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「おじいちゃんねぇ、ずーっとソワソワしてたんだよ?」
「え、そうなの?」
コソコソと優が耳打ちしてくる内容が、父らしいような、笑ってしまうような……なんだかこそばゆい。
だが、落ち着きなく待ってくれているのかと思うと、やっぱり嬉しい。
思わずニヤニヤ笑っていると、優はさらなる情報をくれた。
「おばあちゃんにねぇ、『葵はまだ帰ってこんのか!』って、おおきな声だしてたよー?」
「そっか、……そっか」
心配をかけ通しだったことに、胸の奥が鈍く痛む。
今までのらりくらりとかわしていた事実を、今日こそ話さなければならない。
それで葵は気が重いのだ。
大事になるのは嫌だ。
だって、すでに終わったことだから。
「葵〜!お父さん待ってるよ、早く来なさい〜」
「もう来てるよ」
廊下を歩いて、庭を横目に眺めながら居間の入口までやって来てしまった。
優は葵の手をグイグイ引っ張り。
渋い顔で腕を組んで座っている、父の元へ連れていこうとする。
手を引っ張られるまま、葵は父の前まで赴きペタンと座り込んだ。
「おじーちゃん、あおいちゃんだよ!」
「あぁ、……遅かったな」
「ただいま、父さん」
新聞を読んでこちらを伺っていた父に、葵は“昭和か!”
とツッコミたかったが……部屋の中を、重苦しい空気が包んでいる気がしたので。
それ以上言葉を出せなかった。
部屋に入った時から、やけに父がジーッと見てくるので。
葵は居心地の悪さを感じていると、父が先に口を開く。
「腹は、出てないな」
やけに、視線が一箇所に集まっていると思えば。
極限にまで寄せられた眉が、父の不機嫌さを表していると伝えてくる。
また、痩せているから怒っているのかと思ったのだが。
どうやら違うようだ。
「?……会うたびに、痩せた痩せたって言ってるのは父さんの方じゃない。だからこっちに帰ってきた時には、たくさん母さんのご飯食べてたし……」
「そりゃあ、あれだけ分かりやすくガリガリになって、肌も唇もカサカサだったし、病気じゃないってのはわかってたけど……心配だったんだよ?」
「……うん、そこは反省してる」
「失恋でもして、体調崩したんじゃないかって。ほら、葵は昔から恋愛には消極的で、経験積んでないでしょう?だから、辛い恋愛でもしてたんじゃないかって」
「…………ん?」
「もしかしたら、今回帰ってきたのも失恋した上に、子供が出来たんじゃって。出来る時は出来るからね。一人でも二人でも、うちは農家なんだから、食べさせてあげることは出来るし」
「はぁっ!!?」
どんな誤情報だ。
目を剥いて、あからさまに驚いていると。
優もビックリしたようで、目を瞬かせ葵を見上げた。
驚きながらも、冷静に理由を問いただせば……訳はこうだった。
なんでも、家族の間で葵が突然帰ってくると言い出した、その理由が何かについて。
男性陣と女性陣に別れ、予想と賭けをしていたらしいのだ。
男性陣は、失恋したことをキッカケに実家に帰ってくる。
女性陣は、結婚するからその報告の為に帰ってくる。
……もしかしたら、子供が出来たからいきなり帰ってくるのかも。
――――などと、噂をしていたらしい。
理由は両極端だがどちらにしても、これが家族のすることか!?
葵はぷるぷると怒りに身を震わせながら、拳を握った。
「子供なんて出来てないわよ!!ていうか、すー君がいるところでなんてこと言うのよ!?」
優は意味はわかっていないだろうが。
教育上良くないことだけは、ハッキリと言える。
ほかの部屋に連れていこうとも考えたが。
母が話を続けたので、動こうにも動けなくなってしまった。
「なら、結婚するの?相手はどんな人!?」
「だから!そういう話じゃないのよ、会社を辞めただけなの!!だから帰ってきたの!!!」
「そうなのか!?」
「そうなの?」
「そうよ!何をバカバカしいっ……!あたしが恋愛関係のもつれを引き起こして、わざわざ帰ってくるはずないでしょう?!」
好きだった人に、告白することも叶わず。
ぶん殴って実家に帰ってきたなんて事実は、生涯においての秘密だ。
「だってね〜葵ももう26なんだし、結婚して子供がいてもおかしくはない歳でしょう?」
「うっ!」
痛いところを突かれ、胸元を手繰り寄せた。
我が母ながら、なんて容赦がない人なんだと。
密かにソッと涙する。
葵のうちひしがれた様子は、見てわかるだろうに。
母は無情にも、さらに追撃を開始した。
「あの勝でさえ、適齢期で結婚して優も授かってるってのに、あんたときたら浮いた話すらないし。……むしろ、デキ婚?って言うんだったかね。それでもいいと思ってたんだよ?」
のほほんと言いながら、とんでもないことを言う母に。
葵は今度こそ絶句する。
なんとも言えず、言葉が出ずワナワナと震えているのは。
何も葵だけではなかった。
「デキ婚なんてとんでもないわぃ!!!」
「でも、お父さんだってもしかしたらあり得るかもなって、言ってたじゃありませんか」
「あの時は大根の芽のことを考えていたんだ!!ちょうど、試験中の種があっただろう!それが上手く『出来た』かもしれんと言ったんだ!!」
「まぎらわしいわねぇ……」
「どっちがよ!?母さんも考えがぶっ飛び過ぎてるし、そもそも家族揃ってそんな話する?!」
「情報は先取りって言うでしょう?」
「そんな先取りはない!!その前に、子供作る相手もいないから!!……言わせないでよ〜!」
本当に、言わせないでほしいと葵は項垂れた。
あの勝ですら、ご縁に恵まれたというのに。
なぜ葵は、恋人すら出来ないのか。
本人が一番謎に思っているのだから、傷を抉らないでほしい。
「……恋人なんていらないもん」
「まぁまぁ、そんなこと言わないで。葵にはすー君がいるからいいじゃないの」
「そうだよ、すー君がいるからいいんだもん」
ギューッと優を抱きしめると、精一杯の強さで葵を抱きしめ返してくる。
ニコニコと笑う優は、とても可愛い。
癒される、最高だ。
「ぼくも、あおいちゃんすきだよー」
「あたしも!すー君大好き!!」
両親そっちのけで、キャッキャッとイチャつく二人に。
父親がわざとらしく咳払いする。
それに気づいた葵と優は、同時に顔を向けた。
「……まぁ、男がおらんのならいい。部屋はちゃんと空けといたからな、荷物置いてゆっくりしろ」
「……うん、ありがとう」
家族がいる有り難みを感じながら、それに甘えることを……今は許してもらおう。
やっと、人心地つけたのだ。
安心することが出来たのだ。
最愛の家族の元に、帰ってくることが出来たのだ。
『帰る』
懐かしい場所へ、故郷へ、家族の元へ。
それがこんなにも、こんなにも……尊いことだったとは。
体感しなければ、きっと永遠にわからなかった。
理解出来なかった。
この時が、ずっと続けばいいだなんて。
そんなことを、思う日が来るなんて。
「お風呂先に入っちゃいなさい、すぐにご飯にするからね」
「「ただいま(帰りました)ー!!」」
「あら、勝と菜緒さんも帰ってきたみたい」
古い木の廊下を歩く、二人分の足音が聞こえる。
足音は居間に向かってきていて。
ギシギシと廊下を踏む鈍い音が、それを正確に教えてくれた。
優は自分の両親が帰ってきたことよりも、目の前にいる葵に夢中だ。
話が終わったとわかったら、葵に抱きついたまま話しかける。
「ねーねー!あおいちゃんっ」
「なぁに?」
「いっしょにー、お風呂はいろー?」
ニパッと、優が最高の笑顔を見せる。
それは、菜緒が見せた(ある意味純粋な)笑顔にとてもよく似ていた。
親子とはいえ、あまりにも似ているので、これは思わず笑ってしまう。
……すると、廊下の足音が。
いきなり荒々しいものに変わった。
「ダメ!だめ!!絶対に駄・目・だ!!!」
「……兄さん?」
居間に現れた勝は、葵と優の間に割って入り二人の仲を引き裂くと。
至近距離で喚きだした。
「男と女が一緒に風呂だなんて!そんなの絶対にダメだ!!」
「はぁ?」
廊下で話を聞いていたのだろう。
一人燃え盛る勝を前に、その場にいた家族全員から、勝に冷たい風が吹き荒れた。
……家族全員分の呆れと蔑みの風で、勝の嫉妬の炎を消せればいいのにと。
葵は何度目かもわからないため息をこぼす。
全員から白い目で見られ、さすがの勝もたじろいだ。
「……すー君は兄さんの息子で、あたしの甥っ子よ?」
「葵はお兄ちゃんの妹です!!」
「訳わかんないんですだけど!?」
「全くだ、お前は何言っとるんだ馬鹿もんっ!!」
ぷりぷりと怒る父を尻目に、母はケラケラと笑いながら、夕ご飯の支度をする為に台所へ向かった。
いつもなら菜緒も一緒に、支度を手伝うのだが……今日は少しばかり遅れそうだ。
床を踏み抜いたわけではないのに、畳を踏む音がすごく大きく聞こえた。
勝は葵の表情が、またひきつったように固まっているのを見て潔く悟る。
……背中に冷気まで感じてきた。
「……お迎えが来たよぅ」
「あ・な・た」
「な、なんだい?」
肩が痛い。
顔をわし掴みされた時も、かなり痛かったが。
今回はさらに、その上をいく痛さだった。
肉食獣に、肉を持っていかれるのではないか……。
そんな生命の危機を勝は感じた。
「ちょーっと、お話があるの。子供の教育に良くないから『二人きり』でお話したいわぁ」
ニコニコ、にこにこ。
笑顔を浮かべるお嫁さん、あなたはどうして笑顔なの?♪
……思わず心の中で、現実逃避をしてしまいたくなるほど、自分の嫁が恐ろしかった。
後に勝はしみじみと語る。
ズルズルと引きずられる形で、勝と菜緒は居間からフェードアウトした。
「……すー君、お風呂行こっか」
「うん!」
深く考えないことにして、優と一緒にお風呂へと向かう葵であった。
「もうっ!あんまりバカなことばかり言わないでちょうだい!!最近はご近所さんからも『勝ちゃんはいつまでも子供みたいだねぇ』って話を耳にするんだから!」
「今に始まったことじゃないって」
「そういう問題じゃないでしょう!?優の方が大人びてるだの、私が苦労してるだの!私の両親が最近うるさくて……」
菜緒から、疲れたようなため息がこぼれる。
それを労るように、勝が肩を抱きよせた。
「ごめんごめん。お父さんたち、またなんか言ってきたのか?」
「……優を、私立の小学校に入れろって」
「えっ!でも、一番近い私立の小学校でも。この家から車で、一時間の場所にあるだろう?」
「だから!っ……優を、実家で暮らさせろって。実家の方が近いから」
「無茶言うな〜……」
乾いた笑い声が響く。
笑い事じゃないと菜緒は吠えるが、しっかりと抱きしめる腕に守られて。
胸にすがりついた。