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……そもそも、女一人の為に命を投げ出せる訳もない。
ディーヴァから顔を背けると、厳しい顔つきになりまっすぐ前を見据える。
その兵士の様子に、ディーヴァはまた笑みを深くした。
――――――罠にかかった愚か者。
この先に待ち受けているものが何かも知らず。
職務に忠実な哀れな男。
情けはかけた、拒否したのはそちらの勝手。
私は知らない、もう知らない。
堕ちていく男のことなど、私が知りうるはずがない。
……心の中で、ディーヴァはそう歌ってみせた。
酷く冷静に、なんの揺るぎもなく。
ディーヴァも兵士から顔を背けた。
――――――しばらく石造りの通路を移動していると、ようやく壁紙が張られ華美な内装が施されている室内に入った。
さすがは富と権力を固持し、見栄を張ることにお金と人の命を平気で賭ける奴等の根城だと、開いた口がふさがらない。
至るところにごつい純金の装飾や、希少価値の高い動物の皮で作られた皮張りの高級な椅子が、まるでギラギラという効果音でも聞こえるかのように輝きを放っている。
しかもなんの必要性があるのか、所々に大粒から小粒まで、たくさんの宝石まであしらって。
悪趣味の極み、センスがない。
その上先ほどから、この汚ない檻が高級感溢れる赤い絨毯の上を移動しているのだから、普通では考えられない。
どれだけ金を湯水の如く使い込めば気がすむんだ!――――と、怒鳴ってやりたいところではあったが。
ようやく暖かい室内に入れたのだから、まずは体温を通常に戻そうと体をさすり大人しく目的地に着くのを待った。
――――兵士たちに運ばれ、長い廊下を過ぎれば、ようやく目的の部屋に到着する。
光溢れる豪華絢爛な部屋の扉が開き、中に運ばれた途端、着飾った大勢の人間が一斉にディーヴァが入っている檻の方を見た。
大きく広がっていく、人々のざわつく騒がしい声。
侮蔑、侮辱、奇異、意味は似たようなものだが所詮は同じ視線を浴びせていることに変わりはないのだから、大差ない。
ざわつく声が大きくなっていっても、ディーヴァはものともせずむしろ微笑んでみせる。
無邪気なものではなく、妖艶に。
紅い唇を持ち上げて、優雅に微笑んで見せる。
それをたまらなく思うのは、何も男ばかりではないようで。
色にも欲にも飢えている者たちが、思うことは一つ。
ディーヴァという女を蹂躙し、服従させ……綺麗な顔を苦痛に歪ませ、汚したい。
そんなことしか考えていないのだ、ここにいる連中は。
「面倒。たいぎぃ、しんどい。……うざい」
吐き出された言葉は、とても重い。
その重みを、この場にいる誰もが知らない。
わからない、わかるはずがない。
理解することをとうの昔に放棄した奴らに、この“重み”がわかる訳がなかった。
「たいぎぃ」
紅い唇からこぼれ落ちたその言葉は、周りにいる人間たちには意味が理解出来ないだろう。
みな首をかしげ、誰か意味を知っている者はいないか聞いてまわっているのがその証拠だ。
ヒソヒソと囁きあいながら、チラチラとディーヴァを見る。
罪人の扱いを受けているディーヴァに、底冷えして明らかに見下した視線を向けて、鎖で繋がれている様を笑い馬鹿にしている。
「(わずらわしい、面倒くさい、たいぎぃ)」
そう思っていると、先ほどの上官にあたる兵士が部下に檻を開けさせ、ディーヴァに外へ出るよう促した。
その際に、逃げたりしないから枷を外すよう言ってみるが……こんなに大勢の人が集まるところで、なけなしの願いが聞いてもらえるはずもなく……。
「駄目だ!ここには高貴な方々が揃っておられる。お前のような魔女に自由を与えれば、どうなるかわかったものではない!!」
「あら、随分あたしの力を買ってくれてるのねぇ。……こんな物、意味がないってこと、思い知らせてあげましょうか……?」
唇が、歪む。
それはまるで三日月のように、弧を描きひどく歪む。
怯えるでもなく、ひどく楽しそうなディーヴァの様子に、 部屋の中にいた一同が不思議そうに見つめる。
近くにいた兵士たちは、先ほどのこともあり何をする気なのだとタジタジだ。
思わず、後ろに後ずさる。
「逃げなくてもいいじゃない。あなたたちが、あたしをこんな目に合わせているんだから。――――最後まで、逃げるんじゃないわよ?」
細まる金の瞳に、大げさに喉を鳴らし唾を呑み込む。
相手はただのか弱い女、恐れることなど何もない……はずだった。
こちらが本気を出さずとも、勝つことも取り押さえることも出来るはず、だった。
それなのに……なぜ、と兵士たちは思う。
「いいわね?」
歪んだ笑みを浮かべる女に、ただ素直に頷く他はなかった、と。
「そなたたち!!一体余をいつまで待たせる気だ?!さっさとその女を、余の前に連れて参れ!」
やけに耳障りな声が聞こえたと思えば、それはこの部屋の最も奥から聞こえた。
威厳も威圧感も、何も感じられない。
強いていうなら、純粋に腹立たしさだけは感じられた。
「は、はい!ただちに!!」
兵士が慌てて、ディーヴァの手枷に繋がる鎖の先端を引っ張り、王の元へと連れて行こうとする。
この部屋の中にいる人間の中で、最も悪趣味を極めている男がその王だ。
黄金と宝石を、ごてごてに飾りつけた玉座に座る壮年の男。
目は淀み、濁りきっていてぎらついている。
こういう男にはろくな奴がいなかったと、無駄に長生きしていたディーヴァは記憶していた。
大広間の最奥に座していて、肉感的な美女ばかりを侍らせ、酒をつがせ豪勢な美食を食らっている。
まさしく、絵に描いた退廃的な権力者の姿がそこにはあった。
その光景を目の当たりにしたディーヴァは、口許に手を当て吐きそうになるのを必死でこらえる。
「……これはなんの拷問よ」
「余計なことは話すな!」
「……あなたも哀れな男ね。あんな男の命令に従わないといけないなんて、同情するわ」
「うるさい……っ!今から陛下の御前まで連れて行くが、少しでも無礼な発言をすれば、その時はただではすまさんぞ!?」
「やれるものならやってみなさい。……あたしは今、最高に気分が悪いのよ?」
あの美女軍団に混じれというのか、それとも他に何かやらされるのか。
どちらにしてもあの男に関わった、それだけでも耐えがたい屈辱だ。
ディーヴァが苦い顔をすると、密やかに話していたにも関わらず上官が気づき、慌てて駆け寄ってきた。
「さっさと来い!陛下の元まで参るのだ!!」
「ただの噂で無駄に国民の税金を使い、人員を割きあたしを不当な扱いで拘束して、あんなウジ虫以下の男のところへ向かえって言うの?ふざけるんじゃないわよ!!」
それは、一瞬の出来事だった。
足は拘束されていないので、片足だけで側にいた上官に綺麗に蹴りを入れ遠くへ飛ばす。
蹴られた上官は、勢いよく壁にめりこみ血を吐き出す。
そして重力に従い大理石の床へと落ちて、そのまま気絶してしまった。
女の片足だけで、男一人を軽々と蹴り飛ばした光景に、その場にいた全員が口をあんぐりと開けて驚いている。
驚きすぎて何も言えず、何かリアクションをとることも出来ず、――――ゆっくりと、王の元へ歩いて向かうディーヴァに黙って道を譲ることしか出来なかった。
王の前で立ち止まると、不機嫌な表情を隠そうともせず、ディーヴァは質問を問いかけた。
「お前がこの国の王なの?」
裏を読みとれば、“お前なんかがこの国の王なのか”と問うていた。
裏を読みとることなど、この男に出来るはずもなく……ただ言われたままの質問に対してのみ、答えを言う。
「そうだ。光栄に思うがいい、お前のような下賎の女が生涯をかけても会えぬ、王の中の王に会えたのだからな!」
「……あんた以上の名君なんて、この世にはいくらでもいるっての」
なにせ、最低最悪の王なのだ。
この王以上を上回る王はいくらでもいるだろうが、この王以上に下回る王はなかなかいないだろう。
ボソッと呟いたので、王には何も聞こえてはいない。
だが、聞こえていても特に困ることなどなかった。
媚びることなく、ひたすら自由に。
決して自らの誇りを汚さず、堂々と。
誰に頭を垂れることもしない、服従しない。
誰にも仕えない、それがディーヴァだ。
「……それで、お前が魔女で間違いないのか?」
「あら、この国では不思議な力を使う女はそう言われているの?……魔女、か。捻りがないわね」
「ではお前さまが、遥か太古の昔より存在する多くの『魔法』を操れる魔女、で間違いないのじゃな?」
「おぉ……っ!来たか賢者!!」
集まっていた人々が、その存在が来たことを知ると、ディーヴァの時と同じように人が避けて道を作る。
王の元まで続く開けた道を、黒いマントを深く被った老人が杖をついてゆっくりと歩いてきた。
王の前までたどり着くと、骨と皮だけの細すぎる人差し指を、ディーヴァの首にある刺青を指差しながら、側にいる王に耳打ちする。
ディーヴァの刺青に、どんな意味があるのかを教えているのだ。
人を指差しておいて放置とは、無礼な奴だと眉を寄せ賢者に対して不快の意を示す。
すると、今度はディーヴァの側まで近づいてきたかと思えば、しわがれた声でこう言った。
「お前さまの首を、まるで首輪のように刻んでおる『文字』。それは特別なもので、誰しもが知っておるものではない稀少な文字じゃ」
杖の先で、ディーヴァの首に刻まれている刺青をつつく。
ディーヴァの自由がきかないことをいいことに、好き勝手にしてくる賢者を忌々しげに見つめ、そして鼻で笑ってみせた。
「……この文字が何?見つけたら何か、財宝でも貰えるのかしら。生憎、あんたたちなんかにあげられる物なんて何一つ持ち合わせていないわよ」
「いやいや。……欲しいものは、すでに我が手にあるも同じじゃ」
「――――まさかこの程度で、あたしを手に入れた気になっているんじゃないでしょうね?」
ごつく重い枷を、ものともしていない風に高く掲げ、ニヤリと笑う。
挑発的な態度を見せつけ、王や、賢者と呼ばれる老人の怒りを誘おうとするも。
買えたのは王の怒りのみで、賢者は全然乗ってこなかった。
食えぬジジイだ。
「『あたし』はそう簡単に落ちないわよ?」
「無駄じゃ、美しい女よ。わしは目的は必ず叶える」
「……お前の目的とは?」
「すぐにわかる」
賢者はまた王の元までゆっくりと赴き、女たちを避けて耳元に顔を寄せ何かを囁いた。
……すると、王の顔が歪むほどの笑みを見せ、兵士たちに合図を送る。
「始めようではないか、宴を!」
その号令が合図となって、兵士が持っていた槍がディーヴァの前で交差する。
これから何をされるのか、先端の光る刃物が見えた時に、嫌でもわかった気がした。
ディーヴァはやけに冷めた目で、主に賢者を見る。