48〜サンセベリア
目の前で繰り返される無邪気な光景に、穏やかに微笑みながらもその瞳の奥に冷たい光が宿っていたのを気づけた者は、この場にはいない。
周りの者たちが楽しげであればあるほど、群れれば群れるほど、眩しすぎて直視出来なくなっていく。
ここは異世界、自分が育んだ異界の土地。
何一つ同じものはなく、またそうであるように造ってきた。
……今になって、そのことに救われる日が来るなんて。
皮肉だと、乾いた笑いをこぼした。
「ははっ、……本当、今さらよね」
自分が、世界がそうであるように育てた、造ってきた。
手を加えなければ死んでいた世界だ、ここまで発展させたことは凄いことなのだ。
唯一の存在、ディーヴァがそれを成した。
――――だが、そのたった『一つ』がディーヴァを孤独の底へと追い落とす。
そんなことをやってのけた、ただ一人の特別な『異世界人』だから。
他にはいない、特別な人だから。
だから――――――
「……ねぇ?」
「どうしました?」
「あたしが代わりに落ちてあげる」
いたたまれない、というよりも今はあえて一人になりたかった。
『誰か』の声がわずらわしく感じてしまって、一人きりになりたくなったのだ。
「…………何言ってんだ?」
マオヤがそう言うのも当然のことだ。
ここは地面が見えないほどの上空、普通の人間が落ちればただではすまない。
『普通』の人間などこのメンバーの中にはいないが、それでもだ。
こんな場所かは落ちるなど、正気の沙汰とは思えない。
ヴォルフのことも、四割ほどは冗談のつもりだった。
ディーヴァもそれがわかっていて、便乗したのだろうと高をくくっていると。
「あなたたちの先か後になるかはわからないけれど、ここから一番近い国に向かうから。あなたたちはロアーで向かってね?……言っておくけど、一緒に落ちたら二度と会わない」
三人を見据えて――――
「二度と口をきかないから、そのつもりで」
重力に任せ、何の抵抗もせず…………下へと落ちた。
慌てる三人を余所に、ディーヴァは口の端を上げてとても嬉しそうに微笑みながら、小さくなって消えてしまった。
あのディーヴァのこと、心配はいらないだろう。
――――問題は『奴』だ。
「………………」
「心配するなとは言わないが、後は追うなよ?お前が行けば、連帯責任で俺たちまで二度と会ってはもらえなくなるし……話も出来なくなる。それだけは避けたい」
「我慢してんのはお互い様なんだから、もう少しの辛抱だって」
「…………わかっています」
わかってはいるが、理解はしたくない。
ほんの少し離れているだけで、ひどく胸が苦しい。
辛い、なぜあの方は自分にこのような苦行を与えるのだろうかと。
考えずにはいられない。
「確か……ここから一番近い国と言えば、」
「『サンセベリア』だ」
サンセベリアという国は、石造で作られた家々が並ぶ大都市だ。
芸術と美食で有名な国で、富裕層から上に位置する家などは、ちょっとした美術館並の収集品や外装の凝った家で溢れている。
特に王族が住まう城と神に仕える教皇が住まう大聖堂は、人気観光地としてその名を轟かせていた。
過ごしやすい気候の土地柄で、食べ物に恵まれている豊かな国だ。
種類様々な食材が揃い、この国で料理人として成功すればどこへ行っても通用すると言われている。
後、絶対に欠かせないモノ。
以前にディーヴァが訪れた際には、特にスイーツが絶品だったと記憶している。
あのハートにサンセベリアのスイーツをお土産物として持参し、それを食べて感激した彼女に抱きつかれキスされたことがあるほどだ。
ディーヴァも食べたことがあるが、特に色とりどりに彩るエクレアが最高に美味しかったと思い出す度に話している。
「久しぶりにオークションにも参加したいし、買い物もしたいし美術品の市巡りもしたいな〜……」
「……あのぉ、」
「ん?何かしら?」
「あなた様は、どこぞの貴族の姫君なのでございましょうか?それとも、奥方様でしょうか……?」
あれからディーヴァはロアーから落ちた後、特に怪我もせず実に優雅に地面へと降り立った。
すると都合よく街道筋に差し当たり、そこへ豚の卸業者が偶然通りがかったので、街まで乗せてもらうことにしたのだ。
荷台には最高の品質を誇る豚がたくさんいて、その荷台に入る為の足場に座らせてもらう。
豚の鳴き声が響く中、ディーヴァは御者に声をかけられた。
「それを聞いてどうするの?」
「いえ、その……あなたがあまりにもお美しいので、身分ある方なのではないかと思い……もしそうなら、そんな粗末なところに座らせてはならんと、」
「気づかってくれるのはありがたいけれど、あたしはただの一般人よ。お金は持っているから、あなたにお礼ぐらいは出来る程度の人間なの」
「それはー……ご無礼いたしました」
「いいのよ。あたしも勘違いさせちゃうような格好をしているしね」
首まわりと袖口に、フワフワの毛皮が加工された黒のムートンコートを羽織り、その下には胸元が大きく開けた淡い赤色の模様入りの膝竹までの長さのワンピースを着た。
首には雫の形の大きめなブラッドストーンのネックレスを付け、右手の薬指にも大きめのダイヤの指環をはめた。
形の良い爪にも模様が描かれていて、テーマは秋風に吹かれる落ち葉だ。
ヒールの高い靴を履き、皮のハンドバッグを手に持つ。
それらを身にまとった上で、明るい栗色の髪に色を変え緩く巻き、瞳は空色だ。
どこから見ても身分が高そうな、あるいは金持ちの婦人。
おいそれと豚を搬送する荷台に乗せていい人には見えない。
「サンセベリアには、あとどれくらいで着くかしら?」
「なぁに、あと少しですよ。ちょうどお茶の時間に着きますでしょうか」
「それはちょうどいい。お茶の時間用のお菓子があったわよね……?あの国のお菓子は、本当に舌が蕩けるほど美味だもの。楽しみだわ」
鼻歌まじりに、空を見上げた。
あの国に行くのは、実に二百年ぶりとなる。
当時のサンセベリアは、芸術を主としていてまだ食に関してはさほど有名ではなかった。
夢見る芸術家の卵たちが、それこそ国中に溢れていて……その中の一人と、ディーヴァはとても親しくなったのだ。
あくまで清く正しく、誠実に。
画家とモデルという関係として。
街中で美術品巡りをしていたディーヴァに、声をかける者は多かった。
それこそプロからアマチュアまで様々だ。
その美しい姿を作品として残したい、芸術作品として生み出せるのは自分だけだと言って、代わる代わる声をかけられた。
しかし、ディーヴァは頷かない。
わずらわしくなり、声をかけてくる者たちを無視して街外れの静かな教会に足を向けると、そこで出会った売れない画家と知り合いになる。
教会に住まう神父様の計らいで、住まわせてもらっていた。
ここで会ったのも何かの縁かと思い、絵を見せてはもらったのだが、どこかで見たことがあるような物ばかりで……ハッキリ言って個性がない。
彼らしさが感じられず、ディーヴァがそのことを告げればモデルになってくれと頼みこまれた。
『俺は、最高の女を描きたいんだ!!ただの女じゃない、この世で最も強くて美しい……人の魂を揺さぶらせる、そんな女を俺はこの手で描きたい!!頼む!モデルになってくれ!!!』
あまりの気迫に負けてしまい、断れなかった。
ちょうど長期滞在を考えていたので、付き合ってあげるのもいいかと思ったのだ。
それからその画家が描いたディーヴァの絵が売れ出し、一流の仲間入りを果たすまでサンセベリアに滞在した。
「……お嬢様は、サンセベリアには観光でいらっしゃるんですか?」
「いいえ、墓参りよ」
「墓参り!?ほぁ〜!やはり芸術家の方ですか?」
「かなり名を馳せた画家よ。……若くして惜しい人を亡くしたわ」
「なんて方です?」
「『シュバルツ・ベルナー』……聞いたことある?」
ディーヴァの口から出たその名に、御者の老人はクワッと目を見開いた。
知らない筈がない、知らない奴がいたら阿呆だ!!
そう自信を持って言えるほど、彼はとても有名なのである。
「シュバルツ・ベルナーと言えば!二百年前に芸術界に革命を起こした立役者だ!!サンセベリアにやって来た当初は全く売れず、貧困を極めていたというが……ある日からとある女性をモデルに『女神』の絵画シリーズを次々と生み出し、今まで風景画や抽象画ばかりだった絵画を根本から覆した!あの人が描く女神の絵は好きでなぁ、優しいかと思えば雄々しく、儚いかと思えば苛烈で、まさに女神!!!模写だが、儂もシュバルツの絵を持っているんだよ。なかなか……優しく微笑む女神様で」
「ちょ、ちょっと……あなたの反応が熱すぎて困るわ。シュバルツが凄いというのはよーく!わかっているから!!」
鼻息荒くまくし立てる老人に、悪いが引いてしまう。
シュバルツの描いた女神はまさしく美しい女性の絵で、モデルに美女を描くことことが当たり前になったことからサンセベリアは美女が多い国としても有名になった。
しなやかな肢体に蠱惑的な美女が、最高の基準とされている。
モデルに相応しい美女もそうだが、シュバルツの死後、サンセベリアはシュバルツのような画家になりたいと思う芸術家で溢れかえっているそうだ。
一番騒がれているのは絵画なのだが、むろんそれだけの分野が主流という訳ではない。
シュバルツが死ぬ前に、自らがデザインして作った墓があるという。
それは、かつて見たことがないほど芸術性が高い作品だそうだ。
しかし、その墓を見た者は誰一人としていない。
なぜなら、シュバルツは自分が死ぬ少し前に姿を眩まし、自らが作った墓の中でひっそりと息絶えたからである。
今回のディーヴァの目的は、シュバルツの墓を探しだしシュバルツに参ることなのだ。
だが、シュバルツが死ぬずっと前にこの国を出たのでディーヴァも墓がどこにあるのかは知らない。
しかし心当たりはあった。
「お嬢様!着きましたよ〜!!」
「そのお嬢様はやめて。……懐かしい空気が漂ってくるわ」
街の道に敷き詰められている色違いの敷石は、その色によって様々な模様がある。
ディーヴァが最初に足を踏み入れた敷石には、たくさん咲き乱れる白百合の花が描かれていた。
場所によって違う模様が描かれていて、歩く人々を楽しませてくれる。