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「やっぱり、女の子は可愛い」
ディーヴァは、可愛らしく着飾ったエミリエンヌを、真正面から抱きしめる。
するとその豊満な胸に押しつぶされて、うんともすんとも言えやしない。
柔らかな胸といい香りに包まれて、しばらく大人しくしていると。
すぐ側から声がかかった。
「ちびっこ」
「おい、どうせろくでもないことしか言えねぇんだから黙っとけ」
「こればっかりはそうもいかねぇよ!!ちびっこ、俺と変わってください!お願いします!!!」
「やはりろくでもないことしか言いませんね」
ヴォルフは綺麗に一礼して、エミリエンヌに頭を下げる。
しかし今はまだ顔は、胸の谷間に埋っている。
何も言えないので、代わりに極上の微笑みを浮かべたディーヴァが返答した。
「あなたごときが、エミリエンヌの代わりになれると本気で思っているの?」
「いい笑顔で酷いこと言った!?」
「正論だろうが。愛らしい少女と、ケダモノ。どちらが正義かわかりきったことだ」
「そもそも、そんな発言をした時点で悪です」
「そこまで言うか?!……本気で死にたくなりそうだ……っ!!」
「死ねないくせに」
今度は飄々と笑う彼女に、ヴォルフは過剰に反応する。
顔は強ばり、言葉は出ない。
だが一瞬の内に、いつもの明るい笑顔に戻り何事も無かったように振る舞った。
「あら、少しは強くなったみたいね」
「いつまでも弄られてばかりじゃねぇぜ!俺は成長出来るんだっ」
「折られなければいいけれどねぇ、心が」
「そうそう折られてたまるかっての!」
二人にしかわからない話。
だがエミリエンヌ以外、根掘り葉掘り聞く者は誰もいない。
……皆、触れられたくないことがある。
自分から話すのなら別だが、わざわざこちらからは聞くことはしない。
たとえ相手が誰であろうと、あえて傷口を抉る必要はないのだ。
「さぁて、女同士。仲良く出かけましょうか」
「そうね、お店によっては午前中で売りきれるお菓子もあるから……どうやって確実に手に入れるか。それが問題だわ」
「ふふん、それなら任せて。とっておきの裏技があるから」
手袋越しに、エミリエンヌの手を握る。
布越しでも、温もりは伝わり自然と笑顔になった。
ようやく馴れてきてくれたようで、笑顔を見せてくれることは素直に嬉しい。
思わず膝をついて、彼女をギュッと抱きしめた。
「ディーヴァ……?」
「可愛い。本当……可愛いわ」
子供は可愛い。
生意気で我が儘で、憎らしいところもあるけれど。
それ以上に。
温かくて、柔らかくて。
親思いで、素直で。
――――愛しい気持ちを沸き起こさせる、そんな存在だ。
「(あぁ……世界中の幸福を、この子に与えられたらいいのに)」
祈るならば、普通は神なんだろうが。
この世界の神は、何も出来ない奴らだ。
だから、神頼みは出来はしない。
する気もない。
……だけど、誰かはわからない誰か。
いるかは知らない、幸福を授けてくれる者よ。
「(この子の笑顔を、守ってください。幸福を授けてください、―――不幸を退け、お守りください)」
なぜ、人は何かに祈るのか。
祈ることしか出来ないからか、それ以外の方法を知らないからか。
なんにせよ、今は直接なにか出来ることはない。
時期はまだ来ていない。
だから、今はただ祈ろう。
「それじゃあ、出かけましょう」
「えぇ、ディーヴァ」
「……私たちも出かけましょう」
「そうだな!」
「また後で」
「しくじらないようにね〜」
ケラケラ笑いながら、男たちに空いた手を振るディーヴァ。
主にマオヤがイラッと腹立っていたが、時間が惜しいのであえて無視する。
男たちは、互いに目配せを送り。
急いで行動に移したのだった。
「何をしくじらないようにって?」
エミリエンヌには、何も話していないので当然、不思議がって首を傾げる。
だが教えるわけにはいかないと、わざと話を逸らした。
「ねぇ、エミーが欲しているお菓子って……あの『幻の七色のエクレア』なのよね?」
「そうよ。完全予約制だったのが、ミスサンセベリアコンテストが終わるまでは、個数限定で店頭販売しているの!」
途端にキラキラの瞳になった。
輝きが半端ない。
サングラスが欲しいところだが、眺めていたい欲求も捨てがたいので、眩しいのは我慢した。
「見た目が綺麗で、芸術性もあって、美味しい。まさにサンセベリアを代表するお菓子なのよっ……」
「食べたことあるの?」
「ないから、今から買いに行くんじゃない!!」
「そう、楽しみね」
「えぇ!」
一日限定二十個。
売り切れ次第、即終了という過酷な難問が待ち受ける中。
一体どうやって、幻のエクレアを手に入れるつもりでいるのか。
不安半分、興味が半分。
そして楽しみで仕方ない、エミリエンヌなのだった。
「着いた………けれど、あぁ……」
「すでに二十人、並んでいるわね……」
幻のエクレアを販売している、洋菓子店『モナンジュ』。
四代に渡り、この場所に店を構える老舗中の老舗だ。
繊細な作りの洋菓子は、宝石のようにキラキラと輝く物ばかりで。
その芸術作品とも呼べる菓子を、作り続けている誇りを胸に、今日まで続けてきた。
だが、長く続けている上にオシャレで美味しいお菓子は、当然のことながら人気が高い。
しかも、モナンジュは王室御用達の看板を掲げている、ハイソな店だ。
店内で普通に販売しているお菓子でも、一般市民はまず手が出せない。
貴族も下級の身分の者は、買えたら幸運な方だろう。
なぜなら悲しいことに、上流層だけが買い物出来るお店という。
そんな固定観念が、築き上げられてしまっているからだ。
なら、ただの旅人で金持ち・貴族(エミリエンヌは当てはめない)などに宛がないディーヴァは、どうなるかというと。
「エミー、少し離れた場所で待っていてくれる?」
「いきなりどうしたの?」
「あなたがいたら、釣りが出来ないのよ。ほんの少しだから待ってて」
「――――――釣り?」
ディーヴァに言われ、大人しく成り行きを見守る為、建物の陰に隠れた。
そこからなら、店の前の出来事が全部見渡せる。
少しドキドキしながら、大人しく待っていると。
一人の若い紳士が、限定エクレアを手に笑顔で店から出てくるのが見えた。
それに目を光らせ、ディーヴァが早速行動に移す。
「あぁっ……!」
「どうかなさいましたか!?」
紳士の前で、突然くずおれる。
悲壮感を漂わせ、目の端にうっすらと涙を浮かべ。
紳士を見上げる様子は、ひどく美しい光景だった。
「あ、あのっ……」
案の定、紳士はディーヴァの美しさに目が眩み、顔を赤くさせる。
ほとんど条件反射で側に駆け寄って、慌てて手を差し伸べてきた。
「お優しい方……ありがとうございます」
「どうか、なさったのですか?……涙が、」
「ごめんなさいっ……!こんなところをお見せしてしまって」
わざとらしく男の前で倒れて、嘘の涙を見せて気を引いて。
…………小悪魔どころじゃない、悪魔がこの下界に降臨した。
実にびみょーな顔をして、エミリエンヌはその光景を眺めていた。
「わたくし、病気の妹の為にエクレアを買いに参ったのですが……」
「おぉ、病気の妹さんの為に……」
もしや、病気の妹というのは自分のことなんだろうか?
すこぶる健康で、風邪すら引いたことがない自分を、病人扱いは非常に困る。
続きはどうなったか見てみると、ディーヴァの視線は紳士が手に持つエクレアに、一点集中していた。
もう穴すら開きそうなほどだ。
紳士の困惑した顔に気づくと、恥ずかしそうに目線を逸らす。
俯き加減が死ぬほど色っぽかった。
「使用人には任せておけず、わたくし自らが買いに来たのが、そもそもの間違いでした。妹の病状が気がかりで、出かけるのが遅くなりすでに売り切れてしまってっ……!!」
両手で目元を覆い、どれだけ深い悲しみに襲われているかを見せる。
紳士は慌ててハンカチを取り出し、ディーヴァにソッと手渡した。
……この時点ではまだ、エクレアを手放す気はないようだ。
「ありがとうございます。お見苦しいところをお見せしました」
「いいえ!…………妹君は、かなりお悪いのですか?」
「お医者様のお話では、食べる物さえ食べれば回復する見込みはあると……ですが、食欲がないと言って食べてくれないのです!……もしっ、あの子が死んでしまったら……っ!!」
もらったハンカチで、大げさに泣き始める。
一体いつまで、この茶番劇は繰り広げられるのだろうと。
首を長くして待ち続けていると。
ようやく紳士が動いた。
「よろしかったら、これを」
「まぁ、ですがこれは……!」
白々しい。
最初からエクレアに狙いを定めて、視線を全く動かさなかったくせに。
冷めた目付きで見つめていると、紳士がエクレアを渡すと同時に、しっかりとディーヴァの手を握った。
「あなたのような、妹想いの美しい方に貰っていただいた方が、私も嬉しい」
「良かったっ……これで、きっと妹も元気になりますわ!」
奪い取ったどー……。
なんということだ、平和的にとはいえ人様からお菓子を奪い取った。
紳士はディーヴァの手の甲にキスをし、恥ずかしそうに照れている(演技だろうが)。
鮮やかな手口に、プロの詐欺師も真っ青だ。
「…………地獄に落ちるわよ、ディーヴァ」
ぼそっと呟いた言葉は、彼女には届かない。
だけど、方法があまりにもアレなのには目をつぶるとして。
幻の七色のエクレア、ゲットだぜ!
「お待たせ〜!」
「私は病人じゃないわよ、この詐欺師」
「帰ってきて早々、悪態?ひどーい!一生懸命捕ってきたのに〜」
「盗ってきたの間違いでしょう?」
「あの紳士が好意でくれた物が、なんで盗品扱いになるのよ。あくまで好意!なんだからね」
「ものは言い様だこと」
……あの紳士、やけに身形が調っていた。
普通の上流階級の人間じゃない。
もしかすると、ただの貴族じゃないかもしれない。
なぜか気になった。
モブの一人と思えない何かが、紳士にはある。
そう思えて、仕方なかった。
「ま、もう会うことはないでしょうけれど」
気にすることはないと、戦利品を手にエミーと一緒にどこか静かな場所を探しに、二人で歩き出した。