9〜冬の国にて
……最後まで、不思議な出来事の繰り返しだ。
奇妙な浮遊感を感じながら、見えなくなった四人の子供たちを睨み付け。
ソッと呟いた。
「……きっと、帰るから……っ!!」
違う世界。
私が知らない、だけど今から生きていく世界。
捨てられない。
懐かしい、愛しい私の故郷。
戻ってみせる、帰ってみせる。
帰ろう、きっと帰ろう。
この狂った世界から、私はきっと逃げだそう。
――――――――あぁ、こんなものか。
今となっては、そう言える。
あの四人の子供たちに、底の見えない穴に落とされたと思ったら。
鏡越しに見た、あのまったく手が付けられていない世界にたどり着いた。
たどり着いたのはいいが、岩や砂しかないような世界だったので。
このままでは、餓死してしまうことは目に見えていた。
与えられた力を使って、必死に開墾・開拓を繰り返し。
生命の誕生を見届けて……歴史が流れに流れて、優に五千年は立っただろう。
時が流れれば、あっという間で。
あれほど何も無かった世界に、動植物が数えきれないほど世界中にその存在を占めて。
それから人間が生まれてくるのに、そう時間はかからなかった。
人間が生まれてからはあっという間に、家が立ち数は増え物を作り。
それはやがて大きく広く、世界に根を張っていく。
美しい自然と珍しい動物たち、それと“人間でも動物でも植物でもない何か”とも。
上手く共存出来ている世界になったと思う。
ここに至るまで、子供たちと時折会話を交わしながら。
成長した世界の中で、生み出された特産品や食べ物、装飾品や美術品に至るそれらを。
『気に入ったものがあるから送れ』と言われた時には、軽く殺意を覚えたものだったが。
――――――送ったものそれぞれを、大変気に入ったと言ったと言ってきた時には。
自慢に思ったものだった。
それと、時を重ねて子供たちの力を借りず。
葵自身が、魔法を使えるようにもなったのだ。
子供たちに与えられた力とは。
1.歳をとらないこと
2.身体の再生能力が高いこと
3.大多数の人間に魔法をかけられること
それら三つだ。
対して葵が身につけた魔法はというと。
1.自分自身に魔法をかける(それによって姿を変えたり、服や装飾品を変えたり性別を変更出来る)
2.他者に↑と同等の魔法をかけられる(これも髪の色を変えたり、服を変えたりすることが出来るだけで。心を操ったりする精神面での魔法使用は出来ない)
さすがに五千年もの時間があるのに。
子供たちに与えられた、力以外も身につけなければ。
不便だし、時間がもったいない。
自分自身で、魔法を使いこなせるぐらいは出来ないと……。
その甲斐もあり、今ではバッチリ使いこなし。
他にも、たくさんのことを覚え身につけ。
人と出会い、教え導き……別れを繰り返してきた。
一時期は、出会った者との別れが辛く。
……こんな想いを味わうぐらいならと、関わることを止めた時もあったのだが。
結局、関わらないことなんて出来ない。
この世界に、愛着が湧いたのだ。
五千年の時が流れた今、多くの国が存在し。
人や人ならざぬ者たちが、息づくこの世界で。
子供たちにとって、より理想的な世界になれるよう。
葵は未だ、異世界に逗留中。
後、姿を変えられたついでと言ってはなんだが。
葵は新たに名前も変えた。
今は『ディーヴァ』と名乗っている。
葵という名前は、元の姿の時に両親がつけてくれた名前だから。
今の自分が名乗るのは、なんとなく嫌だと思い改名した。
この世界で生きている者たちから、ディーヴァと呼ばれ慕われて。
最近では、このまま異世界で生きていけばいいと子供たちは言う。
それでも、葵は帰りたいのだ。
永い時が過ぎても、今でもはっきり覚えている。
四季が巡る、美しい故郷。
最後にいた季節は、夏から秋に移り変わる時だった。
今でも、鮮明に覚えている。
夏は眩い新緑が山を形づくり、春になれば空から舞い降る艶やかな桜。
秋には色づく紅葉が水面に映り、静かに積もる冬の白い雪。
その移り行く季節を、最愛の家族と過ごしてきた。
一度たりとも、忘れたことはない。
懐かしい世界、愛しい家族の元へきっと帰ってみせる。
固く心に誓い、今日も葵ことディーヴァは――――――『異世界』で力を奮っております!
空に青い月が昇る、宵闇が辺りを包む時刻。
淡い月の光が、冷たい石で造られた街を優しく照らしていた。
「…………寒い……」
身を切るような冷たい風が吹く中。
遮るものがない建物の屋根の上に、ディーヴァは立っていた。
先ほどまで、この国の兵士たちにしつこく街中を追われ。
ようやくまいたところだ。
遥か下を見れば、未だ騒がしくディーヴァのことを捜している兵士の姿が見える。
離れた場所から見る兵士の姿は、まるで働きアリのようだ。
働き者、というよりは働くことしか出来ない仕事中毒者のようで。
なんとも笑いを誘う姿に見えた。
「毛皮を着ていても寒いだなんて。……どれだけ寒い土地なのよ、この国は……」
濃いブルーの、毛皮のコートが風になびく。
今のディーヴァの格好は、コートと同じ色の短パンタイプのワンピースを着て。
毛皮の帽子を被り、ブルーのストッキングをはき。
ヒールの高い、毛皮のブーツを履いている。
毛皮尽くしで、なんともゴージャスな姿だ。
しかし、これだけ目立つ格好をしているのに。
ディーヴァは未だ、兵士には見つからない。
無能にも程があるだろうと、兵士たちに対し。
意地悪な笑みを浮かべた。
「あの子もまだ到着しないし、……寒いし。先に行っちゃおうかしら?」
雲は見当たらず、月は出ていたが雪でも降りだしそうな寒さだ。
防寒はしているが、それが無意味に思えるほど今夜はとても寒かった。
ゆえに、寒いから早く暖まりたいと思うのは。
人の性だとディーヴァは思う。
「暇だし、あの兵士たちに案内させようかなー……どうしようかなー?」
鼻まで冷えてきて、さすがに体が限界に近かった。
芯まで冷えきった体を暖めたい。
「ガリガリな男ばかりで、触手は動かないけれど……まぁいいわ。仕方ない、妥協しよう」
「ディーヴァ」
頭を垂れ、ディーヴァの前で跪く男。
肌は雪のように白く、月明かりの下で青銀の髪が冷たい風に揺られ、キラキラと光っていた。
「カダル」
「ようやく連絡がつきました、今しばらくお待ちいただければあの方たちはこの国へとやって参ります」
「待っていられないわ、ここは寒すぎるもの」
「では、どこかに宿をとりますか?」
「……今のこの国で、マトモに機能している宿屋があると思っているの?」
この寒い街の中で、家の中に閉じこもっている住民ばかりだ。
どこも明かりが付いていない。
誰も、明かりを付けることが出来ないのだ。
燃料を買うお金が無いし、明日食べるものにも困っている有り様だ。
さっきまで、ディーヴァを追いかけていた兵士たちですら。
頬が痩け、顔色が悪く生気がほとんどないように見える。
ざっと見ただけだったが、あまりにも酷い惨状で。
この国を最初に見た時、ディーヴァは思わず眉を寄せたものだった。
「殿下を待ってなんかいられないから、あたしはあたしで行動するわ。カダル、あなたも付き合いなさい」
「……何をなさるおつもりですか?」
「いい加減、寒すぎる外にいることに耐えられないの!さっさと、この国で一番暖かい場所に行きたい。だから、アレ!利用しましょう」
ディーヴァが指差す先には、未だにディーヴァを捜す兵士たちがいた。
利用、とは葵の時であったなら口に出すことも少なかった言葉だ。
それを今は、平然と口にすることが出来ている。
時は人を変える。
それはディーヴァ自身が、身を持って体験した事実だった。
「さ、いつまでもこんな寒い場所にいないで……始めましょう」
風になびく黒髪まで、凍りつきそうな勢いだ。
体を動かさないと、暖めないと本当の意味で凍ってしまう。
ディーヴァとカダルは、屋根の端のギリギリの場所に立つと。
駆け出すこともなく、兵士たちの集うところにスッと飛び降りた。
大した衝撃もなく、何かを壊すこともなく二人は石畳の地面に降り立つ。
いきなり現れた黒髪の美女と長身の青年に、兵士たちがギョッとする中。
「こんばんは、マヌケ共」
綺麗な微笑みを見せながら、毒を吐く美女に。
唖然とするも、少し心が浮き足立つ兵士たち。
しかし次の瞬間、三日月を思わせる妖しい笑みを見せるディーヴァに。
寒気ではない悪寒が、兵士たちの体中に走った。
全身が固まり、動けなくなってしまう。
そこへディーヴァが、手を伸ばした。
「さぁ、献上品を捧げよう!お前たちの愚かなる王に!!」
ディーヴァの伸ばされた手から伸びてくる、光が届かないほどの闇に覆われてしまう。
叫び声を上げても、体全体を覆われ。
兵士たちの姿は、どこにも見えなくなった。
山の上に建てられた、壮大な城にほどなく近い一本道のふもとに。
数人の、蠢く影が歩いているのが見える。
鼻がツンとする、ヒンヤリとした空気を吸い込みながら。
長年使われ、錆びついていた鉄の檻に閉じ込められているディーヴァは。
腐った床板の上に寝転がり、その蠢く影の正体であるとある国の兵士たちが。
黙々と、自分を運ぶ様をボンヤリと眺めていた。
かなり使い回されているであろう、その檻は。
女の力でも、少し力を入れれば壊れそうではあったが……。
ごつい上に、重い手枷を付けられていたので。
思うように動けない状態だ。
よしんば檻から脱出出来ても、周りを隙間なく兵士が固めている。
この状況では逃げられないと、仕方なく大人しく運ばれていた。
……街の中心から市街地である、今の場所まで運ばれている間。
さらに街中の様子を見たのだが……城に近くになるにつれ。
思わず顔を背けたくなる光景が、広がっていたのだから始末が悪い。
心の中で悪態をついた。
灰色の空、灰色の街、灰色の人々。
生きている色が見当たらない、顔色が悪いのを通り越して。
土色になっている街の住人たちが、街中を徘徊し食べ物を探している。
そして、大切な人が死んでいるというのに泣く気力もなく。
ただ茫然と、亡骸を抱きしめていた。
「(……あぁ、なんて光景だろう)」
だが、これはまだほんの序の口だ。
きっと今から向かう先に、もっと目を背けたくなることが。
待ち受けているに決まっている。
ため息を一つこぼし、少しだけ起き上がると。
途端に強い視線を、いくつも感じた。
視線の主は、周りに配置された兵士たちだ。