42〜賢者
「フォルスは、女が好きだと言っていたが……」
口元がひくついている、かなり動揺しているようだ。
いくら長い年月、共に暮らしていなかったからといって弟の性癖を知らなかったとは!
……と、無駄に長男としての責任感がムクムクと沸き上がってきたところで。
ディーヴァは追撃を開始した。
「あたしの連れの男である二人を、一人は口説いてもう一人は夜這いしていたのよ?……ま、そういうことは当人同士で話し合ってもらうとして」
チラッとアレスの方を見る。
すると、自分はどうするべきか、自分はどうしたいのか。
そのことで、本当に思い悩んでいるようだった。
わかりやすいほど表情や態度に表れていたので、逆にディーヴァの方が疑問に思ってしまう。
本当にアレスで良いのかと。
「アレス」
「……なんだ?」
「今、聞いておかなければならないことだから聞くけれど。あなた、『国王になりたくないの?』それとも『なれないと思い込んでいるの?』どっち?」
それは、とても重要なことだった。
「思い込んでは……」
「思い込んでいる方なのね。まぁ、あんな状況だったら仕方のないことかもしれないけれどね」
わざとらしくため息をつくディーヴァに、アレスは勢いよく食いついた。
「勝手に人の気持ちを代弁するな!俺は思い込んでなんかいない!!」
「なら、なりたくないの?」
フィトラッカ国の国王に、なりたくないのか。
そう問われれば、嫌でもアレスは考え込んでしまう。
なにせ、この国の未来がかかっているのだ。
アレスは、自分がこの国の国王に相応しくないと思い込んでいる。
なにせ過去が過去であるし、原因が原因だ。
まだ思いきれないのも無理もない。
しかし、いまいち頼りない上に人を見る目が無いフォルスより(それはアレスにも同じことが言えたが、王宮の外でもまれている分いくらかはマシだろうと踏んだ)アレスの方が国王になるべきだと、すでに王宮に住まう者たちのほとんどが思っているようだった。
少数派の意見を述べるなら、実の妹が危篤状態にも関わらず、早くに帰ってくるどころか見舞いにすら来なかった冷血漢の薄情者を、果たして国王に据えて良いものだろうか?……という、意見である。
情に訴えかけ、少し阿呆で騙しやすい方を国王にしておけば後はどうとでもなる。
そう考える者もいるのだということを、アレスに教えてやった方がいいだろうか?
そうすれば、踏ん切りがつくのだろうか。
「国王に、なりたくないの?」
「なれ、ない……」
アレスは、泣きたいのをグッとこらえる。
泣いてはいけない、見られてはいけない。
ディーヴァにはせめて、この顔だけは見られたくない。
体躯の良いいい歳をした男が、女の前で泣くなどと……情けない奴と、そしられることだけはどうしても嫌だとアレスは顔を俯けた。
そんなアレスに、ディーヴァは声をかける。
「どうして?」
アレスは心の内を、気持ちを、思いを全て吐露する為に。
震える唇を動かした。
「俺は、逃げたんだ、全てから」
「知ってる」
「全てから逃げて、全てを放棄して……あんなに家族を悲しませて。そんな奴が、一度捨てたものをまた手にする権利があると思うかっ!?俺は捨てたんだ!!戦うことをずっと、ずっと……しなかった。役目から逃げていた。耐え抜くことをせずに……逃げて、答えを出すこともせずにずっと、俺は中途半端だった。とても、情けない奴なんだ……」
「……なら、また逃げるの?」
「逃げ……」
力なく座りこんでいたアレスの胸ぐらを掴み、ディーヴァの目線に合うところにまで持ち上げられた。
キツく睨み付けるディーヴァの瞳は、怒りの表情に似合わずキラキラと輝いていて……この状況にも関わらず、思わず見惚れてしまう。
そんな見惚れていたのも束の間、ディーヴァはアレスの両頬を容赦なくひっぱたいた。
「痛いぞ!?」
「目を醒まさせてやったんじゃない。いつまでもウジウジと悩んで、立ち止まって。情けない!!!」
「だから言っているだろう!俺は、情けない奴なんだと!!」
「開き直ってどうするのよ?!昔がどうだろうとなんであろうと、あなたは帰ってきたじゃない!!!」
スルッと、胸ぐらを掴んでいた手の力が緩む。
アレスはその場にへたりこむと、驚いた顔を見せた。
「ディーヴァ……」
「帰ってきたじゃない、家族の元へ。一番大変な時に、逃げずにあなたは帰ってきた。それを、誰が責められるというの?」
責めさせはしない。
誰にも、たとえ神であろうとも。
「決めなさい」
ビシッと人差し指をアレスに突きつけながら、射ぬくようにそう告げた。
「何を……?」
「ここまできてとんちんかんなことを言うなら怒るわよ?もちろん、国王になるかならないかよ!今ここでさっさと決めなさい、決定を長引かせても良いことなんてないんだから」
「ここで!?」
「あたしに覚悟を見せなさい。そうすれば、少しはあなたのことを見直すし、認めてあげなくもないわ」
喉の奥から、思わず息を一つ吐く。
身震いしてしまう体を支え、必死にどうするかを考えようとした。
だがそれ以前に、どうしても……頭の中を一杯にして支配する存在が消えないことに、アレスは自分を疑った。
どこまでも強い、強すぎる女。
堂々と、臆することなくただひたすらに突き進む美しい女。
あぁ……自分はどうして、この女に惹かれてやまないのか。
心を奪われてしまうのか、やっと解った気がした。
「お前に惚れる男は、愚か者だ」
「……そんなことを聞きたいわけではないのだけれど、確かにそうね」
「そんなお前に惚れた俺は、大馬鹿者だ……どうかしている、本当に」
空笑いするアレスにディーヴァは、不思議そうな顔をしていた。
ディーヴァという女は、矮小な自分という存在の中の塵芥に等しかった、やる気や情熱を呼び起こす炎なのだ。
魂に呼びかける強い力と心の持ち主、ゆえに。
惹かれてやまない。
ゆえに、このままでは終われない。
終わってはならないと思わせる。
……ディーヴァが何度でも、自分を、『アレス』を呼ぶから。
期待に応えたいと、思わせてくれるから。
ここで、終わらせるわけにはいかない!!
「国王に、なる」
「本当?」
「本当だっ!!」
この女に、失望されたくない。
見放されたくない、軽蔑されたくない。
必死になってしまうのだ、ここで奮い立たなければ二度とディーヴァという女に自分を見てはもらえない。
それに、もう……逃げたくない。
逃げてはいけない。
背負わなければならないのだ。
国を、臣下を、国民を――――家族を。
今まで目を背けてきた、だからもう……逃げない。
「俺は戦う。そして、自分の存在を認めさせてみせる!家族も泣かせない、俺が守る!!」
『本当に?君に、出来るの……?そんなことが……』
「っ!?」
どこからか聞こえたその声は、静かに海の底へと落ちていく。
アレスを後ろに庇い、声のする方向を向いた。
―――――すると、暗闇の中からゆっくりとこちらに歩いてくる人物を見つける。
杖を持ち、透明感のあるその端正な顔を覗かせた。
あくまでも余裕綽々の風体で、ニッコリと微笑んでいる。
それに対してディーヴァも、ニヤリと笑って返した。
「あらあら、お久しぶりねぇ?」
「やぁ、相も変わらず麗しく美しい。この国に来て、ますます磨きがかかったようじゃないか」
「あんたがあたしを褒めるだなんて、海底火山が噴火でもするんじゃないの?」
「まさか、まださせないさ。まだ時期じゃない」
「……あんた、」
ディーヴァが握りこぶしを作ると、大げさに杖を持っていない方の手を上げて、茶化してみせた。
「まぁまぁ、そう怒らないで」
「言っていいことと悪いことがあるって、教わらなかった?」
極限にまでつり上がった瞳に、立ち上る怒気。
目が釘付けになってしまうほどとても、凛々しい。
アレスは状況を掴めずにあたふたしていると、ディーヴァの近くまで賢者が近づいてきていて、いつの間に手を取ったのか……手の甲にソッと口付けした。
「――――本当に、怒った顔も美しい」
「いい加減にしなさいよ賢者っっ!!!」
手を引いた勢いを利用して、賢者に一発食らわそうとするが、簡単に避けられてしまい舌打ちする。
そうすると、心底楽しそうに笑うのでディーヴァの苛立ちは最高潮にまで達した。
「……あんたは、何がしたいの?毎回毎回、あたしが行く先々で何かしらの事件が勃発していて、必ずあんたがあたしの目の前に現れる。冬の国でもそうだった」
冬の国だけではない。
他の国々でも、国の中枢を脅かす事件が起これば首謀者の側に、必ず賢者がいた。
これまでも会って話をしたことはあったが、胡散臭くていけ好かない嫌な奴という印象しかない。
少なくとも、仲良くしたいとは思えない人物だとディーヴァの中では決定されていた。
「あぁ、あの国か。……あなたは、あれぐらいの事を起こさないと、僕の元に訪れてくれないだろう?」
「――――狙いは、あたし?」
たったそれだけの為に、これだけのことや今までの事件を引き起こしたのかと思うと、開いた口がふさがらなかった。
ディーヴァは怒るのも忘れ、ポカンと口を開け呆然となる。
「美しいあなたの姿を拝見しないと、活力が湧かないんだよ。僕には、果たさなければならないことがある。その為に、各地で色々な事件を引き起こしているんだ」
「くだらないとは、思わないの?」
「あなたに決めてほしくはないな、重要かそうでないかは僕が決めることだ」
微笑みを絶やさず、穏やかに笑い続けるこの男は……おかしい。
話が通じないどころではなく、そもそも別の次元にいる者なのだと、ディーヴァは嫌な納得をした。
話が通じない上に、まだ事件を起こす気でいる。
口に出してはいないが、わかる。
この男の狂気の沙汰を、内に秘めたる凶暴な感情を。