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あまりの事の重大さに、困惑を隠しきれなくなっている。
歯がカタカタと震えて噛み合わない。
それを治めるように、手で顔を覆いジュリエンヌはボソリと呟いた。
「逃げなければ……っ!!!」
「どこへ?」
あの女なら、どこまでも追いかけてくるだろう。
かなりの月日が過ぎた今、再び目の前に現れたように。
ジュリエンヌが幸せの絶頂の時に、あの笑みを浮かべて平然と現れるに違いない。
そんな嫌な確信を得た。
「どこでもいいわよ!ここじゃないどこかなら!!あの女のいないところなら、どこだっていい!!!」
「生活はどうするの?まさか、ディーンに頼りっぱなしにするつもりじゃあないでしょうね?」
どんなに頼まれても、こんなに大きく成長しきっている女なんて……。
たとえ金を貰っても、面倒なんて見る気は起きない。
割と真面目な表情で、彼女にそう告げると。
「まとまったお金ならあるわよ!!それを元手に、何か店を始めるわ」
「……そう簡単にいくかしらね」
「やらなければ、わたくしはここで朽ち果てるだけなのだから……やるしかないわ!!」
ここぞという時には、女の方が逞しいというが。
思わず笑いが込み上がってくるほど、面白くて仕方がない。
本人が必死なだけに、少しばかり哀れと思わないでもなかったが。
面白いことを楽しまずして、何を楽しめばいいのか。
だが今は、ジュリエンヌの話を最後まで聞くことにした。
「彼には、逃亡の手助けをしてもらいたいの!……彼を好き云々は、落ち着いてからゆっくりと告げたいと思っているわ。今はまず、ここから逃げたいの!!助けてほしいのよ……っ!」
きっと、別の土地なら。
ここじゃないどこかなら、幸せに暮らしていける。
そう思い込んでいる。
簡単にはいかないことに、気づきもしないそのおめでたさに。
今度こそ、ディーヴァは大声で笑った。
「クッ、いいわ。助けてあげる」
「本当!?彼に連絡してくれるのね?!」
「ディーヴァ!!?」
こうも簡単に了承するとは思ってもおらず。
姉妹たちは、驚きを隠せない。
しかし有頂天になられても困るので、ディーヴァは改めて釘を刺した。
「その代わり。あなたたちは今日以降、ドロエの屋敷に帰ってはダメよ?……そうね、レネットにいなさい。今夜中に、片はつけてあげるから」
ニッコリ微笑むディーヴァの笑顔に、姉妹は揃ってうすら寒さを感じた。
簡単に、平淡に、わけもなく。
片をつけると、ディーヴァは言った。
彼女なら、そう手間もかからずあっさりと。
問題を解決してくれそうな気がして。
自然と口の端が上がった。
「なんとか、してくれるのね?あなたが」
「そうよ、エミー。……因縁もあることだし、さっさと片付けてきますか」
さっと立ち上がり、二人にも立ち上がるよう顎で合図を送ると。
三人は揃って、この陰鬱な店から出た。
エミリエンヌたちをレネットまで送れば、時刻はもう約束の刻に近い。
仕方なしに、人気の無い場所で宝石を飲み込み、ディーンの姿へと変化した。
「さぁて、魔女退治に行こうか!!」
時を同じくして、ディーヴァの命を受けた男たち三人は。
闇に紛れて、ドロエ家の敷地内に侵入していた。
「姐さんも、結構無茶言うよな〜!」
「全くだ!あいつは俺たちの苦労をよくわかっている上で、平気で難題をふっかけてきやがる!!」
屋敷から少し離れた、茂みの中から。
辺りを見渡し、ディーヴァから指示された“ある物”を探す。
よーく視線を凝らし、敷地内の全体に目を配る。
人外の目で見ても、なかなか見つからないだろうから心してかかれと、ディーヴァは言っていた。
「……屋敷を取り囲むよう、四方に配置されているだろうとは聞いております。ですがこうも石像が多いと、どれがどれやら……」
狩りをする美女の石像や、果物が入った籠を手に持つ美女の像など。
大小さまざまな石像が、屋敷を守るようにところ狭しと設置されていた。
「ん?……あれだけ、石膏だな」
敷地内に、あまりにもたくさんの石像が置かれていて。
ちょうど、屋敷の四方を囲むように置かれている石膏像に気づかなかった。
他の像とは違い、何も手に持っておらずポーズだけを取っている。
空を仰ぎ、両手を大きく広げる天使の像だった。
とてもじゃないが、これがただの像とは思えないほどの“何か”を感じた。
たとえ、人外でなくてもわかる。
声なき声が、異様な存在感が。
肌を通じてヒリヒリと、予感させた。
「おい、馬鹿力」
「もしかしてー、俺のことだったりするのかなー?まぁ君?俺だって怒る時は怒るのよ!?」
「この石膏像、表面を壊せ。いいか?表面だけだ。……何が出てきても、叫ぶんじゃねぇぞ?」
「無視っスか?」
ヴォルフを見もせず、ただ壊せの一点張りで。
渋々手だけを変化させ、力を加減しながら像に腕をふり下ろした。
……中身も石膏であるはずなのに、パラパラと表面だけが崩れ落ちる音が聞こえる。
慎重に壊していきながら、恐る恐る中を確認してみると――――
「っっっ!!!??」
「叫ぶなよ?家人にバレたらディーヴァが危ない」
「ま、まぁ君……?これは……っ!!」
「……随分と、悪趣味ですね」
「あぁ……悪趣味だ」
マオヤの予感は当たったようだ。
壊した石膏像の中身は、哀れリリアンヌの贄に利用された『人間の女』だった。
死んでから、石膏像にされたようで。
それから屋敷の結界を強化する為だけに、屋敷の周りに設置されたようだ。
……ヴォルフが崩した場所から、赤い血が流れ美しい女の顔に流れていく。
それが涙を流しているように見えた、と。
後に三人は語った。
「とりあえず、残り三体あるはずだ。それらを全て破壊して、屋敷を守っている結界を消滅させる」
「そうすれば、姐さんの貞操は無事なんだよな!?なっ!!?」
「…………ディーヴァが、心変わりしなければの話ですよね」
男たちは、わかりやすく固まってしまう。
そもそものディーヴァの本質としては、かなりのいい男・いい女好きというのが謳い文句のようで。
知り合いの、約85%が美形という高確率だった。
自分たちと、知り合う前のことまでは知らないが。
あの美貌だ。
かなりの浮き名を流したに違いない。
本人は否定するだろうが、大抵の遊び人は自分の恋の遍歴を、人にひけらかしたりはしないものだ。
つまり、何が言いたいのかというと。
ディーヴァの悪い癖が出て、倒すべき敵にまで触手が動くようなことになれば。
自分たちは、全力で。
ディーヴァの相手を、殺さなければならなくなるかもしれないということだ。
「“なるべく”血は見たくねぇ。像のことは仕方ないとしてもだ、自分たちの手を汚す結果にならねぇように。未然に防ぐぞ!!」
「それでは早く、他の石膏像も探しだして――――――……どうやら、そう簡単には壊させてはくれないようですね」
一体破壊されたせいで、セキュリティが発動したようだ。
ただの石像と思っていた物が、次々と機敏に動き出す。
ほとんどが、武器を手にしている像なので。
かなりの数があることといい、これはかなり骨が折れそうだった。
「ディーヴァが言っていたのは、このことか!!」
「ちゃんと知ってる癖に、俺たちには言わないんだからな〜!とんだドSだぜっ」
「……いいえ。ただ単に、私たちが苦労する様を思い浮かべて、楽しんでいるだけだと思います」
「それを、ドSって言うんだってー……の!!」
先制はヴォルフ。
手足だけを変化させたまま、誰よりも早く駆け石像を破壊する。
石が割れる鈍い音を聞きながら、カダルも弓矢を出して応戦した。
そんな中、マオヤが動く。
「お前ら、石像は任せた!俺はその間に、残りの像を探す。見つけたら呼ぶからな!走って来い!!」
「まぁ君も戦えよ!!」
「効率が悪いだろうが!!いいな!?ちゃんと来いよ?!」
「へーへー、わかりま・し・たっと!!」
勢いに乗って石像を破壊し、端に映ったカダルを見る。
偶然にも、共闘する羽目になった事実に気づき。
なにやら複雑な思いを胸に、またもう一体の石像を破壊した。
汗水流して働いていた男たちを余所に、ディーヴァといえば。
上等な燕尾服に身を包み、紳士の形でドロエ家を訪れていた。
遠くから、何かを壊す破壊音や乱暴に怒鳴る声が聞こえてくる。
今頃奴らは、自分への悪態でもついているだろうと、ほくそ笑みながら。
玄関までさしかかっていた。
するとノックもしていないのに、扉は勝手に開かれた。
中から美しく着飾った、数十人の女たちが会釈し、扉を開けているのが見える。
顔をよくよく見てみれば、虚ろな瞳でこちらをジッと見て。
まるで人形のようだ。
ドレスの裾を持ち、一列に並んで奥の階段まで誘導させようとする。
階段の上には、聖女の顔をした魔女が。
優雅に微笑んで、待望の人物を待ち構えていた。
「お待ちしておりました」
「…………ずいぶんと御大層なお出迎えだな。私一人に、このように大勢の美女を用意するとは。さすがに、開いた口が塞がらない」
「あなた様のような貴き御身をお出迎えするのに、生半可なものを用意する訳には参りません。選りすぐりの女たちでございます、いかがでございましょう?」
「いかがも何もあるものか」
無言のまま、しなだれかかってくる女たちを片手で制し。
リリアンヌの元まで歩み寄る。
一歩、また一歩と近づき。
リリアンヌもまた、階段を降りて近づいてくる。
あと一歩、というところで。
互いに歩みを止めた。
「今度はどんな方法で、私に迫る気だ?これだけの女たちを集めて気を昂らせ、その隙に私にのしかかろうとでも?」
「まさか。先ほども申しました通り、あなた様は生半可な美女では興奮を覚えられないようなので。代わりに数を揃えたと思われたようですが、それは酷い誤解というものです」
「では、お前の意図を是非とも聞かせてもらいたいものだ。今宵は宴のつもりで、私を招いたのだろう?」
「いいえ」
リリアンヌは、静かに顔を横に振る。
穏やかな笑みを浮かべたまま、頬は興奮の為か赤く紅潮し。
ゆっくりと口を動かした。
「今宵は、記念日になる予定なのです」
「………………おぞましくて聞きたくもないが、聞かねば話が進みそうにないな。あえて聞こう、なんの記念日だ?」
耳が拒否反応を示したが、リリアンヌの言葉を聞かないという選択肢は現れず。
泣く泣く鳥肌を我慢しながら、次に出てくる言葉を待った。