10☆
少し体勢を変えただけで、刺すような視線をたくさん浴びれるのだから。
酷く警戒されたものだと、皮肉そうにディーヴァは笑う。
――――その笑みは妖艶で、面積の少ない悩ましげな白の衣装を身にまとう美女が。
この暗闇の中で、匂い立つ色香を放っているのだ。
娯楽どころか、毎日の生活にも事欠いている兵士にとって。
目に毒なことだろう。
あっという間に、警戒と怯えが含まれた視線が色を帯びる。
そんな兵士たちに対し、クスクスと笑い出したことで。
色っぽい意味で目を奪われた者と、恐怖で目が離せない者とで。
綺麗に別れてしまった。
暗闇の中で光る、妖しい金の瞳に。
紡ぎだされる熱いささやかな吐息に。
魂が、囚われる。
兵士たちは、猛毒を持つ蛇に足元から絡まれているような心地だった。
ディーヴァを護送中、この寒空の下でまるで凍ったように動けない。
……そこで、ディーヴァたちより少し離れた兵士の列の先頭で。
守備にあたっていたこの隊の上官が、後方の檻が動きを止めたことに気づき。
急いで向かおうと走る。
しかし、城からは馬すら支給されておらず。
持っているのは、最低限の鎧と細い槍のみだ。
それが大層重く、少し走っただけでも鍛えてなければ。
その場でへたばってしまうほど。
一般兵などがそうだ。
だが、そこは上官ゆえの鍛え方の賜物で。
簡単にへばりはしないが、やはり檻に着くまでが、多少の時間がかかってしまう。
……そんな上官を尻目に、ディーヴァはあまりの寒さに二の腕をさすりはじめた。
この檻に入れられた際に、防寒の為のコートを奪われてしまったのだ。
寒さで動きを鈍らせ、思うように行動させない為なのだろうが。
……ディーヴァも、やられっぱなしでは終わらない。
体をさすることで、自然と作られてしまう胸の谷間に。
もはや兵士たちは、任務そっちのけでくぎ付けになってしまう。
しまいには檻へにじり寄って来て、距離が0にまで達した時。
ディーヴァは兵士たちに口を開いた。
「少し、寒いわ。……ちょっと、誰かあたしの防寒着を持っていないの?このままじゃ、あなたたちの雇い主に会う前に凍死するわ」
「すっ、すぐに城に着く!余計なことは、喋るな!!」
必要以上に、焦る。恐怖のせいか。
必要もなく、乾く。情欲の為か。
仕事を全うしたくとも、やはり男の本能に従えと心と体を支配する。
体を巡る血の一滴、心に通じる神経に熱が灯る。
兵士たちの鼓動が、早鐘のようにうるさく鳴り騒ぐ様が。
ありありと、手に取るようにわかってしまうことに笑ってしまう。
そこで、からかって遊んでやろうと。
さらに兵士たちを追いたててやる為に、行動を開始した。
「……なんなら、あなたがこの中に入って。私を暖めてくれてもいいのよ?」
細くしなやかな指が、胸元を指先で這うようになぞり。
紅い唇が、男に甘く囁き自らの元へ誘う。
緩やかな線を描く柳腰から続く、まろやかな臀部に飾られているビロードの薄衣が。
男たちの欲望を、必要以上に煽る。
きらびやかな輝石が、ふんだんに使用された体を飾りたてる装飾品が。
ディーヴァの神々しさを、増長させていた。
艶かしい肉感的な色香と、清雅と清廉さを兼ね備えた女など、なかなかいない。
両極端だからだ。
しかし、ディーヴァの今の姿はふとした時に。
その両方の顔を見せる時がある。
今は、娼婦のような艶婦のような表情と雰囲気を見せているようだった。
際どい薄衣から覗く、すらりとした脚が檻の鉄の棒の間から出て。
兵士の顎を脚の指でなぞる。
兵士はとたんに、震えだし汗をかいて。
呼吸が荒くなり、顔をこれみよがしに赤らめた。
いい歳をした男が、女を知らぬ訳ではあるまいに。
まるで子供のような、初な反応を見せる。
そんな、女としては嬉しい反応を見せてくれる兵士に対し。
ディーヴァはご機嫌になり、今までとは違う愛らしい笑みを見せた。
とても魅力的で、男が思わず頬を撫でたくなるような――――……
「っ……あの、……俺、は……っ!!」
「なぁに?」
檻に近づいた兵士に、唇を寄せる。
白く滑らかな頬にも、触れられる距離。
そのまま二人の唇が重なる、…………そう思ったら。
「口をきいてはならん!!目も合わせるな、近づくこともならん!離れろっ!!」
ようやく檻に上官が到着し、持っていた槍で檻を叩き重なりそうだった二人を引き離した。
その衝撃で、ディーヴァは再び床に倒れてしまった。
上官の男が、誘惑されかけた兵士の顔を思いきり殴った後。
檻の方へ視線を向けたと思えば……。
「魔女めっ……!!」
そう言い捨てて、まるでを汚物でも見るかのように見下ろし。
すぐに目を反らす。
そして、厳しく部下の兵士たちに声をかけ。
再びディーヴァを護送する為に、道を進んで行った。
――――――あれから、かなりの時が過ぎ。
冷たい風を防ぐことが、出来ない檻の中に。
ずっと入れられていたので、体はすっかり冷えきってしまった。
冷たい空気を吸い込み、吐く息は白い。
ふと空を見上げれば、厚く覆った雲から雪まで降ってきた。
結局あれから、防寒着を貰えず。
乾いた空気の中で、肌を刺すような寒さを一人耐えていると。
ようやく目的地に着いたようだ。
冴えわたる月が背後に見える、灰色の石壁の城。
城に近づくにつれ。
外壁に使用している石を見て、冬の冷たさを吸い込んだ、石の感触が肌に伝わってくる。
……この城は街中とは違い。
蝋燭をたくさん灯した、眩しい明かりで。
煌々(こうこう)と城の中を照らし、華やぎ明るく楽しい空間を作り出している。
城の内と外では差があり過ぎて、離れすぎていて。
思わず呆れてしまうのは、何もディーヴァだけではないだろう。
城の中の、光溢れる輝かしい場を作り出す為に。
陰湿で、暗く淀んだ霧状のものが。
城の周りに漂っているのが、ディーヴァの目にはハッキリと見えた。
見える人には見え、見えない人には見えない。
視力の善し悪しや、個人差などの問題ではなく。
見える人の目で、見えるモノが漂っている。
ディーヴァには見える、その漂っている悪い『モノ』が。
ただそれだけのことだった。
その上で、その良くないものを。
このまま放置していたのでは、良くないことが起こると。
わかりきっていたことなので……さてどうしてやろうかと。
獲物を玩ぶ前の、猫の気持ちが乗り移った気分になる。
実際に、玩ぶというのには語弊があるが。
それでも。
どうにかしたい、してやりたいという残虐な気持ちが。
沸き上がるのを、止められないでいた。
ふつふつとした怒りのような感情が、体の内に留めておけない。
その感情が、沸き上がる原因が原因だけに。
誰もディーヴァを、責められるはずがない。
自分勝手に、自分勝手な発言をディーヴァに対して。
発することは、許されるかもしれないが……。
後が恐いので、あまりお薦めは出来ないだろう。
……城と外部を繋ぐ橋が下ろされ、そこから城の内部へと入っていく。
中へと入る際に、さらに兵士が増員され。
ディーヴァの周りは、余計に仰々しいことになってしまった。
たった一人の女に対し、これだけの兵士を使うなど。
半ば呆れざるを得ない話だが。
ディーヴァの伝わっている、話の内容が内容だけに。
納得出来ることだった。
だが、ディーヴァの力をどれほどのものか。
全てを理解していない者たちだからこそ、この程度の兵士の数を配備したのだと。
鼻で笑ってみせる。
すると、大げさに動揺する様を見せる檻を囲む兵士たち。
ディーヴァの一つ一つの動き。
息を吐き出す素振りでさえも怯え、恐怖する。
ただの女、怯えることはない。
自分一人だけに問われた質問。
誘惑された時とはまた違う、一つ間違えば何かが起きる質問。
だから質問をされた兵士は、どう答えるべきか。
また答えないべきか、考えに考えを巡らせた。
「恐怖を感じることは悪いことではないわ。むしろ、人間にとっては生存する確率がうんと上がるものなんだから、恥じるものではない」
捕まえている側である人間を、励ます言葉をかけるなど。
微笑みを絶やさず、まるで信託でも告げるように言うものだから。
堂々と言うものだから、兵士は唖然とした。
自然とディーヴァの言葉を聞く態度になった。
「あたしが恐いなら、近寄らない方が賢明ね」
「どうして……」
「姿が見える範囲はもちろん、この国にいても危険だわ。……これ以上あたしから恐怖を感じたくないのなら、この国から出た方がいいわね」
「……“死にたくないならここから逃げろ”と言っている風に聞こえるんだが……」
「あなたがそう思うのなら、そうなんでしょう」
「どっちなんだ」
「今は、あたしがあなたに何を言いたいかじゃない。“あなたがあたしの言葉をどう捉えて行動するか”なんだから」
歩きながら小声で返事をしてくる兵士に、人差し指でトンっと胸を突く。
なぜこうも唐突に、自分の身を案じることを言ってくれるのか。
また解りづらくとも、遠回しに逃げろと言うのか。
ディーヴァのことは何もわからない兵士だったが、この身を案じてくれていると感じただけで、妙に親しみや愛着が沸き起こる。
人間というものは、実に単純に出来ている。
“はい”か“いいえ”だけでは会話は成り立たないが。
ちょっとしたことで、喜んだり悲しんだりすることは出来た。
……だから、そのちょっとした喜びに身を任せ。
不用意な発言をしてしまうのも、仕方のないことと言える。
「……なら、俺と一緒に逃げないか?」
城で働く兵士でさえ、まともな暮らしは出来ないような。
そんな国で生きていくぐらいなら、いっそのこと。
この美しい女と逃げるのも、アリかと思ったのだ。
ふと、思い立っただけでとくに深く考えたわけではなかったのだが。
半分以上は、本気だった。
「――――――正気?」
「さすがに今は無理だが、隙を見つければ必ず……っ!」
「そう言っている内は無理よ、己の力量を知りなさい」
「何?」
「だいたい、腐ってもこの城の警護を任されている兵士たちが。あなたとあたしを、そう簡単に逃がしてやれるはずがないでしょう?」
「それは、そうだが……」
「あたし一人ならいけるけれど、あなたと一緒なら無理ね。簡単に死ねるわ」
無理。
そう言われてしまえば、そうだと頷いてしまう。
兵士は我に帰れば、逃げ出せるはずがなかったと。
己の考えていたことに対して恥じた。
この厳重な警備網。
命をかければ――――なんて、そんな考えは端からない。
生きる為に逃げたいのであって、死ぬ為に逃げるのではない。