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それを告げたディーヴァの声は、ひどく冷たい。
何が起こっているのか……混乱したアレスは、ディーヴァに手を伸ばそうとするも、その手を払われてしまう。
不機嫌な顔のまま、カダルを連れてさっさと部屋から出ていってしまった。
呆然とした人たちを残して。
「……どうか、なさったのですか?」
いきなり機嫌が悪くなったディーヴァに、さすがのカダルも不思議に思ったのだろう。
怒りを露にしながら早足で、倒されたクラーケンの元まで向かうディーヴァに、心配そうに声をかける。
だが、今は静かに怒っているディーヴァに声をかけるのは早計だった。
いきなり目を見開き、次いですぐに悲しげに目を伏せる姿に、本当に何事かとカダルは慌てる。
「ディーヴァ……?」
「……腹が立って仕方がないのよ、この思いを一体どこにぶつければいいの!?」
国王は、幸せだ。
家族が再び一つ所に集まって、これからまた仲良く暮らすのだろう。
それこそ、おとぎ話の終わりのように……。
『いつまでも、幸せに暮らしました』
物語に、そう紡がれるのだろう。
……だが、倒された魔女はどうなるのだ。
憎しみという名の、蛇の鱗が剥がれ落ちた魔女の娘は、母親と共に空へと還った。
――――なら、国王を愛していた女はどうなる?
……見えるのだ。
この暗闇の中、ディーヴァにだけ見える哀れな女の姿が。
二つところで袂が別れ、残ってしまった国王を恋慕うマーレの強すぎる想いが。
未練が残り、想いが募り……旅立てないでいる。
泣いているのだ。
想いがここに留まって……苦しい、と。
助けてほしいと、泣きながらディーヴァに伝えてくる。
……声を聞けるのも、姿を見れるのも恐らくディーヴァだけだろう。
誰も、見えない。見ようとしない。
過ぎ去った『過去』になってしまったマーレを、誰も見るはずがない。
たった一人、ディーヴァを除いては。
「……なんとかしないとね」
「何をでしょうか?」
「祭り、今夜が最終日よね?」
「はい。三日目の夜です」
「それなら、祭りの力を利用出来そうね……なんとかしないと」
今夜は祭りの最終日。
嵐は去って、一段と賑わいを見せることだろう。
現に、かすかに音楽が王宮にまで流れてくる。
楽しげな人々の声も聞こえてきた。
それらを全てひっくるめて、力に変換してしまえば――――……ディーヴァの魔法は、爆発的な威力を発揮出来る。
哀れな女の為に、最後に力を奮うことが出来る。
「さぁて、あの二人にも手伝ってもらおっかなー……マオヤ!ヴォルフ!ロアー!!」
お風呂で粗方の墨は落とした二人であったが、いくら香料のキツイ石鹸や香水を使っても落とせないほどの強烈な臭いだった。
そのせいで、ほとんど死にかけているマオヤとヴォルフ。
そしてなんとか墨は洗い流せたものの、臭いは未だに取れておらず、苦しそうに鼻を押さえているロアーの元にたどり着くと、一人ずつ魔法をかけて墨と臭いを完全に取り除き、服を変えてあげた。
ロアーに至っては、鱗がピカピカになっている。
「おっ、俺の匂いがいい匂いになった!服もなんか民族衣装?みたいになってるし、カッコイイ〜!」
「……おい、なんで俺がこいつと色違いのお揃いの服になってんだよ……っ!!」
「いいじゃん?なんかー、一つのことを成し遂げた同士って感じで?感動的だよな〜」
「どこがだ!……おまけにカダルまでお揃いかよ。しかも色違い」
「……私も非常に不本意ですが、ディーヴァの決定には逆らえません」
三人が着ている衣装は、袖無しの胴服でズボンを穿いている。
ヴォルフは黒、紅葉の刺繍を施していて闇夜の中で鮮やかに存在を主張する。
マオヤは薄紫で、大輪の白い野薔薇が咲き乱れている。
カダルは白、金色の蔦草が絡む刺繍が目立ち、優しく淡く光る。
三人が三人共、なぜ普段着ではなく立派な衣装を着ることになったのか、それを疑問に思っていたのだが。
考えるよりも、直接この衣装を着させた本人に聞いた方が早かった。
「ディーヴァ、何をする気だ」
「マオヤのお仕事手伝ってあげたんだから、あたしの野暮用にも付き合ってよ」
……先ほどから気になってはいたのだが、自分を愛称ではなくちゃんと名前で呼んでいることにさらに不安が募っていく。
よくよくディーヴァを見てみれば……目が、とても穏やかで。
とても静かで……それは不気味なほどに。
こんなディーヴァを見るのは初めてで、今わかることはこれからディーヴァが起こそうとしていることに対して、自分は絶対止められない。
止めてはいけない、そんな気がした。
「今からこの国全体に、大きな魔法をかけるから。あなたたち、協力してちょうだい」
「は?え、ちょっ……姐さん?」
「カダルはヴァイオリンを弾いて」
「かしこまりました」
「……仕方ねぇな、やるか」
「えー?やっちゃうの?やっちゃう方向?疑問に思ってるの俺だけ??」
「マオヤは横笛、ヴォルフはリュート。確か演奏出来たわよね?」
「無視っスか?……へいへい。演奏出来ますやります、やらせていただきやすよ〜」
三人がそれぞれ、ディーヴァを取り囲むように円陣を組んだ。
カダルは指輪をヴァイオリンに変化させ、マオヤは髪留めに使っていた同じく文字が刻まれている金属を横笛に変え、ヴォルフは唯一引きちぎらなかった首輪の文字入り金属がリュートに変わる。
三人の用意が出来ると、ディーヴァも三人と揃いの胴服を身に纏い、色は海の青。
豊かな緑が生い茂り、実りを象徴する果実が描かれていた。
「さぁて、始めましょうか。『ケン』!!」
血を文字になすりつけ、呪文を唱えれば青白い炎がクラーケンのつがいをたちどころに燃やす。
燃え盛る炎は、王宮の城壁には燃え移らないようにしていたので、燃えるのはクラーケンのみ。
激しく燃える炎を背に、ディーヴァは地面を足で一踏みする。
そうすれば、再び地面に陣が深く刻まれ一度踏む毎に強く光が増していった。
そして、三人の演奏も開始される。
まるで、緩やかな……海の中を想像させる、安らかな音楽だった。
それに合わせて、ディーヴァはまた親指をかじり血を滴らせ、文字に血を付けると呪文を詠唱する。
「『ダエグ』日とは、みなに愛されしもの、天の使い、創造主の栄光なる光。富める者にも貧しき者にも等しく降りそそぐ喜びと安楽なり!!」
すると、ディーヴァの足元の陣から勢いよく水が溢れ出でてきた。
一気に流出してきたそれは、演奏していたカダルたちの脚が水に浸かっても、濡れることも冷たく感じることはなかった。
まるで、アレスの深層心理の世界のようだ。
現実ではないゆえ、海の中でも息は出来たし濡れなかった。
だがここは、夢ではなく紛れもない現実だ。
水は王宮より外にも流れて行き、どんどんこの国を水が満たしていく。
――――――海の底へと、沈んでいく。
演奏が終盤に差し迫った頃には、すっかりフィトラッカの国は海の中で息づく世界となってしまった。
海の生き物が泳ぎながら踊り舞い、珊瑚がひしめき海亀が自慢の歌声を披露する。
なんとも奇妙な海の世界だったが、お祭り騒ぎですっかり盛り上がっていた参加者たちは、最初こそ驚いていたが次第に慣れて一緒に歌って踊って演奏して、楽しんでいる。
「……なんで誰も、この状況を疑問に思わねぇんだよ……!」
「うはー……すっげー盛り上がってるなー!俺も交ざりてぇ〜!!」
「行ってくれば?後はあたしだけでも充分だし、せっかくの祭りなんだから楽しんできなさいよ」
「いやいや、この後何が起こるのか。それを見届けてからでないと、楽しめるもんも楽しめないっしょ!」
「一理あるな。ディーヴァ、これから何が起こるんだ?」
「見てればわかるわよ。――――ほら、来た」
ユラユラと揺らめく波の煌めきに、塔の中にいた全員が気づいた頃。
国王は一人、庭園に来ていた。
アルベルティーナも目覚め、アレスも帰ってきた。
国の憂いも無くなった。
……それなのに、マーレの悲しみに暮れる顔が忘れられないでいたのだ。
昔と変わらぬ、あの美しい顔で涙を流す姿を見て……胸が痛まないはずがなかった。
ずっと、三十年以上もの時を経ても変わらず自分を“愛している”と言った女。
確かに、幼い頃は自分もマーレを愛していた。
愛していたのだ。
だが大人になっていくにつれ、心のままに生きることは許されず……王族としての責任も課せられていた。
だから、優しい心の持ち主である美しい婚約者と結婚した。
愛を誓い、子を成し、共に人生を歩んで……歳を取って。
妻との人生に、後悔はない。
ただ、こんなに老けた姿になっても、未だに自分への愛を求め続けたマーレを……楽にさせてやりたかった。
応えてやって、今さらどうにもならないことはわかっていたが。
問題が解決した今なら――――
『あなた……』
殺されてやっても、いいと思ったんだ。
「マーレ……」
緑の鱗を持った、人魚の姿になって愛しい男の元へとやってきたマーレ。
ヒレを動かし、ゆっくりと国王の前まで泳いでいく。
……巨大な怪物に、人外の者まで現れたのだから今さら慌てることなどないと、口の端を持ち上げてマーレを出迎えた。
『不思議でしょう?あのお嬢さんがやったのよ、あなたにも私が見えるようにって』
「見えるように?」
『……わからない?私はもう、死んでいるのよ。それは、あなたも見たでしょう……?』
ディーヴァに斬られ、静かに倒れる君を見た。
ホッとしたのも束の間、―――――自然と涙が溢れてしまったのを、君は知らない。
「見た、が。君は魔女だから、何度でも生き返れると思っていた。現にこうして、もう一度現れたじゃないか」
もう、言葉を飾り立てる必要はない。
幼なじみが二人、再会して話をしているだけなのだから。
その行動が嬉しかったらしく、マーレは幼かった頃によく見せていた、無邪気な笑顔を国王に見せた。
『魔女の娘である私は、母様と一緒に還ったの。……だけど、あなたを愛している私は一緒に行けなくて……困っていたところで、あのお嬢さんが力を貸してくれたのよ』