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前編

「そこへ直れ! 刀の錆としてくれるっ!」

 廊下から響いてくる怒声に、佐々岡結加は弁当をつついていた箸を止め、昼を一緒にしている友達、瀬良夏美と顔を見合わせた。耳を澄ませば、男子の悲鳴と逃げ回るような足音が聞こえてくる。

「今日も絶好調みたいだね、委員長。そろそろあんたが呼ばれるんじゃないの?」

「お昼ご飯くらいはのんびり食べたいよ。今度は誰が斉藤君の怒りに触れたのかな……」

 思わずため息が出る。すっかり食欲が失せてしまったので、中途半端に残った中身に別れを告げながら、結加は弁当の蓋を閉じた。友達と同じように人事と笑っていられたらよかったが、立場上そうも言っていられない。椅子に張り付きたがる腰を上げた時、教室の中へ男子生徒、宮下建が転がり込んできた。

「ふ、副委員長助けてくれっ! 委員長に撲殺される! あいつは鬼だ! 鬼畜だ! 悪魔だぁっ!」

 泣きつかれたのは副委員長こと、結加だ。そう、結加は不本意ながらも二年二組の副委員長なのだ。それもこれも、全ては一人の男が原因なのだが。

「撲殺など生ぬるい」

声と同時に単調な足音が続き、廊下から教室へと原因の男、斉藤竜太郎が入ってくる。標準装備の眼鏡と右手に持った木刀、そして詰襟の制服をきっちり着込んだ彼は、ここ二年二組の委員長だ。人を正すべきクラス委員長に恐怖を感じるのは何故なのか。獲物を追い詰めるが如く光る、肉食獣の目のせいか。背後に黒いものを背負う竜太郎に結加は乾いた笑みを浮かべる。

「斉藤君? あのー少し落ち着こうか? ね、とりあえず木刀を放そうよ? 事情も説明してほしいし」

 恐る恐る近づく結加にちらりと視線を寄越し、竜太郎は眼鏡を中指で押し上げる。

「オレは十分落ち着いている。少し待っていてくれ、説明は後でする。──おい貴様、己の愚行を棚に上げ、佐々岡に助けを求めるなど言語道断。貴様も男なら、潔く腹を切れ!」

「切れるかぁっ! お前、何時代の人間だよ! 何とかしてくれ、副委員長!」

「ちょっ、やっ、足にしがみ付かないで!」

 けして細いわけではないのだから、触るのは勘弁してほしい。恥ずかしさで顔を熱くしながら、宮下の顔を押しのけて何とか引き離そうとするものの、そこは男女の力の差だ。相手が必死なのもあり、なかなか引き離すことが出来ない。

「……貴様、罪状に強制わいせつ罪も加えられたくなければ、即刻彼女から離れろ! 叩き切るぞ!」

「うひいっ!」

「あはは……木刀じゃ切れないからね……」

 ますます縋り付いてくる宮下と、暴走しつつある竜太郎の迫力に結加は泣きそうになりながら律儀に突っ込みを入れる。痺れを切らしたのか、竜太郎は元々つり気味の眦をさらにつり上げて、木刀を宮下の首へ寄せた。

「ぼ、暴力反対! お前それでもクラス委員長かよ!」

「ほぅ……謝罪どころかこの上暴言を吐くとは、よほど耳が悪いとみえる。役に立たたない耳なら、いっそ切り落としてやろうか?」

「すみませんでしたぁぁぁぁ────っ!」

 悪役も真っ青な顔で極悪に笑った竜太郎に、宮下は素晴らしい土下座を披露する。その目にうっすらと滲むものを見つけて、結加は内心彼に合掌する。哀れだ。哀れすぎて、みているこちらが涙しそうだ。周囲から同情と忍び笑いを一身に注がれた宮下は涙ぐみながら手を合わせて竜太郎に助けを請う。

「明日、明日には必ず持ってくるから、勘弁してください、委員長様! 武士にだって情けはあるだろっ?」

 その必死の形相を見て思うところがあったのか、竜太郎は考え深そうに口元へ手をやる。

「ふむ。武士の情けとはよく言ったものだ。だがしかし、残念ながらオレは武士ではないのでな。課題の提出期限が過ぎたのは事実。そして、オレは委員長権限においてクラスメイトに罰を与える義務がある。オレに迷惑をかけたことを心の底から詫びて、潔く地獄へ落ちろ」

「落ちれるかぁっ!」

 実にいい笑顔を見せる竜太郎に、宮下が突っ込むが、その眼光の前では全てが塵芥だ。勝ち目が無いと悟ったのだろう。這って逃げようとした彼は背中を踏みつけられて、まるで捕獲された亀のようにジタバタともがく。

「放せ! 放せよっ!」

「ここまできたら諦めも必要だよ? それで斉藤君、結局何があったの? 木下君が課題を忘れたってのはわかったけど」

 結加は引きつった笑みを浮かべて、何とか穏便にことを運ぼうと理由を尋ねる。時折暴走する竜太郎だが、彼は基本的には公平な人だ。一度の失敗で根深く怒る性格でもない。この程度のことなら注意はしても、木刀を突きつけるまではしないはずだ。それが何故、今回はこうも暴走しているのだろうか。

「仏の顔も三度までと言うだろう? こいつが課題提出を怠ったのは三度目だ。オレが委員長になったからには、必ずクラスの提出物はパーフェクトにする。それが約束だからな。守れないなら、それ相応の罰を受けてもらう」

 ────約束。

そう言われて、結加はクラス委員長の選出時を思い出した。

そもそもの発端は、委員長や副委員長をクラスの中で誰一人やりたがらなかったことにある。立候補も推薦もないので、困った担任は安易にも成績が優秀という理由だけで竜太郎を委員長に指名したのだ。

『よし、じゃあ斉藤に決めた! お前が委員長としてクラスをまとめるんだ。それでもってオレに楽させてくれ』

『お断りします。オレは剣道部に所属していますし、そちらを疎かにしたくない。誰もしたがらないからと言って、オレに押し付けないで下さい』

 彼はそう言って一度は断ったのだ。それを強引にごり押しして無理やり就かせたのが担任であり、無責任なクラスメイト達だった。

『お前が適任なんじゃねぇの?』

『だよな。頭良い奴がやるべきだろ』

『アタシ達じゃ皆をまとめられないしねー』

 自分達に間違ってもお鉢が回ってこないように、そう思って言っていたのだろう。だが、彼にしてみれば面倒なことを押し付けられている状況だ。当然、竜太郎は了承しないだろうと結加は思っていた。ところが、彼は予想を裏切る斜め上の答えを出したのだ。

『……いいだろう。貴様達の代わりに、オレが委員長を引き受ける。その代わりに、先生、こちらからも条件をつけさせてもらいたい』

『斉藤がやってくれるなら、大抵のことは先生が許可するぞ。どんな条件だ?』

『一つ、提出物は全員が期日を守り、オレに手間をかけさせないこと。二つ、学校は無遅刻、無欠席はもちろん、校則違反をせず、オレに迷惑かけないこと。三つ、副委員長はオレが指名した者がなること』

『なんだよそれ! お前何様のつもりっ?』

『そーだそーだ! 横暴だろ?』

『えー、じゃあアタシ達も髪染めたり化粧しちゃ駄目ってこと?』

『今時スカートの丈をどうこうとかも言うわけ? 厳しすぎでしょ』

 上がるブーイングに、竜太郎はバンッと両手で机を叩いて立ち上がると、しんとした教室を睥睨して、口端をつり上げた。

『嫌なら、文句を言う奴がやればいい。オレは当たり前のことしか言っていない。そもそも、オレばかりが苦労するのは気に食わん』

 その瞬間【最後のそれが本音だろ!】とクラス中の生徒が内心突っ込んだのは間違いない。無謀にもそれを口にするものは居なかったが、教室には自然と沈黙が落ちた。しかし教壇に立つ担任だけは相変わらずのん気なもので、平然とのたまった。

『じゃあ、反論もないってことで斉藤が委員長で決定な。それで、副委員長は誰にしたいんだ?』

『……今日は五日ですから、それにちなんで出席番号五番の女子にお願いします』

『うえっ、わ、私?』

 そうして選ばれたのが結加だったのだ。そんなしょっぱい理由で選ばれたのが、ある意味一番の不幸かもしれない。

「いい加減に足をどけろぉ!」

 相変わらず踏まれ続ける宮下の怒声で、結加は我に帰った。思考が二ヶ月前に飛んでいた。現実では、相変わらず暴れている宮下とそれを踏みつける竜太郎が居て、さらにそれを教室に残っている生徒がおもしろそうに見守っている。最初はいい顔をしていなかったクラスメイト達も二ヶ月でこの手の騒動には慣れてしまったのだ。逆に言えば、それだけ騒動が起きているということなのだが、それは言わぬが花だろう。

「話は理解したな?」

「う、うん……」

「オレはこいつを職員室へ連れて行く。担当教科の先生から捕獲を指示されているのでな。その後にオレからの罰も受けてもらおうか」

「あんまり過激じゃ可哀想だから、考えてあげてね?」

 相手が竜太郎だと反論するのにも勇気が必要だ。結加は手に滲み出る冷や汗を感じながら、必死に平静を装って笑みを浮かべる。その間にもチキンハートは猛ダッシュだ。

「佐々岡は甘いな。だが、配慮はしよう。あぁ、それと今日の放課後は委員会があるからな、忘れて帰らないように。では、貴重な昼休みに邪魔をしたな」

 竜太郎は口端をつり上げると結加達へさらりと謝罪して、犠牲者の片足を引きづりながら退場する。床に頭をノックして悲鳴を上げる彼の姿は哀れの一言に尽きた。その末路を思い、教室中から黙祷が捧げられた。

「……こ、怖かった」

強張っていた身体から力が抜けると、思わずそんな言葉が口から出ていた。何を隠そう、結加は委員長である竜太郎が心底苦手なのだ。





その日の放課後。会議室はざわついた空気が流れていた。集められたのは一年から三年までのクラス委員長および副委員長で、三列に並べられた長方形のテーブルにはクラス単位でそれぞれが着席していた。結加も二年二組とプレートが置かれていたテーブルへ竜太郎と共に着席する。そろりと腰を下ろすと二重の意味で心臓がバクバクしてきた。よほど切羽詰まった顔をしていたのか、竜太郎が隣で苦笑した。

「お前は緊張しいだな。毎度、そう硬くならずとも問題ないぞ。オレ達が叱責されるわけではあるまいに」

「うん。でもなんかね、私がここにいるのが場違いな気がして……」

 委員会に参加するせいも勿論あるが、竜太郎が隣にいることにも緊張しているのだ。それに何より、結加は運悪く副委員長になったが、周りは違う。どの人も責任感がありそうな凛とした空気を持っており、結加と比べると月とスッポンくらいの差があった。それを見ていると、元々ないに等しい自信はますますなくなる。

「くだらんことを言うな。佐々岡は十分働いていると思うが?」

 まさかの評価に、結加は目を丸くする。てっきり足手まといくらいにしか見られていないと思っていたのに、竜太郎の真面目な顔には冗談の気配は微塵もない。そもそも気安く冗談を言うようなタイプではないのだ。それを知っているから、素直な心は嬉しさにぴょこんと跳ねて、熱くなる。

「そ、そうかな?」

「オレは基本的に嘘はつかん。お前を──」

「静粛に!」

その時、竜太郎の言葉を遮るように議長の声が室内へ響き渡った。マイクを握った三年生が壇上の上に立って、注目を促される。室内から話し声が消えた頃、議長が話し始めた。

「では、委員会を始めます。今日の議題は校内であったタバコのポイ捨てについてです。我が校は当然のことですが生徒による喫煙および、タバコの所持は認められていません。それは先生方にも禁煙場所が増えると同時に決められた明確なルールです。しかしつい先日、美化委員会が活動中にタバコの吸殻を花壇の中に発見したと報告がありました。坂田、資料を」

 そう言いながら映写機の傍に控えていた女子生徒へ視線を向ける。すると副議長である彼女は肩をすくめて、部屋の電気を消すと機械を作動させた。

「はいはい、議長。皆様、正面をご覧下さーい」

 スクリーンに写真の映像がアップで浮かぶ。おそらく現場を収めたのだろう。花壇全体と折れたタバコの吸殻。それから踏みつけられた花に残された足跡らしきものまで写っていた。結加はまるで刑事ドラマのようだと変な感心を抱く。

「足跡の大きさと種類から見て、男子生徒の可能性が高いようです。そこで、委員会では、来週から見回り強化期間としまして、放課後に見回りを行いたいと思います。もし、相手に心当たりがある、あるいはポイ捨て現場を発見した場合などは、速やかに議長である僕へメールでの報告をお願いします。もちろん報告した者の名前は公開しませんし、匿名として扱うので、その辺は安心してください」

 議長の言葉に、ほっとする。もしそんなことをして犯人である生徒にバレた日には仕返しが怖い。委員長職は基本的にクラスメイトにも嫌われるものだ。しかしそれを恐れて、仕事を疎かにすれば、途端に校内の風紀は乱れるだろう。だからこそ委員長職は真面目で責任感のある生徒が選ばれるのだと、結加は思っている。

(本当に私は副委員長にむいてない……)

人に注意出来るほど自分が正しい人間である自信はないし、人から悪意を向けられるのは怖い。しかし、どんなにむいていない、嫌だと思っても、結加は副委員長なのだ。大きなことは出来ずとも、せめて竜太郎の足を引っ張ることがないようにしなければいけない。結加は強くそう思っていた。

竜太郎が何かを言いかけていたこともすっかり忘れて、結加の思考は委員会活動一色に染まっていた。



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