第四話
コインパーキングを出ると、路地は昼の匂いに満ちていた。揚げ油や煮物の甘い香りが、鼻腔を撫でる。
ふたりは、スマートフォンの画面を交互に覗き込む。
曲がり角が来る度に、不安げに立ち止まる。
「こっち……かな」と、美桜の指先が示す方へ、歩を進めた。並んで歩くふたつの肩が、かすかに触れ、離れた。
大通りに出ると、視界の奥に色が立ち上がった。
銀朱――
穂乃果は足を止め、カメラのストラップに手をかける。
ファインダーを構えて――止まる。
瞬きを一つ、カメラを下ろした。
朱色の境界をくぐる。
背後のざわめきが、薄い膜の向こう側へ、遠のいた。
音の層が一枚、剥がれたようだった。
参道の両脇からは、焦げたソースの匂い。
子供の歓声が弾け、人波に溶ける。
穂乃果は歩幅を緩める。
「美桜さん――お参り、行きませんか?」
黒髪が、小さく揺れた。
手水舎の水は、指先の感覚を冷たく奪う。
ふたりは、見よう見まねで、清めを済ませる。
社殿の前で、穂乃果は賽銭を投げ入れ、目を閉じた。
硬貨の跳ねる音が、静謐な空気に一滴の澱を生んだ。
瞼の裏の暗闇に意識を沈め、
手を合わせると周囲の音が、遠のいていく。
後ろを通る人の気配が、背中に残る。
ゆっくりと目を開けると、隣には――美桜がいた。
社殿を離れ、心字池の縁に立つ。
池の表面には、風にほどけた濃紫の影が、ゆっくりと歪んでいる。水面がわずかに揺れるたび、色の残像が千切れては混ざる。
穂乃果は立ち止まり、色のあわいを視線で追っていた。
太鼓橋の前で、人の波が細く密度を増す。
人波に押され、穂乃果が一歩、先に踏み出した。
朱塗りの木肌に足をかけるが、踏み板が浅く重心が前へと落ちる。
「わっ……」
次の一歩が遠く、手すりに指をかけた。
それでも、流れは止まらなかった。
頂に差し掛かる、目の前の急な足場に集中し、一歩ずつ足を運ぶ。
背に当たるはずの圧が来ないまま、進んでいた。
橋の頂上を越え、視界が開ける。
下り坂の先に広がる景色の、その片隅。
紫が、視線の端で揺れていた。




