62〜再会
「明日の、夜?」
「急よね」
「そうね……でも、いいわよ。急いで見て回りたいものは他にないしね」
見たい場所は逃げやしない。
全ての用を終えてから、後はゆっくり見て回ればいいと思っていた。
エミリエンヌも、オークションを前にしてあまり落ち着けないだろう。
全部終わったら、サンセベリア中の美術品やお菓子の店を見て回るのもいい。
誰よりも詳しいであろう、エミリエンヌにガイドを頼めばいい。
仕方ないと言いながらも、きっと案内してくれるはずだ。
「……でも、珍しいのよね」
「何が?」
「ジュリエンヌお姉様ならともかく。リリアンヌお姉様が、屋敷に人を招くなんて」
慎ましやかで、おしとやかで控えめで。
人付き合いはそれなりに、だけど深く付き合うことはしない。
だからわざわざ、好きこのんでリリアンヌを訪れる者は、なかなかいなかった。
仕事関係で、パーティーを開くことはあっても。
個人的に、人を招きはしない。
だからこそ、不思議で仕方がなかった。
「なにか考えがあるんじゃない?よくはわからないけれど」
「……本当、よくわからないわ」
わからないということは、恐怖の感情に支配されやすい。
大げさと言われるかもしれないが。
よくわからない、リリアンヌからの招待という事実が。
エミリエンヌに、底知れぬ不安感を与えた。
「どんな格好で行こうかしらね〜」
不安でいっぱいのエミリエンヌの心を、気が抜ける口調で解きほぐす。
そんなディーヴァに、思わず笑ってしまいながら。
なんとも的確なツッコミを入れた。
「あなたが行くんじゃないでしょう?」
「まぁね。……どんな格好で行かせようかしらね」
危なかった。
エミリエンヌには、バレてもいいがバレたくない。
一度得た信用を失うのは、とても惜しい気がするから。
美術館の中を歩きながら、外に向かう。
あれから全ての美術品を見て回って、用は済んだので帰るところだ。
……外に出てみると、だいぶ陽が傾きかけている。
あっという間に陽はくれるので、早めの帰宅が望ましかった。
「じゃあ、帰りましょうか」
「レネットに?」
「レネットに」
間を空けずに答えるエミリエンヌに、少し意地悪く質問してみた。
「あたしもいいの?」
今さらな質問だが、どうしても聞きたかった。
子供相手に大人げないと言われても、エミリエンヌの口から直接聞きたい。
でも、答えはわかっていた。
「……今さら、ホテルに泊まるの?」
エミリエンヌは素直になった。
ディーヴァは喜びに満ち溢れた。
二人の絆が、高みまで上った瞬間だった。
「エミーがいる場所があたしのいる場所よ!!」
そう思いきり叫んで、エミリエンヌという愛らしい生き物を抱きしめた。
彼女が可愛いのが悪い、自分は悪くないのだと主張しても。
わかってくれないのが『彼ら』の性のようで。
正直、たまに泣きたくなる。
「ディーヴァ……!!」
勢いあまって、エミリエンヌに抱きついて頬擦りしたところで。
背後から、聞き覚えのある凍えそうなほど低い声が聞こえたのだ。
ディーヴァのから笑いが、周りに虚しく響く。
そんな彼女のおかしいと思い、エミリエンヌは後ろを見ようとしたのだが……。
ディーヴァに完全に頭を固定され、見ることは叶わなかった。
「鬼よりこわーい奴が来たー♪」
「姐さん、歌ってる場合じゃないって」
「逃避したいのよ、わかって」
「逃避している場合じゃねぇぞ?……ついには、こんなに幼い少女にまで手を出したか。本当に見下げ果てた奴だな!」
「あら、早かったわね。まだまだ時間がかかると思ってたのに」
「人の話を聞け!男も女も見境なしかよ!?まったく救いようがねぇ!!」
「やっだまぁ君!誰が救われたいなんて言ったのよ〜う」
「……そのセリフ、俺の後ろで無言のままのあいつにも言えるのか?」
吹雪どころではなかった。
大雪に氷に雨、霰。
人が凍る為に必要な物を全て、そのまとったどんより空気から放出している。
ディーヴァが盾にならなければ、エミリエンヌまで凍ってしまうところだった。
「……………………」
「姐さん、こいつマジで手に終えないからナントカシテクダサイ」
ため息を溢すマオヤに、項垂れるヴォルフ。
そして……ずっと何も喋らないまま、じーっとディーヴァを見つめるカダル。
視線の先は、ディーヴァと……エミリエンヌの二人のようだ。
ディーヴァが身を呈して、姿を隠しているので三人には、彼女の全身は見えていない。
しかし、ディーヴァの体を通り抜けカダルにはエミリエンヌの全貌が、よく見えている風だった。
目が恐い。
「…っ………!!」
「カダル、元気だった?」
「――――――――死にそうですっ……」
離れていたのは、ほんの少しだというのに。
顔色が悪く、今にも倒れそうな具合だ。
しかし、ディーヴァはそんなに甘くない。
カダルの方に体を向け、厳しく一喝した。
「泣きそうな声を出すんじゃないの!たかが一日離れていただけでしょう!?」
「一日と五時間もです……!!もっと正確な時間を申し上げてもいいのですが、そうするとあなたに呆れられてしまいそうなので、言いませんっ……」
「すでに俺たちが呆れているぞ?」
「カダルってば、ずーっとこんな調子でさ。マジで勘弁してほしいです」
協調性は大事、我慢も大事。
それをちゃんと教えたつもりでも、どれだけ理解しているのかわからないから、困る時もある。
カダルは基本、ディーヴァと離れない。
離れないから、依存する。
……少しずつでも、離れる訓練を兼ねて自由行動を増やしているのだが。
その度に、こうして死にそうになってディーヴァを出迎える。
「悪かったわね、二人とも。かなり八つ当たりされたでしょう?」
「「それはもう!!」」
あれからスパイスだけではなく、色々……本当に色々あったらしい。
自然と青ざめた二人に、ディーヴァは心から同情した。
「そこまで大げさなものでは……」
「嘘つけぇ!!」
「スパイスの恨み、忘れてねぇぞ!?」
「……この方たち、どなた?」
エミリエンヌは余所行きの顔を作り、三人の素性をディーヴァに尋ねる。
大事の前に、余計な揉め事は嫌だと顔にハッキリ書かれている。
ディーヴァとて、面倒を起こす気はない。
むしろこの三人が合流したなら、ちょうどいい。
計画に巻き込んでしまおう。
ディーヴァ自身が、長らく考えていた計画を実行に移せる絶好の機会。
ニヤリと嫌な笑みを見せると、主にマオヤとヴォルフは、悪寒が体中を走った。
「この子たちは、あたしの供の者よ。サンセベリアに来る途中で、はぐれてしまっていたの」
「そういうことにするのか」
「嘘ではないわ」
「本当でもありません」
恨みがましく見つめる男たちの視線も、どこ吹く風の如し。
むしろ心地よさそうにその身に受け、魅惑の微笑みを浮かべた。
「とりあえず、エミー」
「え?」
「増えたけれど……いいかしら?」
「……仕方ないわね」
そう言いながらも、どこか嬉しそうに新たな客人に、宿泊の許可を出したのだった。
――――――ドロエ家、屋敷内にて。
「ウフフ……やっと、やっと現れた」
光が射し込まぬ、薄暗い地下室。
グツグツと煮込んでいる鉄鍋の中に、次々と秘薬の元になる材料を入れていく。
桃色の液体をベースに、まずは。
カーネリアン・ガーネット。
ルビー・ペリドット。
ブラッドストーン・アパタイト。
それらの石を一つずつ、鍋の中に入れよく煮る。
そして怪しげな薬草を投下し、小瓶に入った謎の液体を一滴垂らす。
淡い紫色の煙が、浮き上がったのを確認したら。
最後にゆっくり、しっかりと全てが一つになるまでよく混ぜ合わせた。
「この秘薬が完成した時こそ、我が望みが叶う!!」
最後の仕上げは秘薬を煮詰めて、固まらせれば完成だ。
それにはかなりの時間がかかる。
今から煮詰めても、出来上がるのは明日の昼頃になりそうだった。
「……今度こそ、逃がしはしない。無理やりにでも、この薬を摂取させ大願を成就させてみせる……!!」
「……あのぅ、」
重い鉄の扉の向こうから、見知った者の控えめな声が聞こえた。
鍋をかき混ぜる手を止め、そちらに振り向く。
そして扉に近づきもせず、手を向けただけで重い扉をなんなく開けてしまった。
「何か急ぎの用で、ここを訪れたのでなければ許さないわよ。見ての通り、今忙しいのよ」
「申し訳ありません。ですが……その、あの者を呼びつけたと、聞きましたので」
「あの者?」
「ディーン・ラッセルと、名乗った者です……」
おそるおそる部屋の中に入ってきた女が、頬をほんのり染めてディーンの名を口にした。
ここを訪れた女の意図に気づき、わざとらしくニッコリと微笑む。
「お呼びしたわ。あの方はわたくしの、長年の願いを叶えてくださる大切なお方だから」
「でしたら!……あの、用が済みましたら……あの男を私に、お譲りいただけませんでしょうか!?」
バシンッ、と鈍い音が響く。
愚かなことを願った女の頬を、容赦なくひっぱたく。
叩かれた女は、頬を押さえ泣きそうになるのをこらえるように、唇を噛みしめた。
「あまり、馬鹿なことを言うものではないわ」
恐い顔のまま、女に冷たく言い捨てる。
純粋に、愚かな発言をした者に対して、怒りを露にしていた。
だが叩かれた方も、簡単には引き下がらない。
頬を押さえたまま、心の内をありのままに吐露した。
「初めてなんです!!遊びじゃない、本気であの男を私はっ……私は、好きに……」
「戯れ言を。お前ごときが、あの方にお相手していただけると、本当に思っているのか」
「――――――――初めて、なんです。あんなに綺麗な瞳で、見つめられたのは……あの男が、初めて……」
自分を見つめる、多くの男たちの目は。
いつも、汚い欲望に塗りつぶされたものばかりだった。
気を許すとすぐに押し倒してきて、心など素通り。
純粋に愛したい気持ちを打ち明ければ、馬鹿にされ笑われるだけ。
ただ、愛し愛される日々を暮らしたいだけ。
穏やかに、幸せに暮らしたいだけ。
平凡な毎日を夢に見て、何が悪いのか。
欲望を見せないあの男なら、受け入れてくれるかもしれない。
馬鹿にすることも、笑うこともしないかもしれない。
私を、私の全てを、理解してくれるかもしれない。
「あの男が、私は欲しいの。リリアンヌ」