5〜異世界トリップしちゃいました!☆
「あたしの漬け物、食べたくないのかい?」
「うっ……!」
「あんたが今日中に石を持って帰ってくれば、早くても明後日には出来上がるんだけどねぇ〜優も食べたいよねぇ?」
「たべたーい!」
可愛い甥っ子の願いの前では、葵に選択肢など与えられてはいなかった。
葵は静かに、『行ってきます』と告げたのだった。
――――――じりじりと汗だくになりながら、傾斜が厳しく険しい山道を葵は登っていた。
登っていたといっても、祖母の所有している標高はさほど高くない山だ。
優の幼稚園の遠足でも、利用出来る程度である。
だが、横着をしてちゃんと整備されている道から登らず。
祖母の家の裏手から、すぐ登れる入口があるので、そこから山に入ったのだ。
そのせいで、このまだ暑い季節に余計に動くことになってしまい。
さらに、体力が削れてしまったというわけだった。
「ひ、久しぶりの山登りはっ……辛い……っ!!」
籠を背負い、ふもとから登ってきて。
葵はちょうど、中腹に差し掛かる地点まで登ってきている。
物心ついた頃から、この山には祖母と一緒に登っていたので。
山登りに慣れてはいたのだが……。
さすがに、しばらく歩いていなかったせいか。
生き倒れる勢いで疲れたようだ。
頂上を目指すのではなく。
漬け物石を探しながら歩いているのだから、余計に体力を使う。
その上暑い。
持ってきた水筒で、水分補給をしながら考えることは『暑い』の一言ばかりになっていた。
……しかし、ここまで来て後には引けない。
「兄さんはどうでもいいけど、みんなの為にも!漬け物石を見つけないと!!」
何がどうして、そこまで自分の兄をないがしろに出来るものなのか。
今までの勝のノリがノリだけに、わからないでもないのだが……。
あまりにも、勝が哀れであった。
「だ、けど……疲れたーーーっ!!」
葵は適当な場所に、漬け物石を運ぶ為の籠を降ろし。
少しだけ休憩をとることにした。
都合よく、木陰になっていて椅子代わりに座れる石があったからだ。
そこに腰かけ、ふくらはぎを揉みほぐす。
「手頃な石って、必要な時に無いのよね〜……どっかから転がって来ないかな〜?なんて」
などと言っても、この急斜面で人の頭サイズの石が転がってきたら危険だ。
当たったら怪我だけではすまない。
だが仮に落ちてきても、素早く避けられるほどのスキルを葵は持ち合わせていたが……。
ブランクがあるので、危険は避けるに限る。
それにしても、手頃な石が見つからないのには困ったとまたため息を溢す。
「健気にお留守番しててくれてるすー君の為にも、早く見つけて帰らないと……」
そうは言うものの、腕時計を見ればもう昼時。
そろそろお腹が空いてくる。
ここは仕切り直しの為、昼食を食べてからまた探しに行こうと。
さほど時間をかけずに決断し、葵は下山しようとした――――――その時だった。
『あおいちゃん!』
ひときわ木漏れ日が降り注ぐその場所に、『彼』は立っていた。
今日着ていた服とは異なり、赤のチェックの燕尾服を身に纏い。
赤い蝶ネクタイをして、知的とも言える白メガネをかけている。
大きな時計を手に持ち、……ことさら目を引いたのが。
『頭に長くて白いウサギ耳』がついていたことだった。
「すー君……どうしちゃったのっ!?おばあちゃんがこんな格好、させるはずがないし……まさか!?どこかの変質者に目をつけられて!!?」
『あおいちゃん!さぁ、行こう!!』
「すー君!どこ行くの?!ダメだよ!戻っておいで!!」
『行こう!みんな待ってる。あなたを待っているんだ!』
「待って……!!」
『さぁ、行こうよ!ここじゃないどこかへ!!』
「すー君!!」
不思議な声が聞こえた。
『向かうのはあなた、迎えるのは私』
「ダメだよ!山の中は危ないんだから……帰ろうすー君!!」
『遠い果ての海の向こう、山を越えた果ての果て』
「待って!!!」
『いざ行かん』
優が言っているのだろうに、その声は頭の中に直接響いてきた。
とても不思議な声で……優の声であってそうでない。
そもそも、なぜ優がこんなところにいるのだろうか?
あの格好も、今のおかしな行動も……変だ。
優なら、自分の言葉にきちんと耳を傾ける良い子だ。
あんな無表情で、無視し続ける酷い子ではない。
もし、優でないのだとしたら。
あの子は、誰だ?
……急にあの子の姿が見えなくなったと思えば、途端に強い風が吹く。
山の木がしなるほど揺れ、小石や折れた枝が次々と葵の身体中に当たる。
手を顔の前で交差させて顔を庇い。
両足で地面に踏んばっているというのに、ありえないほど風は強く吹き。
フワッと、葵の体が浮いた。
「っ!!?」
『行こう、行こう!別の世界へ!』
折れた木の枝や、小石が風に乗って葵の首の周りに集まり囲っていく。
ピッ、ピッ、と首の皮膚が切れる感覚が伝わった。
それと同時に、体の浮遊感は止まらない。
浮遊感もだが……柔らかい皮膚の部分が切れて、地味に痛いことに恐怖が募る。
目尻に涙が浮かび、悲鳴を上げても誰もいないので助けは来ない。
それがわかっているから、余計に声を上げずにはいられなかった。
「痛っ!痛い痛い!!痛い!!!」
『証は刻んだ、さぁ行こう!』
「やめて!!痛い!痛いのよ!!!」
声の主は、優ではない。
優似のあのウサギは、別人。
得体の知れないモノに、自分は傷つけられているという事実。
だが、今の状況を確認してみようと恐る恐る目を開けてみる。
すると……体が本当に浮いていた。
ふわふわと浮いていると思えば、次の瞬間。
真っ暗な大きな穴に、葵は落ちた。
「いやあああぁぁぁーーーっっ!!!」
落ちる、落ちる。
どんどん青い空は遠のいて、真っ暗な闇が広がっていく。
体は勢いよく急降下して、止まらない。
「こんなところでどうしたらこんな展開になるのよーーーっ!!?」
そんなことを言っても、落下するのは止まらない。
風切り音が強く聞こえ、何も掴めるものがなく底知れぬ恐怖が募っていく。
……このまま、地面に激突して死ぬのかな?
なんて考えていたら。
いきなり柔らかい草むらの上に、たいした衝撃もなく落ちた。
だが、落ちたことは落ちたので痛いものは痛かった。
「いった〜い!なんなのよ、もう!」
まさに、踏んだり蹴ったりだ。
首以外では特に痛みはなかったが、落ち方が悪ければ確実に死んでいただろう。
首以外の体の箇所に丁寧に触り、特に怪我がないことがわかりホッと一息つく。
姿を映せるものは何もなかったので、首を見ることは出来なかったが。
触っても血はつかなかったので、特に気に留めなかった。
大怪我がないだけ儲けものと思わねば。
手で軽く首を押さえながら、今の状況がどうなっているのかを知ろうと。
辺りを見渡した時だった。
――――――優しい風が、一陣吹いた。
「えー……?」
目を何度も瞬きさせて、今自分の身に起こっていることが現実かどうか。
目を見開きするたびに確認する。
だがここは、自分がいた山の中じゃない。
それがハッキリ言えることが悲しいと、葵は思わず膝をつき。
柔らかい草むらの上に、項垂れて手をついた。
葵の目に映ったもの、それは。
チェス盤の市松模様のように、きちんと整備されている草むらと思っていた芝生。
その一マスごとが、カラフルな色で染められていた。
見たことがない赤や青や黄色の原色の、珍しい花が咲いている大きな木が、たくさん生えていて。
そのままつられるように空を見上げれば。
シャボン玉がたくさん浮いていて、綺麗な虹もかかっていた。
時折シャボン玉がはじけては、虹がかすかに揺らぐ。
だけどこんなに明るいのに、大陽も月も空には存在していない。
不思議な場所、ではなく。
不思議な空間、という言葉がピッタリだった。
だって、ここは小さな箱庭。
他に世界はない。
今あるものが全ての『世界』。
……普通なら、一体どれだけのお金をかけてこんな演出をしているんだろうと考える。
だけど葵の心の中では、ずっと警戒音が鳴りっぱなしだった。
[ここはあなたの知らない世界]
そう、誰かに囁かれているような気がして……ゾッとした。
いつまでも、地面と顔を近づけて挨拶している訳にもいかないので。
立ち上がって少し歩いてみる。
とりあえずは、すぐ近くにある小さな森を目指して歩き始めた。
……いざ足を進めてみると、本当にフカフカの芝生で。
これだけの芝生だと、まるで高級な絨毯の上を歩いているような感覚だった。
歩いたことはないが。
「……見渡す限り、メルヘンチックな風景が広がっております。こんなテーマパーク、近所になかったと思うけど……」
葵の家の近所周辺は、山と川と田んぼと。
申し訳ない程度に、整備された広い道しかない。
一番近いスーパーに行くにも、車で一時間かかる距離にある。
若者が遊ぶ場所すらないのに、……本当にここはどこだろう。
キョロキョロと辺りを見回しながら、ようやく森の入口に差し掛かった時。
葵は声をかけられた。
「ごきげんよう」
ご機嫌は良くはありません、最悪です、と、心の中でソッと呟いた。
……優ソックリの白ウサギに、深い穴に落とされてか。
首にケガまでしているし、訳のわからない場所を歩かされているし。
自分が何をしたんだと、初対面ではあるが目の前にいた黒髪の少女に。
恨み言の一つや二つでも、言いたい気持ちにさせられた。
「絶好のお茶会日和ですわね」
目の前に、全体的に薄汚れて首筋に血がうっすら滲んでいる女が。
突然現れたというのに、のほほんとお茶会日和と言った少女に葵は。
警戒心を最大に働かせる。
……もしかしたら、この女の子が何か知っているかもしれない。
そう思って、話を続けようとしたのだが。
「……そうですわね?」
なにぶんにもまだ頭が混乱していたので、そう言うしか出来なかった。
「今からお茶会を始めますのよ、あなたもいかが?」
「えっと……」
「お茶にお菓子、それでも足りなければ余興も少々」
その愛らしい微笑みは、見る者を虜にする。
不覚にも葵は、彼女の微笑みに魅了されてしまった。
思わず見惚れていると、キョトンとした風に首を傾げる。
一つ一つの動作や仕草が、目を惹きつける。
言葉を無くし、頬が赤く染まる。
それは、現実を一時でも忘れさせることが出来る。
魔法のような存在だった。
「甘いお菓子は至福の証。香り高いお茶を用意し、金銀の食器を用意して。花を飾ってテーブルをセットして。素敵なお茶会をいたしましょう!」
「はぁ……」