34〜解呪の儀式
――――――雨が降ってきた。
大粒の雨が、流れる滝のように街中に降り注ぐ。
これも、呪いの一部なのだろう。
降りしきる雨から、マーレの存在を確かに感じとった。
たくさんの海の魔物を地上へ上陸させる為に、わざわざこれだけの量の雨を降らせたのだろう。
天候を操れるほど、相当な魔力の持ち主なのだと馬鹿でもわかる。
こんな時ばかりは、すぐに理由や状況を理解できる知識や力を持った自分が、ひどく憎らしかった。
風が吹き、雨も降っているので海も荒れに荒れ、綱で繋げていた船も遠い海の果てへと連れていかれる。
このまま、水位が増して街が海の底に沈んでしまうのではないかと心配になったが。
マーレの目的は、この国をそっくりそのまま奪うこと。
消してしまうことではない。
それとこの国を奪う為に、邪魔する者を排除すること。
それだけが目的と言えるので、大人しくしている国民に直接の被害は出ないだろう。
……祭りで得られるはずだった収入などは、場合が場合なので諦めてもらうしかない。
それに誰もが天候のせいと考え、仕方ないと思うことだろう。
国民の今後のことは、王族に任せるとして。
さしずめ今は、海を真正面から見据え魔物を待ち構える男たちを、食らいつくすことから始めよう。
「来たわね!?化け物共っ!!!」
奇声が響く。
海より生じた魔物、爪を尖らせ牙は剥き異臭を放つ醜悪な生き物。
国中を覆い尽くすであろう数を揃え、蠢きながらもカダルとヴォルフに……引いては、舞踏を始めようとしているディーヴァの元へと歩みを進める。
スライム状の魔物や、見かけは動物らしく見える魔物が少しずつ近づいてきた。
それらを目の当たりにして、怯むどころかむしろ嬉々として見ている者たちが。
「これ以上先には進ませません」
「都合よく分厚い雲で覆われてるし、手袋ぐらいは外せるな。姐さんのご褒美は俺のモノ♪――――ああら素敵な魔物サン、乱交上等!!ヒィヒィ言わせてやんぜ!!オラァ!!!!」
カダルは向かってくる魔物にではなく矢を空に構え、そのまま高く飛ぶように放つとある一定の高さまで上った矢が、百・千と数を増やし遠方の魔物多数を襲う。
だがこの魔法は、立て続けに使用することは出来ないので初めの内に、多くの魔物を倒さなければいけない。
早急にケリをつけなければ、カダルの力が保たない。
雨で目測が誤らないよう気を配りながら、魔物に狙いを定め続けた。
矢の雨が降り注ぐ中、ヴォルフが枷を外し手袋を脱ぎ捨て、瞬時に近くにいる魔物を殴り飛ばし蹴り倒し、鋭い爪でひき裂いて殺す。
嬉々として動きながら、目の前に立ちはだかる魔物に襲いかかる。
海の魔物ゆえに、血は出ないが魔物の硬い核を壊さぬ限り死なない仕組みになっているようだ。
だが逆に、それさえ壊せば復活することもなく死ぬ。
カダルは一矢の一本一本で一匹の魔物の核を壊し、ヴォルフの鋭い爪が一撃で核を抉る。
遠距離・近距離の攻撃を上手く活用出来ている二人に、ディーヴァは安堵の息を吐いた。
「なんとか、持ちこたえられそうね。……まぁ君、聞こえる?」
マオヤと連絡をとる為に、貸してもらっている通信機からマオヤの声が聞こえてくる。
こちらの状況を伝えると、王宮の方は今のところ問題ないとのことだった。
「アレスは……やっぱりまだ倒れたまま?」
『あぁ、アルベルティーナの部屋で寝かせてる。王族は全員、一つの部屋にまとめといたが……これで良かったのか?』
「上々。下手にバラバラでいられたら、守るのも一苦労だしね。まぁ君もその方がいいでしょう?」
『まぁな。それじゃあ、首尾が上手くいくよう祈ってるよ』
「成功させるわよ、あたしを誰だと思っているの?」
『信じてるさ、泣く子も黙るディーヴァ様だからな』
ククッ、とマオヤの笑う声が聞こえた。
こんな風に笑うなんて珍しいと、若干驚きながらも通信を切る。
そしてディーヴァは、ずぶ濡れになりながらも前を強く見据え、解呪を行う為の準備に取りかかった。
解呪に下手な力の介入があってはいけないので、宝石を吐き出し元の姿に戻る。
流れる黒髪、抜けるような白い肌。
格好も荘厳な白い礼服姿に変わり、儀式の仕度は整った。
――――――ディーヴァを中心に、風が走り地面に陣が刻まれる。
ディーヴァの瞳が、雨が降りしきるこの薄暗い場所で、妖しく光った。
雨を巻き込み、雨を取り込み、雨と共に踊る。
今は音楽はない、人々の拍手も喝采もない。
だが、逆に雨の水を支配して自由に動かすことは出来た。
雨の水が人の形を成し、置き去りにされていた楽器を手に取り曲を奏で始める。
雨の音が歌を謳う。
陣の内のみ雨に降られぬ場所なので濡れることなく、ディーヴァは足を踏み出した。
――――――陣の内で舞踏を舞い始め、次第にディーヴァの力の影響が現れ始めたのか、雨は止んでいく。
すると、魔物の動きが鈍くなり中には動かなくなったやつもいた。
雲も切れて、隙間から光が覗く。
陽光にディーヴァの体が照らされ、それを合図に戦う男たちに声をかけた。
「カダル!!」
「はい!いかがなさいましたか?!」
「あなたは攻撃を止めて後方に下がりなさい!!一応この辺りの建物には結界を張ったけど、それが破られそうになったら補助に回りなさい!わかった!?」
「かしこまりました!!」
「ヴォルフッ!!」
「なにかな姐さん!?」
「そのけったいな布も枷も、全部取りなさい!!!」
魔物をねじ伏せながら、無茶ぶりを言うディーヴァに対してヴォルフは無言で首を横に振った。
「姐さんの命令でもそれは無理ーっ!!下手したらー、この国なんて簡単に消しとんじまうんだぜーっ?!」
「そうならないよう、結界を張ったって言ったばかりでしょう!!どこに耳付けてるのよこの唐変木っ!!!」
「ひっど!姐さん、この国を守る為に俺にオネガイしたんだろっ?!本末転倒ってやつじゃね!?」
なにかと理由をつけて断り続けるヴォルフに、最初はイライラした様子で声を絞りだし最後には大声で怒鳴りつけた。
「……いいから、さっさと全部取りなさい……っ!じゃないと!ご褒美もお礼の言葉もナシで徹底的にあんたの存在を無視するわよ!!?」
それは御免だ。
カダルがいた後方に一瞬で飛び退き、援護してもらっている間に覚悟を決め、全身を覆っていた鎖と枷を取り外し……首の錠前を引きちぎる。
空を見上げれば、昼間でも見える薄い月。
満月だ。
仰ぎ見ながら、頭を覆っていた布を取ると……焦げ茶のウルフカットの髪に、灰色の獣の瞳が露になった。
鼓動が激しく脈打つ。
呼吸が荒く、興奮した獣のうなり声が耳に届く。
息遣いまでもが木霊する。
牙を剥き、全身を毛皮が覆い口は尖り、凶悪な狼男が姿を現した!!
ヴォルフの遠吠えが、周りの空気を切り裂く。
咆哮による震動で、魔物たちの体が揺れ、ヴォルフの存在に怯えた様子で後ずさる。
もうまったく人の言葉は話さず、目の前にいる魔物たち全てに食らいつき引き裂いてやることしか、頭の中にはなかった。
変身を見届けたカダルは、ヴォルフに見つからないようにディーヴァの側まで戻り、ヴォルフの標的から洩れた魔物の始末と結界の補助に専念する。
「よしよし、うまい具合に魔物に襲いかかっているわね。雑魚はヴォルフに任せて、最後の仕上げにかかるわよ!!」
両手を掲げ、雲の切れ間から覗く大陽を見る。
大陽は、この国を熱く照らし恵みを与える象徴だ。
その力を借りて、呪いを解く!
「『ティール』神は道しるべなり。人の期待を裏切らず、夜の雲の上をゆきて、けして誤ることなし!」
―――――大陽が、一筋の光となってディーヴァの両手の中に一つの玉になり集まっていく。
ディーヴァの頭よりも大きくなったその玉を、空高く投げつけカダルに声をかけた。
「カダル!矢を放てっ!!」
上空に投げられた玉を射ち抜き、破裂させた。
弾けた玉は多くの光の筋となり、流星のごとく国中に降り注ぐ。
明日への力、鮮烈な光、未来へ生きていく為の希望だ。
その光を受けた者は、否応なく浄化されてしまう。
魔物は消滅して海へと還り、ヴォルフも人の姿に戻る。
――――――そして、王女の呪いも解ける。
光が全て流れ落ちたのを見届けると、にこやかにかけ声を上げた。
「よし!解呪成功、魔物も一掃!!」
「お怪我はありませんか?」
「魔物はあなたたちが食い止めていたでしょう?どうやって怪我しろって言うのよ……」
ディーヴァは呆れたようにため息をつくが、それでも心配なものは心配なのだろう。
入念に体中を調べるカダルに、クスッと笑いを溢した。
「姐さ〜ん……疲れたー!!つーか、俺いなくても良かったんじゃね?相変わらず、姐さんの魔法ってすげーのな」
「何度も言うようだけど、あんたたちが食い止めてくれていなかったら、こうも上手く解呪は成功していなかったの!!は〜……疲れた」
二人共がずぶ濡れで、ヴォルフに至ってはズタボロの衣服と鎖を引きずりながらやってきて、思わず吹き出してしまった。
濡れた髪を後ろに流し、水も滴るいい男ぶりを披露しているカダルが、ふと王宮の方に視線を向ける。
「……マーレは、現れませんでしたね」
てっきり海から現れると思っていたのだが、とんだ誤算のようだ。
気配すら感じないのは、どういうことなのか。
「そうだった!さっきはまだ来ていないようだったけれど、恐らく王宮に直接強襲をかけていると思うのよ!!」
「あっちはまぁ君だけっしょ?大丈夫かねぇ〜……」
「大丈夫だろうけどっ、心配だから急ぐわよ!走って!!」
「掴まってください」
「えっ?きゃあ?!」
王宮に向かって走りだしたディーヴァを横から浚い、姫抱きにしてカダルが駆けだした。
それを見てヴォルフが叫ぶ。
「ずりぃ!俺も姐さんを抱きてぇよ!!」
「勘違いするようなことを言うんじゃない!!いいからさっさと向かうわよ!」
「姐さ〜ん!!!」
全身の鎖の音をやけに大きく響かせながら、ヴォルフはディーヴァとカダルの後を全速力で追っていった。