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プロローグ〜始まりは拳を一発!




「あたしがド田舎出身だからって!!ナメてんじゃないわよコンチクショーーーっっっ!!!」


 青ざめた会社の同僚たちが見守る中。

葵は自分が入社してから、ずっと好きだったイケメン同僚の顎に。

綺麗なアッパーを食らわせた。

美しい放物線を描き、同僚が宙を舞いコンクリートの床に沈む。


 ピクピクと痙攣はしているが、細腕のか弱い女性の攻撃ゆえに。

殺傷力はほとんどないので、死ぬことはないだろう。

見守る同僚たちが、床に沈んでいる同僚の様子を見にいきたそうだったが。

手を加えた葵が、怖くて動けずにいた。


 無理もない。


 今まで地味で大人しく、周りの中傷誹謗やあからさまな仕事の上での嫌がらせを、苦笑いで受け入れ耐えていた女性が。

朝一番に会社に出勤してきたと思えば、わき目もふらず。

ツカツカと例の同僚に歩みより……見事なアッパーを食らわしたのだから。


 皆最初は何事かと思ったが、葵がアッパーした方の手を振りかざし。

何か紙を握っているのが見える。

葵は怒りで体が震える中、絞り出すように腹の底から声を出した。


「とある人が教えてくれたんですよ……っ!あたしがこんな状況に陥ったのは、一体誰のせいなのか!!」


 朝、憂鬱な思いで身支度を整え、会社に出勤しようとしていたら。

見に覚えのないアドレスからのメールが、携帯に届いて。

不思議に思いつつも開いてみれば……。

自分が会社のアレコレのせいで、体調不良とノイローゼ気味になってしまった原因の顛末が。

文章で事細かに記されていた。


 しかも、画像のオマケ付き。

今日の昼過ぎの会議に必要な重要書類を、会社の自分の机の、鍵付きの引き出しの中にしまっていたのだが……。

いつの間に用意していたのか、イケメン同僚の手には鍵があり。

なんなく引き出しを開け、重要書類を持ち出す。


 この書類が無ければ、責任問題どころの騒ぎではない。

ただでさえ、自分の社内での評判は最悪なのだ。


“自分には何の落ち度もないのに、クビにされる”


 そう思ったら、いつの間にか家を飛びだし冒頭に至る。

呼吸が荒く、興奮冷めやらぬ状態の中で。

葵は今いるフロアの奥にいた、怯えた様子のハゲヅラ下半身デブていうかただのブタ!

……の、上司の顔に叩きつけるようにして。

出す気はなかったが用意していた、自身の辞表を提出した。


 辞めさせられるくらいなら、自分の方から辞めてやる!

葵はかなり、むしろ火山のごとく気が強い女であった。


「本日付で!というか今この瞬間この時を持って!!会社を退職させていただきますっ!!!」


 エコーが響く、コンクリート造りのビルの中。

同僚を殴ったことを後悔するよりも、上司の顔面に辞表を叩きつけたことよりも。

退職金をせしめられなかったことだけが、葵にとって唯一の心残りだと。

心の中で、ソッと涙したのであった。


 後ろを振り返ることもせず、フロアから出ていこうとする。

会社に私物は、まったく置いていなかったので。

文字通り、身一つで出ていくことが出来た。


 未だに怯えている、遠巻きにいた同僚たちに、葵は思わず苦笑する。

いつもこちらが、何か言っても聞いても基本スルーで。

上司に怒られているのを見たら、クスクス笑って。

そんな態度を取っていた人たちが青ざめ、震えている。

自分という存在に怯え、怖がっている。

それを冷めた目で一瞬だけ見据え。

何を思うでもなく、さっさと仕事場から去った。


 瀬戸葵せとあおい

『元』会社員となった26歳、……独身。

大学卒業を経て、遠い田舎から上京しそこそこ大きな会社に就職。

四年間ずっと勤めていた会社で、目の前にいるブタ上司からずっと仕事上での妨害や嫌がらせを受け続け。

不名誉な噂まで広まって、精神的苦痛を味あわせられた。


 四年間ずっと、ではないがそれでも他の人たちに仕事を押しつけられたり。

無視されたりと、低俗なことをされ続けた。

しかも先ほどの同僚が、上司の手先で。

率先して葵の妨害や、嫌がらせに協力していたことを知り。

……溜めに溜めた恨み辛み、怒りなどが一気に大爆発。


 バリバリのキャリアではなく。

だが鈍くさい訳でもない普通のOL人生を、地道に続けていたというのにこの仕打ち!

さすがにもう堪りかねると、冒頭のセリフを吐き捨てて。

同僚に一発食らわせ、用意していた辞表を上司に叩きつけ。

晴れて自由の身となりました!!


 ……そんな大それたことをして、訴えられることも覚悟していたのだが……。

借りているアパートの部屋で、実家に帰る準備をしていると。

携帯に新着のメールが届いた。


 また今朝の、送り主不明のアドレスからかと思ったが。

確認してみると、送り主は青ざめながらも、遠巻きに見ていた元同僚の一人で。

重大な事実を、わざわざ葵にメールで教えてくれた。


 元上司と元同僚が、会社の金を横領していたことが発覚し。

葵を訴えるどころの話では、なくなってしまったというのだ。

横領の発覚を恐れて、一番上司の仕事に関わっていた(雑用をこなしていた)葵に嫌がらせをして。

会社から追い出そうとしていたらしい。


 ……メールを送ってくれた子は、常に固まって行動している女性グループの、いつも端っこにいた人だった。

毎日誰かの顔色を伺って、どこか怯えているようで。

きっとこのメールも、かなりの勇気を振り絞って送ってくれたに違いない。

そう考えればあの会社も、案外悪いところではなかったように思えた。


「ん?」


 今度もまた、知らないアドレスからのメールだった。

葵の携帯のアドレスは、会社に登録していたので。

情報を管理している役職の人間なら、誰でもメールを送れる。

メールの内容は、退職手続きのことだろうかと。

中身を開けてみると――――――メールの相手は、社長だった。


「うっそー……」


 会社の代表が、なぜすでに辞めた元一社員にメールを寄越すのか。

疑問だらけだったが、メールを読み始めればその疑問も簡単に解けた。


 今頃、会社で起こっていた不祥事を知ったのだ。

だから、不当な扱いを受けていた元社員に、社長自らが謝罪したいと。

こういう訳だった。


 葵に謝罪した上で、またぜひとも元のように働いて欲しいと書いてある。

今はまだ、気が高ぶっているだろうからメールで失礼するが。

連絡を待っていますと、そう丁寧に文章が綴られていた。


「…………今さらよね」


 そう、今さらなのだ。

葵にとっては、すでに終わってしまったこと。

今さら元に戻れるはずがないのだ。

社長や同僚の配慮は、とてもありがたかったが。

あれだけのことをしておいて、また会社に戻るほど。

葵は厚顔無恥ではない。


 それに、また会社に戻ってきてほしいというのは“口封じ”の為だ。

会社の不祥事を、余所に漏らされたくないゆえに。

“それなりの地位を用意する”と、メールには書かれていた。

これさえなければ、信用したかもしれない。

また、会社で働こうと思ったかもしれない。


 信じられない人の元で働くほど、自分は器用ではないし、お人好しではない。

全てを捧げられる人だと、認められない。

本当に、今さらなのだ。


 メールでこれまた丁寧なお断りの返事をしたため、送信する。

返事はいらない、答えはもう決まっているから。

番号やアドレスを変えないと……。

いっそ、新しい携帯を用意しようか。

そんなことを考えながら、最後の荷物を詰めこむ。


 元々、持っている荷物は少なかったので手早く荷造りを済ませられた。

大きな家具類は部屋の備え付けで、処分には困らない。


 急なことだったので、大家さんは驚いていたが。

親の代わりに、ずっと葵のことを心配してくれていた優しい人だ。

見るからに顔色が悪く痩せていき、それを心配して。

よく葵に、食事の差し入れをしてくれたりしていたのだ。

ここまでやってこれたのは、大家さんが世話を焼いてくれたことに他ならない。


 会社帰りに買ってかえった饅頭を手に、大家さんに会いに行き。

今までお世話になったお礼を言って、たった一つだけのカートを持って。

葵は四年間住んだアパートを後にした。

まだ暑さが残り、日射しが厳しい初秋のことであった。


 ――――――電車に揺られ、乗り換えも合わせて。

半日は、時間がかかっただろうか。

故郷の田舎の、小さな駅に着いた葵はホームから、駅の外に出た。

陽射しが眩しく、手でそれを遮るがそれでも気温は暑く。

汗が肌の上をすべる。

ハンカチで拭き取りながら、辺りを見渡した。


「兄さんが迎えに来てるはずなんだけど……」


 改札口から出たすぐの場所で、暑い思いをしながら待ち人を待っていれば……。

突然、大きなクラクションが鳴った。


「葵ーーーっ!!!」


 ちょうど到着したようだ。

駅の目の前の広い道で、軽トラックの運転席から、大振りに手を振っている兄を発見した。

畑仕事の途中だろうに、なぜか『紋付き袴』の格好で迎えに来てくれた兄に。

葵は他人のフリをしたかった。

……が、それを兄が許すはずがない。


「葵〜I LOVE YOU〜!!会いたかったぜ妹よーーー!!!」


 恥ずかしい、とか。

痛い、とか……そんなもの。

兄の前では、ちりよりもかすみよりも儚いものなのだ。

身内ゆえにわかっていたことだったが、これはない!

周りの視線が痛い。

というよりも何よりも、兄自身の熱い視線が、一番痛かった。


「相変わらず無駄に爽やかですね、お兄様。キラキラしてて眩しいですね、お兄様。ていうか、他人のフリしていいですか?タクシーであなたとは別のルートで家に帰っていいですか?!」

「ダメです」

「ですよねー……はぁ」


 車から葵のいる場所まで遠いというのに。

遠くて聞こえない葵の言葉を、兄のまさるはちゃんと聞き取り。

車から降りて走ってきた。


「おかえり葵!すまないな、遅れて。隣ん家のばあちゃんを、道の駅の店まで送ってたら少し遅くなった」

「ただいま兄さん、迎えに来てくれてありがとう。……おばあちゃん、少し足腰弱っていたものね。兄さんにしては、いいことしてたんじゃない。見直したわ」


 曲がりなりにも手間をかけたのだ、お礼は言うべきだ。

それに、良いことをする兄は誇らしい。

珍しく素直に褒めてあげた。

すると兄は、デレデレな顔を見せた後。

エッヘンと妙に胸を張った。


「妹を迎えに行くのは、兄の特権だ!ついでにばあちゃんを、駅前まで送っていってお礼を貰うというミッションを遂行出来たから、俺としては満足だ!!」









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