしても。

涼しい顔のままで、今起こっているこの出来事を、鼻で笑った。



「このあからさまに馬鹿らしい催しはなんだ?余興にもならないぞ」



「わたくしが特別に調合した、男女の情欲を燃やす香。清らかな天使すら、この香を嗅げば欲情します」



「天使に試したことがあるのか?」



「ございますとも。わたくしの体は、天使のものですから」



 清浄なる者、神と呼ばれる者の御使い。

神々しい光をまとい、無垢なる白い羽根を広げ、慈愛の微笑みで人々を導く。

その存在は、地上の悪しき空気に触れればたちどころに消えてしまうという言い伝えがあった。


 ディーンいわく。

地上に降りたからといって、そう簡単に死ぬことはないが極端に弱ってしまう性質だ。

その弱ったところを見計らって、捕まってしまうこともあるにはあった。

しかしそのほとんどが救い出され、天上に帰っていった。

そもそも、地上に降りてくる天使すら珍しいのだ。


 なぜ、どうやって天使を手に入れたのか。

またどこで見つけたのか。

疑問に思っていると、リリアンヌは証拠と言わんばかりに背中から白い羽根を出して見せた。

それはまごうことなき、天使の羽根。

穢れを知らぬ者にしか与えられないはずの、神の御使いの証だった。



「あなた様に顔を潰され、路頭に迷っていた時に。赤子を、拾いましたのよ」



「赤ん坊?」



「捨て子でした。人間らしからぬ神々しい気を感じ、もしやと思いましたが……。やはりその捨て子は、天使だったのです。ある程度育ててから、わたくしが体を乗っとりました」



「……なるほど。お前はあれから、相当長く生きたにも関わらず。まったく反省していないと、そう言いたいわけだな?」



 それは二百年前のこと。

リリアンヌは、今回起こした事件以上のことを。

ディーンが理由で、起こしたことがあった。

たとえそれなりに親しみを覚え、愛情を注いだ相手でも。

自分が原因で事をしでかしたリリアンヌを、ディーンは許しはしなかった。


 数多の人間に囲まれ、守られていたリリアンヌを引きずりだし。

捕らえて、女としても普通の人間としても生きづらい姿にした。

むごいことをと、思われるだろうが。

死んでも詫びきれないことを、リリアンヌはしでかしたのだ。

決して許されないことをした。

誰もが許せないと思っただろうし、むろん。

ディーンも許しはしなかった。


 許す心は、ディーンにもある。

むしろ並の人より、遥かに大きな寛大な心の持ち主だ。

だが、それをも越える許しがたい罪。

反省しない、罪深いことと思わない平然とした心。

たとえ神が懺悔を聞き入れても、目の前に立ちはだかるこの男だけは、ディーンだけは。

世界の終わりを迎えようとも、許しはしないのだろう。



「元の姿より遥かに美しい、天使の容貌。これをもって貴族に取り入り、今まで生きてまいりました。……そして、時はきた」



「今度はその罪を犯しそうにない顔で、私を誘惑し陥落しようと?愚かな企みだな」



「あなた様には、そうするより他に方法はないのですから。……ふふふっ、あなた様はあの時も、そのような顔でわたくしを見ておいででしたわね」



 酷く歪んだ笑みを見せる。

中身を映し出し、歪みきった醜い心をさらけ出す。

直視出来ないほど、なんて醜いのだろうと。

ディーンは顔を、リリアンヌからわざとらしく背けた。



「あなた様は、昔からそうだった。いつも揺るぎなく、変わらない。子供が可愛くて仕方ない、愛しくて仕方ない。守るべき者、未来への宝。……口癖のように、そうおっしゃってた」



「事実だ。子供は、これからの可能性を秘めている。子供を守り、慈しみ。育んでいく義務と責任が大人にはある。また、それらだけでは説明が出来ないほどの、深い愛情の対象でもあるのだ。お前には、わからない理屈だろうがな」



「えぇ。親に捨てられたわたくしには、とても理解出来ない理屈でございます!!」



「悲しいことだな」



 親に捨てられ、周りに疎まれ蔑まれ貶められて。

歪みに歪みきった、この哀れな女に最初こそは同情したこともあった。

手を差しのべてやろうとも、考えたこともある。

しかし、そうする前に。

取り返しのつかない場所にまで行きついて、沈んでしまった。

二度と這い上がれない、泥沼の底へ。


 彼女の手を、掴めないわけじゃない。

だが、足から引き込むように犠牲になった者たちが。

リリアンヌを、決して離さない。

ディーンはリリアンヌと、共倒れする気は毛頭なかった。



「――――――前は、子供だったな」



「は?」



「お前の犠牲になった者たちだ」



「あぁ……あれは愉快でしたわねぇ」



 容赦なく、リリアンヌに平手打ちをかます。

体は軽く吹っ飛び、頬は真っ赤に腫れ上がって口の端は切れ、血が流れる。

美しい天使の顔が酷いことになったが、構うものか。

今は自分の中で、とぐろを巻いて漂う憤怒の感情を抑える為に。

リリアンヌの口を、閉ざさなければならなかった。



「あれを愉快だと言うのか」



「愉快ではありませんか……。親が子を、殺す様を眺めるのは!!」



 リリアンヌは、人を操れる力を持つ魔女だった。

二百年前の当時も、親に捨てられ行き場の無い彼女を、温かく迎えてくれそうな村に案内したのは、ディーンだった。

離れたくないと、泣いてすがったリリアンヌを無理やり引き剥がし。

その村に置いてきた。


 それから数年後。

リリアンヌはどうしているかと、様子を見に行ったら――――――そこは悲劇の産屋と化していた。



「当時のわたくしには、あなた様が悪魔に見えておりました。全身を黒で覆い、巨大な力を操り……妖しくも美しい存在。人ではないから、わたくしと一緒にいてくださらないのかと。ずっと、そればかり考えておりました」



「…………」



「悪魔なら、血の生け贄を捧げれば……もしかしたら戻ってきて下さるかもしれない。多くの贄があれば、わたくしの元へ、帰ってきてくれるかもしれない。ずっと……ずっとお側に、いてくれるかもしれないと」



「それで、村中の大人を操って……自分の子供を、殺させたと?」



「わたくしが操らなくとも、いずれ親は子供を殺します!!」



 好きで産んだわけじゃない。

勝手に出来て、勝手に産まれたくせに。

なんの役にも立たない子供が、世間の人様並に飯を食うつもりか。

まともに仕事も出来ないくせに、口答えだけは一人前。


“お前が産まれてこなければ、今頃私は、幸せに暮らしていたんだよ!!!”



「実の親が!実の子の首を絞めながらっ……呪いの言葉を口にして、平気で命を奪うのです!!それが、真実。どの親も、本当は子供なんて欲しくないのです!!!」



「それは違う」



「違いません!!!!」



「違うよ」










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