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苛立ちを込めた眼で、ヴォルフに的を合わせる。
ぶれずに、まっすぐ向けられている弓矢を前にしても怯える素振りを見せるどころか、飄々とした態度にカダルはさらに苛立ちを募らせた。
「貴っ様……っ!!」
「待って」
……だが、それを制しディーヴァはヴォルフと視線を合わせる。
絡めていた腕から自分の脚をゆっくりと抜き、膝をついて人差し指でヴォルフの顎をすくいとり、甘い声で質問を投げかけた。
ディーヴァの紅い唇が、やけに目を惹きヴォルフをさらに興奮させる。
それがカダルには、面白くなかった。
「ねぇヴォルフ。あたしが今、困った問題を抱えてるって知ってる?」
「知ってたら、それににつけこんで姐さんに恩を売るに決まってるっしょ!」
「そうよね、あんたはそういうヤツだもんねぇ」
ヴォルフの目の前にぶら下げられた、極上の獲物。
興奮している今の状態で、滴るほど芳醇な香りが薫るディーヴァに未だに手を出さずに我慢出来ていることが、奇跡に近かった。
吐き出される熱い吐息、獲物の匂いを貪欲に嗅ぐ獣の姿。
今すぐに、喉元に食らいつきたいのを必死にこらえている様子が見てとれた。
「安心したわ、変わっていないようで」
ふと、立ち上がりながらディーヴァの顔から目が離せずにいると――――松明の灯りが、ディーヴァの金の瞳に映りユラユラと揺れているのが見える。
浮き上がる、紅い唇。
ふと、手が伸びて顔の線をなぞるように触れる。
そのまま唇に手を下ろし……唇の形を確認するように動かすと、中心で指が止まった。
――――その指を、甘噛みする。
上から見下ろす、ディーヴァの扇情的な姿を見て、……ゾクゾクした。
「ねぇ。今でもあたしのこと、好き?手助けを快く引き受けてくれるほど……あたしのことを愛してくれている?」
「心から深く愛しておりマス!!」
「なら……あたしに手を貸してくれない?もちろん、お礼はするわ」
そう言ってはみるものの、ヴォルフは少し渋る。
「いや……ね、言ったっしょー?俺は今、肌を晒せないんだぜ?手を貸そうにも、自由に動けなかったら思うように助けらんねーよ」
「そっちこそ何言ってるのよ。……昔あんたの暴走を止めたのは、一体誰だと思ってるの?むしろ暴れなさい、敵は多いだろうし」
「……そんなにいんの?」
「この国を蹂躙出来るほどの数を、あっちは揃えてくると思うわ。その間、あたしは解呪の魔法が発動させるのに忙しいし……手が足りないの。お願い、ヴォルフ」
手を握り、おもむろにそれを自らの胸元に持っていくと思えば……その豊満な胸に、パフンッとヴォルフの腕を誘った。
……ディーヴァの胸の柔らかな感触に、吐血する勢いで興奮してしまう。
「あ、姐さん……っ!!これは反則っ……」
「あたしのお願い事、引き受けてくれる?」
「喜んで!!!」
「………………また、男が増えた……」
カダルの悲痛な心の叫びは、本人にしか届かない。
空を見上げれば――――もうすぐ満ちる、青い月。
決戦は、明日だ。
――――――その日は朝から、珍しく空は曇っていた。
あれからヴォルフを連れて、人目を忍んで王宮に戻り、大人しく寝て夜が明けた。
……いや、嘘だ。
大人しく、は語弊がある。
ディーヴァを巡る、カダルとヴォルフの攻防戦が部屋の中で繰り広げられ、ディーヴァに『大人しく寝なさいこの駄犬っ!!』……と、主にヴォルフが殴られそのまま気絶。
静かになった部屋でようやく三人は安眠し、爽やかな朝を迎えられた。
「姐さん、俺の回復力が凄いからって手加減なしで攻撃してるよね?こんなんじゃ俺、お婿に行けないわ!」
体を覆う布のせいでよくはわからないが、布の下では見るに耐えない痣や鬱血の跡があるはずだ。
相当な力で殴られ、蹴られ。
それはまだ回復しきっていない。
それなのにディーヴァはどこ吹く風の如しで、平然とヴォルフに返してみせた。
「なら嫁に逝きなさい。大丈夫、きっとあんたのことを受け入れてくれる、動物施設とか集合動物墓地園とかあるはずよ。希望は捨てちゃダメ」
「絶望だよね?それって夢も希望もないってことだよね?死ねってことだよね?!」
「元々希望ある人生送ってなかったんだから、特に変わらないでしょうよ」
「姐さんひどし……でも好きだあああぁぁ!!!」
「朝っぱらから叫ぶんじゃないっ!!」
ヴォルフの頭を叩き、パシーンッと小気味良い音が響いた。
そこへちょうどよく、カダルが食後のお茶を手に椅子に腰かけるディーヴァの元へ訪れた。
……ヴォルフは錠前を付けているので、お茶は飲めないがちゃっかりディーヴァの隣の椅子を陣取る。
それを鬱陶しそうに見ながらも、給仕をするカダルは偉いと褒めるしかない。
(ヴォルフは数日食べなくても、平気な体の造りをしているのだ)
お茶を飲んで人心地つくと、侍女に頼みマオヤを呼んでもらう。
ヴォルフと顔合わせをしておこうと思ったのだ。
男たち三人には、マーレが用意してくるであろう敵の相手をしてもらうことになる。
その為には、中身がどうであれ互いが互いのことを知っておかなければ、致命的な落とし穴になりかねない。
すでに、呪いの総仕上げは始まっている。
今は一刻も早く、準備に取りかからねばならない時だ。
さっさと済ませられるものは済ませておいて、準備に取りかかりたい。
ディーヴァが考え込んでいると、ドタバタと騒がしい足音が耳に入ってきた。
言わずもがな、な人物の足音だろう。
扉を壊しかねない勢いで、渦中の人が部屋の中に入ってきた。
「ディーヴァ!!」
部屋の中に踏み込んで来たマオヤの姿は、女装していない元の姿へと戻っていた。
煌めきを放つ長いストレートの銀の髪を、邪魔にならないよう首の後ろで一つに結び、切れ長の濡れた黒い瞳はまっすぐディーヴァを見つめている。
肌は滑らかに白く、雪を思わせた。
きちんとした礼服に身を包み、細身だが切れ味の良い剣が腰に一本。
組織での正装を身に纏っているということは、いよいよ本腰入れて決戦に臨むことを意味していた。
「まぁ君おはよう、いい朝ね。曇ってるけど」
「助っ人を呼んだって?!」
「呼んでないわよ、勝手にやってきただけ」
「姐さんの一の下僕、愛の奴隷のヴォルフどぇーす!よろしくねんっ」
「斬っていいか?」
「……なんで姐さんの周りの男って、こんなヤツばっかなの?」
「あたしの育て方がいいから、正常な反応を見せてるだけでしょう?」
「あり?こいつら二人共姐さんの子供?」
「養い子だけどね」
それを聞いて、どこか姿勢正しくマオヤの元へ歩み寄る。
未だ剣に手をかけたままのマオヤに近づいていくなど、度胸が座っていると半ば感心した。
「まぁ君!」
「てめぇに“まぁ君”と呼ばれる筋合いはねえ!」
「お母さんを僕に下さい!!」
――――頭を下げ、折れた腰の角度が美しく……見事なお辞儀だった。
スラリ……と静かに抜かれた剣が、一気にヴォルフの首に降り下ろされる。
それを瞬時に避けて、天井の角にひっつきケラケラと笑うヴォルフ。
「おいおい、べっぴんさん!あとちょーっと遅かったら、俺の首がバイバイしちゃうところだったぜ?」
「うるせぇ!このド変態がっ!!大人しく首を差し出せ、血が流れねぇくらい綺麗にたたっ斬ってやる!!!」
「綺麗な面してやがるのに、口は悪いんだな。誰に似たんだ?」
「……じゃれついてないで、そろそろいいかしら?時間がないのよ、何度も言うようだけど」
椅子に座ったまま脚を組み、クイクイッと二人を呼び寄せる。
カダルはすでに側に控えているので、呼び寄せる必要はない。
一つのテーブルを囲むように全員が集まり椅子に座ると、密談を開始した。
「――――じゃあ、作戦を話すわね。あたしが今日最後の舞踏を踊るわ。その後で、解呪の為に必要な呪文を唱え続ける。……マーレはそれを、全力で邪魔してくるだろうからあなたたちも全力で阻止して」
「私たちから攻められませんか?」
「カダルにしては物騒なことを言うわね。マーレをどうこうするのは、解呪が終わってからね。先にそうしておかないと、アルベルティーナが死んじゃうでしょう?解呪を行って叩いた方が、無駄手間にならない」
「敵は、そのマーレってヤツだけじゃないんだよな?」
「……俺の調べた情報では、フィトラッカ国の周辺の海で海の魔物が多数確認されている。凶暴で、残忍で。平気で人間を襲う魔物だ。恐らく、マーレという魔女の配下だろうと思う」
近年、魔物の出没が活発してきたせいで貿易や観光の妨げになっているらしいのだ。
無論、対策は施してはいるが何しろ数が多い。
退治しても切りがなく、今この国が賑わいを見せているのも祭りのおかげに過ぎなかった。
……だが、祭りが終わればまた問題が浮き彫りになってくる。
決着は、今日一日でつけなければならない。
「――――――と、いう訳で。王族の面々を守る者が一人、街を守る者が二人と、別れてほしいんだけど」
「俺は当然街〜!王宮の中とか、狭い場所じゃ暴れられねー」
「私も街を守ります。私の矢は、屋内では上手く活用出来ない」
「……なら俺が、王族を守る。元々、この件は俺の仕事だからな」
「決まりね。……風も出てきた、マーレが来るわ」
――――――……強い風、高い波。
海のうねりが、まるで不気味な叫び声のように人々の元まで届く。
祭りの最終日と言っても、天気が荒れだしたので観光客も地元の者も屋内に籠り外には出ていない。
マーレと魔物たちを迎え撃つには、もってこいの戦いの場であった。
なんといっても、圧倒的に人手が足りないので互いが互いを助け合うことは出来ない。
だが、王族とこの国の民。
そしてディーヴァを守ることは、どんなことよりも優先させる最重要事項だった。
「あたしが死ねば、今までやってきたことは全て水の泡になるわ。いいこと!?敵の殲滅は二の次で、とりあえずは解呪を成功させるまでは防御に徹して!!守るのよ、なんとしてでも!!」