66〜懐かしき者よ
「これはっ……!!神の領域ね!まさしく蕩けそうなほどの美味!!!」
「中のクリームが舌の上で溶ける!外側の生地も、噛んでないのに噛みきれる!!」
エクレアを手に、それに合う紅茶を買って。
近くに、東屋がある静かな庭園の存在を知って、二人でやってきたのだ。
東屋にある、石のテーブルの上に温かい紅茶とエクレアを置いて。
行儀は悪いがエクレアを手に持ち、かぶりついたのだ。
そして冒頭に至る。
「七色のエクレア、本当に美味しい!幸せって……こういう時の為に使う言葉なのね」
「大げさね!……と、言いたいところだけれど。確かに、本当に美味しい。美味しい以外の言葉が出ないっ……!!」
お互いに笑い、楽しい時間を過ごす。
エクレアが世界を救う、なんて。
おかしな言葉も頭の中をよぎり、それすらも可笑しくて笑ってしまう。
手に付いた汚れを拭き、紅茶を飲んでいると。
ふいに、エミリエンヌがお手洗いに行ってくると言い残して。
東屋から出ていってしまった。
「……出てきたら?エミリエンヌはもう行ったわよ」
「……………………」
茂みから現れた、光の化身。
黒い神父服に身を包み、それとは相対して輝く黄金の髪。
そして、鮮やかに澄んだ青い瞳。
その瞳が、ディーヴァの姿を綺麗に映して。
途端に伏せられ、映された姿は瞳の中から消えた。
「お久しぶりです、ディーヴァ……」
「マクシミリアン……大きくなったわね。前に会ったのは、二百年も前のことだけれど。いい男になった」
陽の光を浴びて、透き通るほど美しい白い肌の上を、指で滑らせる。
その上に自らの手のひらを重ね、マクシミリアンの瞳から、一筋の珠のような涙が流れた。
「ディーヴァ……お会いしとうございました………!!」
「あたしも会いたかった。ずっと、気になっていたの。……だけど、なかなか来られなくてね。ごめんなさい」
「だが、会いに来てくれた。この国に……この時に…………私に」
会いたかった。
一人じゃないが、一人だったから。
寂しくないが、寂しかったから。
心の中が枯渇し、潤いを与えてくれるあなたを。
ただ、ひたすら求めて。
「一瞬で、私の中の孤独感は消えた。……本当に、あなたは不思議な人だ」
しばらく二人で、庭園の中を一緒に歩く。
腕を組み、さながら恋人同士のような。
鳥たちは歌い、木洩れ日が射し込み。
秋特有の涼しい風が、二人の柔らかな髪を優しく揺らす。
マクシミリアンの腕に、顔を寄りかからせながら。
よく通る声で、言葉を紡いだ。
「あんなに小さかったのに、今はあたしより背が高いだなんて……驚いたわ」
「あれから、二百年も経ったんだ。大人というには、歳を取りすぎた」
「あら、それをあたしに言うの?二百年どころじゃないんだからね」
二百年と五千年。
桁が違いすぎて、笑えない。
マクシミリアンは、ディーヴァの実年齢は知らないが。
たとえ知ったとしても、きっと態度は変わらないだろう。
そんな確信があった。
「今もまだ、あの教会に住んでいるの?」
「あぁ。あそこは、特別な場所だからな」
「彼が、眠っている場所だから?」
「……あからさまには言えない。あの人は、ずっと待っていた。ずっとずっと――――今も尚、ずっと」
「今も?」
「はい。あの人は、今もあなたを待っている。待ちかねて……焦がれるほどに」
見下ろしてくる、青い瞳がディーヴァを射ぬく。
なんの感情も見えず映さず、伸ばされた手がディーヴァの頬に触れた。
優しく撫で、包む。
「私も、死ぬほどあなたに会いたかった。だが、あの人は私以上に……あなたに会いたがっていたんだ」
「それで未だに、あたしを待っているって?ただの人間が、二百年もの間ずっと?」
「あなたを想うだけで、二百年などあっという間に過ぎ去った。あの人も、同じだったろう」
おかしいと思うところだが。
今は突っ込めない。
真面目な顔をしたマクシミリアンと、一緒の空間にいることで。
冗談を言うことは許されない。
何も言っていないが、そう言っている気がした。
「罪作りなものね、あたしって女も」
「そう思うなら、会いにきてほしい。あの人も、それを望んでいる」
「まだ、ダメ」
マクシミリアンから離れ、風が吹く中微笑むディーヴァ。
そろそろ、エミリエンヌが帰ってくる。
東屋に戻らなければ。
「まだ、時が満ちていない。……だけど、もう少しすれば、なんの障害もなく会いに行ける。彼にも、あなたにも」
障害となっているものを取り除き、堂々と会いに行こう。
でなければ、今まで我慢させていた彼に申し訳ない。
彼は、待っていた。
ずっと待ってくれていた、ならば。
最高の再会を果たさなければ、芸術家である彼に申し訳ない。
なにより、自分が許せない。
「さぁ、帰りなさい。あたしも用を済ませないといけないし、あなたも。長く彼から離れてはいけないんでしょう?」
「あぁ、…………必ずや、会いに来ると」
「誓う。あなたと彼が信じるものに」
今度はディーヴァが、マクシミリアンの手の甲に唇を落とす。
誓いのキス。
結婚式でもなければ、神の御前でもないけれど。
誓いの儀式は、果たされた。
「“またね”」
「…………“また”」
また、会おうと。
今度は曖昧な約束などではなく、誓約として交わされた。
マクシミリアンは、再び茂みの中に消えていき。
ディーヴァは東屋に戻った。
「ちょっと!!どこに行っていたのよ!?」
「少し庭園の散歩」
「あなたがいなかったから、危うくエクレアの残りを、鳥に奪われそうになっていたのよ?!」
「見る目のある鳥がいたものね」
「笑い事じゃないっ」
プンプン怒りながら、乱暴に大理石の椅子に座る。
ディーヴァも同じように椅子に座り、紅茶を一口飲んだ。
「………もしかして、誰かと会っていた?」
「突然どうしたの?」
「あなたから、いつもと違う匂いがするから。……そうじゃないかと思っただけ」
鋭い。
子供ならではの勘の鋭さで、ズバリと言い当てるものだから、ヒヤッとする。
正直に言ってもいいのだが、なにせ相手は人外。
諸々を説明するということは、自分のことも説明しなければならなくなるわけで。
それは非常に、面倒くさいことだった。
「この後はどうする?」
「そうねぇ……正直なところ、エクレアが今日の大本命だったから。手に入って、かなり満足してしまったの。だから、この後どうしたいかすぐには思いつかないわ」
入手困難であったので、それの代わりになるお菓子巡りのコースを考えていたらしい。
だが、欲しい物が手に入って他のお菓子を食べたい意欲が、薄れてしまったそうだ。
このままのんびり、静かな庭園で過ごすのも悪くないだろう。
だけど、それではせっかく出かけたのにつまらない。
どうせなら昼食がてら、街の中を歩いてみようとエミリエンヌに提案した。
「いいわよ。街は広いから、案内のしがいがあるわ」
「それは楽しみね」
「話があるの」
ディーヴァたちの前に、いきなり現れたジュリエンヌは。
エミリエンヌに視線を向けると、先ほどのセリフを告げた。
エミリエンヌは、不安そうにディーヴァを見上げるが。
そんな彼女に心配ないと、優しく微笑む。
そして、ジュリエンヌに付き合ってやれと進言した。
「いいですが……どちらまで参りますの?」
「近くの店よ。そんなに時間は取らせないわ」
その言葉を信じ、二人は切迫した表情のジュリエンヌの後をついていった。
「……それはそうとあなた、どなた?エミリエンヌとはどういった知り合いなの?」
エミリエンヌが、答えにくい質問をされてしまうとは思っていたが。
まさかこのタイミングで、ジュリエンヌに聞かれてしまうとは。
答えにくそうに、モゴモゴ口を濁している彼女に代わり、ディーヴァが素早く返答した。
「彼女に、大切なお菓子を譲っていただきましたの」
「お菓子?」
エクレアのことを言っているのだろうか?
幻のエクレアの最後の一つを、お腹がいっぱいだからディーヴァに食べてもらったのだ。
それを譲ったと言えるのか?
物は言い様だとは思うが、譲っていただいたは大げさ過ぎる。
「ですから御礼をするまで、彼女と離れる訳にはまいりませんの。それに……今度弟が、子供服の店を出すことになるかもしれませんから。お得意様になっていただけそうな方に、貸しを作ったままでは弟に合わせる顔がございませんでしょう?」
「ディーン・ラッセル!?」
「あら、ご存じでしたの?」
「……だったら話は早いわ、一緒に付いてきて」
――――――裏路地に入り、さらに奥まで進んだ時。
明らかに空気が淀んで、全体的に暗く陰鬱な空気が漂っている店の前で、三人は立ち止まった。
ジュリエンヌの格好がいつもとは違い、質素で暗めな色合いの服装になっていたのは、この店に来る為だったのだと考える。
店の扉の前に、厳めしい顔つきの男たちが立っていて。
こちらを威嚇するように見てくるが――――ジュリエンヌが、カードのような物を見せると。
扉の前から退き、開いて中に入るよう促した。
「入るわよ」
「ジュリエンヌお姉様、ここは……」
「いいからさっさと入りなさい!あなたみたいに目立つ子供が、外に一人でいたら何されるかわからないんだから!!」
「っ!?は、はい!!」
「……妹の心配だなんて、ずいぶんお優しいこと」
嘘みたいだ。
エミリエンヌに対して、酷く無関心だった態度が。
心配するだけでなく、どこか人を小馬鹿にしたような態度も、綺麗さっぱり無くなっている。
別人とまでは言わないが、だけど人が変わったような。
いつもと印象が違うので、エミリエンヌも凄く困惑しているようだ。
なぜいきなり自分たちを誘ったのか。
強気だった姉に対して、彼女がその質問を聞けるはずがないので。
ディーヴァが代わりに、ジュリエンヌに聞いた。
「嫌っている末の妹を、こんなところまで連れて行く訳は?」
「……別にっ、エミリエンヌが嫌いという訳じゃないわよ!ただ、他人のことまで助けていられなかっただけ」
「た、にん……ですか………」
やはり直球で言われるのはキツイ。
エミリエンヌの傷ついた表情に、ばつが悪い顔になるも。
ジュリエンヌは、取り繕う真似はしなかった。