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「家の外にも中にも、花が咲き誇っていることはいいことだ!だが、葵という花に比べれば、薔薇だろうと!世界三大美女だろうと!!油虫よりも劣る!!!」
「私よりも?」
「そう!!菜緒より、も……っっ!!?」
“あぁ、詰んだな”。
葵は瞬時にそう思った。
何よりも低く、一瞬で血の気が引いてしまうような恐ろしい声だった。
じわじわとにじり寄ってくる、ゾンビのような。
そんな本当に恐ろしい存在が、すぐ後ろにいたのだということを。
勝は今の今まで気づかなかった。
勝を通して、その存在を見ていた葵も。
思わず固まってしまう。
表情も固いまま、口元をひくつかせながらも。
少しずつ二人から距離を置いた。
「へー……葵ちゃんが一番、綺麗ねぇ……ふぅぅぅぅん……?」
勝がガタガタと震え出し、怯えきっているのに対して葵は。
ひどく落ち着いていた。
どれだけ義姉から威圧感を感じようとも。
葵が酷く冷静でいられるのは、自分には被害が及ばないことを知っているからだ。
嫌というほど経験していることなので、この先の展開はよくわかっていた。
「菜緒!これには深い訳がっ」
「葵ちゃん、おかえりなさい!」
「た、ただいま義姉さん」
蒼白になっている、自分の旦那の首根っこを捕まえたまま。
菜緒は葵に向けて、眩しい笑顔で出迎えた。
「(義姉さんの笑顔が眩しすぎて(恐すぎて)直視出来ない……!)」
葵は、この輝きを防げるサングラスが欲しいと本気で思った。
防げたところで、きっとサングラスが大破する勢いで輝きは増すのだろうから。
あまり意味はないが。
勝の妻の菜緒は、昔から地元では才女な上に美人で。
マドンナ的存在として有名だったのだ。
しかも五年前までは、小学校の教師を勤めていた。
学校の授業の一環で、課外活動で葵の実家の農園に児童たちと訪れた際に。
遠目から一目見ただけで、勝にまさしく一目惚れされてしまったのだ。
菜緒は勝からの、猛烈アタックを毎日のように受け続け。
よく通報されなかったと、家族が心配した中で。
二人はめでたく結ばれた。
「(あの時は、父さんがボコボコにした兄さん連れて、義姉さんの実家に謝罪しに行ったのよね〜……)」
あまりにも執拗に、菜緒を追いかけ回していたので。
ノイローゼにかかり、仕方なく結婚することを了承したのだと。
父が勘違いしたのだ。
最初こそは、謝罪しに行っただけだったのだが。
菜緒の話を詳しく聞いて、それが誤解だとわかり。
そのまま嫁に貰う約束を取り付けたというのだから、凄い。
その迫力に圧倒されて、菜緒の両親は否とは言えず。
結婚を了承したという。
懐かしい過去の回想に、一人思いふけっていると。
菜緒が勝の首をさらに絞める上げる。
いつものことだと、葵は遠い目をした。
「しっ……死むぅ……っ!!」
「人間、そう簡単に死なないものなんですって。良かったわね?私と優を置いていかなくて済むじゃない?」
「いやいや、真っ青通り越して紫になってるから!今にも天に召されそうだから!義姉さん、手加減してあげて?」
「大丈夫!この人は丈夫だけが取り柄なんだから〜!……だから結婚したようなものだし」
「俺に対して愛はナシ!?」
急にワタワタし始めた、勝の動きを止めるべく。
鳩尾に一発拳を撃ち込み、大人しくさせる。
少しだけグッタリした勝を尻目に、菜緒は葵に言った。
「帰ってきたばかりで疲れてるだろうけど、優が玄関で待ってるの。葵ちゃんから連絡あってから、もうずっと葵ちゃんはまだ?まだ?って聞かれてて。会ってあげてちょうだい」
「うん、それじゃあ……」
「葵!お兄ちゃんが荷物を――――」
「あなたはこっちでしょう?」
今度は勝の顔を、正面から鷲掴みする。
ミシミシッと音が聞こえてくるが、背後から聞こえてきた勝の虚しい叫び声をBGMに。
葵は自分にとって、唯一の甥っ子(四歳)の優の元へ旅立つのであった。
勝はこれから、自ら発した失言に対して菜緒から折檻を受けた後。
車を車庫に入れなければならないだろうから、家に入るまでが遅くなる。
その間に、父に話をしておかなければならないと。
強く目付きで我が家を見据えた。
……すると、玄関先から幼い子供の声が聞こえてきた。
一人で車のオモチャ片手に、遊んでいるその姿。
正月の時に会った以来だったが、あれからだいぶ大きくなっている甥っ子に。
葵は思わず笑みを深くした。
「すー君!」
少し離れた場所から優の愛称で呼ぶと、葵の姿を見つけ。
喜びに満ちた表情で、葵の名前を呼んだ。
「あおいちゃん!!」
「すー君!久しぶり、大きくなったね〜!」
優は目をキラキラさせて、葵めがけて走り出した。
ヤンチャな息子の為に、菜緒が手作りして作った青のオーバーオール。
胸元にピンクのブタのアップリケが縫われていて、ポケット仕様になっている。
その服が、優にとてつもなく似合っているので。
葵は悶絶するのを必死でこらえ、一生懸命走ってくる甥っ子を受け止めるべく。
両手を広げ待ち構えた。
「あおいちゃん!おかえりー!!」
「ただいますー君!うわー、大きくなったね〜」
脚に抱き着いてくる、優の頭を優しく撫でる。
すると、嬉しそうにキャハッと笑った。
葵は撫で回したいのを必死にこらえ、今度は抱っこしてあげた。
そうすれば、さらに大きく喜んだ声が上がる。
「重いぞすー君〜!」
「おじいちゃんも、いっつも抱っこするとね、大きくなった!重くなった!って、いうんだよ?」
優の口から“おじいちゃん”という単語を聞き、葵の気分は一気に下落した。
これではいけないと、頭を左右に振って優に質問する。
「あー……お爺ちゃん、お家の中にいる?」
「おじいちゃん?うん、おうちにいるよ?」
「……そっか」
今はもう夕方に近い。
畑仕事は早めに切り上げて、家で葵を待っているようだ。
……そのことを考えると、待っていてくれているだけ、自分のこと心配してくれていると。
……そんな風に思ってしまう。
さりげないそんな優しさが、本当に心に染みた。
玄関先で、優の楽しそうな笑い声が周りに響く。
それを聞きつけた葵の母が、家の中からパタパタと小走りで駆けてきた。
「葵!おかえりぃ」
こっちまで晴れやかになるような笑顔を向けられ、葵も自然と同じように笑顔になる。
優を地面に降ろしながら、母に言った。
「母さんただいま!……ごめんね?急に帰ってきちゃって」
「そんなこと気にするんじゃないの!疲れただろう?奥で父さんも待ってるから、顔見せたらお風呂に入っといで」
「奥?居間?」
「でーんと構えて待ってるよ」
父の様子を思いだし、思わず笑ってしまっている母に。
葵はさらに、気が重くなる心地だった。
これから父に、詳しく事情を話さなければならない。
そのことを考え、暗い顔を見せる葵を心配し。
優が服の裾を引っ張ってくる。
「あおいちゃん!だいじょーぶ?」
「すー君……」
心配してくれることが嬉しくて、優の髪を梳くように優しく撫でた。
嬉しそうに笑う優を見て、心が穏やかに……凪いでいくのを感じる。
「(……あぁ、帰ってきたんだ)」
大好きな家族がいる家に、帰ってきたのだ。
懐かしい匂いに包まれて、気心の知れた家族に囲まれて。
心が穏やかになっていく、辛い過去は霧散する。
……だから、何も怖くない。
もう何も、怖くなどない。
恐ろしいことは、もう何もないのだ。
「あおいちゃん?」
「……すー君は、あたしの王子様だよ。いざって時に、あたしの心を救ってくれる」
「おうじさま?」
「あたしを助けてくれる、カッコイイ王子様。きっと大きくなったら、女の子にモテモテになっちゃうよ?」
「すー君、モテモテー?」
「……そんなことになったら、義姉さんの悩みが増えるかな?あたしも寂しくなっちゃうなー!」
そんな状態めいたことを言いながら、優に笑いかけ一緒に家の中に入る。
優の両親共に、綺麗な顔立ちをしているので。
将来は、優しい雰囲気を兼ね備えた美形に、成長することだろう。
性格は、どちらかと言えば母親似なので。
かなりのしっかり者になるはずだ。
大きくなるにつれて、中身が母親似で本当に良かったと。
家族のみんなでシミジミと語ったことは、記憶に新しい。
話すたびに、勝が喚いたり騒いだりうるさいのを。
菜緒か父親が、一瞬で黙らせている。
……母は先に家の中に戻っていき。
奥にいる父に、葵が帰ってきたことを伝えに行っている。
葵は玄関先にカートを置いて、優と手を繋いだまま父のいる居間へと向かった。
「(あぁ……懐かしいな)」
家の中に入った途端に、実家の匂いが葵の記憶を刺激して。
たくさんの思い出を甦らせた。
不覚にも、じわりと涙が滲んでしまう。
悲しいかったこと、辛かったことが多すぎて。
家族との楽しかった思い出ばかりが甦る。
優が声をかけてくれなければ、葵は思い出に馳せたままだっただろう。
「ねぇねぇ、あおいちゃん!ずっとおうちにいるの?かえらない?」
それは、優が葵の帰省の度に聞いてきた質問だった。
大好きなお姉ちゃんに、ずっと側にいて欲しい。
だから帰らないでと、休暇が終わる度に優に泣きつかれ。
葵はその分心を痛めてきた。
「ずっといるよ」
でも、今回は一時的な帰省じゃない。
予定は未定の自由人で、望めばいくらでも優の側にいてやれる。
ずっと一緒にいてやれる。
「すー君が望む限り、ずっと一緒。側にいるよ」
「ほんとっ!?」
「お姉ちゃんは、なるべく嘘はつきません!」
堂々と言えたセリフではないが、優にとっては何よりも信じられる言葉だった。
今まで自分との約束は、絶対叶えてくれていた。
どんなに無理なお願いでも、叶えてくれる。
もちろん、そんな無茶ぶりな願いを口に出したことはない。
いくら子供でも、優は葵が大好きだから困らせるようなことは、絶対に言わなかった。
だけど、今回はどうしても叶えて欲しかった。
難しいことはよくわからなかったが、遠目から見て。
葵は今まで『幸せそうじゃなかった』。
いつもどこか辛そうで、苦しそうだった。
だけど優が側に行くと、葵は笑ってくれる。
だから、次に葵が帰った時には今度こそ。
ずっとお家にいて欲しいと、頼むつもりだった。
どんなに無理だと言われても、何度でも。
優にとって葵は、『神様』のような人だったから。
この家で、幸せそうに笑っていてほしかったのだ。
「ずっと一緒だよ。離れないよ」
「うん!あおいちゃん、大好き!!」
「あたしもすー君大好き〜!!!」
「すー君も、あおいちゃん大好きー!!!」