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どんなに泣いても、願っても祈っても、アルヒがいない現実は変わらない。
ならば、どうすればいい?
エミリエンヌは、必死に考えた。
「昔みたいに、仲良くしてくれなくていい。私に笑いかけなくていい、話をしてくれなくていい。アルヒの側に、私がいなくてもいい!……側にいられなくても、これからの未来、幸せに暮らしてくれたら……それでいいの」
「ずっと、会えなくても?」
「……私に、会う資格なんてない」
「向こうは、会いたがってるかもしれないわよ?」
「そんな訳ないわ!!私、私っ……顔向け出来ないようなこと、してしまったもの!たとえ、お父様がやったことだとしても、私に全く関係ないとは言えないわっ!!」
繊細な作りのスカートに、シワが寄るのも構わずに裾を握りしめ、エミリエンヌは本当に悔しそうな顔を見せ、下を向く。
レンガ造りの床に染みる涙は、それはたくさん止まらず落ちて、水溜まりを作る勢いだ。
まだそんなに、時間を共有していないディーヴァを目の前にして、何をしているんだろうと、エミリエンヌは泣きながらから笑いをこぼす。
人前で、こんなに泣いたことはなかった。
母が亡くなった時も、アルヒの時ですら庭の片隅でひっそりと、声を殺して泣いたほどだ。
弱いところは、見せられない。
見せれば最後、つけこまれてしまうから。
誰にも頼ることが出来ないから、誰も信じられないから。
だから――――
「今まで、こんな道の往来でっ……人前で、泣いたことなんて、なかった、のにっ!」
「エミー」
「あなたの、せいっ、よ!あなたが……私を、抱き上げたり、する……から……っ!!優しくしたり……するから……!!」
目元を真っ赤に泣き腫らすまで、嗚咽を洩らして泣くエミリエンヌが、とても……とても、いじらしい。
そして、愛しい気持ちが込み上がってくる。
「ここまで、話したんだから!今さら……協力、出来ないなんて……言わせないんだから!!」
「えぇ。あたしは、あなたの味方。いくらでも協力するわ、小さなお姫様」
コートのポケットからハンカチを取りだし、エミリエンヌに差し出す。
ディーヴァからそれを受け取って、目元に押さえつけた。
「そぉーれっ!」
そのかけ声と共に、再びエミリエンヌを抱き上げた。
勢い余って、俵のように担いでしまったがバランスを崩して、落っことしてしまうような真似はしない。
いきなりのことで、エミリエンヌも悲鳴を上げたが抱え直せば、驚いた顔は見せても騒ぎはしなかった。
「今夜はどうするの?家に帰る?」
「……言ったでしょう?私は、いてもいなくても同じなの。ただでさえ、あの人たちと顔を会わせたくないのに、こんな状態で、帰りたくない……」
「なら、あなたのお店に行く?」
「そうね、そうするわ」
「なら、あたしも一緒に泊めて?」
「はぁっ?」
今夜のホテルを決めていなかった為、どうするか考えていたところに、なんとも都合の良い話が舞い込んできたと、ディーヴァは隠さずに喜ぶ。
お金を惜しむ訳ではないが、今はエミリエンヌと別れるよりも、一緒にいた方がいいと思ったのだ。
……それに、自分を捜している連中のこと考えれば、捜しやすいホテルよりもエミリエンヌの店の方が、絶対に見つかりにくい。
ディーヴァはもう少し、自由でいたいのだ。
まだ見つかるには早すぎる。
「さぁて!久しぶりに今夜は、あたしの手料理を奮っちゃおうかしら〜」
「食べられる物が作れるの?」
「失礼しちゃーう!ここしばらくは、料理を作る必要がなかったから、作っていなかったけれど……昔は養ってた子たちの為に、美味しい手料理を作ってあげていたんだからね!?」
カダルやマオヤを育て上げたのは、ディーヴァの手料理と言っても過言ではない。
いつも、無我夢中でかっ食らっていたマオヤに、無言ながらも流し込む勢いで食べていたカダル。
食べ終わればそれぞれが、『美味かった、ごちそうさま』『美味しかったです、ごちそうさま』と言った。
二人は本当に正直者で、人様が作ったとにかく不味い失敗作の料理を、ディーヴァが作った料理として出してみたところ。
不味い、と言って食べることを拒否したのだ。
食べられなくてごめんなさいと、二人は後で謝ったが……ディーヴァはとても嬉しかった。
自分の手料理が、養い子たちにとって美味しい料理であることが、証明されたのだから。
「お店に向かうがてら、食料を買っていきましょうよ!なんでも好きなもの、作ってあげる。何が食べたい?」
「……なんでもいい」
そう言いつつも、かすかに頬がほんのり紅潮していて……喜んでいるのが、よくわかった。
素直じゃない、だけどそんなところが可愛くて仕方がない。
「そういうのが、一番困るのよね。せめて、肉料理か魚料理か、それとも野菜中心かぐらいは決めてくれない?決められないなら、全部作っちゃうわよ〜」
この様子では、食べきれない量の料理を作る気だ。
その意図に気づいた聡明なレディは、賢明にも『野菜中心の料理』と慌てて答えた。
「野菜が好きなの?」
「あまり、味の濃い物や重い物が食べられなくて……」
「わかったわ。ご要望に沿ったお料理をお作りいたします、お嬢様」
「エミーでいいったら」
「はいはい、エミー。さぁ、帰りましょう」
いつの間にか、エミリエンヌの涙は治まった。
それが確認出来れば、ようやく地面に彼女を下ろす。
「エミー」
「何?」
「手、繋いでこ?」
「嫌」
顔を背けたった一言、拒否の言葉をディーヴァに告げる。
それを耳に入れた途端に、ディーヴァはポロポロと泣き出した。
「!?ど、どうしたのよ……」
「手、繋ぎたい……」
「どっちが子供かわからないわね!」
「繋ぎたいの〜!エミー!!お願いお願い!」
片手を『んっ!』と、エミリエンヌに差し出し、繋ぎ返すのを待っている。
幼児だ、目の前に幼児がいる。
こういった見かけは大人、中身は幼児の扱いは、仕方がないとエミリエンヌが諦めるしか方法がない。
「仕方ないわね、わかったわよ」
小さな手を、ディーヴァに差し出す。
わざわざ手袋を脱ぎ、柔らかな肌がお互いに触れる。
「(いつの頃、以来だろう……誰かと手を繋いだのは)」
こんな温もりを、直接肌で感じたのは……エミリエンヌにとっては、本当に久しぶりのことだった。
涙は治まったのに、またジワリと目尻に滲む。
母娘に、憧れなかった訳じゃなかった。
街で見かける家族連れや、店を訪れる親子を見るにつれ、羨ましいと思ったのだ。
焦がれて、憧れて……だけど手を伸ばしても、掴めるものでもなくて。
早々に諦めれば、楽になった。
期待しなければ、必要以上に苦しまずに済む。
そう、思っていたから……今まで、頑張って生きてこれたのだ。
「あなたって、人の寂しさに敏感なのね」
「んー?なんのこと?」
「私が、家族の話をしたから。同情してくれたんでしょう?」
「あなたのように、健気に真面目に一生懸命生きている女の子に、同情なんてしないわ。そんな失礼な真似はしない」
「ディーヴァ……」
「あなたはとても立派だわ。自分のことだけではなく、友達のことまで考えて行動出来る。それは、並大抵の人間には務まらない。
あなたは凄いのよ、だから……哀れんだり、同情なんて絶対にしない」
夕闇の中で、ディーヴァの色白の顔が浮かび上がる。
嘘くそくない、温かみのある優しい微笑みを、エミリエンヌに見せて。
ディーヴァは両手で、エミリエンヌの柔らかい両頬を包み込んで、上を向かせる。
また泣きそうになっている、小さな子供の涙を親指で払ってあげた。
「今夜は美味しい物、たくさん食べましょう!大事の前に、たっぷり栄養をつけて備えておかないとね」
「うんっ」
「ふふっ、やっと笑ってくれたわね。やっぱりあなたみたいに可愛い子は、笑っている方がずっといい」
頭を優しく撫で、再び手を繋ぎ歩き出す。
互いが互いのことを、笑いながら見つめ楽しそうに歩く。
その様子を、道を行き交う人々は皆、なんて美しい母娘だろうと、頬を染め見惚れていたのを、当の本人たちは知らなかった。
――――――夜の闇が、灯りを心許なくさせる時間帯。
ディーヴァと離ればなれになった三人は、ロアーと別れて、サンセベリアに到着した。
いくつかある国の入口の一つから入り、街の中心に行く為の道がわからず、古い教会の前で立ち往生してしまう。
これ以上、動くのは得策ではないと判断し、マオヤはとりあえず目の前にある教会を、今夜の宿にしようと提案した。
しかし、カダルはディーヴァを見つけるまでは、休む訳にはいかないと言う。
だが、カダル以上にマオヤはディーヴァのことを、よくわかっているつもりだった。
一日やそこらで、ディーヴァが満足するはずがない。
せめて、明日まで自由にさせてやるべきだと、そう言うのだ。
「何の為に、ディーヴァが俺たちを置いて行ったと思ってんだよ。しばらく味わえていなかった、一人でいられる時間を満喫しているんだろうよ。もう少しだけ、自由にさせておいてやれ」
「ですがっ……!!」
「自由にさせておいてやれ!!……たくっ、そんなに束縛してたら嫌われんぞ?」
「俺もまぁ君に賛成でーすっ!姐さん、窮屈なの嫌いそうだし、しばらくは一人にさせといてやろーぜ?」
「……その間に、また言い寄る奴が出てきたら、どうすればいいのですか」
「勘でわかる!!」
「俺もだ。だからその時は、また邪魔してやればいい。同じことの繰り返し、何も難しいことじゃない。……そうだろう?」
ギラギラと鈍く光る、男たちの眼。
それは、嫉妬という醜い男の感情が支配していた。
三人が話をしながら、教会の中に入って行くと、瞬時に三人共が押し黙る。
奥から人の気配がしたからだ。
足音と気配を消し、壁に体を隠して様子を伺う。
すると、ロウソクの灯りを手に持つ男がゆっくりと、礼拝堂へとやってきた。
「(あれはっ……!!)」